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鳥になりたかった少女3  作者: 葉里ノイ
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第四章『切』

  【第四章 『切』】


 青羽ルナは困惑していた。

「……っ!」

「何で怒るんすか!? ルナちゃんには内緒だったんすか!?」

「うるせぇ!」

 千佳の言葉が宰緒の癇に障ったのか、掴み合いの喧嘩が始まった。宰緒の方がガタイは良いし、運動が苦手と言っても単純な力くらいはあるだろう。ルナと殆ど身長の変わらない千佳が宰緒と対峙すると、体格差が簡単に見て取れる。

 止めた方がいいんじゃないかとルナは斎を見るが、彼は足元に置きっぱなしのゲーム機を端に寄せ、止める気配がない。

 視線に気づき、斎はルナの隣まで這う。

「これ、別に珍しいことじゃないから。宰緒がこっちにいた頃もよく喧嘩してたよ」

「でも……」

「小無さんが女の子だから心配? まあ見てなって」

 見てろと言われても、両手で掴み合ったまま睨み合い、力が均衡しているのかあまり動かない。

 ん? ――力が、均衡?

「さっちゃんいつもそうだったっす! 家ん中のこと言うとすぐ怒るっす! すぐ手を出すの良くないっすよ!」

「うるっ、せっ……」

 千佳は姿勢を落とし重心を移動させながら宰緒の足を払う。払われた足を庇うように伸ばされた腕を素速く掴み、彼女は背で宰緒を持ち上げながら軽々と投げ飛ばした。

「…………っ」

 大柄な宰緒が簡単に宙返りして床に沈んだ。背中を叩きつけられた宰緒は、背を押さえつつ悶える。

「な、心配ないだろ?」

 ぽかんと口を開け呆気に取られているルナにしれっと言う。

「小無さん、色々と格闘技齧ってたから。いつもこんな感じ」

「へ、へぇ……」

 アンジェも喧嘩が強いが、人は見た目で判断してはいけないと言うことか。

 床で悶える宰緒の前に、腰に両手を当てて立ち、千佳は勝者の余裕を表情に湛える。

「正義は勝つ!」

「くっ……」

「少し頭を冷やした方がいいっすよ、さっちゃん。皆で雪合戦しよ!」

「は……?」

 少年は三人共に首を傾げ、斎は窓に掛かるカーテンの裾を捲った。

「あ……積もってる……」

 視界に白が飛び込む。道理で今日は冷えると思った。

 ルナも窓を覗き、思わず頬が弛む。

「凄い……初めて見た……」

「ん? イタリアって雪降らない?」

「俺がいたのは南だから、ここまで積もるのは珍しいよ。降ることはあるんだけど」

「南か。それじゃあこんなに積もったりしないか」

「ルナちゃん雪初めてなんすか? だったら雪だるま作ろ!」

 雪に話題を掻っ攫われてしまった宰緒は背を押さえながら起き上がる。床に布団を敷いていたとは言え、じんじんと痛い。

「おい、小無!」

 会話に割り込んできた宰緒を振り返る。千佳は口を尖らせた。

「何なんすかもー。もう一回やるんすか?」

「お前が余計なこと言うからだろ」

「じゃあ図星っすか?」

「…………」

「めちゃくちゃ心配したんすからね? 急にいなくなるから……。何年も行方晦ませて、戻ってきた日がコトちゃんの命日近くだと、勘繰りたくもなるっすよ。図星なんすか?」

「……お前には関係ねぇ」

 また掴み合いになるのだろうかとルナは心配になる。心配いらないと言われても、あんな風に喧嘩する宰緒を見たのは初めてなのだ、心配するなという方が無理だ。

 それに、先程から出てくる『コトちゃん』というのも気になる。命日と言うからには他界しているのだろうが――

「コトちゃんっていうのは、友達かな? 俺のことは気にしなくていいから、墓参りなら行ってこいよ。言いたくないなら聞かなかったことにするし」

 遠慮がちに言葉を選びながら言ったつもりだったが、宰緒は目を伏せ、千佳は目を瞬いた。

「ルナちゃんはコトちゃん知らないんすか!?」

「え?」

 ルナが知っている人なのだろうか。コトちゃんというのは本名とは全く違う渾名なのか? あと、ルナちゃんと呼ぶのはやめてほしい。

「コトちゃんはさっちゃんのお姉ちゃんっすよ!」

「え……?」

 サクの、姉……?

