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鳥になりたかった少女3  作者: 葉里ノイ
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第六章『話』

  【第六章 『話』】


 電車に揺られながらぼんやりと窓の外を見る。誰も一言も発さなかった。

 結理が姿を消してから、千佳はルナと宰緒に掴み掛からんとする勢いで食いついた。不可思議な結理の件について何か知っているだろう二人を問い詰めた。だが宰緒は口を割らず、それに倣いルナも口を閉ざした。

 何も吐露しない二人に千佳はすっかり剥れてしまい、他に目的もなかった四人は居心地の悪い空気を引き摺って電車に乗った。

 窓外に目を遣る――というより正確には目を逸らしているのだが、ルナと宰緒は千佳にじっとりと視線を突き刺されている。

 斎は遠慮がちに様子を窺うだけ。

 そんな重い空気の中、口火を切ったのは千佳だった。

「てゆーかですね、さっちゃんはヒミツが多いっすよね」

「は?」

 矛先を向けられた宰緒は面倒臭そうな声を上げる。

「ルナちゃんにヒミツを作って、私にもヒミツを作って、ちょっとは友達を信じてもいいんじゃないすかね? 黙っとけって言われたらちゃんと黙ってるっすよ、私」

「じゃあ黙っとけ」

「そういう意味じゃないっす」

「じゃあ俺が黙る」

「そうじゃないっす!」

 電車内で声を荒げそうになる千佳を斎が宥める。

「小無さん、落ち着いて。誰にだって言えないことくらいあるし、友達だからこそ言えないこともある」

「じゃあ友達じゃなくなったら言ってくれるんすか? 一人で抱え込まないでほしいっす……」

「気持ちはわかるけど……落ち着こう?」

「ルナちゃんに吐かせる方が楽っすか? 会ったばかりでまだ友達度は低いっす」

「え?」

 矛先を変えられたルナは思わず窓外から千佳へ視線を移してしまう。真っ直ぐ強く見詰めてくる双眸。

 目を合わせたルナに、しめたとばかりに千佳は人差し指を突きつける。

「ルナちゃんは、何でゲロってくれないんすか!?」

「えっ、いや……それはサクの方針に従って……」

「さっちゃんは今はどうでもいいっす。ルナちゃんは、何で言えないんすか?」

「それは……巻き込みたくないから……」

「ほっ?」

 やっとまともな返事が来たと、千佳は次の言葉を探す。だがその間に先に斎が口を開いた。的確に。

「巻き込むと言えば、あんなのを見せられた時点で僕達はもう巻き込まれてるな。それに、眠り姫の話を知ってるかな?」

「え? 呪いを掛けられて、糸車に刺さって眠ってしまうお姫様の話……?」

 唐突な質問に、ルナは小首を傾ぐ。今のこの話の流れで何故童話の話題を振られるのか。

「そうそう。呪いを掛けられたお姫様のために国中の糸車を処分するんだけど、お姫様はそうして糸車を知らず育ってしまったから、目の前に見たこともないものがあって興味を示してしまったがために紡錘が刺さって眠りについてしまう……つまり、知っていたら不幸は防げたと思わないか?」

