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04

「まぁ、風流ね」


 後ろから聞こえた声に振り返ると、瑛梨香先輩と涙先輩、そして優ちゃんが歩いて来る。三人共、ふわりとした笑みを浮かべていた。


「それじゃあ、私たちの寮のシンボルもお願いしてもいいかしら? 神無月寮は狐で、霜月寮は蝶よ」


 瑛梨香先輩が、いつもの穏やかな笑みを浮かべてそう言った。その声音には、信頼とほんの少しの期待が混じっていて、胸の奥がじんわりと熱くなる。


「はいっ!」


 自然と背筋が伸びた。


「うわっ、またこの場に似合いそうなものがっ」


 利玖がすかさず突っ込みを入れる。でもその声色はどこか弾んでいて、利玖自身も楽しんでいるのが分かった。


 私は笑いながら、両手を軽く振った。空気が指先にまとわりつくような感覚の後、右腕に絡みついている影がふわりと形を持ち始める。


 狐の耳、しなやかな尾の流れ。蝶の薄い羽が光を透かすように揺れる。影は私の意識に応えるように滑らかに動き、命のようなものを宿していった。


 生まれた影狐は、私の足下を駆けるように一周してから、軽やかに瑛梨香先輩の元へ駆けて行く。その仕草がまるで本物のようで、先輩が思わず小さく笑った。


 影蝶は、五頭一気に生まれた。薄い闇の羽がヒラヒラと宙を舞い私の周囲を巡ると、やがて蝶たちは涙先輩の方へと飛び立った。


「わぁっ! 綺麗っ!」


 詩乃ちゃんの弾んだ声が響き渡る。振り向くと、駆け寄って来る詩乃ちゃんの後ろに、拓斗や玲央くんたちがゆっくり歩いてやって来るのが見えた。


 詩乃ちゃんの頭の上では、さっきの影猫がギュッとしがみついて、得意げに尻尾をピンッと上へ伸ばしていた。


 その光景があまりにも愛らしくて、思わず笑みが溢れる。


 影たちはそれぞれが生きているように動き、互いの間に小さな世界を作っていく。


 森の精のような牡鹿。枝の角に留まる影燕。そのまわりを舞う蝶たちと、詩乃ちゃんの頭に乗る猫、瑛梨香先輩の肩で尻尾を揺らす狐。


 影だけのはずなのに、そこに確かに“命”の息吹があった。


「あと、葉月寮の獅子でコンプリートだなっ!」


 玲央くんが笑いながら言う。その声が空気を明るく跳ねさせた。


「この場にライオンか……」


 拓斗が苦笑い混じりに呟く。その頬に浮かぶ苦笑も、どこか優しい。


 私はその言葉に小さく吹き出して、両手で空気を混ぜるように動かした。空気と影を混ぜて形を作るために、頭の中でライオンを思い浮かべる。


(えっと、ネコ科で…… (たてがみ)があって…… 鬣? 鬣をつけた……)