 宰緒に姉がいることすら初耳だった。家族構成も知らないし、婚約者がいたということも最近知ったばかりだ。そしてその姉の命日ということは、宰緒の姉はもう、いない――

「ルナちゃんはさっちゃんの友達っすよね? 何で知らないんすか? さっちゃん何も言ってないんすか? 家のこととか……何でいっつもコート着てるのかとか、何も知らないんすか?」

 事故か病気だろうか? 何も知らないし、何も聞かされていない。家の話なんて聞いたことがない。ただ、東京から来た、それだけしか知らない。

「さっちゃん、友達に何も言ってないんすか? 大丈夫なんすか? ルナちゃん、さっちゃんは鬱屈したりしてないんすか?」

「言う義理も義務もねぇし言いたくねぇ」

「いつも面倒臭そうにはしてるけど、鬱屈っていうのは俺は知らないかな……」

 斎は顔を押さえ溜息を吐いている。昨夜斎は口を噤んだことを、千佳が喋ってしまったのだろう。千佳に悪気やお節介などはないだろう。ただ純粋に気になって、純粋に喋っているだけだ。それがどんなに宰緒の意に反していても。

「さっちゃんは言いたくなくても、少しは言っといた方がいいんすよ! さっちゃんまで死んじゃうのは嫌だから! 止める人が必要なんすよ!」

「わからなくもないけど、宰緒を無視して言ってしまうのはどうかな」

「むむ……でも、いっちゃんと私がいたから、さっちゃんは今ここにいるってとこ、あるっすからね!?」

 話についていけず、かと言って質問を挟むわけにもいかず、ルナは視線をあちらへこちらへ動かすしかできない。

「ルナちゃんは、さっちゃんが死んじゃったら嫌っすよね!?」

「え?」

 唐突に突拍子もない質問が飛んできた。不意打ちにルナの肩が跳ねる。

「そりゃあ、嫌だけど」

「え」

 今度は宰緒が不意を突かれたようだ。

「お前、俺が死ぬのは嫌だったのかよ」

「その言い方だと俺がサクに死んでほしかったみたいじゃないか。そこまで嫌ってたら毎度一緒にイタリアに行ってねーよ」

「いや、絶対面倒くせぇ奴だと思われてると」

「自分で言うなよ」

 ぼそぼそと言い合っていると千佳は「仲良いじゃないっすかー!」とルナと宰緒の首にがっちりと腕を巻き付けてきた。元々力が強いのか、スキンシップのつもりなのだろうが首が絞まっている。

「ほら、さっちゃん! ルナちゃんなら大丈夫っすよ! 仲間は多い方が良いっす! コートの下のこともこの機会に言っちゃえばいいっす!」

 畳み掛ける千佳を一瞥し、宰緒は眉を顰め不機嫌な顔をする。

「青羽は、この傷のこと知ってる。原因は言わねぇけど」

「見たんすか? アレ。じゃあルナちゃん気になってしょうがないんじゃないすか?」

「言いたくないものは無理には……」

 ずかずかと踏み込む千佳に、ルナは遠慮がちに手を横に振る。

 宰緒も黙れと言わんばかりに横目で千佳を見ているが、何か言ったところでまた掴み合いになって返り討ちに遭ってお終いだろう。このままでは、ずっと隠してきたことが全てルナに知れてしまう。過去のことなど誰も知らない中で記憶に蓋をして、忘れて過ごしていたかった、だから携帯端末も持たなくなったのに。

 だが知られてしまったことは仕方がない。知れてしまったことはもうリセットできない。このままここにじっとしていれば、どんどん宰緒の過去やら何やらが暴露されていくだろう。千佳は悪気があって暴露しているわけではないことは、付き合いが長いので、わかる。しかしそれは余計なお世話、ただのお節介だ。

