24話:投資成功と加藤さんの癌治療とネットバブル崩壊
竜二は、ソニー株を成り行きで1万株売りを入れると12200円で全株売れて税引き後利益が6710万円で、資産残高が13300万円となった。加藤和男さんと福子さんも成り行き売りを指示し全株売れ、税引き後利益が662万円となった。
それにより残金が1282万円となり282万円の利益を出した。1998年10月30日、ソニー株が下げてるのを見て竜二は午後になって7400円で5千株買いを入れ3700万円で買え,資産残高が9600万円となった。
その日の晩に加藤福子さんに連絡して明日、7400から7500円で買いかも知れないと連絡を入れた。翌週の月曜11月2日に7400円で買い指値を入れて加藤兄弟が千株ずつ740万円で買い、残金が542万円となった。
山倉肇は、最初、自宅から丸の内のオフィスへ通勤していたが通勤ラッシュが嫌で1年後の1999年6月に月島のマンションを借りて住んだ。1999年12月30日の朝、ソニーが上げてるという情報を得たので朝8時50分に加藤兄弟に電話入れた。
今朝、成り行きで売るつもりだと言い年末年始は売買が難しいが利益も十分に出ているので売った方が良いかも知れないと助言した。竜二は成り行きで1万株売り、その後、9時20分に加藤兄弟も成り行きで売ったと連絡が入った。
竜二は、税引き後利益が9150万円となり資産残高が18850万円となった。加藤兄弟の税引き後利益は1822万円ずつで、残金がそれぞれ2364万円ずつとなった。そして2000年があけた。結果的にソニー株が、2001年1月に最高値となったが、竜二は、まー良いかと納得した。
一方、加藤福子は2000年からソニーと大手銀行との共同出資の新銀行設立のメンバーに選ばれた。インターネットバンキングという新しいシステム作成のためソフトウェア技術者と提携予定の大手銀行の関係者と売り合わせとシステムの試運転の日々を過ごして、日比谷のオフィスに移った。
山倉肇も日吉から通っていたが通勤ラッシュ耐えかねて、2年後の2000年2月から上野にワンルームマンションを借りて住み始めた。これによって日吉の近くに建てた大きな家に加藤夫妻と山倉夫妻は2人ずつで生活するようになり、数ヶ月に1回程度、子供達が帰って来るようになった。
その後、2000年春を迎えるとネットバブルがはじけた。そして光通信、ソフトバンク、ヤフーなどインターネット関連株の株価が急降下。そして光通信が20日間ストップ安、値つかずという恐ろしい記録を作り、ソフトバンクも7日間寝付かずストップ安という記録を残した。
それにより大損した大口投資家が数多く出た。それを知った竜二は加藤兄弟に私が指示するまで株の売買は当分しない方が良いと連絡した。すると借りた1千万円を返しますと言われた。そして兄弟から2千万円が竜二の口座に振り込まれ資産残高が20850万円となった。
これで加藤さんの病気が一件落着と思ったら、2000年10月に癌が再発した。その後2度目の手術も橫浜労災病院に再入院し前と同じ医師の執刀だったが今度は手術後に排尿障害と左足の歩行障害が残った。
「癌は、きれいに取り除けたので、今度こそ大丈夫ですという医者の言葉を信じた」
「しかし、実際には加藤の心の中に障害が起きた事への不安が渦巻いていた」
やがて2000年が終わり2001年を迎えた。
2001年になるとソニーに入社した加藤福子はインターネットバンキングのシステムが完成となり2001年4月に山倉幸子はソニーと三井住友銀行の出資で設立されたソニーバンクにシステム技術者としソニー本社から派遣されて6月には正式にソニーバンクの社員となった。
2001年3月に日本政府は戦後初めて 「日本経済はデフレにある 」と認める。「デフレーション」とは、単に「物が安くなる」 事ではない。デフレとは社会全体として物価水準が下がり続ける事であり需要不足による物価下落が特徴。
すなわち消費者が物を買わなくなり需要が減るので売る側は仕方なく値段を下げる。また資産価格の下落がある。バブル崩壊で株価や地価が暴落して長期不況に突入しデフレ状態になった。物価が下がりモノが安くなる事は良い事ばかりではない。