 ——そこで手が止まった。


 何か、この話を前にもしたような……。そんな既視感が胸の奥でざわつく。


 集中しようと息を整えても、なぜか脳裏に“別の何か”の姿が混じってくる。


 そして出来上がった“それ”を見た瞬間、みんなの動きが止まった。


「……あ、あれ?」


 垂れた耳に、やけに立派な鬣。ふわふわの尻尾を右に左にブンブンと振って、顔は舌を出して「ハッハッ」と息をしている。


 これは、どう見ても——


『……“ 鬣をつけた大型犬”だ』


 カナタの声が、静かに、しかし決定的に響いた。


「! あぁっ!」


 私は思わずパチンと手を叩いた。


 そうだ、どこかで聞いたと思ったら——それは前に、双輪試走の話を聞いた帰り道で利玖と話していた、あの時のことだ。


「あ〜、玲央のことな!」


「えっ!? 俺っすか!?」


 利玖が思い出したように声を上げ、玲央くんが反射的に驚く。


 その声に反応した影の“ライオン犬”は、尻尾を振りながら利玖の方へ駆け寄り、利玖の周りをぐるぐると回り始めた。


「おー! よしよしレオっ! 遊ぶかっ!」


 利玖は笑いながら姿勢を低くし、手を叩いて構える。


 その仕草があまりにも自然で、まるで本当の飼い主と犬のようだった。


「えー! 何それ、俺も混ぜてくださいっ!」


 玲央くんが慌てて声を上げて、思わず割り込む。そのやり取りに拓斗が噴き出した。


「便乗するのかよっ」


 苦笑と笑い声が重なり、中庭の空気が一気に明るく弾けた。影犬は嬉しそうに尻尾を振り、柔らかな影を散らす。


 私は頬を赤らめながらも、その光景を見て笑っていた。少し失敗したはずなのに、なぜか胸の中は温かくて、満ち足りていた。

 黄昏の空が、ゆっくりと影たちの輪郭を溶かしていく。


 名残惜しさを胸の奥に感じながら、私は静かにその光景を見つめていた。


 ——そろそろ、いい時間だ。


「少し遊び過ぎたな。帰るかっ」


 利玖が、影犬レオと遊び尽くして羽織を脇に抱えながら、気付いたように声を上げる。


 利玖の頬はほんのり赤く、肩で息をしていて、それだけ本気で遊んでいたのが分かる。


 その隣では、同じく羽織を脱いだ玲央くんが地面に寝転がり、レオが嬉しそうに周りをクルクルと駆け回っていた。


「そうね、楽しい時間はあっという間ね」


「また機会があったら、見せてくれる?」


 瑛梨香先輩と涙先輩が、柔らかな笑みを浮かべて私を見る。夕暮れの光が二人の横顔を縁取って、少しだけ茜色に染めていた。


「はいっ、もちろん!」


 言葉が思わず弾んだ。私の影たちを、誰かが「綺麗」とか「楽しい」と言ってくれる——それが、こんなにも嬉しいなんて思わなかった。


「おいでー!」


 私が声をかけると、影たちはふっと息を吐くように揺らめき、次の瞬間、煙のように輪郭を解きながら私の足元の影へと戻っていった。


 空気が一瞬だけ震え、静かになる。


 皆の口から「おー!」と歓声が上がり、お互いが見合うと笑い声が混じった。


 影たちは戻ったけど、胸の中には確かにまだ、あの影たちと戯れた柔らかな温もりが残っていた。


 * * *


 私たち九人は、夕暮れの茜空の下、学園のバスロータリーまで並んで歩いた。空はゆっくりと夜の色に溶けていく。足音と笑い声が混じり合い、放課後の空気が名残惜しく胸に染みた。


 二つのバスロータリーの別れ道になると、涙先輩がふと足を止め、詩乃ちゃんを呼び止めた。


「詩乃ちゃん」


「! はいっ!」


 その瞬間、詩乃ちゃんの肩が小さく跳ねる。声をかけられたのが嬉しいのか、緊張しているのか——多分、その両方だ。


「……さっきの話だけど……その申し出、謹んでお受けいたします」


 涙先輩の静かな声が、茜色の風の中に溶けていく。一拍の間の後、詩乃ちゃんの顔が一気に輝いた。


「っ! はいっ! ありがとうございます!」


 その笑顔は、見ているこちらまで温かくしてくれるほど真っ直ぐだった。


 詩乃ちゃんは弾かれたように駆け寄り、抱きつく勢いで涙先輩に駆け寄った。涙先輩は少し驚いたように目を見開いたけど、すぐに柔らかく笑った。


(……何の話だろう)