 宰緒は重い腰を上げ、ドアへとのそりと歩く。突然立ち上がった宰緒に、三人はその背に視線を寄せた。

 一つ短く息を吐く。知れてしまったのなら、隠す必要もない。

「面倒くせぇけど墓参りに行ってやる。青羽も来てもいい」

「いいのか?」

「ここにいると出張から帰ってくる斎の両親と鉢合わせて気まずいし、外に出ると迷子になりそうだから」

「……」

 返す言葉もない。

「でも椎と灰音は? 迎えに行かないと」

「あ? 結理に任せとけよ。お前のためなら何でもするだろ」

「それはどうかと……」

 苦笑で返すが、渋るルナを千佳が後ろから立ち上がらせる。

「雪で学校も休みだし、皆でコトちゃんのトコ行くっすよ!」

「お前はもう少し静かにしてろ」

 宰緒に釘を刺されるが、大して気にした風もない。相当神経が図太いようだ、小無千佳という少女は。


 この時のルナはまだ何も知らなかった。宰緒のことを――。


     * * *


「結理! 結理!」

 部屋のドアを開け、廊下の左右を見渡し叫ぶ。廊下には誰もいなかったが、すぐに曲がり角から足早に飛び出してくる影があった。

「煩いわね! 部屋から出るなと言ったでしょう? 始末するわよ」

「だから部屋から出てないよ! ドア開けただけ!」

「屁理屈を捏ねるようになったわね……スポンジのクセに。それで、何か用なのかしら? 私は暇じゃないのよ」

「外に出てもいい?」

「何故」

「外が真っ白になってるから」

 違界にも雪は降るし積もることもあるが、違界の雪は汚れた大気の所為で灰色だ。白い雪を見るのは初めてなのだろう。

「雪遊びでもしたいのかしら? この家の敷地外に行ってくれるなら構わないけれど、その足で青羽君の所に行くのは駄目よ。私が見張っておきたいところだけれど生憎忙しくてあなた達に構っている暇はないわ」

「灰音と二人で敷地外に行けば大丈夫?」

「大丈夫ではないわ。青羽君の所に行かせたくないもの」

「ルナが何処にいるかわからないけど、会っちゃいけないの?」

「言ったでしょう? あなたは感染の疑いがあるって」

 椎は寂しげな目をする。感染の疑いなんて、初めて聞いた。一体何に感染しているというのか。椎に心当たりはなかった。

 灰音も怪訝に眉を寄せ、背後から椎の肩に手を置く。

「その話だが、一体何なんだ? 椎は健康体に見えるんだが?」

「畸形よりも少ない上に目に見えないものが殆どだから知らないのも無理はないけれど……畸形は体の一部の形が通常とは異なるただそれだけだけれど、害毒――ヴァイアラスとも言うけれど、それは状態が変化、影響するもの。様々な症状があるから一概には言えないけれど一言で言えば、変な病気を持っている、ということね。しかも基本的には治せない。害毒は赤い目が多いから、もしかしたらと思っただけ。でも警戒するには充分よ」

「つまり、椎は紫蕗に変な病気を移されているかもしれないと? 病を患っているようには見えないぞ」

「だから言ったじゃない、目に見えないものが殆どだって。痛かったり苦しかったりするだけが害毒ではないもの」

 そうは言われても、椎に特に変わった所は見受けられない。全く見受けられないならそれは健康体と同じなのでは? と灰音は思う。椎が紫蕗と接触したのは椎が地雷原に飛び込んだあの日だ。あの日以降何か変わったかと言われれば、椎の両脚が作り物になったことくらいだ。だがそれは病とは言わない。怪我だ。

「じゃあ何でお前はそんなに警戒する?」

「念のためよ」

 結理はくるりと背を向け部屋から離れる。これ以上ここで会話していて移されたくない、とでも言うように。

 いや、念のためではないのかもしれない。僅かだが確かに感じた違和感。

 椎の中に、誰か他に、いる気がした。

「とにかく、外に出るならこの家の敷地外に、青羽君の所へは行かないようにしてちょうだい」

「……」

「青羽君のためだと思ってあなた達の面倒を見ているけれど、私はそんなに面倒見が良い人間じゃないの。疲れるの。だからこれ以上、問題を増やさないようにしてくれる?」

「……わかった。椎、コートを着て外に出ろ。敷地外で雪遊びするぞ」

「いいの? やった!」

 やけに素直ね、と結理は思ったが、素直ならば好都合。多忙な結理に詮索している時間はない。部屋のドアを閉め、自室に向かう。

 灰音はコートを羽織りながら、ドアに目を遣り細める。今結理は、問題を増やさないように、と言った。問題を起こさないように、ではなく。慌ただしい結理の様子を見るに、既に何らかの問題が起きていて、奔走しているのではないだろうか。ルナに会わせようとしないことも、もしかしたら関係があるのかもしれない。ならば、ここでじっとしているより、外に出た方が良い。ここが安全と言うならここでじっとしているのが得策だろうが、灰音はまだ結理を完全には信じていない。それに大量の眼球をコレクションしている結理の近くにいるのが単純に嫌だ。今までは話半分だったが、棚にずらりと並んだ眼球を見てしまうともう話だけでは済まない。