 言いたいことがわかった。つまり無知であることの方が危険だと言いたいのだ。

「それは……」

 ルナは目線をうろうろとさせる。確かにその通りかもしれない。

「あーあ、軽いな」

「何てこと言うんすか! ルナちゃんは良い子っすよ! 突けば崩れる素直な良い子ちゃんっす」

「褒めてないよな? それ……」

 ぐさりぐさりと千佳の言葉がルナに刺さる。そういえば違界のことについて雪哉に突かれた時も簡単に乗せられて吐かされてしまった。そうかそんな風に思われているのか……。

「いやいや、だからこそ信用できるんじゃないんすか? 嘘吐くとたぶんすぐわかるタイプっす」

「でも内緒話はできないタイプだろ……」

「突かれない限りは大丈夫っすよ。で、どうなんすか? 既に巻き込まれてる人達に何も言ってくれないんすか?」

「……それでもやっぱり、俺の口からは言えない……」

「あれ? 思ったより口が堅いっす」

 目を伏せてしまったルナに、千佳は困ったような声を出す。が、先程僅かに口を開いた宰緒に対しても勝機があると見、ぐり、と宰緒に目を向ける。

 電車に乗り込んだ時に比べて、空気が弛んでいることはもう全員が気づいていた。

 宰緒は、この場はもう逃げられないと観念したのか、面倒臭そうに口を開いた。

「言ってやってもいいが、俺が言うより真実味のある奴から聞いた方がいい」

「ほ? さっちゃんの言うことなら信じるっすよ?」

「真実味つーか現実味、だな」

「梛原さんに聞け、ということか?」

 斎も身を乗り出して会話に加わる。

「結理が説明してくれるならそれでもいいけど」

「他に誰かいるんすか?」

「一緒に東京(こっち)に来た奴が俺らの他にもいる」

「他にも友達がいたっすか!? それは会ってみたいっす!」

「結理より話しやすいだろ。椎の方は」

 灰音は除外しておく。

 喜ぶ千佳を一瞥し、こそこそとルナは「いいのか?」と宰緒に確認を取るが「どうだろ……」曖昧な返事をされるだけだった。確かに、違界の存在を話してどうなるかなんて、誰にもわからないだろう。ルナと宰緒も未だに完全に信じられているわけではない。実際に違界に行けば無理矢理にも信じるしかないだろうが、聞く限り危険地帯である違界に行きたいとは思わない。

 あと少しで駅に到着する。重い空気は今や随分と軽くなっていた。

 気持ちが軽くなり笑顔になる千佳を見ていると、ふと携帯端末が振動を始めた。

 ポケットから端末を取り出すと、画面には『玉城雪哉』からの着信。

「雪哉さんだ。何かあったのかな」

 しかし今はまだ電車の中だ。電話に出ることができない。

「後で掛け直すかメールでも送っとけば?」

「うん……」

 宰緒の助言も無視するかのように着信は止まない。

 結局、駅に着くまで着信が止むことはなかった。

 あまりに長い着信に、何かあったのだろうと駅に着くと同時にルナ達は急いで電車を降りた。バタバタと人の波を躱し、人の少ない所へ行く。

「こんなに長い着信初めてっす!」

 何故か興奮する千佳に、ルナは自分の口に人差し指を当てる。千佳は慌てて口を噤んだ。

 ルナは一つ深呼吸し、恐る恐る通話ボタンを押した。


『おっせぇええええ!!』


 耳から端末を離し、恐る恐る耳に寄せる。

「……ごめんなさい。電車に乗っていて……」

『電車? なんだ出掛けてるのか。今何処だ?』

「今……は、サク、ここ何処だ?」

 遠離りながら、傍らにいる宰緒に尋ねる声はきっちりと雪哉の耳に届いていた。

『あー、やっぱいい。これから言う所に来い。宰緒と一緒ならわかるだろ。――兄貴、ここの名前は?』

 同じような遣り取りが端末の向こうから聞こえた。兄貴、ということは、稔も一緒にいるらしい。

「何かあったんですか?」

『何かも何も大事件だからな。考え得る最短時間で来い。今こっちには兄貴と椎と灰音がいる。そっちは?』

「大事件……? こっちにはサクとサクの友達が二人います」

『友達? 東京のか?』

「はい」

『普通の……人間か?』

「普通……だと思いますが」

『じゃあその二人は置いてこい。花菜が、前に追い払った畸形に人質に取られたらしい。今、畸形が狙ってるだろう奴を集めてる。お前も気をつけて来い』

 後半は声を抑える。おそらく稔は違界のことを聞かされていないだろう。

「玉城が……? でもただ集まっただけじゃ、何も……」

『こっちに来る途中で武器になりそうなものを見つけてこい。素手じゃどうにもならないことはわかってる。迎え撃つよりこっちから仕掛けられればいいんだけどな……』

「わかりました。それで、何処に行けばいいですか?」

『ああ、そうだな。少しわかりにくいかもしれないが――っ』

「……え?」

 声が遠離り、遠くで悲鳴のような声と大きな音がした。

「雪哉さん……?」

 暫くは悲鳴と物音しか聞こえなかった。嫌な予感がする。だが携帯端末が落ちるような音は聞こえていない。ならばまだ雪哉の手に握られているはずだ。

 息を呑み、再び声が聞こえるのを待つ。

 端末を握る手に汗が滲み始めた頃、永遠に続くのではないかと思われたこの数十秒の後、再び聞き慣れた声が聞こえた。

『――悪ぃ、宰緒に代わってくれ』

「っ! は、はい」

 何故、とは言わなかった。理由を聞かずとも、緊迫した空気が伝わってきた。おそらく、奇襲を受けている。ならば一刻を争う。辺りの地理に疎いルナをわざわざ経由せず直接宰緒に伝える気だ。