 私たちの少し前で、涙先輩と詩乃ちゃん、瑛梨香先輩と優ちゃんが笑い合っている。


 あの輪の中には、言葉にならない絆のようなものがあって、見ているだけで胸が温かくなった。あの空間にしかない、優しい秘密があるのかもしれない。


 優ちゃんが何かを言うと、詩乃ちゃんはコクリと頷き、先輩たちに深く頭を下げた。


 そして私たちへ向かうその背を、二人の先輩は微笑みながら見送っていた。


「えへへっ、お待たせっ!」


 戻ってきた詩乃ちゃんの頬はほんのり赤く、嬉しさを隠しきれない笑顔だった。


「あ……うんっ、行こっかっ」


 私も笑いながら返して、夕焼けが夜に変わりかける空の下、瑛梨香先輩、涙先輩、拓斗に手を振って別れを告げた。


 私たちは寮へ向かうバスに乗ると、優ちゃんと詩乃ちゃん、私とカナタ、玲央くんと利玖で二人用の席に腰を下ろした。


 車内には夕暮れの残光が差し込み、橙色の光がシートの縁を照らしている。


 前の席では、優ちゃんと詩乃ちゃんがまるでさっきの続きを楽しむように笑い合っていた。弾む声と笑顔が、窓の外の街灯よりも明るい。


 その会話の中で、ふと「エス」という言葉が耳に入った。


(エス……さっきの涙先輩の話と関係あるのかな?)


 その時、ふと胸の奥で小さな疑問が灯って、私は振り返り、後ろの席の玲央くんに声をかけた。


「ねぇねぇ、玲央くん」


「ん? どうした〜?」


 利玖との会話を中断して、玲央くんはゆるく笑いながら私に視線を向ける。


 その一瞬の優しさに、少しだけ胸がチクリとした。話を遮ってしまった申し訳なさと、玲央くんの穏やかな反応への安心が入り混じる。


「玲央くんってさ……利玖のこと、まぁ、何て言うか……好きでしょ?」


「そうだな」


 その即答があまりに自然で、思わず息を呑んだ。


「じゃあさぁ……利玖のアプレンティスにならないの?」


 何気なく続けたつもりが、その言葉を聞いた玲央くんの表情がみるみる変わっていった。


 キョトン、とした顔が、一拍の間に驚きへと変わる。瞳が見開かれて、口が小さく開く。


「利玖先輩っ! エスになってくださいっ!」


「いいよ〜」


 玲央くんの声は、前の席の数人が驚いて振り向くほどの勢いだったけど、あまりにも軽いその返事に、場の空気がふっと緩む。


『軽っ』


 カナタが振り向かずに呟いたその一言がツボに入って、私は思わず吹き出してしまった。


 玲央くんは嬉しそうに「よっしゃー!」とガッツポーズを取り、利玖は楽しそうに笑う。


「てか、なってなかったんだなっ。何かもうエスになったつもりでいたわ」


 利玖の方はケロッとしてるし、玲央くんは嬉しそうに「俺もっス!」と即答。


「ふっ、今日は二組もエスになってもらったのね」


 優ちゃんが、和やかに振り向いて私たちの方を見る。夕暮れのバスの中、橙色の光がその横顔をふんわり照らしていた。


「二組?」


 私は首を傾げながら問い返す。


「ふふっ、今日ね、涙先輩にエスになってもらったんだぁっ!」


 詩乃ちゃんは、座席の背もたれに体を乗り出すようにして笑った。その声は、バスの中を柔らかく跳ねていくように明るく響く。


 詩乃ちゃんの笑顔を見た瞬間、胸の奥がじんわりと温かくなった。心から嬉しいことを伝える人の顔って、どうしてこんなに眩しいんだろう。


「そうなんだっ! おめでとう!」


 自然と声が弾んだ。


 隣のカナタが少しだけこちらに視線を向けたけど、私は気にしない。今はただ、詩乃ちゃんの笑顔が嬉しくて仕方がなかった。


 ——涙先輩と詩乃ちゃん。


 きっと、あの二人ならすごくいい関係になる。


 そんな予感が、茜色の光と一緒に胸の奥へ静かに溶けていった。

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