「コート着たよ。行こ」

「ああ」

 灰音は椎を一瞥する。見た目にも特に変わった所はない。椎と紫蕗は治療の間だけ傍にいたと思うのだが、その短時間で何の疑いを持ってしまったというのか。灰音も、害毒について少しなら聞いたことがある。物理的に危険なのは畸形だが、それ以上に危険性を孕んでいるのが害毒だと。灰音は赤眼を見たことがない。もし結理の部屋にあった赤い眼球が本当に紫蕗のものだとしたら? 一体何を持っていると言うのか。それにあの潰れ方、脳まで達していてもおかしくはないが、そうだとすれば天才技師と言われた紫蕗はもうこの世にいないのではないか?

 全て憶測ではあるが、嫌な事態になっている気がする。

 ドアを開けると、結理はもう駆けつけてこなかった。勝手に出て行けということか。

 椎を一瞥し、とんでもない爆弾を抱えているのではないかと冷汗が浮かびそうになるが、当の椎には何の自覚もない。

 そして不安を抱えながら二人は薄暗い廊下を静かに歩き出した。


     * * *


 辺り一面の白の中、花菜と稔はマンションの出入口の脇で雪だるま作りに勤しんでいた。

 ころころと雪玉を転がし、形を整える。

「手が赤い」

 冷たい雪に触れ続け、花菜の手はじんじんと赤くなっていた。

「懐炉持って来ようか。ちょっと待ってて」

 雪玉を足元に置き、立ち上がる。確か買い置きがあったはずだ、と稔はマンションの中に戻る。

 稔に手を振り、そこそこ大きくなった雪玉を、雪だるまの体の上に載せる。雪哉が帰ってきたら、三人でもっと大きな雪だるまを作ろう。ぽんぽんと雪玉を叩き、固める。白くて冷たくて、しゃりしゃりしている。

(シロップかけたらかき氷になるのかなぁ)

 木の枝の手を差し、じっと雪だるまを見詰める。さすがにこんなに寒い中、冷たいかき氷を食べようとは思わないが。

(そういえば青羽君達どうしてるかな? 泊まる所は見つかったって言ってたけど……)

 昨晩受信していたメールの内容を思い出す。宰緒の友達の家だと書いてあった。この積雪だと上手く歩けないし、今日は皆家で雪遊びだろうか、と花菜は思う。折角だし、皆で遊ぶことができれば良かったのに。

 冷えた手を雪から離し息を吹きかける。大和(日本本土)は毎年この寒さの中で生活しているのかと思うと、体の出来が違うのだろうか。

 なんてことをぼんやり考えていると、何の前触れもなく、しゃがんだ頭上から何かが雪だるまを脳天から串刺しにした。

「っ!?」

 悪戯だろう、くらいの気持ちで振り返る。そこには目深にフードを被り、白銀の双眸で見下ろす少女が立っていた。

「あ……」

 外套から覗く腕は、肘から先が大鎌に変化している。花菜の頭上を越え串刺しにされた雪だるまは、次はお前もこうなる、という暗示なのか。花菜の脳裏に走馬灯のように、あの時の光景が蘇る。忘れたかった、忘れていたかった、記憶。同じ学校に通う少女が二つに切断された、あの無惨な光景。そして重傷を負った兄、雪哉。先輩の拓真も酷い傷を負った。

