森での出会い3
眼前に迫る木を半身で躱し、速度を落とすことなく森の中の移動する。気配を隠すこともせず走るおれに、驚いた動物が声がを上げるが、その声は遥か後ろの方で聞こえてくる。それでも未だ彼女の姿は見えず、不安な気持ちばかりが増えていく。
ブレッド達側の化物を倒したおれは息つく暇もなくとってかえし、全速力で化物と彼女が戦っている場所を目指していた。あれから大きな音はしていないが、それが逆に手遅れではとおれの心をざわつかせる。更に夜の森はいくら移動しても見える景色が同じで、胸に貯まる焦燥感からか、来た時と同じ距離のはずなのにやたらと遠く感じてしまう。
それでもおれの感覚が、彼女がこの先にいることをと伝えてくるので、確実に距離が縮まっていると分かるがせめてもの救いだった。平野ならすでに視界に入っているだろう距離だと思うが、森の木々がそれを邪魔をしていた。
まだかまだかと逸る気持ちを押させながら、もう何十本目かわからない木を躱した時、ついにおれの目が彼女の姿を捉えた。前方、暗い森の中に一箇所だけ、月の光が指し込んでいる場所があった。おそらく戦闘の影響だろう。その中に大きな獣のような影と小さな人型の影が見える。
おれは周囲に広げていた感覚を戻すと、今度は目に魔力を集めて視力を強化する。急に視界が鮮明になり、ぼんやりとしていた影の輪郭もはっきりと映る。
そこでおれは思わず目を見開いた。強化されたおれの目に写ったのは、膝から崩れ落ちる彼女の姿だった。そして化物はそこにトドメを刺そうと、今まさに飛びかからんとしているところだった。
まだ視界に入っただけ。彼女とおれの間には数十メートルの距離がある。絶望的な距離だ。おれがたどり着く頃には彼女は生きていないだろう。
間に合わないとわかるやいなや、おれは無意識のうちに魔力を切り替えていた。いつもとは違う重苦しいものが体を満たすのを感じる。おれはそれを使って転移の魔法を発動させ、数十メートルの空間を飛び越えそのまま彼女の隣に移動した。そして地面に吸い込まれるように倒れていく彼女を抱きとめ、そのまま化物の攻撃を躱すため距離をとった。
腕の中の彼女は、本当に生きているのかと疑いたくなるほどひどい状態だった。服や防具がボロボロなのはもちろんのこと、彼女の魔力の反応もだいぶ弱まっているのがわかる。だがまだ生きており、それが証拠に僅かに瞼が開いて、虚ろな目がおれを見上げてきた。
「もう大丈夫ですよ」
聞こえたかどうかわからないが、そう声を掛けると彼女は再び目を閉じて意識を失った。おれはすばやく彼女の身体に魔力を流して状態を確認する。彼女に意識があれば抵抗されてうまく魔力が流れないが、意識を失っているので楽に確認できた。魔力を通して彼女の状態が次々と頭に流れ込んでくる。
どうやら中がだいぶ傷ついているようだ。腹から胸にかけての損傷が一番激しく、早急に治療をしないとまずいかもしれない。更に身体中の骨のいたるところが折れたり、すくなくともヒビが入っているようだ。内蔵も何箇所かやられているのがわかる。また全身の筋肉や筋にも異常が見られるが、これは恐らく過剰な身体強化の影響だろう。損傷というよりは、摩耗といったほうが近いかもしれない。
おれが彼女の状態を確認していると。攻撃をかわされた化物が苛立ったように唸った。チラリと目を向けると、何だお前はとでも言うようにこちらの様子を伺っており、絶対に逃しはしないという雰囲気だった。彼女の手当をするためにも化物から逃げないといけないが、彼女の身体の事を考えれば、抱えたまま派手な立ち回りはできないし、時間的猶予もあまりないだろう。
おれは彼女を片手で支えて、もう片方の掌を地面につけた。化物がおれに飛びかかるために身構えるが、わざわざ飛びかかってくるまで待つ必要もないので、おれは化物が動くよりも早く魔法を放った。
「落ちろ」
すると突然化物が目の前から消えた。知らない人がみれば、何が起こったんだと驚くだろうが、やったのは自分なので特に何も感じない。化物が居た場所にはその巨体が軽く入ってしまうくらいの大穴が開いており、化物はその穴に落ちたのだ。ただあまりに突然のことで消えたように見えただけだ。
おれは彼女をそっと地面に横たえると立ち上がり、穴の縁までいって中を覗いた。穴の中では突然のことにパニックになりながら、がむしゃらに足を動かして這い上がろうと藻掻く化物が、月明かりに照らされてはっきりと見える。だが穴の壁は触れるそばから砂となって崩れ、登ることができない。
