1-3 酔っぱらうまではそれを認める度胸も度量もないのだが
酔っぱらうまではそれを認める度胸も度量もないのだが、月見之介は実際、とても好色で、とても猥談が好きな男である。
夜がゆっくりと更けて、当主と大奥、一族の二大巨頭が床の間からいなくなった辺りから、酒の力で勢いづいた月見之介は、徐々に雨夜の品定めじみた話題を話の端々に潜ませ始めた。
嫉妬深い女、浮気な女、内気な女、賢い女。
朝・昼・夜と、一緒にいるならそれぞれどの女がいいか。
子どもの教育上、好ましくない話題に眉を潜めた家族連れの親戚たちが一斉に家路を急ぎ始めて、ついさっきまで人いきれで熱いくらいだった床の間が急に寒々としてくる。
いつの間にか、うちの家族は僕を置いていなくなっていた。
月見之介をはじめとする本家筋の親戚の男連中と車座になり、年明け早々、あんな女がいい、こんな女がいいと、下世話極まりない話をしているうちに気が付けば元旦が終わっていた。
日付が変わって一時間もする頃には、もう床の間には僕達2人だけになっていて、月見之介はおおっぴらにどこぞのホステスに言い寄られた時の話を大声で得意げに話していた。
「と、そんな経緯で、家に来るように言われたのだ。
あくまで向こうから言ってきたから、俺としても仕方なく行ってやるかと思ったわけだ。
そうでもなければ、いくら美人でも、たかがキャバクラの嬢なんかと俺がどうにかなることはなかっただろう。」
そう言った月見之介は、左手で顔を額から顎まで撫で下ろし、続けて顎髭に手をやってさすり、二度瞬きをした。
これは月見之介が嘘をつく時のいつもの癖である。
「そりゃ、まあそうなんでしょうね。
客観的に見て、月見之介さんは、まあ割に整った顔立ちって言われることが多いですからね。」
「『まあ割に』は余計だ、東亀よ。
俺は母親に似て顔がいいのだ。
これは誰もが認める客観的な事実だ。
それのくらい理解しておけ。」
本人と周りの両方にとって幸か不幸かはよくわからないが、実際の話、月見之介の顔の作りは悪くなかった。
宴席でうちの姪っ子を相手に、野生の虎でさえ震え上がりそうな睨みを利かせていた大奥とは別に、一族の当主には何人かお妾さんがいて、月見之介はそのお妾さんのうちの一人の子だった。
何年も前、何の機会だったか忘れてしまったが、たまたまうちの姉が本家のお局さま方に無理やり古いアルバムを見せつけられていたのに居合わせたことがあった。
女同士で話の華を咲かせつつ、隙あらばマウンティングすべく火花を散らすのを横目に、時間をつぶすために別のアルバムを一人で勝手に見ていたのだが、その中に子どもの時の月見之介の写真を見つけた。
その写真に写っていた月見之介はランドセルを背負っていたから、おそらくは7歳から10歳の間という年頃だったはずだ。
一方、その写真を見た時の僕はちょうどまさに小学校に通っていたのだが、写真の中の月見之介は同じ学年で一番かわいかったクラスメイトの女の子よりも綺麗な顔をしていたことに衝撃を受けた。
既に一族の間で問題児扱いされていた高校生の月見之介と、写真の中の同年代の天使を同一人物だと認識するのに、当時の僕は著しい困難を覚えたのだが、写真の脇には有難迷惑なことに、「月見之介 3年生。」と達筆な字で説明書きがあったため、酷く納得のいかない、理不尽な思いに苛まれたことが記憶に新しい。
その写真には、月見之介の他、ちょっとピンボケになった背景に丸顔の女性の姿が映っていた。
あっていないピントのせいで細かいところはわからなかったものの、当時の天使みたいな月見之介によく似ているように見えなくもなかった。
月見之介本人以外では、本家・分家問わず、親戚の誰一人として彼の母親の話をすることはないのだが、あの女の人が母親だったのだと僕は確信している。
あの当時の月見之介の天使のような可憐さは、思春期から今に至るまで一貫して続いている彼の不摂生で不健康な生活のせいで、とうの昔にどこかへ失われてしまった。
カロリー過多な食生活と運動不足の結果、ふくよかに膨らんだ下っ腹と立派な二重顎を持つに至った月見之介は今でも確かに整った顔をしているが、それは中性的な危うい魅力も、男性的な力強い性的アピールも感じさせないもので、元美男子、あるいはイケメン崩れといった趣である。
ここ9年の間に何度か酔いつぶれる前の月見之介を確保したキャバクラで顔を合わせたキャストの女性たちに言わせれば、「ちょっと痩せたらもっとイケメンになりそう」とのことだ。
面白いことに、どのキャストのお姉さんに聞いても皆一様に、あくまでにこやかに、場を盛り下げないように気を付けながら、配慮の塊から抽出されたような同じ意味の返答を口にする。
そこから察するに、太めの客に対する業界統一接客マニュアルでもあるのかもしれない。
「まあ、そういうわけでな、東亀よ。
おまえには悪いが、俺はかっこいいのだ。
女にモテてモテて困ってしまうのだ。
悔しいと思わんのか?
俺のようにモテてみたいと思わんのか?」
結構な量を飲んですっかりできあがった月見之介は、酔っ払い特有の支離滅裂な論理で僕を挑発してくる。
いい歳してあからさまに、モテたいだの、モテるだの恥ずかしげもなく言う様子が滑稽だった。
「まあ、僕には僕のペースとか好みってもんがありますからね。
そんな、月見之介さんみたいに、不特定多数から際限なく需要がある方が必ずしもいいってわけでもないですし。」
「そんなこと言うがな、東亀よ。
それは負け惜しみではないのか?
おまえは俺のようにかっこよくもなくモテることもないから、これ以上自分を傷つけないように立ち回ろうとしているだけではないのか?」
僕は苦笑するしかなかった。
「悔しかったら、今までおまえが寝た中で一番いい女の写真を見せてみろ。
俺よりいい女を抱いているのであれば、見せられるだろう?」
「今まで関係した女性の話をするのは紳士のすることじゃないってついさっき言っていたじゃないですか。」
「俺は紳士だからそんなことはしない。
だがおまえは紳士ではない。
言うなれば俺がドン・キホーテ・デ・ラ・マンチャで、東亀、おまえは従者のサンチョ・パンサだ。
太鼓腹のサンチョなのだから、恥ずかしがることなどない。
遠慮なく、忌憚なく、躊躇なく、昔寝た女の話をするべきだ。」
どっちが太鼓腹だよ、と思った僕は、その時点で既にかなり酒に呑まれていたのだろう。
よせばいいのに、おもむろに携帯電話を取り出して、カメラに対して流し目を向けるスラブ系の女の写真を見せてしまった。