僕はお姉ちゃん以外の女性を愛せない、たとえ卒業式に同級生から告白されても
「岬くんのこと、ずっと好きだった」
と同級生の真奈美に告白された。放課後の美術室は二人の他に誰もいない。夕日がカーテンをぼんやり照らしている。
(初めて女の子に好きなんて言われた…)
大学受験が終わり、ようやく長い勉強生活から解放された高校三年生の二人は、違う大学に行く。
「岬くんとは違う大学に行くけど、もしよかったら大学生になっても一緒に遊ぼうよ」
二人はこれまで長い時間を共にしてきた。
「う、うん。大学生になっても遊ぼう」
と言うと、真奈美はすかさず続けた。
「ずっと好きだったの! ほとんど友だちがいなかった私にすごく優しくしてくれたから…」
「僕もぜんぜん友だちいなかったから、真奈美さんがいてくれて、本当に助かったよ。ありがとう」
少し肌寒い季節で、二人はコートを着ていた。
真奈美は岬に近づいた。岬は胸のドキドキが止まらなかった。部屋には二人しかいない。
(なんか、頭がとろけそうだ)
体がほてって、コートを脱ぎたくなった。
(ちょっと暑いな…)
「岬くん。お願い、私と一緒になって」
「えっと、あの」
「もう我慢できないの」
真奈美はセミロングの髪を揺らして岬の胸もとに飛びこみ、両手を岬の背中に回した。
「ちょっと真奈美さん」
「大学に行ってもこうしてくれるよね?」
真奈美はとてもかわいい女の子だった。同級生の女の子たちから少しいじめられていた彼女に、岬は積極的に声をかけて助けた。図書室で一緒に勉強したり、放課後はこの美術室で絵を書いて過ごしたりした。
しかし、岬は真奈美を恋人にできなかった。
真奈美よりずっと長い時間を過ごしてきた想い人がいたからだ。
(今ここで恋人になってしまったら、僕はあの人を裏切ることに…)
「真奈美さん」
「はい」
「よく聞いてほしいんだけど」
「うん」
「僕には好きな人がいるんだ」
真奈美は返事をしなかった。
少しの間、静寂が二人を包んだ。
「誰、ですか?」
と真奈美はたずね、岬を抱いていた腕の力を緩めた。
「僕のお姉さん」
真奈美は慌てて体を離し、信じられないものを見るように岬の目を見た。
「お姉さんって! さっき岬くんと歩いていた、あのお姉さん!?」
「血はつながってない。だけど、小さい頃からずっと僕を支えてきた、大切な人で」
「でも! 結婚できないんだよ!? いくら好きでも」
「うん。それでもいい。ただ、ずっと一緒にいたいんだ。十年以上ずっと好きだった」
「そんな…」
真奈美の目から涙が細く流れた。
「嘘だって…言って…」
………
「ただいま」
両親のいない二人だけの家に帰ると、大学生の姉が玄関の前で待っていた。灰色のスーツ姿で、長い髪をツインテールに結んで垂らしていた。
「おかえりなさい」
姉の千絵は優しい笑みを見せて、卒業式を終えた岬を迎えた。
「卒業おめでとう。さっきも言ったけどね」
本当は二人で帰る予定だったが、真奈美に呼ばれたことで、卒業式に来ていた千絵を先に帰らせていた。
「真奈美さんとは恋人になれたの?」
顔は笑っているが、声は不安げで焦りがあった。
(卒業式に女の子から呼ばれたって言ったら、そう考えてもおかしくないか…)
「ううん。恋人にならなかった」
「え? 告白したんじゃないの?」
「告白された。真奈美さんから」
千絵はキョトンとした顔でたずねた。
「もしかして、断ったの?」
「うん」
「どうして!? 恋人ができるチャンスだったのに」
岬は鞄を床に置いて、一度唇を噛みしめた。そして勢いよく言った。
「僕はお姉ちゃんが好きだから」
(言ってしまった)
後戻りはできない。
それでよかった。
真奈美に告白されたせいか、勇気と覚悟は学校をあとにするときにできていた。真奈美の思いを砕いた以上、自分も『姉にふられて、しかも困らせてしまう』リスクを負う必要があると思った。
いつかは告白する。だとしたら、それは今日だ。
「それは…」
千絵はしどろもどろに言った。
「えっと、それは…私をお姉ちゃんとして、でしょ?」
「違う。一人の女性として、愛してるんだ。お姉ちゃんだって、僕を愛してるはずだ」
千絵はうつむいて、しばらく黙った。
「もしお姉ちゃんが他の人を恋人にしたいなら、そう言っていい。諦める。もう二度とこんなこと言わない。変に思ったかもしれないけど、僕は本気だよ。変に思ったら、僕を怒っていい」
その言葉に千絵は少し笑い、顔を上げて、不安げに緊張している弟に近づいた。
「怒らないよ。変にも思わない。それどころか、すごくうれしい」
と言葉を漏らして岬を抱きしめた。
「うれしくて涙が出そうだよ」
「お姉ちゃん…」
「私は…姉としての立場があるから、この気持ちはずっとおさえていた」
(やっぱりお姉ちゃんも…)
「今日は卒業式で、もうすぐ春が来るせいかな。なんだか今日は素直になれる気がする」
千絵の言葉はかすかに震えていた。千絵は岬の頭に手のひらをあてて、髪をゆっくりなでた。
「私もやっと自分を許せるかな。ずるいお姉ちゃんだね。あなたのほうから言われたら、お姉ちゃん失格って思われずにすむから…」
抱きしめる力が強くなり、二人の頬が触れた。岬は千絵の頬から暖かい温度と流れてくる涙を感じとった。
岬は涙を我慢してポツリと言った。
「僕はずっと好きだった。おかしいと思われるの嫌だったから、ずっと言えなかった…」
「ありがとう。私もあなたをずっと好きだったよ」
「本当に?」
「うん。ずっとずっと好きだった。でも、あなたに嫌われるのが怖くて言えなかった。私はお姉ちゃんで、あなたを教育する立場だったから」
それを聞いて、岬も千絵を抱きしめた。
「それじゃあ…お姉ちゃんを愛してもいいの?」
「うん。私もあなたを愛してるよ。私は他の人を好きになったこともないし、これからもない」
十年以上もこの日を待っていた岬は感動と解放感に涙を流した。
「僕は友だちも恋人もいらない。お姉ちゃんさえいたら」
「私もだよ、岬。これからも私と一緒にいようね」
岬はその言葉を聞いて、心の底から安心した。千絵は顔をほんの少し横にずらして、唇を弟の唇にそっと重ねた。