穴から出られない化物を前に、おれは穴の縁に手を当てると再び魔法を発動させ、今度は穴の底を砂から硬い土に変えた。そして一匹目を倒した時と同じように手に力を込めると、何の躊躇もなく穴に飛び込んだ。
化物は未だにパニックから抜け出せていないようで、こちらには気づいていない。おれは容赦なくその顔面に拳を叩き込んだ。ドスッでもグシャッでもない、とにかく肉を殴ったとは思えないような音が穴を越えて辺りに響いた。おれはそのまま拳を止めることなく押し出して、今しがた変化させた穴の底に叩きつけた。底に当たった瞬間、砂煙とともに更に大きな衝撃と音が辺りに響き渡る。化物の顔は硬い地面を突き破って完全に埋まってしまい動かなくなった。先程と同じように絶命こそしていないものの、これで当分動かないだろう。おれは穴から出ると、もう一度魔法を発動させ化物ごと穴を埋めた。
化物を倒したおれはすぐさま彼女の元に駆け戻ると、彼女に飲ませるためにポケットから治癒の薬を取り出した。だが彼女の口元に薬の瓶を近づけようとしたところで、意識のない彼女には薬を飲ませられないことに気づいた。内蔵にダメージを負っている彼女は体内に薬を取り込ませなければならない。身体に薬を掛けても先に外傷にきいてしまい、中に届くまでに効果が切れてしまうだろう。どうしたものかと逡巡するが、やはりいい考えは思いつかない。ならば原始的な手段を取るしか無い。
おれは彼女を抱え上げると、できるだけ身体に負担がかからないよう注意しながら、森の奥に走りだした。
森の中を流れる小さな川。川の上には木が無いためそこだけ森に裂け目ができており、月の光が差し込んで水面を照らしている。川の流れは穏やかで、おれは川辺りの岩の上に座り、目を閉じて身体を休めつつ、周囲の警戒をしていた。おれがいれば普通の生き物は寄ってこないだろうが、念の為だ。
すぐ隣には鍋が吊るされた焚き火があり、少し離れて彼女が横たわっている。できうる限りの手当はしたが、まだ意識は戻っていない。もう命の心配はないとは思うが、やはり目が覚めないと少しばかり不安になってくる。
おれは重傷の彼女の手当をするため薬草を探して森の中を走り回った。そして小川の近くに群生している薬草見つけたので、それを使って手当を行い、そのままそこを野営地として、今に至る。
チラリと首だけ振り返って彼女の様子を伺う。闇の中で焚き火が眠っている彼女の横顔をゆらゆらと照らし、どこか神秘的な雰囲気を感じさせる。
彼女を初めて見た時も思ったが、手当が終わって改めて見ると彼女はやはり、なんというか、とても美しい女性だった。美しいの一言で済ますのははばかられるほどだが、生憎それ以上の言葉を合わせてない。エルフの女性とはみんな彼女のような者ばかりなのだろうか。
生まれてこの方とある事情により、殆どじいちゃんとばあちゃん以外の人を見たことがないので、自分の美的感覚が世間一般とどれくらい違うのか、正直想像もつかない。ましてやエルフなんて初めて目にするのだ。これが普通ですと言われてしまえば、そうなのかと言うしか無い。
もしそうならば、これからの旅がより一層楽しみになるというもの。そうでないとしても、こんな美しい女性に出会えたというだけで幸運というものだ。そしてもしできることなら――
そんなことを考えながら、しばし彼女に見とれていると、不意に彼女が身動ぎをして、少し苦しそうな顔になった。そして閉じていた瞼がゆっくりと開く。しばらくそのまま上を見たままだったが、やがて首だけを動かして周りを確認し始めた。必然的に、彼女の顔を凝視したままのおれと目が合う。といってもおれは面をつけているので、彼女のほうはそう思っていないかもしれないが。
「えーっと・・・おはようございます」
とりあいず挨拶をしてみた。よく考えてみれば今は夜なので、おはようはおかしい気もするが、おれも突然目を覚ました彼女に少し動揺していたので勘弁してもらいたい。意識が戻ったばかりで理解がまだおいついていないのか、少し間があってから、反応があった。彼女はわずかに口を開けて何かを言おうとしたが、あっとかうっという音がでるばかりで言葉になっていない。どうしたのかと思ったが、すぐに彼女の目がおれを見ていないことに気づいた。その瞳には恐怖や困惑といった感情が浮かんでいる。それに彼女中の魔力が波打ったように動いているのが見えた。
どうやら、まだ完全に意識がもどったわけではないようだ。悪夢でもみていたのか、はたまた意識を失う前のことを思い出しているのか。どちらにせよ混乱しているのだろう。無理もない。