 ルナは急いで宰緒に端末を手渡す。宰緒も徒事ではないと察したのか、何も言わず端末を耳に当てた。

「……もしもし」

 ほんの数妙、沈黙が流れた。

 その沈黙のまま、宰緒はルナに端末を返してきた。

「え……? 今ので終わり……?」

「場所を言ってすぐに切りやがった。その場所に行くのか?」

 通話に気を割く余裕がないということか。あの畸形が姿を現したのかもしれない。

 ルナは頷き、千佳と斎に目を移す。

「その、急用ができたから、一旦別行動で……いいかな」

 千佳はきょとんと目を瞬く。

「なっ、何でっすか!? 今からヒミツの話を聞かせてくれるんじゃないっすか!?」

 タイミングが悪い。それはルナも思っていた。千佳なら絶対に黙って言うことを聞かない。

 どうすべきか逡巡していると、斎がぽんと千佳の肩を叩いた。

「急用は仕方ない。用が終わったら話を聞こう」

 斎を振り返り物凄く嫌そうな顔をするが、わかってくれたのか千佳は意外にも素直に引き下がった。先程の通話の緊迫感を感じ取ってくれたのか。

「わかったっす……でも絶対、後で話を聞かせてもらうっすからね」

 まだ少し剥れながらも、見送ってくれた。

 二人と別れ、ルナは宰緒について走った。皆の無事を祈って。



 ルナと宰緒の背を見送りながら、千佳は斎の腕を掴んだ。

「行くっすよ」

「は?」

「二人の後を追いかけるっす。怪しいからついていくっすよ」

「え……」

 千佳がそう簡単に聞き分け良く引き下がるはずがなかった。

 有無を言わせず千佳は斎の腕を引き、引き摺るようにして駆け出した。斎は溜息を吐くしかできなかった。


     * * *


 結理は苛立っていた。

 今すぐにでも違界の者に対処をしに行きたいのに、足止めされることに。

 努めて冷静を装うが、腕を組みたいのを我慢し斜に構えたいのに我慢をする。

 結理の前には、結理と同じ学生服を纏った少女が三人。結理のクラスメイトだ。今日は風邪と偽って学校を欠席したのだが、彼女達の下校時間に鉢合わせて仮病がばれてしまった。

 彼女達と結理は友人というわけではなく、別段仲が良いわけでもない。少々口煩いクラスメイト。結理にはそういう認識だ。

(優等生の皮を被りたい良い子ちゃんごっこのお説教なんて付き合ってられないわ……)

 心の中ではいつも通りにつらつら毒突いている。だが学校生活を円滑にするために、学校ではほんの少し毒を潜めている。だからこうして長い説教を黙って聞かされているのだ。

「あなた達、私なんかに構って無駄な時間を過ごすより、勉学に励むなり交友を深めるなり、そういったことに時間を費やす方が有意義だと思うのだけれど、私に構ってくれるのはそこまでにして、有意義に過ごしてみてはどうかしら?」

「あら、不良な生徒にこうしてお説教をして更正させてあげるのも立派に有意義だと思うわ。ご心配どうもありがとう」

 どうやらまだ暫く説教は終わりそうにないらしい。

(このアマ、一度違界に放り込んで恐怖体験ツアーでもさせてあげようかしら)

 しっかりと目を合わせているが、結理は彼女の話を全く聞いていない。

(青羽君にも会いたいし未確認の電波も気になるし、私はこの有様だし、助っ人でも呼んだ方がいいかしらね……)

 手を後ろに回し彼女達の死角を取り、袖に隠れた手首に装着している腕輪を使って仲間に連絡を取る。声に出して喋ることはできなくても、意志を送信することはできる。

「あまり道端に立って説教というのも見っともないわね」

「そうね」

 話は聞いていないが適当に相槌を打つ。

「近くのカフェにでも入って続きをしましょう」

「そう……え?」

「あのお店にしましょう」

 もうそろそろ説教も終わるだろうかと思えば、場所を変えてまだまだ続ける気のようだ。さすがに結理の顔が引き攣る。仮病で欠席というのはそんなに罪なのか。

 隙を見てトイレだとでも言って抜け出そう。結理はそう決心した。


     * * *


 花菜を救うため、椎、灰音、稔の三人は、彼の案内で雪哉のいる大学の前までやってきた。

「ここで少し待てば出てくるはずだよ。下手に迎えに行けば行き違いになる可能性があるからね」

「連絡は?」

「ああ……しようかとも思ったんだけど、僕も失念していたけど、試験中は携帯電話の電源を切ってると思うんだよね。試験が終わってすぐに電源を入れるとも限らないし……出入口で待つ方が確実だ」

