森での出会い2
―― リーナ ――
ブレッドを逃してからどれくらいの時間がたったのか。わたしは依然として仲間が逃げる時間を稼ぐため、化物との戦闘を続けていた。時間の感覚はとっくに無く、とても長い間戦っているような気がするが、確認している余裕はない
。
上から迫ってくる前足を、横に飛んで躱す。前足はそのままわたしが立っていた場所に当たり、衝撃と共に大きな穴を作った。直撃はしなかったが、衝撃で飛び散った石の破片がわたしを襲い、服や身体に小さな傷を作る。身に付けていた防具は既にその役目をまっとうし、地面に転がっていおり、着ている服もあちこちが大きく裂けていて、血が滲んでいる箇所も少なくない。
顎の先から滴っている血を手で拭いなら化物を睨みつけると、化物も苛立ったように唸りながらわたし方を向いた。もう何度目かもわからない攻防。化物が攻撃し、わたしがそれを防ぎ、あるいは躱す。同じようなことを繰り返しているが、少しづつ、でも確実に状況は動いていた。
わたしが肩で息をしているのに対し、化物には疲れた様子がない。お互いに
致命傷となる攻撃を当てられてはないが、細かい傷が多いわたしと比べ、化物には傷らしい傷すら見当たらない。時間が経てば立つほど化物の方に勝負の天秤が傾いていく。逃げた方がいい。このまま戦っていればどうなるか。戦士としての勘がこれでもかと警報を鳴らしている。
それでも一瞬たりとも化物から目が逸らせない。周囲の警戒も、傷の具合を見ることもせず、全ての神経と感覚を使って化物の攻撃に対処する。もし今横や背後から襲われたら、絶対に反応できないだろう。それでも僅かでも隙きを見せれば、その瞬間、化物はいとも簡単にわたしの息の根を止めるだろう。これまでの戦いで嫌という程それがわかった。わたしが今まで戦ったどんなものよりも強い。まさに化物とはこういう奴のことをいうのだと。
わたしは空いている手を化物に向け、荒い息を無理やり整えながら、短く言葉を紡ぐ。
「風の刃よ」
それは魔法を使うための言葉であり、この状況を打開するための唯一の方法だった。だが言葉が虚しく夜の森へと消えていくだけで何も起こらない
「やっぱりダメね・・・」
魔法を諦め手を降ろす。悲鳴を上げ始めている身体にムチを打って、再び右手の剣を構えた。化物は低く唸りながらゆっくりとわたしを中心とした円を描くように移動し、こちらの隙を伺っている。もはやこちらから仕掛ける余裕はない。向こうの攻撃を躱すので精一杯で、それすら何回できるかわからない。それでも、やれるだけは・・・
化物が再びこちらに向かってくる。今度は前足ではなく、わたしを食い殺さんとばかりにまっすぐ飛びかかってきた。
わたしは身体強化をした身体で大きく横に飛んでそれを躱す。直後に飛んでくるであろう土や石に備え、顔の前で腕を交差させる。
外れた攻撃が地面にあたると、凄まじい土埃が上がった。そして土埃の中から予想通り砕かれた岩などが飛んでくる。それを防いでいる間も化物から目を離すまいと、腕の間から化物が居る方向に目を向ける。しかし土埃は化物の巨体を隠してしまうほどで、一瞬その姿を見失った。その瞬間、土埃の中から尻尾が飛び出し、わたし目掛けて横薙ぎに振るように襲いかかってきた。
躱すことができず、わたしは咄嗟に尻尾と同じ方向に動いて威力を殺す。力に逆らわず、飛ばされるのに任せる。予想外の攻撃だった上、交差させた腕で見えない場所からだったので、気付くのが遅れてしまった。
弧を描くように飛ばされながらも、空中で一回転しなんとか足から着地する。勢いを殺すため、姿勢を低くして地面を削りながらなんとか止まった。すぐさま次の攻撃に備えるべく足を踏ん張ばり、身体を起こす。その時、ふいに身体が傾いた。
運の悪いことに、踏ん張った地面に落ち葉でもあったのか右足が滑ったのだ。体制が崩れる。思わず右膝と右の拳を地面について完全に倒れのだけは防いだが、動ける態勢ではない。
そして、この隙を見逃す化物ではなかった。
未だ晴れない土煙の中から化物が飛び出してくる。そのまま態勢の崩れたわたし目掛けて、前足を振り下ろしてきた。身体を起こす時間はない。この態勢では受け流すこともできないので、受け止めるしかない。
「ぐっ!!」
なんとか肝一発右手を戻し、剣を盾にして直撃を防ぐ。だが前足があたったと思った瞬間には吹き飛ばされ、そのまま身体で木をへし折りながら飛んでいく。そして悲鳴すら上げる暇もなく、大きな岩にこれでもかというほど叩きつけられた。
あまりの衝撃に肺の空気が強制的に吐き出され、一瞬呼吸が止まる。同時に意識が飛びかけたが、幸か不幸か全身の痛みがそれを許さず、わたしは苦痛の中で目を白黒させるばかりだった。当然受け身を取る余裕があるはずもなく、そのまま地面に落ちるように倒れ込んだ。
頭ではすぐに立ち上がらなければとわかっているが、体中が悲鳴をあげていて、まともに動ける状態ではない。息をすることもままならず、そのまま咳き込むと胸の辺りに激痛が走った。この感じからして、恐らく胸の骨が何本も折れているのだろう。
身体を起こすために左腕を動かそうとするが、うまく動かない。その上痛みがひどくなった気がする。どうやらこちらも折れているようだ。右腕はなんとか無事なようだが、恐ろしいほどゆっくりと動かすのがやっとだった。激痛に耐えながらなんとか右腕をついて顔を上げ、化物を確認する。