意味があるかはわからないが、おれは両手をあげて何もする気はないことをアピールし、なるたけ優しく語りかけた。
「大丈夫ですよ。わたしはあなたの敵ではありません」
信じてもらえるかはわからないが、この場はこうするしか無い。下手に近づけばパニックをおこして暴れるかもしれない。暴れると傷口が開いてせっかく彼女にした治療が無駄になってしまう。しばらくそのままの状態で様子をみていると、彼女の魔力の動きが少しだけ穏やかになった。瞳はまだ彼女が困惑していることを表していたが、おれが何もしないことは伝わったのかもしれない。
「ここは安全ですよ。ですから、『もうしばらくねむっていたほうがいい』」
すると、おれの言葉を聞いた彼女の瞼が少しずつさがりはじめ、やがて小さな息づいかいが聞こえてきた。
おれは彼女に掛けていたコートをかけ直すと、岩の上に座り直してまた辺りの警戒に戻るのだった。
月の光が差し込んでいた森の裂け目から、今度は朝日が差し込んでくる。一晩岩の上で過ごしたおれは朝飯にするべく、昨日晩飯のために作って余ったシチューを温め直していた。
「はぁ・・・」
ゆっくりと鍋の中を混ぜていると、ついため息が漏れてしまう。理由は明白だ。昨夜起こった凄惨な事件により、本来そこにいるべきはずのものが居ないからだ。
昨夜彼女の手当を済ませた後、放置していた荷物を取りに戻ると、晩飯(確定)が無残な姿に成り果ててしまっていた。恐らく野生の動物か何かがかじったのだろう。その極悪非道な行いを前に、ショックでその場に崩れ落ちたおれは、晩飯の成れの果てに「仇は必ずとる」と固く誓ってその場を後にしたのだった。おかげで豪華になるはずだった夕食は、メインの具のないまま野菜のみのシチューを一人さみしく食べることとなった。
哀れな晩飯の事を思い出しながらシチューを混ぜていると、程なくしていい匂いがあたりに漂い始める。その匂いに釣られてか、眠っていた彼女が僅かに身じろぎをした。小さなうめき声をともにゆっくりと目を開ける。どうやら意識が戻ったようだ。昨夜一度目を覚ました時のことがあるので、注意して様子を伺う。
彼女はやはり仰向けのまま上を見上げていたが、やがて身体を起こそうとして痛っと小さな悲鳴を上げた。それはそうだ。彼女の身体はいたるところに傷があるのだ。治癒の薬は一番ひどかった内蔵にすべて使ってしまったので、それ以外の怪我には本当に応急処置くらいしかできていなかった。無理に動かせば傷口は簡単に開いてしまうだろう。
それでも彼女は痛みに耐えながらなんとか上半身を起こして、地面に座る形になる。状況がまだ理解できていないのか、ここはどこだろうとあたりを見回し始め、シチューの匂いに気づいたのか、こちらを振り返った時に、昨夜と同じように目が合った。合ったような気がした。やはり面越しで断定できないが。
「「・・・・・・」」
お互いになんと声を掛けたものかとしばし無言の時間がつづく。
「あーえーっと、おはようございます」
「え、あ、はい、おはよう・・・・ございます」
昨夜も同じようなことをいった気がするが、無言に耐えきれずとりあいず今度こそ時間帯にふさわしい挨拶をする。昨夜と違うのは、今度は彼女も咄嗟にではあるが、挨拶を返してくれたことだ。
「「・・・・・・・・・」」
そこで会話が止まる。話さなければならない事や聞きたい事はいろいろあるはずなのだが、どこから話したらいいのかさっぱりわからない。晩飯事件のショックから立ち直るのに必死で、彼女が目を覚ました後どうすかなど一切考えていなかった。
彼女の方もどうしたらいいのかわからない様子で、何かを言おうと口を開きかけてはやめたりを繰り返している。このままでは埒が明かないので、一先ず自己紹介から始めようかと口を開きかけた時
きゅ~~
何やら非常に可愛らしい音が聞こえてきた。一瞬何の音かと思ったが、彼女がスっとおれから目を逸すのを見て、なんとなく察してしまった。それが証拠に彼女の顔がみるみる赤くなっていく。ここは何も聞かなかったことにするのが紳士というものなのだろうが、いかんせんいい匂いをさせているのはこちらなので、そういうわけにもいかない。一人だけ食べるというのもあれだろう。それに話題のタネにはなるし、話はそれからでも遅くはない。
「えーっと・・・食べます?」
おれがそう言いながら鍋の指すと、彼女は少し迷っているようだったが、やはり身体の要求には逆らえないのか無言のまま頷くのだった。
なんとなく考えていた部分を煮詰めるのは、やはり時間がかかってしまうでござるな。