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四季の星座の大三角の下  作者: 笹十三
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これまでの作品は、自殺やリストカット、ドラッグについてなど書いてきました。私にとってはそれが全てだけれど、そうでない人ももちろんいる。それでも、程度の差や理由は異なれど誰もがこの世の中に生きづらさを感じていると思います。恋愛と、上手く生きられない不器用さと、意図せず他人を傷つけてしまうこと。そんな痛みと青春を描けたらいいなあと考えて書きました。

このお話は都合がいいと思うこともあります。それでも真実だけは描こうと思います。もちろん生きる上において真実は一つではありませんが……。

もう青春なんて過ぎてしまった私だけれど、あの時の傷、痛み、ささくれ、そして思い出は今もまだ色褪せずにいます。今青春を過ごしている方には痛みを含めたその輝きを、青春を過ぎてしまった方には過去への望郷と郷愁を感じて頂けたら嬉しいです。

そして私には、架空と現実の狭間にある過去によって、傷だらけの今日を美しく漂白するよりほかはないのだから。それによって私は救われる、と思います。どうかこの作品が、私と同類の人のなぐさめになりますよう……。

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「なに考えてるの?」

 放課後、教室の隅で、淡い春の余燼ひらめく校庭を眺める僕に、美月は尋ねる。

「何も考えないことについて考えてるんだよ」

「それ、楽しい?」

「生きているよりは楽しいよ」

 そう言った理由の半分は彼女の気を引きたくて。僕は美月のことが好きだ。彼女は病的に痩せて、触れればかき消えてしまうような透き通った白い顔をしている。

 その白さは一般的に言われるような健康的な白さではなくて。血液を全部きよらかな清水に取り換えてしまった人のような、美しいけれど人間としての存在が危ぶまれる美しさを持っていた。死に憧れる僕は、美しく死ぬ方法を探していた僕は、彼女の薄幸に焦がれるようになったのだ。

 でも話すようになってみると、彼女はその存在も「美」と「死」という、ひとつの観念のように澄んでいた。周囲に溶け込めずに、教室の隅で一人存在感を消しているような僕にも話しかけてくれる。その気遣いには、幼い少女が死に際に語り掛ける言葉に含まれる、やさしい死の香りと同じものを含んでいる気がしたのだ。僕はいつのまにか、彼女の内面にも恋をしていた。

 もう半分の理由は生きていたくなかったから。それは彼女の存在が僕の前に姿を現す前から僕の中に潜んでいた。「全ての人を愛しなさい」、その言葉は嘘なのだと知ってしまったから。

 僕に父は居ない。正確に言うならば、今は居ない。何が原因で本当の父が出て行ったのかを僕は知らないし、母に尋ねたことは無い。それから、母が子に、かつて愛した人のことを隠すという行為がどれだけの罪を持つのかということを叩きつけたこともない。自分の愛には責任を持って欲しかった。その愛の結末が、悲劇であったとしても、その過程を隠すということは同じくその過程で生まれた子の存在を否定することに他ならない。

 その言葉を母に投げかけてしまった瞬間に、僕らの「家族」という危うい関係は崩れ落ちてしまうだろう。それは触れてはいけないことなのだ。母があえてわけを僕に話さないということが、家族という関係の脆さを物語っている。共同体が崩れなくとも、家庭という一つの精神的繋がりは終わりを迎える。それが予見できたから、あえて理由を尋ねることはしなかった。

 そのうちに「おじさん」が家に訪れるようになった。彼は休みの日に母と僕を連れて出かけたり、ゲームを買ってくれたりした。そのうちに彼が僕の「父」になるのだろうということは誰が見ても明らかだった。母は僕が彼を「おじさん」と呼ぶと、悲しそうな顔をする。その表情からは、諦めと憎しみが翻り、僕の中には世界に愛されずに心中を企てる恋人達を見た時のような、殺したいくらい愛おしい情動が沸き起こる。あの顔を見るたびに、母の心が自殺する光景が目に浮かぶ。好きではないけれど嫌いになれない母。僕はまだ母のことが完全には嫌いになれないのだろう。だから殺したくなくて、死んでほしくなくて、「おじさん」のことは「たけしさん」と呼ぶ。

 でもそれだけの理由ならまだ人を愛せた。そうできない理由があるのだ。たけしさんはいい人だ。やさしい。たばこは吸うけれど、お酒は飲まない。お酒を飲まないから暴れたりはしない。ドラマでよくあるようなDVがあるわけでもない。だからこそ僕は彼を愛せない。彼が愛しているのは母であって僕ではなかったから。

