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07

「……ううん、やっぱり無いや」


 ロッカーを確認し終わった詩乃ちゃんは、肩を落としながら私の方へ小走りで戻って来た。


「ううん、ありがとう。探してくれて」


 私は首を横に振って微笑んでみせたけど、胸の奥ではどうしても小さな不安がじわりと広がっていくのを止められなかった。


 カナタと詩乃ちゃんと私。三人で立ち尽くしたまま、誰も何も言えなくなる。


 重たい沈黙が落ちた。


(……本当に、どこに行っちゃったんだろう)


 登校して来た人たちの靴の音がやけに響いたその時、軽快な挨拶が教室へやって来た。


「おっす、三人共っ」


 顔を上げると、風邪から復活した玲央くんがいつもの調子で手を上げてくる。


 そのすぐ後ろには、優ちゃんと拓斗の姿もあった。


 珍しい三人の登校風景。


「おはよう。どうしたの、三人してそんな顔して?」


 優ちゃんが首を傾げる。


 詩乃ちゃんが私に目を向け、代わりに説明してくれた。


「莉愛ちゃんの菊理がね、無くなっちゃったの……」


「無くなった? 落としたとかじゃなくて?」


 拓斗の表情が険しくなる。


「ロッカーに入れてたんだけど、菊理を包んでたハンカチごと無くなってて……」


 そう答えると、玲央くんが腕を組んで少し考え込んだ。


「それは……盗難、かもしれないな」


「そうね。莉愛が物を無くすなんて珍しいし」


 優ちゃんが小さく頷いて付け足す。


 その言葉を聞いて、胸の奥がチクリと痛んだ。


 “盗まれた”——その可能性が現実味を帯びていく。


「先生に言った方がいいな。ロッカーにあった物が無くなったってなると、かなり問題だから」


 玲央くんの冷静な声が響く。拓斗も真剣に頷いた。


「そうだね……」


 そう言いながらも、心の中はまだ落ち着かなかった。


 皆が優しい分だけ、余計に「自分のせいだ」と思ってしまう。


 そんな空気を裂くように、チャイムが鳴り響いた。


 キーン、コーン、カーン、コーン——


 ホームルーム開始の合図。まるで朝のこの騒ぎなんて無かったことにするような、いつもの音。


「……座ろっか」


 私が小さく呟くと、みんなが頷いた。


 日常がまた、当たり前の顔で流れ出す。

 でも、胸の奥のざわめきだけは——

 まだ、どこにも行ってくれなかった。

 朝のホームルームが終わり、日向先生が教室の扉を開けて出て行くのを確認したら、私も急いで追いかける。


「っ……日向先生っ!」


 廊下に出て、息を弾ませながら呼び止める。先生はすぐに振り向き、穏やかな瞳で私を見た。


「莉愛さん。どうしましたか?」


 その落ち着いた声に、少しだけ緊張が解ける。でも、伝えたい言葉が喉の奥でつかえて、息を整えながらようやく口を開いた。


「あの——」


 私は朝の出来事を、一つずつ説明した。


 いつも体育の授業で、菊理をロッカーにしまっていること。


 昨日の体育の授業も同じようにしまって、忘れて帰ってしまったこと。


 今日の朝、それが無くなっていたこと。


 日向先生は黙って最後まで聞いてくれた。


 途中で何度か頷きながら、それでも表情は徐々に真剣な色に変わっていく。


 その顔を見て、やっぱりこれは“ただの紛失物”ではないのだと実感した。


「分かりました」


 先生は静かに言葉を選ぶように告げた。


「莉愛さんは今日一日、誰かと行動してください。それと念の為、心当たりがあるところをもう一度探してみてください」


 声は優しいけど、どこか慎重な口調だった。


「はい、分かりました」


 私は日向先生にお辞儀をして、教室へ戻る。


 一時間目の準備のために、ロッカーへ教科書を取りに来る人の出入りが激しくなっていた。教室のあちこちで、鞄の金具が鳴る小さな音や、ページを捲る音、椅子を引く音が重なって響く。


 そのざわめきが、妙に遠く感じた。自分だけが別の場所に取り残されているようで、胸の奥がキュッと縮む。


 玲央くんが、詩乃ちゃんやいつものメンバーがまとまっている席にいて、私もそこに合流する。


 すると詩乃ちゃんが心配そうな声で話しかけてきた。


「莉愛ちゃん、先生、大丈夫だった……?」


 私が怒られたと思ったのか、少し声が震えていた。私は安心させるように、詩乃ちゃんの席に近付いて優しく答えた。


「うん、大丈夫っ。怒られなかったよ。でも今日は誰かと一緒に行動してくださいって言われちゃった」


「任せてっ!」


 そう言って椅子に座りながら私に抱き付き、私のお腹に顔を埋める詩乃ちゃん。


「ふふっ」


 頼もしい言葉と可愛い行動に、思わず笑いながら詩乃ちゃんの頭を撫でた。


 そんな私たちのやり取りを見ていた玲央くんが、少し考えながら声を上げた。


「俺、昨日休んだから、状況がさっぱり分かんねぇんだけど……莉愛の菊理に連絡してみたのか?」


「してないよ。だって出られないじゃん」


 私が首を振って、あっさり答えると


「いや、近くにあれば音か光とかで気付くんじゃね?」


 その一言で、私と詩乃ちゃんの間に「ハッ」という空気が走った。


 私たちは顔を見合わせる。


「そっか……!」


「今してみるねっ!」


 詩乃ちゃんは首から菊理を外して、私の菊理へ連絡をしてくれた。


 いつもなら、魔法石がパァッと煌めき、耳に心地良いあの優しいキラキラとした音が聞こえてくる。


 だけど——


 いくら待っても、何も起きなかった。


 カナタや拓斗も、光を探すように辺りを見回してくれている。


 音も、光も、気配すらない。


「……反応、ないね」


 詩乃ちゃんの声が小さく震える。


 教室のざわめきが、急に遠くに感じた。私の胸の奥で、静かに冷たい波がひとつ広がる。


(——本当に、誰かが持っていったのかもしれない)


