拒絶
そそくさと服を着て、横にいた謎の女と爽やかな朝の会話を楽しみながら宿を出た。
いや、嘘だ。 正直会話は適当に流していた。
何を話したかすら覚えていない。
「じゃあ、またね。 公爵閣下。」
ひらひらと手を振って、謎の女は宿の向かいにある大きな劇場の裏口に入っていく。
「あの人、女優のリナリア・マーキュスじゃない!?」
「えっ!? 本当だー! 今そこの宿屋から出てこなかった?」
「出てきた! そこの男の人と!」
「……えっ!? ナフィアール公爵じゃない!?」
やばい。
さっきの女、そんなに有名人なのか。
彼女の通った道に人だかりが出来ている。
その上俺も注目されている。
最悪だ。
顔を見られないように下を向いて歩くが、周りからこそこそと話す声が聞こえる。
家までの帰路をここまで急いだことがあっただろうか。
今すぐ家に帰って引きこもりたい気分だった。
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「ちゃんと無事に帰ってきたんだなあ。 よかったよかった。」
帰宅して数時間後に、屋敷にアーサーがやってきた。
飲んだ後のことが気になって見に来たらしい。
「良くねえよ! 誰だあの女! いつ会った!?」
「お前覚えてないの? 三軒目の飲み屋で会って、すげー意気投合してたじゃん。 このまま泊まっていくから先帰れって俺に言って、イチャイチャしながら宿に入っていったぞ。」
「嘘だろ!?」
まず二軒目すら記憶が曖昧だ。
そんなに飲んだっけ、俺!?
「それにしても、まさか売り出し中の舞台女優に手を出すなんてなあ。 しかも、宿出るところを一般人に見られたんだろ?」
「手を出す前に連れて帰ってくれよ!!」
「他の女いらない〜とか言ってたからさ。 一発抱いてみれば気持ちも変わるかと思って。 ヤる気になってたみたいだし、どうぞお持ち帰りくださ〜いっつって見送ったわ。」
軽く手を振って再現してみせるアーサー。
殴りたくなった。
しかしアーサーのせいにしている場合ではない。
「もしかして、これ、もう噂になってるのか………?」
「それどころか、朝刊に載ってたぞ。 人気女優リナリアに熱愛発覚!? お相手は色男ナフィアール公爵、っつって。」
「全部嘘だと言ってくれ……。」
最悪だ。
それだけ大きく噂が回ってしまったら、撤回のしようがない。
「これ……もう、アーリアは見たのかな……。」
アーリアに嫌われたくない。
他の誰に何を言われてもいいから、彼女には知られたくない。
「俺が見せたけど?」
「なんで見せるんだよ!!」
お前まさかわざとやってるんじゃないだろうな……。
アーリアに嫌われるように動いている気がする。
「これだけ噂になってりゃアーリアもいつか知るだろ。 可哀想だから早めに教えといたわ。」
「そうですか……。」
これは、早めに会いに行って彼女がどう思ってるか聞いた方がいいんだろうか。
それとも、ある程度間を置いて熱りが覚めてからか……?
いや、間を置いたらそれこそ、女優に熱を上げているんだと勘違いされるじゃないか。
思い立ったが吉日。
すぐに行こう!