「ふぅん」

 わかったのかわかっていないのか、灰音は空返事だ。

「ここで待っていれば確実に会えるっていうなら、お前はもう家に帰って待っていればいいんじゃないか?」

「ここに僕がいてはいけないのか?」

「まあ端的に言えば、そうだな。盾として残るんならそれでもいいが」

「盾……か。僕に守れるなら、守ってあげたいよ」

 少し寂しそうに稔は言う。

「花菜も雪哉も、もう充分痛い思いをしたんだ」

 雪哉の件は、あの畸形にやられた時のことだろう。花菜の件は椎と灰音には思い当たるものがなかったが、幼少の頃に事故に遭った時のことである。

「よくわからないが、誰かを守りたい気持ちはわかる」

 誰か――灰音にとっては椎が、絶対に守りたいものだ。その気持ちなら、よくわかる。それを追い返すようなことはしない。丸腰のただの人間があの畸形に挑めば確実に死ぬだろうが、自分の意志でここに残ると言うのだから、死のうがどうこうしない。灰音は椎を守るだけで、稔の身を守る気もない。彼の身を守ろうとして椎の身が危険に晒されるのなら本末転倒だ。

「ナイフくらいなら貸してやってもいい」

「え? いや、そういうのはちょっと……」

 苦笑し手を振る。いくら命の危険があると言っても、傷をつけるのは躊躇う。いざという時に躊躇って後込みするより、初めから選択肢を逃げに徹して挑む方がいい。

 そういう所は、灰音には理解できなかった。



 試験を終え校門を潜ろうとした雪哉は、予想外の出迎えに暫しきょとんとした。

「兄貴……? え、何で?」

 その脇には椎と灰音もいる。ここに花菜もいてくれたら明日の試験もクリアして合格間違いなしだが、残念なことに花菜はいなかった。

「変わった組み合わせだな。近くまで遊びに来てたとか?」

 何も知らず何でもない風に喋る雪哉を制し、稔は真剣な面持ちで「落ち着いて聞いてほしい」と冷静さを促し、雪哉も警戒する。

「花菜が攫わ」

「は?」

 言葉を最後まで聞かず、雪哉は稔の胸座を掴んでいた。門を潜る他の受験生達も、雪哉の行動にぎょっと視線を向け、関わらないようにしようと足早に去っていく。問題に首を突っ込んで受験を台無しにするわけにはいかない。

「ここは人が多い。場所を移そう。その間に説明する」

 この程度は想定していたのか、稔の方は冷静に、掴み上げる雪哉の手に触れる。その後ろでは椎がおろおろと困惑していた。

「お前、花菜と一緒にいなかったのか?」

「それも含めて話す」

「……わかった」

 手を離し、立ち止まる受験生を一瞥すると、蜘蛛の子を散らしたように目を合わせず去っていった。

「それで、何処に行くんだ?」

「とりあえず公園に。一駅ほど歩く」

 大学の近くにある公園の一つに向かうことにした。何かあった時に被害が少なく済むように。

 公園に向かう道中、稔はこれまでに起こったことを雪哉に話した。今度は掴み掛からず、黙っておとなしく耳を傾けている。

 稔が話し終えると、雪哉は数歩後ろを歩く椎と灰音に並ぶ。稔は怪訝な顔をしたが、特に気にせず先を歩いた。

「この件の犯人はまさか、あの畸形か?」

 稔には聞こえないよう小声で話す。

「可能性は高いが、姿は見てないからな。確証があるわけじゃない」

「それで、狙われてる可能性があるのが、俺?」

「ルナもだよ」

「兄貴は狙われてないなら、逃がした方がいいな」

「それは私からも言ったが、盾として残ると言っていたぞ」

「盾……」

 盾と言ったのは灰音だが。

「まあ先にルナに連絡しておくか。遠くにいるんなら早く呼び出さねーと」

 公園の緑が見えてきた頃、雪哉はルナの番号に電話を掛けた。着信に気づいていないのか通話に出てくる気配がないので次第に苛立ってくる。花菜を救うため一分一秒を争うのに、何を呑気に無視してんだ、と思いながら端末を握り締める。

