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猫の生命火  作者: 清水花
10/11

猫の生命火

 茶々丸が姿を消して3日が過ぎた。


 あれから家の中には柴丸とお別れした後のような重々しい空気が漂っている。


 ふとした時に頭をよぎるのは、良くない考えばかりである。


 茶々丸に限ってそんな筈はないといらぬ不安を何度振り払っても、そんな考えはいつまでも僕の頭の中で渦を巻き続けた。


 会社帰り小雨が降る中、僕は駅から自宅へと向かって歩いた。


 その日は残業が長く続いたせいで僕の他にはこの辺りを歩いている人影はなかった。


 住宅街の隣に最近作られた真新しい公園へと差し掛かった。


 土日になれば近所の子供達で賑わっているこの公園だが、今は誰ひとりとして遊んでいる姿はない。


 僕はふらりと公園の中へと歩を進める。


 この公園には何の思い出もないのだが、物陰を見つけるとどうしても無意識に探してしまう。


 ブランコ、ジャングルジム、滑り台。それらのほんの少しの物陰にもしかしたら、茶々丸がいるのではないかと淡い期待を抱いてしまうのだ。


 たったひとつの外灯が照らすオレンジ色の薄明かりの中、僕はひとりぽつんと立ち尽くす。


 傘を叩く雨音が強くなってきた。


 僕は踵を返し公園の入り口へと向かう。


 そこでふと視線を上げると、公園の端に植えられた大きな広葉樹が視界に入った。


 それはとても大きな木で樹高は10mほどはゆうにありそうだ。


 遠く離れたこの位置からでもその木の持つ生命力を感じる。


 僕の視線が木の太い幹に差し掛かった時、根本の辺りに根とは異なる物体があることに気付いた。


 その物体を注視していると、どうやら箱のようなものであることが分かった。


 どくんっ、と僕の心臓が激しく脈を打った。


 瞬時に足を動かそうとするが、足がもつれてしまい上手く歩けない。


 もどかしい思いをしながらどうにか木の根本付近まで歩み寄ると、僕が思ったようにそこにはダンボール箱が置かれていた。


 心臓の鼓動が際限なく高まる。呼吸がうまく出来ずに息苦しい。


 1歩1歩ダンボール箱に近付き、そして遂にダンボール箱の内部が視界に入った。


「ーーーー茶々丸!」


 自然とその名が口から出ていた。


 改めて確かめる必要もない。


 薄茶色の毛色、虎柄模様、薄く開いたまぶたから覗くエメラルド色の双眸。見間違えることなどありはしない。今、目の前にいるのは紛れもなく茶々丸なのだ。


「良かった、良かった見つかって。だめじゃないか、心配したんだぞ。こんな所で何やってるだよ、びしょ濡れじゃないか。風邪ひいたらどうするんだよ」


 僕の胸の中に溜まっていた想いが一気に口から溢れ出した。


 僕は茶々丸の頭を撫でようと手を伸ばす。茶々丸は差し出した僕の手の匂いを熱心に嗅ぐ。


 すると安心したのか、


「アオン」


 と、小さく鳴いた。


「ほら、茶々、家に帰ろう。父さんも母さんも心配してる」


 僕がそう言うと茶々丸はその場に立ち上がり、ふるると身体を震わせた。


 辺りに小さな雨粒が飛び散る。


 と、そこで茶々丸の足元に何かがある事に気付いた。


 小さな黒い物体である。


 それはふわふわの毛に覆われた生後2週間くらいの仔猫であった。


 雨風に打たれ続けるだけで衰弱死してしまうほどに弱々しいその存在は、衰弱している様子もなくピンク色の舌を覗かせ暢気にあくびをした。


 その光景を見た瞬間に、僕の脳裏に鮮やかに浮かんだ記憶があった。


 それは今から12年くらい前の出来事。


 僕が今と同じように会社から帰宅している時の記憶だ。


 その日も確か雨が降る夜で、僕が住宅街を通りかかった際に電柱の下に置かれた小さなダンボール箱を見つけたのだ。


 その中には大きな黒猫が収まっていて、僕が来るなりその黒猫は後は任せたとでも言わんばかりに、自身の足元に隠していた仔猫を僕に託し去っていったのだ。


 その時に託されたのが今、目の前にいる茶々丸なのだ。


 あの時の黒猫と茶々丸の姿が重なる。


 茶々丸は覚えていたのであろうか。


 冷たい雨に晒され消える運命にあった自身の生命を温めた、あの猫の生命火のことを。


 そして、あの日の自分と同じく今にも消えそうな小さな生命を護るために家を出たのだろうか。


 僕がそんな事を考えていると茶々丸はダンボール箱からひょいと飛び出ると、こちらを振り返りまたも『アオン』と小さく鳴いた。


 僕は仔猫が雨に濡れてしまわないように、すぐさま両手で抱き抱えた。


 茶々丸はそのまま公園の奥の方を見つめゆっくりと歩き出した。


 途端に僕の胸に言い知れぬ不安が膨れ上がる。


「茶々丸!」


 僕は必死の思いでその名を呼んだ。


 そうしなければ、もう2度と茶々丸と会えない気がしたからだ。


 僕の数メートル先で茶々丸は立ち止まったまま動かなかった。


「帰ろう、家に。みんな待ってる家に、帰ろう」


 そのままどれくらいの時間が経っただろうか。


 やがて、


 茶々丸はこちらを振り返ることなく夜の闇の中へと消えていった。


 僕は茶々丸が消えた闇を見つめたまま、しばらくの間、寂しい雨音を聞いていた。







 自宅へと戻った僕は公園で起きたことを家族に伝えた。


 みんなとても驚いていたが、仔猫の生命を護った茶々丸のことを誇らしいとも口にした。


 茶々丸に託された黒猫はミルクを飲んで今はぐっすりと眠っている。


 その寝顔を見ながら僕は密かに決心をする。


 いつの日か、この仔猫が大きく成長したのなら、僕はこの子に語って聞かせよう。


 君は茶々丸という僕達の大切な家族の生命の火で温め護られた、とても特別な存在なんだよって。


 





                     完





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