第3話「魔族の少女アリシア」
真っ暗な視界。
最後に覚えているのは竜神との会話。
まだ戦争が終わってない事を強調した奴は安全を理由に俺とアリシアを封印した。
意識が戻ってきたってことは、今は戦争が終わったと捉えていいのか。
それからどれほどの時間が経ったのだろう。
そんな事を考えていると身体が揺れ始めた。
意識が徐々にはっきりとなっていくにつれ、身体の制御権も戻りつつである。
指を動かしてみるとザワリッと触れる草葉。
この動きに気づいたのか、俺の身体はより激しく揺さぶられた。
「・・・・!」
パッと目が覚めた。
地下鉄でうっかりうたた寝をし、ハッと起きた時のように一気に視界の情報が入り込む。
月明かりを含んでかすかに輝く白銀の髪はそよ風に靡いている。
やや不安げな琥珀色の瞳は俺と目が合った瞬間、一層大きく揺れ動いた 。
「あなたは誰・・・?」
仰向けになっている俺にアリシアはぽつりと言葉を零す。
星が散見される夜空。
夜風が運んでくれる草木のにおい。
指先に触れられる草葉の表面。
そっか、やっと封印が解けたのか。
――――――
アリシア。
この身体の持ち主である魔神アシュタロスの妹・・・。
竜神の問いに勢いよく答えたのはいいが、なんと話しかければいいんだ。
この子についての情報は皆無だ。
そもそも魔神に妹があることすら初耳だ。
『イレクシア・オンライン攻略集』のサイトにもなかった情報なのだ。
俺は少し距離を取って横に座っているアリシアに話をかけてみた。
「俺はアシュタロス。一応お兄さん・・・って言えるか分からいけど、覚えてるか?」
バレてないのかと恐る恐るといった感じでチラッとアリシアの方を見る。
「お兄さん・・・?」
きょとんとした表情で見上げてくるアリシアは、まだこの状況を理解していないようだ。
竜神の記憶の封印は未だ効いているのか。
それか時間の流れとともに効果が薄れてきて、一部分の記憶は戻ってきているのか。
それ以前にどれくらいの時間が経ったのかさえ不明。
「・・・・・」
アリシアは黙り込んでしばらくの間、俺の顔を見つめてきた。
つぶらな目に力が入ってより丸くなった気がする。
「ごめんなさい・・・」
竜神の記憶の封印は未だ健在のようだ。
謝ってくるアリシアにこっちが申し訳なくなる。
「自分の名前は覚えてるか?」
「アリシア・ディ・リュミエール」
今回は即答だった。
じゃあ、俺のフルネームはアシュタロス・ディ・リュミエールになるのか。
なんだか偉そうな名前だ。
「好きな食べ物は?」
「トロピカル・サエスター」
うん? 初めて聞く名前だが、とりあえず自分の好きな食べ物くらいは覚えているようだ。
引き続き戦争や家族以外の事に関して記憶の障害が発生してないか確かめてみる。
「種族は?」
「アリシアは選ばれし真の魔族である悪魔族・・・!」
3回連続で答えられたアリシアは、少しばかり得意げな顔になっていた。
しかし、悪魔族とはまた聞いたことのない種族名だ。
魔族と知られている7つの種族はヴァンパイア族、ピクシー族、サキュバス族、獣人族、バンシー族、ダークエルフ族、そして鬼人族で全部のはずだ。
長年このゲームをプレイしながら様々なストーリークエストや依頼をクリアしてきたが、悪魔族は初耳だ。
だが、ここまで自信持って言ってる訳だし・・・とりあえず次の質問だ。
「家の事は? 誰かと話したとか・・・」
家での記憶を思い出せるなら、そこから家族に関係した記憶にまで辿り着けるかもしれない。
アリシアは両目を瞑った。
考え込むように眉をひそめ、唇まで噛みしめてうんうんと唸り始めた。
静まり返った空気が森に漂い、時折アオマツムシのような昆虫の鳴き声も聞こえてくる。
「ぐすっ・・・何も思い出せない」
残念ながら自信ありげなアリシアは涙目になり、今でもその大粒の涙がこぼれそうだった。
ふさぎ込んだアリシアは、込み上げてくる水滴の許容量を超え、ついに両目から一滴ずつ流し始める。
震える手で抑えてみても、湧き上がる涙は止まる気配を見せなかった。
「名前のことも、魔法のことも・・・ぜんぶ覚えてるのに・・なんで・・・」
「・・・・」
少し焦って攻めすぎてしまった。
アリシアの方が、きっとより不安なんだろうに。
目を開けたら、見ず知らずの人と二人きり。
記憶のない見知らぬ場所。