「ルナ出ない? もう襲われてたりしない?」

 椎は苛立つよりも心配をしているようだ。確かにそういう考え方もできるな、と納得はするが、雪哉は苛立つ。何故花菜がこんな目に遭わなければならないのか。旅行などと言って連れて来るべきではなかったのだ。花菜に万一のことがあれば、雪哉の所為だ。そう唇を噛む。

「持ち歩いてない……ってことはないよな?」

 それならいくら待っても無駄になる。

 端末を耳に当てながら、椎と灰音を一瞥。花菜とルナに気を取られているが、よくよく冷静になれば、もしあの畸形を相手取ることになるのなら素手では太刀打ちできない。鋏くらいならば持っているが、武器として使うものではない。

「なぁ、何か身を守れるもの、持ってないか?」

「ナイフくらいなら貸せるが」

「じゃあそれでいい」

「あいつはいらないと言ったが、お前はいるのか」

 稔の後ろ姿に視線を遣り、灰音は目を細め口の端を上げる。嘲笑でもしているのか。

 雪哉は灰音から鞘に収まったナイフを受け取る。果物を切るような小さなナイフではない。ずしりと重いサバイバルナイフ。

「誰も傷つけずに済むなら、それに越したことはねぇ。でもあの畸形とやらはそうはいかないだろう。兄貴はアレを見てないから、正気でいられるんだ」

 ナイフを鞄に仕舞う。できれば使いたくはないが、使用を余儀なくされれば仕方がない。正当防衛というやつだ。たぶん。

 そうこうしている内に公園に着く。公園の中は雪が積もっている所為かあまり人がいない。このままルナが通話に出なければただの散歩になってしまう。

 どれほど端末を握り締めて待っただろう、漸く『通話中』の表示になった。

「おっせぇええええ!!」

 前触れなく発された叫びに、驚いた稔が目を丸くして振り返り、びくりと体が跳ねた椎が足を縺れさせ転びそうになる。灰音は慌てて椎を支えた。

「電車? なんだ出掛けてるのか。今、何処だ?」

 どうやら電車で移動中だったらしい。ここからあまり離れてないといいのだが。

 ルナが通話に出たことで、椎はほっと胸を撫で下ろした。よかった、襲われていないようだ。

 どうやらルナと一緒に宰緒もいるらしい。宰緒がいるなら、こちらの地理も明るいだろう。

「兄貴、ここの名前は?」

 端末を少し離し尋ねる。公園ということはわかるが、公園の名前がわからない。

「結構広い公園だから細かい居場所はわかりにくいかもしれないけど……」

 稔が名前を言おうとすると、手で制された。ルナが何か喋っているらしい。会話の合間に小声で囁いておく。

「少しわかりにくいかもしれないが」

 喋っている途中で灰音に腕を引っ張られる。同じように腕を引かれた稔も状況が呑み込めていない。

 何故引っ張られたのか、という疑問より先に、目前に視認できる脅威が降ってきた。

「!?」

 辺りで悲鳴が上がった。

 雪を貫き地面に深々と突き立つ。積もった雪がキラキラと空中に散った。

「何だ……」

 キラキラ舞う飛沫の中で、一人の少女が立ち上がった。雪の塊がぼちゃりと近くの池に落ちる。

「お出ましだな。当たりだ」

 少女はぎょろりと白銀の瞳を向ける。両腕には大きな鎌。見間違えるはずもない、あの畸形の少女だ。雪哉に重傷を負わせた、あの少女。

 だが犯人は当たりだが肝心の花菜の姿が見えない。何処かに隠したか、そもそもこの少女が攫ったのではないのか。関係がないのなら下手に花菜の名前を出して利用されるわけにはいかない。