 自分もそうなるかもしれない。周りには誰もいない。助けてくれる人はいない。大声を出せば誰か来るかもしれない。懐炉を取りに行った稔が戻ってくるかもしれない。

 だが犠牲が増えるだけかもしれない。

 雪哉と同じようにはしたくなかった。稔を同じようにはしたくなかった。

 稔が戻ってくるまでに、この少女を遠ざけなくてはならない。

 花菜には、この畸形をどうにかできる力はないのだから。

「な……何ですか……」

 眼を逸らさないよう、震えそうになる手を握り締め少女を見上げる。

 畸形の少女は観察するように暫く花菜を見詰め、雪だるまから鎌を引き抜いた。

「オマエ、あいつらの仲間だな」

「あいつら……?」

 引き抜き様にも殺されるかと構えていたが、想定外にも反応があった。しかも普通に話している。会話ができるらしい。

「私が殺し損ねた奴。私に傷を負わせた奴。今、何処にいる?」

「捜してるの……?」

「纏めて殺す。痛いのは、消す」

「!」

「これ、あいつらに襲われた時投げて、調子が悪い。電波が拾いにくい。捜せない」

 鎌の背で耳に当てたヘッドセットを指す。

 花菜は口を開けたまま、言葉を告げられない。下手なことを言えば、皆が危ない。

「ど……どうして、殺そうとするの……?」

 質問の答えではない花菜の言葉に、少女は油を差していない機械のように首を傾ぐ。

「殺さないと、私が死ぬから」

「え……?」

 この会話は噛み合っているのだろうか? 花菜も首を傾げたい。

 少女は一歩だけ後退する。その足元は裸足だった。冷たい雪の上に、何も履かずに立っている。以前会った時は頻りに痛い痛いと言っていたが、この寒さ冷たさで痛覚が麻痺しているのかもしれない。外套から覗く脚には以前と同じように傷が散見される。痛みをあまり感じないから、普通に会話できているのかもしれない。

「それで、あいつらは何処?」

「し、知らない……」

「知らない? オマエ、一人でここに来た? 嘘だ。嘘を吐くと殺す。一人じゃないのは知ってる」

「一人じゃ……ない、けど、別行動になったから、今は何処にいるか、わからない」

「わからない? それは困る。私はここをよく知らない。オマエ、私と来い。オマエといれば、きっと見つかる」

「えっ?」

 おかしなことになってきた。最悪ここで殺されることも覚悟していたが、これは花菜を人質にすると言うことか? 人質になんてなってしまえば、こちら側が不利になってしまう。皆に迷惑がかかる。枷になってしまう。だが力尽くで連れて行こうとするならば、とても力では勝てない。

 いつもいつも心配ばかりかけてきた。迷惑をかけてきた。これ以上――命の迷惑まで、かけたくない。

 花菜は意を決して少女の大鎌を掴んだ。どうやら刃の背を掴むだけでは切れないようだ。

 鎌を持ち上げ、ゆっくりと首筋に当てる。何をしているのだろうと、少女はじっと花菜を見詰める。無表情で見詰めるが、少女は微かに動揺していた。良く切れる彼女の大鎌に素手で触れてきた者は初めてだった。体温は感じないが、触れられていることはわかる。少女の大鎌には人々は恐怖し近づかない。なのに今、触れられている。怖くはないのだろうか。

「人質にされるなら、私はここで、首を切る!」

「!」

 自分で命を絶つ、と言っているのか? 少女は白銀の眼を見開く。

 ぽろぽろと無意識に花菜の目から涙が零れる。こんな風に最期を迎えるなんて、嫌に決まっている。恐い、寂しい、怖い、震える、冷たい。呼吸が、辛い。

 鋭利な刃が首の薄皮に食い込み、小さく血が滲む。

 本気、なのだろう。花菜の目を見て、少女は確信した。こんな人間に会ったのは初めてだった。

「オモシロイ、人間」

「あっ……」

 少女は花菜を傷つけないよう慎重に首から鎌を離す。少し皮が切れてしまったが、少女にとっては上出来だ。花菜の力を解くなど容易い。

「ここ。ここが安全。切れない」

「え? ――わっ!?」

 恐怖で震えて立ち上がることも動くこともできなかった花菜の体に、少女は大鎌の肘の内側を当てる。確かに何処も切れない。痛くない。

「はっ、離してください!」

 聞く耳持たず、少女は花菜を軽々と持ち上げ、跳躍した。地面が雪だからか、以前会った時より跳躍力が劣っている。

 がっちりと押さえられ、身動きが取れない。逃げられない。一体何処に連れて行かれてしまうのか。花菜は、どうか誰も傷つかないように、と願うことしかできなかった。



「ごめん、花菜。引出しの奥に仕舞ってて……、花菜?」

 懐炉を手に戻ってきた稔は、そこに誰の姿もないことに首を傾げる。

 花菜が作っていた雪だるまは崩れ、虚しく散っている。

 綺麗な雪でも集めに行ったのだろうか? 周囲を捜してみるが人影はなかった。道路の方にも花菜はいなかった。

 昨日一緒にいた友達が迎えにでも来たのだろうかとも思ったが、何も告げず行ってしまうとは思えない。

(ケータイ持ってるかな)

