2-1
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春が薄らいでいく五月が過ぎ、六月。葉桜が陽光を濾して、濾し取られた粒子がやわらかな陽だまりを作っている頃。誰も居ない美術室か音楽室という静かな芸術の陽だまりで、恋文を書きたくなるような日だった。
僕が部室へ行くと、もうそこには美月がいた。読んでいた本から顔を上げると、「やっとるか」
という挨拶をする。
「やっとるか」というやり取りは、本当は肺病の療養所での挨拶なのだ。春、夜道が言ったように、僕は美月のために、夜道はいとこのために恋の肺病を罹っているのだとしたら、その先には死しか道はないのではないか。その昔、多くの肺病患者が治ることなく弱々しく、やさしく微笑みながら死んでいったように。恋は致死量の病なのだと、彼は言いたかったのかもしれない。
「夜道はまだ?」
僕は美月に尋ねる。
「まだ見てないよ。夜道が遅れるなんて珍しいね。いつも真っ先に来てるイメージなのに」
「そうだね」
そう言いつつ、僕は少しだけ彼が遅れていることが嬉しくもあった。今なら美月と二人きりなのだから。そのことは嬉しいのだけれど、いざ二人きりになってみると、何を話していいのかわからない。
「今日は少し暑いね」
「そうだね。明日はもっと暑くなるみたい。だんだん夏が近づいてるね」
そんな会話しかできなかった。何か彼女の気に入る話はないだろうかと考えて、思いつきで「北原白秋いいよね」なんて言う。
「ヒヤシンス 薄紫に 咲きにけり はじめて心 顫ひそめし日」
これは恋の歌らしい。やっとのことで昨日暗記した歌を詠むと、彼女は嬉しそうな顔をする。
「いいよねーその歌。恋はいいよ」
僕の密かな恋心を込めて暗唱したから、気付いてくれてもくれなくても、嬉しかった。この恋の歌を、ただ褒めているのだとしても、それでもよかった。本当は僕は君が好きだということに気付いて欲しかったけれど、二人で共通の話題について、同じ時間を過ごせるだけでも僕は満足だ。
「まあ、ヒヤシンスの時期終わっちゃったけどねー」
「やってしまった」。僕は後悔した。気の利いたことを言ったつもりが、言えていなくて僕の浅はかさを露わにしてしまった。「わ、我に五月を……」焦った僕は、今を五月だと勘違いしてとっさに取り繕う。五月の死の詩という言葉で打ち消そうとする。
「今は六月だよ」
僕はもう何も言えなくなってしまった。
「ごめんね! 落ち込ませるつもりで言ったんじゃないの」
今度は彼女が慌てる番だった。それから「じゃあ、五月六月はそら豆の季節だからこれはどう?」と言って暗唱する。
「そら豆の 殻一せいに 鳴る夕 母につながる われのソネット」
「これも寺山修司だよ」と美月。
「うん、いいね。いいよ……」
「ほんとにごめんって」
上手く言えないけれど、確かにその歌はよかった。でも今一つ意味が分からない僕は、どう返していいのか分からなかった。決して美月の言葉に気分を悪くしたわけではないのだ。それでも彼女は、自分が文句を付けて僕を不機嫌にしたと思ったのだろう。しょぼくれて言葉を発しなくなってしまった。
「大丈夫。美月のせいじゃない。自分の知識の無さが嫌になっただけだよ」
本当はその後に、「好きな人の前で格好が悪い所を見せちゃった自分が嫌なだけだよ」と付け加えらればよかった。夜道のようになんてこともなく、キザになるでもなく、自然に。そんなところに彼女は惹かれるのかもしれないのだから。
しかしそんなことを言う勇気は僕には無かった。いや、無いわけでもなかった。言おうと思えば言えるのだ。沈黙の中で思考が巡る。言ってしまおうか、いや、言わざるべきか。言ってしまえ。言ってしまえ。一秒が長く長く感じられる。教室の壁にかけられた時計の秒針が一秒を刻む間に、言うべきか、言わないべきか、という考えが何度も何度も浮かび、お互いを塗りつぶし合って思考を埋めていく。一秒があまりにも長く感じられるから、もう何十分も沈黙が続いているような気がしてしまう。本当は数秒のことなのに。
結局僕にそれを言えるだけの勇気は無くて、「夜道遅いね」という言葉を発して話題をそらすことで精一杯だった。
「何となく 君に待たるる 心地して 出でし花野に 夕月夜かな」
そう言われると、教室の入り口の扉の向こうには夜道が立って僕らを待っているような気がする。
「与謝野晶子だね。それなら分かるよ」
「本当にいい歌はいつの季節でも輝いていると思うよ。だから星也の暗唱した歌、よかったよ。響いた」
響いた。ということは僕の気持ちが彼女に伝わったのだろうか。僕は安堵したと同時に、急に心音が高潮のように岸を打つのを感じた。響いたということは、その裏に隠された僕の意図に気付いて響いた、ということかもしれない。
その期待と不安は、六月のじいわりとした暑さを、ラムネの瓶を透過して輝く夏の予感のように透明な清涼感へと変える。これから始まる夏への期待と、それはいずれ終わる一つの季節に過ぎないという絶望。春でもなく夏でもない、未熟な季節のはずなのに、限りなく透明な季節。僕の抱える期待と不安は、六月特有の季節のゆらめきと同義だった。
死に憧れているのに、その季節の光輝の中では生きて行ける感覚がある。僕は生き残るのが得意じゃないと思っていた。本気で死のうと思ったことも数回じゃなかった。結局死ねなかったけれど。それでも僕はいつでも生きる活力が無いわけではなかったのだ。美月の存在が僕を生に繋ぎとめていた。彼女の存在は、僕にとってそれほど大きかった。
だからもし彼女が僕の気持ちに気付いていて、拒絶をしたなら、僕はまた死を求めてしまうかもしれないと危惧した。それでも、響いた、という言葉は肯定を意味しているかもしれない。その二つの仮定の間で、僕は身悶えする。その身悶えこそ、僕が今生きている証だった。肯定されれば生きられる。拒絶されれば死んでしまう。その二つのはざまで、僕は「生きている」ことを実感していた。
そうやって答えを期待すると同時に、答えを待って心臓が早鐘を打つこの時間が、どうしようもなくいとしくて、ずっとここにいたいと思う。返事は必ずしも今、必要ではないのだ。そんなことを考えていたら、「ちょっと夜道の教室見てこようよ」という言葉で、美月の「響いた」は打ち切られた。それでいいのだ。僕は少しだけがっかりしたと同時に、六月の中にまだいられることを喜びもした。