 手首の辺りを、汗でもないのに妙に冷たい空気が撫でた気がした。夏仕様の羽織のせいかもしれない。


「取り敢えず、今日は私たちと一緒に行動しましょ。遠慮なんかしちゃダメよ」


 落ち込んでいる私に気付いたのか、優ちゃんが優しい声で話しかけてくれた。


「うん……ありがとう」


 小さく返すと、優ちゃんは微笑んで私の肩にそっと手を置いた。


「きっと見つかるから、そんなに落ち込まないで」


「……うんっ」


 優ちゃんの慰めの言葉で、私は何とか笑顔を作れた。


 それでも昨日から残る、頭の隅に残るモヤモヤは消えてくれず、私は自分の席に戻り一時間目の準備をした。

「——起立——礼」


「「「さようなら」」」


 帰りのホームルームが終わるチャイムが鳴った瞬間、心の中で小さく息を吐いた。


 結局、一日中探しても、私の菊理は見つからなかった。


 優ちゃんと拓斗は、自分の持ち物に紛れていないか調べてくれた。


 カナタと詩乃ちゃんも、休み時間に一緒に探してくれた。


 詩乃ちゃんはずっと隣にいてくれて、カナタもトイレに行く時以外は離れなかった。


(みんな、本当に優しい……)


 それが嬉しいのに、同時に申し訳なさも込み上げてくる。自分のせいで時間を使わせてしまっている気がして、胸の奥がチクリと痛んだ。


 帰りの挨拶が終わって、私は鞄を手に玲央くんと一緒に皆のところへ向かった。


 夏の夕方はまだ明るくて、教室のカーテンの影がまだ濃い。


「見つからなかったね……」


 私が小さく呟くと、詩乃ちゃんが唇を噛みながら頷いた。


「うん……やっぱり、誰かがハンカチごと取ったのかな……」


 その言葉が落ちた瞬間、空気が少しだけ重くなった。


 沈黙を破ったのは玲央くんだった。


「ん〜ずっと考えてるけど、他人の菊理なんて取ってどうすんだ?」


「それね。あたしも考えてた」


 優ちゃんが腕を組んで頷く。


 確かに、菊理は皆持っている物だから、他人の菊理を取っても意味がない。


 それなのに——なぜ?


「……嫌がらせ?」


 思わず、口から溢れた。


 その瞬間、詩乃ちゃんがビクリと体を揺らす。


「えっ!? 莉愛ちゃんに!?」


 驚きに目を丸くする詩乃ちゃんの声が、教室に響いた。


 私は小さく唇を噛む。まさかと思いたい。でも、心の奥底では、その言葉が妙にしっくりきてしまっていた。


(……もしそうだったら、どうしよう)


 胸の奥が、ギュッと掴まれるように痛んだ。


「……取り敢えず職員室へ行って、遺失物で届いてないか聞いてみるか」


 拓斗の言葉に、詩乃ちゃんがすぐさま反応した。


「そうだねっ!」


 その明るい声に、少しだけ気持ちが軽くなる。

 私も頷き、みんなが椅子から立ち上がった。


 そんな中で、カナタの動きがふっと止まった。


 まるで時間がカナタの周りだけ違う速さで流れているみたいに、動かなくなる。


 鋼鉄のマスクが窓からの光を鈍く反射して、表情を読めないようにしていた。


「カナタ? どうしたの?」


 私が声をかけると、周囲のざわめきの中で数人のクラスメイトがこちらを振り返った。


 カナタは鞄を静かに机に置く。その仕草はどこか慎重で、まるで何かを確かめるようだった。


 そして、鞄の横のポケットに手を差し入れ——何かを掴んだ。


 カナタの腕が震えた気がした。


 教室のざわめきの中で、私の鼓動だけがやけに大きく響く。


 カナタがゆっくりと取り出したそれは——


 梅の花のような紅梅色と、白猫の毛並みのような乳白色。そしてその中の瞳の色の青藤色が並べられたステンドグラス。


 見慣れたチェーン、見慣れた魔法石の光。


 それを見た瞬間、胸の奥がキュッと掴まれた。


「——それ……」


 喉が乾いて、声が掠れる。


 周りの生徒たちが何事かとこちらを振り向く。

 笑い声が止まり、少しだけ空気が変わった。


 それでも、まだざわめきは完全には消えない。


 日常の音が流れる教室の中、ただ私の視線とカナタの手の中の菊理だけが、強烈に浮かび上がっていた。


(……どうして、カナタの鞄に?)


 混乱が頭を締めつける。


 放課後の喧騒の中、私の世界だけが、ゆっくりと音を失っていった。


ここまで読んでくださりありがとうございます。もし少しでも面白いと思っていただけたら、感想や評価で応援していただけると嬉しいです。

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