1-4 彼女と会ったのはベトナムのダナンだった。
彼女と会ったのはベトナムのダナンだった。
インドシナ半島の中間に位置するベトナム第3の街で、彼女はいわゆるインフルエンサーとして生計を立てていた。
インターネットで広告っぽくない広告を使って物やサービスを売りたい企業を相手に小金を稼ぐ。
その一方で、世界中からダナンにバカンスにやってきた若い金持ちや金持ちの家の子どもたちの取り巻きをして、小遣いを稼いだり、美味しいご飯やお酒にありついたりしていた。
今の僕なら「モデル未満」なり「コンパニオン崩れ」なり、冷静かつ適切に彼女のことを表現できるのだが、当時はそんなことを考え付きもしなかった。
それは、その時までに関係を持った女の中で彼女が飛びぬけて美人だったからで、つまり僕はこれ以上ないくらいに舞い上がっていたのである。
人間には見た目が整っていることよりもずっと大事な資質があることは、月見之介を見て十二分にわかっていたはずのに。
思い出すのも忌々しいというのが、正直なところだ。
その当時のダナンは、欧米人が持ち込んだサーフィン文化が根付こうとしているタイミングで、格安でサーフィンのレッスンを受けることができた。
旅行中の遊びの一環として何気なくレッスンを受けたら、それまで軟派な遊びだと馬鹿にしていたのを後悔するほどにハマってしまい、毎日ボードを借りて波に巻かれる日々を過ごした。
何日も続けてミーケービーチに通い、朝から昼にかけてたくさん海水を飲む。
ボードの上に立つのも億劫になってくるほどの日焼けと筋肉痛に耐えられなくなって、砂の上で寝転び、結局さらに日焼けする。
2月の南シナ海の波は穏やかで、風は暖かく濡れた肌を撫でる。
サーフボードの傍ら、心地よい疲れに意識をまどろませながら海がうねるのを眺めていたら、見知らぬ通りすがりの男に声をかけられた。
「失礼ですが、もしかして日本人ですか?」
僕が休暇で東京からダナンに来たと言うと、九州のどこかのイントネーションの日本語で、彼はダナンに何年も住んでいて、何件かバーやレストランを経営しているのだと自己紹介をした。
良いレストランやバーを教えてもらえたら嬉しいと僕が言うと、川の向こうに経営するバーがあるからよければ遊びに来いと誘ってくれた。
かくしてその日の夜、彼に教えられた名前のバーに行くと、そこに彼女がいた。
随分いい女が2人もいるなと思いつつ、ちょっと離れたところに座ったのだが、昼間に会った男とはまた違う日本人っぽい見た目の男が、別の客の方からこちらに向き直り話しかけてきた。
「こちらのお店は初めてですか?」
「そうです。」
「ダナンは、出張ですか、それとも出向で?」
「いえ、旅行中でして。」
「そうですか、お一人で?」
「そうですね。」
「いいですね。
あっちの子たちはダナンに長く住んでる長期滞在者なんですよ。」
「そうなんですね。
こちらのお店にはよく来るんですか?」
「そうですね。
カチヤも、オルガも、よく来てくれるよね?」
「時々ね。
ここはカクテルが美味しいから。」
二人のブロンドの女たちのうち、ショートボブの丸顔の女が答えた。
短い前髪が黒い眉毛と並行に左側に流されているのを見て、もともとは髪が黒いのかもしれないと僕は、何ともなしに思った。
「何飲んでるの? バーボン?」
「いや、スコッチの、ラフロイグ。」
「スコッチ?」
「ウイスキーだよ。スコットランドの。飲んだことない?」
僕らが客同士で話し始めたら、バーテンダーは煙草に火を点けて、店の生ビールを勝手に飲み始めた。
離れて座る2組の客を1人で接客するのが面倒くさかったのかもしれない。
眉毛の黒い子と話している間、もう一人の長い髪の子は何も言わずに足の長いグラスに口を点けて白ワインを飲んでいた。
性格が良さそうな、親しみやすいブロンド美人と、とっつきにくそうな、お高く留まってる風にも見えるブロンド美人。
第一印象が強めの、面白い取り合わせの二人組だった。
「ウイスキーって、氷を入れて飲むもんじゃないの?」
「美味いウイスキーはストレートで飲む人が多いよ。
水を入れて変化を楽しむって人もいるけどね。」
僕がそう言うと、丸顔ボブの子の隣に座っていたとっつきにくそうな方の子が突然、スコッチをストレートで飲む男なんてろくなもんじゃないと言い放った。
「こんなバーでウイスキーをストレートで飲んで、一体何がしたい訳?