焦る必要はないとわかっているのか、化物はゆっくりとこちらに向かって歩いてきていた。
まずい。非常にまずい。わたしは軽くパニックになりながら身体に力を入れて立ち上がろうとするが、手も足も僅かに動くばかりで一向に立ち上がれない。傍から見たらさぞ滑稽に見えることだろう。思い通りにならない身体に怒りが込み上げてくる。すると実際に喉の奥から何かが込み上げてくるのを感じ、我慢する間もなく吐き出すと、真っ赤な液体が地面に広がった。理解が追いつかず一瞬呆然とするが、赤く染まった地面を見ているうちに段々と理解が追いついてきて、ハッと目を見開いた。それが何なのか聞くまでもなく、わたしは頭に登っていた血が急速に降りていくのを感じた。どうやら、本格的に限界らしい。
あぁ、ここまでか
理解が追いつくと同時に、本能的に自分の死を悟ったのか、そんな思いが頭をよぎる。今まで何度も命の危険には晒されてきたが、ここまで強く自分の最後を認識したのは初めてだった。
できることなら、最後は痛くないほうがよかったな。
取り乱してもおかしくはないこの状況。まずいまずいと頭の中警報がなっているが、そのどこかで驚くほど冷静に現実を受け止めている自分がいた。気付くと、わたしは徐々に自分が死ぬことを受け入れつつあった。
戦士になると決めた時から覚悟はしてたけど、意外と早かったな
それに結局、師匠には追いつけなかったし
心残りが無いわけではない。ブレッド達がどうなったか気になるし、国の事も心配だ。この化物がわたしを殺した後に、国を襲わないとも限らない。そうなれば一体どれほどの被害がでるのか想像もつかない。でもどんなに心配しても、わたしにはもうこの化物を止めることはできない。
だから――
わたしの身体が緑の光を放ち始める。今までの比ではない魔力が身体から溢れ出して、わたしの身体を包んだ。右手の剣を握り直し、それを思い切り地面につきたて身体を起こす。
だからせめて――
足が震えるのを魔力で無理矢理に抑えて立ち上がり、前を向く。化物がわたしの目の前まできて、生気の無い目でわたしを見下ろす。そんな化物を睨みつけ、わたしは右手一本で剣を構えた。
――せめて最後まで、戦士として戦って死んでやる――
その昔師匠に言われたことだ。自分が死ぬとわかった時に諦めるやつは、戦士ではないと。だからわたしは戦士として、最後瞬間まで化け物と戦わなければならない。でないと、自分が今まで戦士になるためにやってきた全てが、無駄になってしまう。
化物が前足をあげた。同時にわたしの身体からでる光が更に強くなる。身体は悲鳴をあげるどころか、感覚すらなくなってきているが、どうせ最後だから気にすることもない。化物は唸り声を上げなら、わたしにトドメを刺そうと前足を振り下ろす
「はああああああああああああああああああ!」
わたしはそれを受けることも躱すこともせず、真正面から迎え撃った。剣と肉がぶつかる形容し難い音が響きわたる。化物の前足はわたしを潰すことなく、剣によって止められた。だがこちらも前足の威力を相殺こそしたが、そこまでだ。
「まだ」
身体から溢れる魔力の量が更に増えていく
「まだ、だああああああ」
わたしはそのまま右腕を振り抜き、化物の前足を弾き飛ばした。化物は驚いたような声を出しながら後ずさり、わたしから距離をとる。見ると、弾き飛ばした前足から、僅かに血が出ていた。
わたしは今の一撃です全てを使い果たし、もう指一本動かせなかった。身体から溢れ出していた魔力がなくなり、ゆっくりと光が消えていく。
傷をつけられて怒ったのか化物はすぐに態勢を立て直すと、一気にわたしに向かって突っ込んできた。
体を支えるものがなくなった途端に膝が折れ、わたしの身体はそのままゆっくりと傾き始めた。右手が剣持っているのかどうかさへわからない。虚ろな目で化物が向かってきているのが見える。最後まで戦士としてと思ってはいても身体は動かず、頭は勝手に別のことを考えていた
彼等は逃げ切れただろうか。
子供たちも必死に走ってくれた。
全員助かっていてくれるといいな。
ブレッドは今頃どんな顔をしているだろう。
隊のみんなを引っ張るにはまだ心配だな。
これが走馬灯というやつだろうか。地面までの距離がやたら長く感じる。
陛下は優しい方だからな。あまり自分を責めないでほしい
母さんには気をつけてって言われてたけど、守れなかったな。
父さんには怒られるかな。
でも、こうやってみんなを守れたから、許してほしい
化物がわたしに飛びかかる。わたしの意識は既に朧気で、薄っすらと目は開いているが、何も見てはいなかった。本当にもう何もできることがない。本当に最後だ。
くや、しい・・・な
薄暗くなる視界の中で、わたしはただじっと待つことしかできなかった。
だが、少ししておかしいことに気づいた。待てども待てども、くるはずの衝撃がこない。化物がわたしを殺しに来ていたはずなのに、何の痛みもない。身体の感覚がなくなったせいだろうか。それにしては何か、身体に温かいものが当たっている気がする。
わたしはいつの間にか閉じていた目を薄っすらと開ける。霞んだ視界の中に黒と赤の顔のような物が見えた気がした。
「も・・・・じょう・・・・す・・」
よく聞き取れなかったが、わたしに何かを言っているのはわかった。聞き返したかったが、そんな力が残っているはずもなく、わたしの意識はそこで完全に途切れた。
自然な言い回しが思いつかずに、時間がかかったしまった。大変だったでござる。