 緊迫する。

 念のために鞄に手を突っ込みナイフの柄を握り、雪哉は携帯端末を慎重に再び耳に当てる。

「悪ぃ、宰緒に代わってくれ」

 ルナより東京の地理に詳しいだろう宰緒に代わってもらう。あまり多くの言葉を発している余裕はない。なるべく一言で済む言葉を。


「東京駅」


 それだけ言い、雪哉は通話を切った。相手がルナなら怪訝に思い会話が続いただろう。咄嗟に出てきた名前がそれだった。

 そう、公園の場所ではない。

 畸形が既に現れたこの状況で、ルナ達を呼ぶ必要はない。わざわざ敵に都合の良いように呼び寄せ危険に晒してやる必要などないのだ。

 少女は四人を順に視界に収め、雪哉に固定する。

「いた」

 どうやら狙いは雪哉のようだ。殺し損ねたのを根に持っているらしい。

 雪哉は少女から目を逸らさず、鞄から手を引き抜く。すらりと鋭く光るナイフ。それを捉え稔は声を漏らしそうになるが、声を出してはいけないと呑み込む。雪哉がナイフを持っていることも、突然現れた少女の両腕が大鎌に変化していることも、頭の処理が追い着かない。

「お前はそこら辺の木の陰にでも隠れていろ」

 少女から目を逸らさず、灰音は稔に声を掛ける。

「ここにいたって邪魔なだけだ。足を引っ張る前に下がれ」

 思考が追い着かず、稔は言われた通りに数歩後退る。だが雪哉がナイフを握り臨戦態勢だというのに、逃げ隠れることはできなかった。

 雪哉は少女を注視しつつも、周囲にも意識を向ける。花菜が人質の役割になっているなら、きっと近くにいるはずなのだ。

 雪哉達は少女が動くのを待つ。こちらから下手に動けば、あの大鎌を一振りされるだけで両断される。鎌の届かないこの間合いで、慎重に様子を窺うしかない。

 その緊張を知ってか知らずか、少女は地面に目を落とした。ゆっくりと足元を見ている。

 やがて探し物でも見つけたのか、鎌の先で雪を少し掻き、埋まりかけていたものを引っ掛けて雪哉の方へ放った。

 ざく、と雪上に落ちる。

 少女を警戒しつつ、落ちたものにゆっくりと目を落とす。

 それは、点々と血のような赤が付着した、花菜の靴だった。


「貴様ァアアア!! 花菜に何をしたアアア!!」


 様子を窺う、ということは瞬時に頭から零れ落ちた。サッと全身が冷たくなるのを感じた。

 突然激昂し少女に猛進する雪哉に、椎も灰音も反応が遅れてしまった。

「飛んで火に入る、人間」

 少女は迎え撃つためにその場で大鎌を振り上げる。鎌を振り上げガラ空きになった体に弾丸を撃ち込もうと灰音は銃を構えるが、間に合わないかもしれない。

 稔は目を覆いたくなった。

 だが、悲劇は起こらなかった。

 鎌を振り上げる少女と駆ける雪哉との間に、長い棒が勢いよく突き立った。それは、空から降ってきた。

 反射的に少女は跳び退き、雪哉も速度を弛める。

 だが立ち止まることはできなかった。この慈悲のない怒りを鎮めることなどできなかった。

 その直進する意志のまま、雪哉は腹部に衝撃が走るのを感じた。勢いのまま前のめりになり、そこでどうなったのか意識が飛んだ。


「すみません。交戦中、失礼します」


 雪哉の腹に重い一撃を食らわせた者は、二つ折れになった彼をよいしょと小さな肩に担ぎ、地面に突き立った長い棒を片腕で引き抜く。それと同時に横一閃、積もった雪を捲り上げ、少女との視界を完全に断った。

「皆さん、走って逃げてください。この場を去りましょう」

 振り向いた姿は、小柄な少女だった。頭に大きなリボンを載せお下げでヒラヒラした格好の少女が、自分の身の丈より大きな雪哉を担ぎ、長い棒――槍を抱えている。少女の頭にはもう一つ、ヘッドセットが装着されていた。間違いない、この小柄な少女は違界の人間だ。

 信用に足るのか吟味する必要があったが、そうも言っていられない。捲れ上げられた雪が落ちる前にこの場から離脱しなければならない。今は、助けてくれた、と思うしかない。

 椎は、放心している稔の腕を掴み無理矢理走らせる。大丈夫か、なんて優しい言葉を掛けている精神的な余裕も時間もない。

 一行は一目散にその場から逃げ出した。足跡は散歩客などのものと混ざり、追ってくることは難しいだろう。

 自分よりも大きく重い人間を担いでいるとは思えない速度で椎達と並んで走る少女は、一体何者なのだろう。


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