 稔は花菜の携帯番号を呼び出す。ポケットにでも入れてくれていれば良いのだが。

 暫くの呼び出し音の後、留守番電話に切り替わった。

(一度部屋に戻ってみるか……)

 部屋に携帯端末を置いているなら、いくら掛けてみても無駄だ。雪哉に連絡しようかとも思うが、入試中に掛けるわけにはいかないし、雪哉のことだ、花菜がいなくなったなんて言えば、試験を放り出して帰ってくる。昨日一緒にいた友人達とも連絡を取りたいが、こちらは番号がわからない。雪哉が帰ってきたら訊くしかない。

(とりあえずもう少し周辺を捜して、一度部屋に――)

 辺りを見回し、ふと白い雪に点々と散っているものが目に入った。

 腰を屈め見てみると、それは赤い……血のように見えた。

「花菜……?」

 嫌な予感がした。

 稔はすぐさま踵を返しマンションの中に戻る。上からなら何か見えるかもしれない。そう淡い期待を抱いて。


     * * *


「凄いなぁ、こっちの世界の雪は真っ白!」

 きょろきょろと見渡しながら、椎はぎこちなく歩く。雪の上は滑って歩きにくい。

 灰音は半歩後方から椎について行く。

「ルナは何処にいるんだろうね? 一緒に遊びたい。会いたいよ」

 結理には会うなと言われているが、あまり気にしていなかった。何せ椎にも感染した自覚症状はないのだから。目に見えなくても感染した本人なら自覚があるはずだ、と椎は思う。それがないということは、結理の杞憂なのではないかと。

「発信器でもつければよかったな」

「うん……あっ」

 雪に気を取られ、前を見ていなかった。路地から出てきたすっぽりとコートを纏った人物に腕をぶつけてしまった。

「すみませ、ん……?」

 慌てて謝るが、振り返った時には、誰が自分とぶつかった人物なのか、通行人に紛れてしまい、わからなくなっていた。きっと急いでいたのだろう。

 椎が再び歩きだそうとすると、灰音が勢いよく腕を掴んできた。

「っ! な、何?」

「椎、この袖……どうした?」

「え?」

 灰音の掴んだ腕を見ると、コートの袖がぱっくりと切れてしまっていた。

「今ぶつかった奴か? クソ、何処に行きやがった!?」

 いつ切れたのか、全く気づかなかった。灰音の言う通り、今ぶつかったことが原因なのだろうか。破れたと言うよりは、鋏で切られたような、そんな切り口だった。

「いつ切れたんだろ……」

「わからないのか?」

「うん……」

「腕は? 腕は何ともないか?」

「うん。袖が切れただけみたいだよ。でもどうしよう……折角貰ったのに」

「腕が何ともないならいい。コートくらい、また貰えばいい」

 椎と灰音のコートは、未夜が用意したものだ。東京という所に行く旨を伝えたら、寒いだろうからとコートを渡された。今思えば、空港で結理と遭遇したのも、未夜が知らせたからなのかもしれない。

「通り魔という奴なのかもしれないな。思ったより物騒だな、こっちの世界も」

 テレビを見てこちらの世界のことを学んでいるので、そこから記憶を引っ張り出す。

「こっちの世界の人間を殺すと面倒なことになるみたいだからな。面倒だがなるべく様子を見ないと。まあ面倒なら殺すしかないが」

 灰音が一番物騒だ。

「ルナ達、大丈夫かなぁ……」

「お前にだけは心配されたくないだろうな」

「え!? 何で!?」

「お前が一番危なっかしいからだろ」

「そうかなぁ……」

 釈然としない風に小首を傾ぐ。

「何処か体に異常があれば、すぐに言えよ」

「ん? うん」

 心配されている、ということはすぐにわかった。

 だがもし異常があったとしても、言わない気がする。あまり心配をかけたくない。ルナに直してもらった脚も少し動きがぎこちないが、はっきりと言えないでいた。言ったところで違界で作られたものは、こちらの世界では元通りには直せないと思う。違界の技師ではないルナなら尚更だ。言ったところでどうにもならない。たとえ害毒に感染していたとしても、治せないのなら言わなくてもいい。治せないからきっと恐れられるのだ、害毒は。