そして、「お兄さん」と名乗るこの男が、本当に自分のお兄さんなのかさえ分からない状況まで。
記憶は大きなパズルのような物。
アリシアの場合、そのピースの半分以上が欠け落ちている。
目の前の家族だと名乗る人物がその欠けたピースを持っているのかもしれない。
でも、欠けた部分が埋まる保証はないし、間違ったピースをはめてしまえば、全体の絵が壊れてしまう。
そんな不安が、恐怖が― アリシアの胸を占めているだろう。
竜神に誓ったが、正直上手くやっていける自信はない。
ただその時も。
涙を垂らしている今も。
亡くなった妹が思い浮かんでしまって。
それで放っておけなくて。
小さな手で涙を押さえているアリシアを見て、大きな手で押さえてあげる。
「そんなに泣いたら、せっかくの可愛い顔が台無しだぞ」
泣き虫なところも結衣と一緒だ。
いつもこうして結衣の頬にそっと手を乗せ、親指で涙の痕跡を消してあげてた。
「アリシア・・・可愛い・・・?」
上目遣いで訊いてくるアリシアに結衣の顔がうっすらとオーバーラップされる。
俺はアリシアに、結衣に、
「もちろん・・」
と答えてしまう。
涙目になっていたアリシアがぼんやりと笑ったように見えたのは気のせいだろうか。
記憶が封印されるのは予想していた事だ。
多分アリシアもじれったくて仕方がなかったんだ。
「ゆっくりでいいから。少し歩こう」
「・・・・うん」
やや目がむくんでいるアリシアは俯いて答えた。
おどおどと小指を掴んでくる小さな手を抱え込むように握り返して森の奥の方に歩いていった。
―――――
魔神に転生してしまったことは解っている。
一連の事件で十分自覚しているつもりだ。
だが・・・やはりこの目で確かめたい。
「・・・どこいく?」
「ちょっと顔が見たいんだ」
そう、何か鏡みたいに映してくれそうなモノはないか?
ひたむきに前を見て森の奥の方に進んでいくと、遠くから水面が月光に反射されてきらめているのが見えてきた。
段々とスピードを上げて足早に歩いていく。
結局のところ小走りしてしまう。
「湖か・・」
手を繋いでいるアリシアの鼻息は少し荒くなっていたが、目の前の美しい光景に息を整える事すら忘れているようだ。
樹木に囲まれた湖はちょっとした秘密スポットのように隠れていた。
木の葉の間を貫く月の透過光が、水面に揺れて映り込んでいる。
近寄ってみると、ツルッとした二本の黒い角が生えた白銀の髪の魔族の男が湖の中にいた。
凛とした顔形をしている魔族の男の鋭い目つきは琥珀色の瞳をより際立たせていた。
そこには紛れもなくアリシアの兄と推定される人物が立っていたのだ。
全体的にこっちの方が冷ややかで切れ味のある印象だ。
「やはり・・・」
分かってはいたが、改めて確認すると逆に信じがたくなる。
顔の方に手を上げると、湖の表面には白銀髪の魔族の男が手を上げて自分の顔に触れようとしている場面が映っている。
ゆっくり両頬に手を当ててみる。
全く同じく両頬に触れている白銀髪の魔族の男。
間違いなく俺は魔神アシュタロスに転生してしまったんだ・・・。
正確に言えば、これから魔神になるアシュタロスの身体の中だが・・・悪魔族というのがどうしても気にかかる。
なぜ悪魔族という種族はプレイヤーに知られてなかったのか。
このツヤッとした黒の角は、他の魔族からは見当たらない身体的特徴だ。
なら、これが悪魔族ならではのモノであり、何か特別な力を秘めている種族だと理解してもいいだろう。
そして頭上に名前が表示されないってことはやはり・・・。
いずれにせよ、情報が足りなさすぎる。
ぐぅーー。
「お腹空いた・・・」
「何か食べようか」
俺は久しぶりの野宿生活に少しばかり昂ってしまった。
プレイ初期の頃、スキル習得や魔力の向上を最優先にしていた他のプレイヤたちーとは違い、俺はイレクシアの中を旅して回ることに夢中になっていた。
お陰で一週間以上お風呂に入られず、野宿することもしばしばあった。
むろん、ゲームの中だけであって現実の身体はしっかり毎日お風呂に入ってた。
今回はこっちが現実だ。
洗う手段も模索しなければ。
――――
「おいしい・・・」
「まだたくさんあるから、ゆっくり食べて」
遅くなった夕飯はウサギの串焼きにする事にした。
プレイヤー時代の野営と旅の経験はしっかり役立っていた。
