夜会デビュー
あれから、何度伯爵家に行っても門前払いをくらうようになり、一度も彼女に会えずに時だけが過ぎていった。
そして、彼女が社交デビューする夜会の当日。
「あら……ナフィアール公爵じゃない? 行きましょうよ。」
「ええでも……何か呟いていらっしゃるけれど、大丈夫かしら?」
「なんとなく近寄りがたいわねえ……」
「俺は別に……彼女が気になって来たわけではない……ただナンパしに来ただけだから……その相手も彼女じゃないから………」
ぶつぶつと自己暗示しながら会場に向かう。
いつもなら女性たちの方から寄ってくるのに、誰一人寄ってこない。
そりゃそうか、こんな陰気にしてたら。
俺は頰をぱん、と軽く叩いて気合を入れる。
よし、爽やかモードに入るぞ!
顔見知りの令嬢たちが話しているところに寄っていくことにした。
「マリアンヌ嬢、サーシャ嬢、ダリア嬢ではないですか。 お久しぶりです。」
「あらぁ! 公爵様、お久しぶりです! 話しかけていただいて嬉しいわぁ!」
「夜会に全然顔を出していただけなかったので、私たちとても寂しかったわ。」
「ネルソン伯爵家の幽閉の姫君に夢中で夜会どころではないと聞いたけれど、そちらはもうよろしいのかしら?」
「ははは、全然相手にされなかったので諦めました。 私を相手にしてくださる優しい方は他にもたくさんいらっしゃいますからね。」
「あら、そうなんですか。 てっきり私たち、今日社交デビューなさるというアーリア嬢がお目当てかと思いましたわ。」
「ははは………まさかそんな………。」
ばれている。
女性たちの噂の回る速さ、怖いな。
アーリアの社交界デビューの話まで皆知っているのか。
「きゃー! 公爵様だわ! 今日来てくださって感激です!」
「ナフィアール公爵がいらっしゃってるの!? 是非ご挨拶したいわ!」
令嬢たちと話していると、次々と女性たちが寄ってきた。
そうそう、これが俺の日常。
決して、引きこもりの見た目が地味な女に執着した挙句振られて落ち込んでいるような落ちぶれた男じゃない。
さっさと自信を取り戻さねば。
そう考えながら令嬢たちの話を話半分に聞き、適当に相槌を打つ。
「きゃー! いいんですか、公爵様! 私、嬉しいです!」
「羨ましいー! 今度は私とも是非!」
ん? 何の話をしていたんだっけ。
頭で考えながら他人と話すものではないな。
「えっと……すみません、今何の話をーーー」
下手なことを言っていたらまずい。
そう思って聞き返そうとしたところでーーー
《ネルソン伯爵家より、アーサー・ディル・ネルソン様、並びにアーリア・ナミリエ・ネルソン様のご到着です。》
そんな声が会場に響いた。
自分の中で、一瞬時が止まったような気がした。
会場の扉がゆっくりと開き、アーサーのエスコートでアーリアが入ってくる。
有名な″ 幽閉の姫君″の姿をひと目見ようと夜会に参加した者も多いのだろう。
会場にいる全員が、彼女に注目していた。
「ーーー…。」
言葉を失う程に、彼女は美しかった。
慣れないドレスとアクセサリーを着けて、化粧をして。
今まで晒されることのなかった人々の視線を一身に浴びて。
堂々と、微笑んでみせた。
周りの男達が息を飲むのがわかった。
「あの令嬢………幽閉の姫君、なんて呼ばれてる方だよな?」
「妖艶な美女……ではないけれど、清楚で美しい方だな。」
男たちがひそひそと話を始めているのが聞こえた。
なんだあれ。
あれがアーリア?
引きこもりで地味顔の?
ーーー…化粧で変わりすぎじゃないか?
混乱していると我先にとアーリアに話しかけようとする男たちに囲まれていくのが見えた。
むかつく。
非常に嫌だが、恋人でもない俺が行って牽制しても、アーリアは迷惑だろう。
「公爵様ぁ、どうされたの? やっぱり、アーリア嬢ばかり気にしていらっしゃるのね?」
「……そんなことはないですよ。 初めての社交であれほど人気者で、羨ましいなと思っていただけです。」
「えーっ、公爵様だっていつも人気者じゃないですかー。 私たちだけじゃご不満ですかぁ?」
「いや、そんなことは…」
いけない。
今は外面、爽やか好青年モードだった。
アーリアのことなど考えている場合ではない。
「よお。 本日もおモテになってますなあ。」
令嬢たちと談笑していると、アーサーが声をかけてきた。
「あら! アーサー様! 私たち、アーサー様ともお話ししたかったんですぅ!」
「ごめんね。 ちょっとノア公爵閣下と話がしたいから、終わるまでこの辺で待っててくれる? ノア、ちょっと風にあたりに行こうぜ。」
「あーん、絶対ですよ! 待っておりますから!」と後ろから聴こえる声を背に、呼ばれるがままにテラスに出る。
「……妹の側にいなくていいのかよ。」
「入場のエスコートはしたし、いいだろ。 後はあいつが自由に男を選ぶだけ。」
だからって、初めての夜会で放っておくのかよ。
変な虫が寄ってたかって彼女を取り囲んでいるっていうのに。
「それより、かなり化粧で化けただろー? ドレスは流行のやつ、俺が選んでやったんだ。 我が妹ながら、いけてると思うわ。」