 たけしさんと母がキスしているのを、一度だけ見たことがある。その時の僕は見てはいけないものを見た幼子のように隠れた。二人の瞳の中に、僕は存在していなかったのだ。それから僕はわざとテストで零点をとったり、たけしさんのたばこを盗ん火を着けて、あたかも吸ったかのように見せかけて、それを入れた空き缶を自室の机の上に置いたりした。確かにたけしさんは怒った。でもそこには母に嫌われまいとするぎこちない「おうかがい」が含まれているのを僕は見逃さなかった。

 僕のためではない僕への愛が苦しくて、僕は彼が嫌いだった。十代のすることは分からないと言うけれど、十代にしか分からないこともあるのだ。そして十代にしか分からないことというのは、十代特有の行動を促す。他人から見れば深刻すぎるのかもしれない。でも僕には死という行為が輝かしいものに思えた。僕は死ぬことで、本当の両親を見つけられると、本気で考えた。僕の本当の両親は「理想」と「詩」だ。そう思い込むことにして、死に場所を求めていた。

「そんなこと考えてないで、早く部室いこう」

「うん」

 僕らは文芸部。美月に従って、鞄を持って歩き出す。今は使われていない三階の空き教室が部室。僕ら三年の教室は二階だから、廊下を歩き、階段をあがって、つきあたりまで行く。階段をあがる途中、廊下を歩く途中、美月の腕が前後に振られる度、肌がちらりと見え隠れする。その白い手首には、赤い線が刻まれている。それは恐らく故意に切ったのだろう。それがどれほどの痛みを生じさせる傷なのか、僕には分からない。そんなことは想像できない。それでも死に憧れる僕は、彼女の虚しさも寂しさも想像できないまま、無責任にその傷を愛していた。死にたいという口癖の僕にとって、彼女の存在が生につなぎとめていたと言ってもいい。彼女か僕か、どちらかが死ぬまでの間という、限られた恋だった。

 彼女はその傷を隠す気があるのか無いのか、判断に困る。包帯も絆創膏もしていない。そのくせ夏でも長袖なのだ。だからその傷について、触れていいのかいけないのか分からないから、話してくれるその時がくるのを待っていた。僕らの不幸について、語り合える日がくるのを待っていた。

 その手首の傷は、今日も赤く濡れた鉱脈のように存在している。透明な血液をしている彼女の皮膚は、傷つけば液体の水晶を流すかもしれない。だからこそ彼女の不幸は美しい。犯しがたくもあったから、僕は好きだとも言えなくて、どうしたら気を引けるだろうかということばかり考えていた。

階段をのぼりながら美月は尋ねる。

「で、結局答えはでた?」

「なにがさ」

「何も考えないことについてだよ」

 階段が終わって、三階の廊下を歩く二人分の足音が無人の階に響く。

「出たよ」

「どんな答え?」

「お釈迦様は量産できないってこと」

「え、意味わかんないんだけど」

 美月は「理論に飛躍があるけど聞かせて」と聞いてくる。僕の予定通りだった。本当は大したことなんて考えていなかった。だからこれは前もって用意していた彼女の気を引くための作戦の一つだ。

「何も考えないことを考えるっていうのは、お釈迦様がやった瞑想だよ。で、出た答えは空。それと同じように、何も考えないことを考えて答えを出せたなら、それはお釈迦様と同じくらい偉い思想家だ。だから凡人がそんなことをしたって、眠くなって暇になるだけなんだよ。僕にそれができるなら、もっと多くの人がそれをやってる。そうなったらお釈迦様はすごい人じゃなくなる。逆に言えば、凡人はお釈迦様にはなれないってこと」

 部室が近づいた頃、僕が持論を話し終えると美月は「うーん、そうだねえ」と唸る。

「私だったらそんなことどうでもいいかも。いや、どうでもよくはないけど、もっと楽しいこと考えるよ。たとえば……」

 そんなことを言っていると僕らは部室に着いた。教室に入ると、先客がいた。

「やっとるか」

 先客は僕たちにそう声をかける。彼は同じ三年で部長の夜道。文芸部の部長。初めて会った時、「『銀河鉄道の夜』みたいだろ」と言っていた。僕ら三人だけがこの部の部員の全てだ。つまりこの瞬間における世界の全て。

「やっとるぞ」

 僕らは特におどろくでもなく、この変な挨拶に手慣れた返事を返す。

「がんばれよ」

「ようしきた」

 これが我が部の挨拶なのだ。出典は太宰治の『パンドラの匣』。文芸部らしくて僕らは気に入っている。

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