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四季の星座の大三角の下  作者: 笹十三
4/11

1-4

一―四


「あいつは死んだからこそ、俺の中では生前より強い憧れになったんだ」

 そう言って彼は語りだす。

「永遠に交わらない恋。隔たりと否定の中での恋という現象が、単なる恋をそれ以上のものに昇華する。その渦中にあることで、自分自身が物語になれる気がする。この世とあの世。いとこ同士という二重の否定。その悲恋の物語。俺はものがたりになりたいんだ」

物語になるということは確かに魅力的だ。しかしそれはいつか物語という思想に殺されるのではないかということが、僕には心配だった。彼の言う物語とは、悲恋の果ての死や、世界に裏切られた末の心中のように、恋の病という湖への身投げなのではないのか。危うい美しさのためにその身を、その命を差し出そうとしているのではないか。彼は否定と不可能の甘さに酩酊している。それは危険な恋煩いだ。そう感じられた。

それでもそう語る夜道の横顔はすでに物語のように、彫刻のように、芸術のように完成された形をしていた。言い換えるならば、その決意の物語はすでに始まってしまっていて止めることはできないと同時に、止めることの方が無粋にすら思えてしまう。そんな輝かしい退廃の決意だった。

美しくない僕は、「彼」という物語の登場人物にはなれない僕には、その行為を止める権利は無いように思われた。死を友として生きることの快楽は分かる。いつか夜道に教えてもらった詩がある。「父は少年航空兵 空の青さに召されたり」。寺山修司の詩。誇りと国のために死んでいった少年の悲壮。しかしその死は泣きたくなるような美しい空の青さに包まれ、やさしさへと変容する。思想の下の死は美しさを秘めているのだ。僕が理想と詩のために死にたいと思ったのだって、きっと同じ感覚なのだ。だから彼の恋を止めることはできない。

「物語に殺されないようにな」

 そう言うことしかできなかった。

「自殺はしないさ」

 そう言った彼の言葉が、本当なのか嘘なのか、判断するには僕はまだ経験が浅すぎた。仕方がないから、その言葉を信じるしかなかった。

「それならいいけど」

 いくつかの道を曲がり、分かれ道が近づくと、夜道は軽く咳込んだ。

「だいじょぶか?」

「だいじょうぶ。恋という名の肺病だよ」

「それは死ぬやつだろ」

「確かにそうか」

 そんなやり取りに、僕らは笑って別れた。

 街の明かりが点在している所から少し遠くに見える山は、黒い衣をまとって静かに羊を数え始めている。一人になると、大気の清冽さが際立って、かすかな風は香り立つ土の匂いを鼻腔へと運ぶ。

 恋とは、春のようにやさしく、散る花のように儚い。触れればかき消えてしまいそうなくらい、実体がない。それなのに、恋の中心はいつだって激しい。その矛盾は、人を狂わせる。しかし夜道のあの決意は狂っていたからとは思えない。もっと明確な決意を秘めていた。いわば宿命のように、変えられない運命を示していたかのようだった。

 夜景にも星にもなり切れない田舎の明りの中を進みながら、そんなことを考えた。


 家に着き、靴を脱いで玄関を過ぎる。ただいまは言わない。べつに母が嫌いだから言わないわけではないし、憎いわけでもない。正確に言うならば嫌いだけれど、心の底から嫌いになれない。憎いけれど心の底から憎めない。ただ、本当の父のことを隠されるのが嫌なのだ。

もしかしたら母のせいで父が出て行ったのかもしれない。そんな疑問を肉親に抱いているという自分も嫌いで、そんな疑問を抱かせる母も嫌なのだ。なぜ家族なのに信じることを許さない状況に置くのか。それが僕の不幸だと思っている。

二階の自室へ行くと、制服のままベッドへ横になる。きしり、という音が静かな部屋の空気をかすかに震わせる。自分の家にいるのに、どこか心が休まらない。まるでたけしさんの家にいるような気がするのだ。母の愛はたけしさんに向けられ、たけしさんの愛は母に向けられている。その愛の末に僕がいるならいい。しかしそうではないのだ。二人の愛は二人の間で完結してしまっているように思える。

僕はたけしさんにとって母を愛するために、もれなく付いてくるつまらないおまけなのではないのか。そう思えてならないし、実際そうなのだ。彼が遊びに連れて行ってくれるのも、小遣いをくれるのも、まるで僕の機嫌を取る方法を「物」ということしか思いつかないみたいに。本当の父だったら、「物」なんて要らないのだ。そこにいるだけでいいのに。

もちろん本当の父だって物は買ってくれるだろう。だから僕はその違いを明確な言葉にすることができない。それでも、決定的な違いがある。それは彼が来るようになってから、母が一人の女として生きているということだ。母の瞳が僕ではないものを望んでいる時があるのだ。

夜道が言ったように、物語を読めばそれが分かるようになるのだろうか。そんなことを考えながら、僕は毎日家から出、家に帰る。「たけしさんの家」へと。そんな暮らしをしていると、自分が分からなくなる。それが僕のある意味自分勝手な不幸だった。

 しばらくすると母の声がして、一階へ行く。夕食を食べると、僕はすぐに自室にこもった。そんな時、いつも思う。美月に電話ができたらどんなにいいだろうかと。別に同じ部活だし、仲もいいはずなのだから、電話くらいしたっていいのだ。

 でもそれをする勇気が僕には無かった。好きな女の子に電話するなんて、経験の無い僕にはきっかけもないのにできるわけがない。

 かちり、かちり、と壁に掛けてある時計の秒針が動く。静かな部屋では、やけに大きな音に聞こえるそれは、まるで美月のことを想っていつもより余計に動く、心臓の音のようだった。その音に耳を傾けていると、あっという間に時間が過ぎた。それはテレビもゲームもいらない。時々恋愛の本を読みたくなる。そんな感情が湧いてくる時。流行の恋愛小説を読んで、そんな上手くなんて行くもんかと思いつつ、僕と美月がそうであったならと空想する時間。もし付き合ったらどうやって手を繋げばいいのだろうか。どこへ出かけようか。それから、もし、もしだけれど、キスはするんだろうか。なんて考えて、その時は文芸部らしく気の利いた恋の短歌でも歌いたいと思ったりする。

 恋とは時間の概念を歪めるほどの力を持っている。気が付くと時間は宵から夜へと変わっていた。深夜になる前に寝ようと考えて、風呂に入り、歯を磨き布団に入る。

 明りを消した部屋の中で、ふと考える。母も昔の父のことを、或いはもういない父は母のことを想ってこんな夜を過ごしたことはあったのだろうかと。もしあるのなら、別れたからといって、その過去を否定しては欲しくないと思った。僕はそれが聞きたいのかもしれない。そう考えながら、まどろみの底へと落ちて行った。

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