「…全然。 似合ってない。」
苛々する。
男を寄せ付けるための化粧とお洒落にも。
男に囲まれてにこにこ笑う彼女にも。
「全然似合ってなくて大変申し訳ありませんね。」
突然、そんな声が聞こえて後ろを振り返る。
アーリアが立っていた。
……話しかけてくれた。
それだけで、驚くほど嬉しい。
しかし、喜んでいる場合ではなかった。
ただでさえキスの件で怒らせていたのに、さらに怒らせてしまった。
「……随分モテてるみたいじゃないか。 誠実そうな良い家柄の男が捕まりそうか?」
こんなことが言いたい訳ではない。
それなのに、口から出るのは嫌味のような言葉ばかり。
「令嬢たちに囲まれてにやにやしている公爵様に教える義理はありませんね。 今日はどの令嬢と夜の街へ消えていかれるのかしら。」
アーリアも負けじと答えてくる。
「おいおい、こんなところで喧嘩すんなよ…。 俺、面倒ごとはごめんだぞ。」
呆れ顔のアーサーは、「仲良くしろよな」と言い残してテラスから去っていく。
さっきの令嬢たちのところにでも行くんだろう。
俺はテラスの柵に寄りかかり、彼女を見る。
「……で? いい男はいた?」
「さっきも言いましたよね。 なんでそんなこと、貴方に教えなきゃいけないんですか。」
彼女は態度を変えず、ぴしゃりと言う。
いつもなら、ここで対抗するところだけど……
そんなことを、してる場合じゃない。
「………気になるんだよ。」
素直にならなくちゃ、気持ちは伝わらない。
「俺が気になるから、聞きたいの。」
俺の言葉を聞いて、アーリアは目を丸くして驚いている。
俺がこんなことを言うとは思ってなかったのだろう。
「……侯爵家の方と、子爵家の方から、お誘いを受けましたけれど。」
「…ふーん。」
実際、誘いたい奴はもっといるんだろうな。
爵位の高い奴らに花を持たせたってところだろうか。
何にしても面白くない。
「公爵様は?」
「へ?」
突然尋ねられて、言葉に詰まる。
「今夜はどのご令嬢を毒牙にかけるんですか?」
「………かけないよ。」
好きな人がいるから。
と、言えたらどんなに楽だろう。
「あ、今不能なんですもんね。 自称ですけど。」
「こんな誰が聞いてるかもわからない場所でデリケートな問題をカミングアウトするな! それに自称じゃないって言ってるだろ! 本当に勃たないの!」
辺りを見回しながら焦る俺を見て、彼女はふふふ、と笑う。
いつも通りに笑ってくれる彼女を見て、安堵する。
「自称なのは本当じゃないですか。 だってーーー」
彼女は俺に寄ってきて、耳元でこう囁いた。
「私といた時はいつもーーーあんなに、私に入りたそうにしてたもの。」
その瞬間、走馬灯のように、彼女にしたこと、されたことが思い出される。
ごくり、と自分の喉が鳴った。
彼女のこういう言動に煽られるのは、もう何度も経験しているはずなのにーーー全然慣れない。
「ーーー…あ。」
「………なんだよ。」
「それ。」
彼女が指さしたのは…
テントが張った、俺の下半身。
「………っ!?」
「不能じゃなくて良かったですね。 そのままどこかのご令嬢を捕まえて夜の街へ消えていったらいかがですか?」
「いや待て! この状態で会場に戻った時点でアウトだろう!!」
完璧に変質者扱いされるわ!
爽やかなイケメン公爵で通ってるんだぞ!?
「じゃあ……」
くす、と彼女は笑って、俺の顔を覗き込んでくる。
「私が鎮めてあげましょうか?」
「えっ……」
期待で胸が跳ねたのがわかる。
だが、しかし、俺もそこまで学ばない男ではない。
「君のその、期待を持たせるような言動にはもう騙されないから。」
「あら、そうですか。 残念。」
彼女はドレスを翻して俺に背を向ける。
「私しか鎮められないなら、仕方ないからお相手して差し上げようかと思ったんですけどね。」
「ーーー……えっ!?」
いいの!?
背を向けている彼女が、どんな表情をしているのかわからない。
また悪戯っぽい顔をして、俺が罠にかかりそうなのを笑っているのか、それともーーー…
「…アーリア、こっちを向いてくれないか。」
彼女の顔が見たい。
そして今を逃したら、俺はすごく後悔する気がする。
俺の言葉を聞いて、彼女がゆっくりこちらを向くーーー
「公爵様ぁ〜! 全然戻っていらっしゃらないから、迎えに来ちゃいましたぁ!」
振り向こうとしたアーリアの前に、突然女が割り込んできた。
さっき話をしていた令嬢だ。
「マーガレット嬢、すみません。 今はアーリア嬢と大切な話をしていまして…」
「えー! だって、先ほど約束してくださりましたよね? この後、私と夜会を抜け出してくださるって!」
「えっ!?」
そ、そういえば、適当に相槌を打っていた時にそんな話をしていたような。
「ーーー…では私はこれで、失礼致しますね。 マーガレット嬢とごゆっくり。」
「いや、待ってくれ!」
「ちょうどいいじゃないですか。 それ、使ったらいかがです?」
「違う! 誤解だから!」
「? それって、なんですかぁ?」
「待ってくれーーー!!!!」
アーリアの姿がテラスから消える頃には、すっかりそれは萎えていた。