きっと美味いウイスキーを1人で飲む自分に酔ってるナルシストだよ。
カチヤ、あんまり気軽に話したらダメ。」
開口一番、なかなか手厳しい意見だった。
思わず苦笑いが表情に出してしまう。
「そりゃ随分バイアスのかかったものの見方だね。
ストレートのウイスキーが好きな男に恨みでもあるの?」
僕の言い方が気に食わなかったようで、オルガは僕のことを見て鼻を鳴らした。
「大抵の男が馬鹿ばっかりでうんざりしてるだけ。
私が恨んでやるほどの価値のある男なんて滅多にいないよ。」
「カチヤ、君の友達、すごい美人なのに、ちょっと残念な感じだね。
君みたいな親しみやすさが全く感じられない。」
ショートボブのカチヤが笑う。
ロングヘアのオルガは勝気な笑みを浮かべ、fワードで僕を罵る。
自意識過剰ブロンド美人としての振る舞いがテンプレ過ぎてちょっと面白かった。
「何笑ってんの?
気持ち悪いんだけど。」
「なんか、ステレオタイプなブロンドのロシア美人だなって思って。
高飛車で、わがままそうで。」
「それは決めつけ。
ステレオタイプなのはあんたでしょ。」
オルガの言葉に僕はおどけた表情を返した。
それを見て笑っていたカチヤが、オルガはウクライナ人なのだと教えてくれた。
「へえ、ウクライナか。
行ったことないな。
それよりカチヤ、君のことがもっと知りたいんだけど。」
「カチヤ、こんな失礼な奴に何も教えてなくていいから 。」
「連れないな。
ちゃんとオルガにも後で聞くつもりだったんだけど。」
「間に合ってるから大丈夫。
カチヤにもちょっかい出さないでくれると、なおありがたいんだけどね。」
ちょうど煙草を吸い終わったバーテンダーが声を出して笑った。
「オルガはちょっと口が悪いだけで、実はすごくいい子なんですよ。
他の常連さんにも美人なのを鼻にかけない、ユニークな面白い子だって評判なんです。」
「まあ美人なのは認めますけど、美人なだけじゃね。」
「そこは同感ね、自分で言うのもなんだけど。
癪だけど、ウクライナには、美人なんて掃いて捨てるほどいるから。」
「そんなこと言うけど、旧共産圏の私から見てもオルガは美人だよ。
この間だって、クラブに行ったら、世界中から来たモデルの子たちよりも目立ってたし。」
そう言って、カチヤはグラスに口をつけてワインの残りを飲み干した。
オルガのグラスにも中身がほとんど残っていなかった。
「バーテンダーさん。
こちらの中途半端な美貌の残念なウクライナ美人と、性格のかわいいロシア美人のお二人に適当なワインをボトルでお願いできませんか?」
僕がそう言うと、カチヤは嬉しそうに声を上げた。
友人とは対照的に、オルガは胡散臭そうに僕を見て問い詰める。
「どういう風の吹き回し?
急に気が利くようになったんだけど。」
「できる限り楽しく酒が飲みたいと思っただけだよ。
せっかく美人二人と飲めるんだし、いい気分でいい時間を過ごしたいんだ。
悪いことじゃないだろう?」
オルガはしばらく僕の方を窺うように、睨むように見ていたが、やがて表情を緩め目を閉じて、口の端を吊り上げた。
「ま、そういうのも悪くないかもね。」
その上から目線極まりない発言が、やっぱり不思議と面白くて、僕はまた笑ってしまった。