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ぐるぐる回る  作者: 身治元也
水曜日
20/37

忙しい人

 背の高い真っ白な門柱。その、ちょっとゴツゴツした安定感に、シイナは背中を預けていた。ここは一つの分岐点。右手に折れれば市場への近道となり、左へ向かえば自警団本部への最短経路に続く。次の一歩を踏み出せないまま、長い事そうやって寄りかかっていた。

 相変わらずの風。この場にあっては、木々の間を抜けてきたような、濃い緑の匂いを纏っている。人の波はもう見当たらない。それどころか、もたれ掛ってよりずっと、誰とも会っていない。葉擦れの音だけがサラサラと鳴っている。

 顔を上げれば、鳥の一羽もいない空。細い雲が遠ざかって行くのが見える。バッグを抱えなおして深呼吸。やっと踏み出した最初の一歩は左向き。ここまで随分時間がかかったが、歩き出してしまえば勢いがつくようだ。ぼってりとした時計塔を右手に見送って、坂と呼ぶのは抵抗のある道を上る。登り切った先、突き当りの黒い建物。ここまで殆ど小走りだった。

 ルカに連れられて来た時の、左の建屋は戸板で閉じられている。その一方で、右の小屋は開け放たれていた。迷うべくもない。


「すいません、どなたか、」


「はい?」


 奥で振り返った人影は、着ぶくれしているが、顔つきから女性だと分かる。長袖に手首まで覆う手袋、長ズボンに膝まで届きそうなブーツ。首の周りも布に覆われていて、露出しているのは顔の肌だけ。これでジャッジャと音がすれば、朝の二人と全く同じだ。


「あら、見ない顔。どうされました?」


「えっと、なんて言えったらいいのか」


「新規でしたら、今ちょっと担当者がいないので。お急ぎでしたら、役場に届け出てもらえますか?」


 ”届け”という言葉に顔を顰めるシイナ。言葉選びは止めたようだ。


「働かせていただきたくて」


「働く?」


「えっと、自警団に入れて欲しい、んです、けど」


「えっそうなの? 誰かの紹介?」


 ここでも思っていた流れと違ったのだろう。みるみるシイナが委縮していく。傍目でも可哀そうな程に小さくなっている。


「はい、ルカの。と後、キリウスさんの」


「団長の⁉」


 突然の大声に首を縮め、上目越しに様子を窺うシイナ。一方で声の主は、腕を組んで眉根を寄せて、何やら考え込んでいた。


「それは……悪いんだけど、一度日を改めて貰えないかしら?」


「えっ、なんで、」


「見ての通り、今皆出払っていてね。私一人では、ちょっと」


「そんな、私、」


「ごめんなさい、でもね、私もすぐに出なければいけないの」


「……」


 よく似た流れ。ただ一つ決定的に違うのが、シイナの温度。もう燃え上がるだけの燃料が残っていないらしい。ぷすぷすと燻っては萎びていく。


「わかりました」


「また来てね。今日でなければきっと、」


「はい、出直します」


 回れ右。踵を返したシイナが静かに歩く。トンットンッという足音がやけに響く。


「本当に、ごめんなさいね」


 辛そうな顔の女性が、後ろ姿に向かって声を掛けると、シイナは立ち止まって体ごと向き直った。


「お騒がせしました」


 お辞儀を一つ。泣き出しそうにしか見えない笑顔。背中を見送った女性が、深くため息をついた。


 外に出たシイナは、その足で閉め切られた建屋に近づくと、左手で遠慮がちにノックした。けれど物音ひとつ返ってこない。両手でバッグの持ち手を握り、そのまま俯き立ち尽くす。

 少しすると女性も小屋から出てきた。背負った箱型のリュックサックはパンパンに膨れていて、両手に提げた袋からは棒状の何かが飛び出している。鍵をかけ施錠を確認すると、振り返るなりシイナの背中を見咎めた。何かを言おうとして、止める。少し悩んでいたが、間もなく荷物を抱えなおすと、小さくかぶりを振って去って行ってしまった。

 乾いた風が汗ばんだ肌に心地いい。静けさの中でぎゅーという音が響いた。シイナが両手を腹に添える。周囲を見回しても、誰も居ない。戸板の向こうからも、当然反応はない。日陰に避難して、持ち手の皺を撫でる。リネンの皺は、撫でれば伸ばされ均されるから。しかしそれは洗い立てに限られた。乾ききった今では慰めにもならない。

 ようやく歩き出した。坂とは思えない坂でも、下りとなれば勢いになる。独りぼっちなのは、ここに居るから。たとえ疲れてでも、進んだ方が楽になれる。ぼってりとした時計塔を見上げるシイナ。針はどちらも十二の右隣り。腹を摩りながら、朝来た道を逆に辿ってゆく。林の中に埋もれた青白い建物には、今朝ほどではないが、まだ人影が詰まっている。緑の香りは清々しいのに、人影はみな下を向いていた。

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