「公園があれば雪で遊べそうなのになぁ」

 少し寂しそうに椎は言う。

 ずっと、ずっと一緒にいたのに、何も守れていない。灰音はそんな自分に苛立った。違界で椎が一人で行動し地雷原に立ち入り、そして害毒と接触。何も知らなかった自分に、腹が立つ。

 目的地もなく、二人は歩く。温度調節はしているはずなのに、足下に冷たい感触がある気がした。


     * * *


 男は走っていた。

 人目につかない路地を、雪に足を取られながらひたすら走った。

(くっ……こっちの世界に来てから走ってばっかじゃねーか!)

 銃身を削がれ、武器は無いも同然。こんな装備で襲われてしまえば、為す術なくやられてしまう。

 銃だけで済んで良かったとは思うが、身を守るものがないと不安で仕方がない。

(くそったれがっ……)

 滑る雪を踏みしめ、力一杯地面を蹴る。

 とにかく、走るしかない。

「っ!?」

 頭上から何かが降ってきた。屋根に積もった雪でも落ちてきたかと思ったが、どうやら違うらしい。

「なんっ……」

 ひらりとコートを翻し、目の前に人が立っていた。フードを目深に被っているのと、路地が薄暗いのと相俟って顔はよく見えないが、銃身を切断した者とは違う人物のようだ。このコートの人物の方が身長が僅かに低い。その見下ろす視線の先に、自分が尻餅をついて倒れていることに、男は漸く気づく。どうやらぶつかったらしい。

「すみません、人がいるとは思わなくて」

 声は少年のものだった。

「大丈夫ですか? 大丈夫じゃないですよね……でも手を貸すことができません、すみません」

 少年は軽く頭を下げる。

 よく見れば、少年の着ているロングコートはサイズが合っていないのか少し大きく、左右の袖にも何故か腕を通していない。手を貸すことができない、という言葉をそのまま受け取るなら、この少年は腕がないのかもしれない。

「ああ、大丈夫だ」

「よかった。では僕は急いでいるので、失礼します」

「おう。これからは足下に気をつけろよ」

「はい、本当にすみませんでした」

 何気ない会話だったが、男はふと疑問に気づく。

 ――こいつは何故、頭上から落ちてきた?

 この世界の人間は皆、地面を歩いている。屋根を走る者など見たことがない。

 こいつは一体、何なんだ?

 立ち去ろうとした少年は一度だけ振り向く。


「本当に、大丈夫なんですよね?」


 それだけ言うと、少年はすぐに角を曲がり、姿を消した。

 心配性なのだろうか。一応は違界の中で過ごしてきたのだ、人にぶつかって尻餅をついた程度でそんなに心配をされるほど柔ではない。

 男は少年の消えた角を一瞥し、身を起こそうと地面に手をつく。

 ――が。

「?」

 手をついたはずが、体が傾く。

 反射的に、地面についた手を見る。だがそこには、

「っ!?」

 手なんてものは、なかった。

「あっあ……アアアアアアアアア!!」

 片腕がごっそりとなくなっていた。断面からはばたばたと鮮血が滴り、白い雪を赤く染めている。

 ぎこちなくカタカタと首を回し辺りを見渡すと、少し後ろに腕が転がっていた。

 さっきの奴だ。

 咄嗟にそう思った。

 先程の少年がやったに違いない。

 大丈夫なのかと念を押してきたのは、この腕のことだったのだ。

 少年の口振りからしてこれは事故である可能性が高いが、事故だろうが故意だろうがどちらでもいい。片腕がなくなったのだ。それだけが事実だ。

 どうやって腕が切断されたのか全くわからなかった。切られたことにもすぐに気づけなかった。どれほど自然に滑らかに切断したというのだ。

 男は残された片手で腕の断面を掴む。止血しなければ。しなければ、死ぬ。

 頭がくらくらした。目の前が真っ暗になりそうだった。男は激痛に歯を食い縛り、ヘッドセットを使い一時的に痛覚を遮断した。これ以上は耐えられなかった。

 違界から脱出したのに、どうしてこんな目に遭わなくてはいけないんだ。

 男は歯を食い縛って世界を呪った。


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