「俺、今からアーリアに会いにいく。」
「機嫌悪いと思うぞー。 やめとけやめとけー。」
アーサーはそんな風に言うが、なり振りなど構ってはいられない。
俺はすぐに家を出る準備を始めた。
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「あら、これはこれは。 人気女優と熱愛発覚したナフィアール公爵様じゃないですか。」
彼女の部屋に入ると、笑顔のアーリアが仁王立ちで立っていた。
「あれはその……決してそういうんじゃなく……。」
「朝帰りおめでとうございます。 他の女抱けない〜なんて言ってたけどさすがの百戦錬磨、美人にはバリバリ使えたんですね。」
笑顔が怖い。
圧が強い。
冷や汗が止まらない。
「…怒ってるのか?」
「なんで私が怒らなくちゃいけないんですか? 恋人でもないのに。」
跳ね除けるように言い捨てられ、少し悲しくなる。
まあ、事実を言われているだけなんだけれども。
「……ごめん。」
怒っていないと言われても、俺は謝ることしかできない。
頭を下げる俺を見て、アーリアはため息を吐いた。
「……なんで私が、貴方と腕を組んで街で買い物なんてしたかわかりますか?」
彼女は静かに、俺に問いかける。
考えてみるが、一つしか思い当たらなかった。
「………貢がせるためか?」
「馬鹿なんですか?」
「違うのか?」
今度ははあ……と深くため息をつくアーリア。
席を立って、俺に向き直る。
その表情はとても、真摯な顔つきだった。
「噂が回ればいいと思いました。 ナフィアール公爵が、ネルソン家の末娘と腕を組んでデートしていたと。」
「……なんのために?」
「既成事実です。」
俺との既成事実が欲しかった?
アーリアが?
「幸い、公爵様が三つも宝石を買ってくださったおかげでーーーナフィアール公爵が婚約記念品を贈った、なんて噂までされるかなあなんて思っていたんですが……まさか、別の女との熱愛報道が新聞にまで載るなんて思ってもみなかったです。」
俯いて苦笑する彼女。
彼女の言葉を聞いても、俺の頭がついていかない。
「え………どういうことなんだ? 聞きようによっては、勘違いさせるような言い方だけど……」
「貴方が好きだったので、貴方に抱かれたかった。 処女を捧げて終わりになんてしてやるもんかと思ったので、貴方とデートして婚約記念品を贈られたという噂が世の中に流れてしまえば外堀から埋められるかなと思った。 それだけです。」
彼女は淡々とそう告げた。
「それだけ、って………」
頭が真っ白で、でも胸は跳ねるように鼓動していて。
アーリアが、俺を好きだと言ってくれた。
「すごく……嬉しい。」
子供みたいな感想しか出てこない。
いや、違うだろ。
ここで甘い言葉を囁いて、彼女を抱きしめて、ちゃんと付き合おうって言わないと!
「あの……!」
「もう出て行ってください。 私これから、用事があるんです。」
意を決して告白しようとしたところで、彼女に遮られた。
「いや、大事なことだろう!? ちゃんと話をーーー」
「話はもう終わりです。 私はこれから、縁談の相手と食事に行くんです。」
「は……?」
彼女はアクセサリーを手に取り、首にかける。
そのネックレスは先日俺が贈ったものでは、なかった。
「その、縁談って………断るんだよな?」
「さあ。 会ってから考えます。」
彼女は俺の方を一瞥することもなくさらりと冷たく言い放つ。
「な、なんでだよ! 俺のこと好きって今言ってくれたところだろ!」
「逆に聞きますけど……どうしてそんなに声を荒げているんですか? 自分は他の女と朝帰りしておきながら、私には他の男と食事に行くなと? ーーー恋人でもないのに。」
もう一度、念を押すように言われる『恋人でもないのに』。
確かに、まだ違うのかもしれないけど。
「違うんだ。 昨日はアーサーと飲んでいて、朝起きたら、横に知らない女がいて……」
「何が違うんですか。 もう、見苦しい言い訳は十分です。」
もう聞きたくないと言わんばかりに俺の言葉を遮る彼女は、とても傷ついているように見えた。
ーーー俺が、傷付けた。
「貴方のことを好きになって、わかりました。 好きな人の周りに常に他の女性の影があることがどれだけ辛いことなのか。 ………私は、誠実で一途な方と人生を共にしたいのです。」
言葉を続ければ続けるほど、彼女の表情が暗くなる。
「もし貴方がまだ、抱かせないと『幽閉の姫君は未婚で男に汚された女だ』と広めると言うのであれば…お好きにどうぞ。 ……もう貴方に抱かれることも、触れることもありませんから。」
そんなつもりはない。
ただ、俺はーーー
君に側にいて、君に触れていたかった。
ただ、それだけだった筈なんだ。
彼女は準備が終わると、部屋から出ていく。
その腕を捕まえて引き止めることすら、俺にはできなかった。
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