周囲の環境を見るだけで動物の生息地や移動経路を大まかに推測できるようになったからだ。
また、この悪魔族の身体はプレイヤーのキャラクターより視覚情報と聴覚情報に敏感に反応していた。
光の差し込まないウサギの生息地に着くと、真っ暗闇で肉眼では捉えにくいウサギの姿さえも簡単に目で追う事ができたのだ。
スタスタと遠ざかる小さな足音。
この身体での狩りは朝飯前だった。
「これも食べてみて」
「・・うん」
あの部屋では暗すぎて気づかなかったが、アリシアは横髪に印象的なピンクのヘアピンをつけていた。
それとの色合いを意識したのか、豪奢な黒のドレスともよく似合っていた。
「これからアリシアはどうしたい?」
「これから・・・?」
「記憶はゆっくりでいいよ。俺もいるから。でもせっかく目が覚めたんだし、何かしたい事があ
れば付き合うよ」
小首を傾げるアリシアにそう訊くと、噛んでいた肉をのみ込んで押し黙る。
片手に肉を持ったまま考え込んでいるようだ。
再びアオマツムシの鳴き声に満ちる野原。
この鳴き声を聞くと、夜中の公園のベンチで結衣と時間をつぶしていた時を思い出す。
母親の愛人によって、夜な夜な俺と結衣は家から追い出された。
夜空にはいくつかの星が散りばめられ、結衣は俺の書いた物語を夢中に聞きながら、笑顔を浮かべてはしゃいでいた。
その笑い声に続くアオマツムシの鳴き声。
違う世界なのに、なぜか似ている。
「お母さんとお父さんに会いたい」
回想に浸っていた意識をを元に戻したのは、アリシアの小声だった。
聞きたくない単語を久しぶりに聞いてしまった。
大抵の親は自分の子を愛している。
しかし、全ての親がそうとは限らない。
俺と結衣がそうだったように。
「でも・・お母さんってなに・・・?」
「ん・・・?」
「ずっと呼んでた・・・笑いながらそう呼んでた・・・! でも、それが何なのか思い出せない!」
片手に持っていた肉を落としたアリシアは頭を抱えた。
まるで自分を責めてるかのように、白銀の髪をぐしゃぐしゃとかき乱していた。
竜神が言ってた通り、戦争と家族に関わる記憶に障害が発生している。
「お母さんってなに・・・?」
もう一度そう質問してきたアリシアに俺は口ごもってしまう。
何と答えればいいのか・・・返答に困る。
辞書に載ってある定義なら熟知している。
親のうち、女性を意味する言葉。
でもアリシアがそんな事を訊いてる訳ではないと。
それくらいはわかっていた。
「お母さんはアリシアのことが大好きな人だ」
俺が持つ母親のイメージは強欲で、卑怯で、自分勝手そのものだ。
そのまま言えるはずのない俺は、母親の一般定義について語る。
「じゃあ、なんで今ここに一緒にいないの・・・!」
高揚したアリシアが声を張り上げる。
「頭の中がぼやけてこんなに怖いのに・・・! こんなに不安なのに・・・!! なん
で・・・!!!」
再び涙目になったアリシアは、ぐっと堪えてきた感情が溢れ出すように言葉を吐き出していた。
アリシアの感情の籠った叫びが森の中で響き渡る。
大粒の涙が止め処なく零れているが、今回のアリシアはそれを隠さずに思いっきり外へと流していた。
まるで自分の中にある恐怖と不安と哀情と憤りを排出しているように。
「お母さんとお父さんに・・・会いたい」
二度目の言葉だった。
ぽつりと本音を漏らしたアリシアは、未だ収まってないように鼻をすすっていた。
立ち上がった俺は少し離れている所に座っているアリシアにすり寄って横に腰を下ろす。
「うん、そうしよう。そのために俺がいるから」
「あと・・・」
アリシアは躊躇っているように、口をもごもごさせてこっちの様子を伺う。
「記憶を取り戻したい。お兄さんの事を思い出したい」
真摯な眼差しのアリシアと目が合った。
今回はブレない瞳で真っすぐ目線を送ってきた。
「分かった。手伝うよ」
俺はやや震えているアリシアの手にウサギの串焼きを握らせた。
確かに・・親に会えば何かを思い出すかもしれない。
「うん・・・」
と答えたアリシアは大きく口を開いてウサギの串焼きを口の中に入れた。
泣かないで、アリシアちゃん・・・!
ーーーーーーー
『面白い』『続きが気になる』と思った方は、是非ブックマーク登録をお願いします!
また、↓に☆がありますので評価していただける創作活動を続ける原動力となります:)