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軋む心

 次の日からしばらく、私は役立たずだった。


「この薬って、一度にどれくらい飲めばいいんですか?」

「え? あ、えっと……」


 お客様に聞かれて、しどろもどろになる。


「ここ、レナさんの店ですか?」

「違う、ような気がします」


 いつもの男たちに、よく分からない返事をする。

 店に人が入ってくる度に心臓が高鳴り、その人じゃないと分かった途端、私の口からは大きなため息が漏れた。


 あの日から脈拍は上がりっぱなしだった。

 あの日から、同じことが頭の中をグルグルと回っていた。


 そんな私の事情とは関係なく、今週も奴はやって来た。

 顔を見た瞬間ため息をつかれて、ヤクザ殿が怯む。先週の私の言葉が意外と効いているらしい。


「何かあったのか?」


 いつもはいきなりショバ代を払えと言うくせに、かなり遠慮がちに聞いてきた。


「別に」


 冷たく言いながら、私は金庫からお金を出す。


「はい、今週分」


 素直に出してあげたのに、ヤクザ殿は気に入らなかったようだ。お金を受け取ることもせずに、じっと私を見つめてきた。


 目付きが悪くて無愛想な男。ショバ代を集金して回っているヤクザの下っ端。

 両親が亡くなって、私が一人で店に立つようになってしばらくした頃、この男はやってきた。ショバ代のことなど両親から聞いたことはなかったが、昼食一回分程度の金額だったので、とりあえず払うことにした。

 以来、男は毎週やってくるようになった。


 名前はアーロンというらしい。なぜか恥ずかしそうに名乗るその姿を見て、ほんの少しだけかわいいと思ったことを覚えている。

 年を聞いたことはないが、たぶん私と同じか少し上くらい。

 この国ではありふれた金色の瞳と、しょっちゅう変わる髪の色。その色は、青っぽかったり緑っぽかったりと、どうにも定まらない。きっと安い染料で染めているのだろう。そして、染め方もよくないのだろう。お洒落のつもりなのかは知らないが、見る度に私は眉間にしわを寄せてしまう。


 アーロンが見た目ほど怖くないことはすぐに分かった。無理な取り立てはしないし、時々私を気遣う素振りも見せてくる。そして、店にやってくるしつこい男どもを何度か追い払ってくれたりもした。

 だから私も、アーロンに遠慮なく話をするようになったのだ。


「やっぱりお前、何か……」


 ショバ代を受け取ることなく、アーロンが私を見つめる。

 私がおかしいことに気付くなんて、なかなか大したものだ。愛想はないくせに、観察力はあるらしい。

 でも、私がおかしくなった理由をこいつに話せるはずがない。


「本当に何でもないわ。はい、これを受け取って、とっととあなたの仕事に戻りなさい」


 差し出されたショバ代を、アーロンが受け取る。


「何かあったら、俺に言え」

「はいはい、分かったからもう行きなさいよ」


 アーロンは、まるで相手にしない私をしばらく見ていたが、それ以上は何も言わずに店を出て行った。


「あなたに話したって、どうしようもないことなのよ」


 先週に続いての寂しげな背中を見て、私はちょっとだけ申し訳ない気持ちになった。



 その日の午後。


「レナ、来たよ」

「フレディ!」


 爽やかな笑顔と共にフレディがやってきた。


「今、話できる?」

「大丈夫。ちょうどお客さんもいないし」


 フレディは、ちゃんと私の都合を聞いてくれる。その気遣いが、私にはとても嬉しかった。


「じつは、傷薬を探しているんだけど」

「どこかケガをしたの?」

「いや、俺じゃなくて、同僚なんだ」


 私は、ちょっとだけ驚いてフレディを見つめた。

 この間の食事の時まで、フレディは自分のことを”僕”と言っていた。今は、”俺”と言った。ほんの些細な違い。どうってことのない変化。

 だけど、きっと”俺”が、普段のフレディなのだ。

 何となく距離が縮まった気がして、私は嬉しかった。


「どんなケガなの?」

「ナイフで指を深く切っちゃったらしくてね。塗り薬は付けてるけど、治りが悪いって痛そうにしていたから」

「そうなんだ。それなら」


 私は素早く商品棚を見渡して、小さな袋を取り上げた。


「これを、毎食後一粒ずつ飲んでもらってみて。魔力を含んだ木の実で作った回復薬なの。塗り薬と併用すると効果があると思うわ」


 中身を見せがら説明をする。


「五日分あるけど、全部飲み切っても治らないようなら、一度お医者さんに診てもらった方がいいと思う」

「分かった。ありがとう」


 頷くフレディに、私は薬の袋を渡した。


「もっと強力な治療薬もあるけど、指の傷くらいならこれで十分……」


 説明している私の手を、突然フレディが握った。


「ごめん。本当は、薬なんてどっちでもいいんだ。俺、君に会いたくてここに来たんだよ」

「えっ?」


 至近距離で見つめられて、私は狼狽えた。


「レナ。今夜、また食事でもしないか?」


 心臓がドクンドクンと脈を打つ。

 握られている手に汗が滲む。


 感情がささやいていた。

 理性が訴えていた。

 迷った私は、結局頷いた。


「ええ、いいわ」

「ありがとう!」


 嬉しそうなフレディを見て、また胸が高鳴る。

 舞い上がる感情を、私の理性が冷めた目で見つめていた。



 その夜の食事も楽しかった。

 フレディは、何をするのもスマートだ。動作が淀みない。気遣いがさりげない。

 私の愚痴を頷きながら聞いてくれる。女が一人で生きる苦労と不安を、自分のことのように受け止めてくれる。

 小さい頃は、いじめっ子たちから守ってくれた。

 大人になった今は、私の心を暖めてくれる。


 私は、フレディが好き


 この夜、私ははっきりと自覚した。


 今日もフレディは、私を家まで送ってくれた。

 並んで歩きながら、私はフレディをちらりと見た。

 街灯の明かりに髪が輝く。

 前を向く瞳が美しく光る。


 それを見て、私はうつむいた。

 私の心が、軋むように音を立てていた。


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