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その37

「姫様……」

「ありがと、テミスさん。心配してくれて」


 テミスさんの腰に手を回す。

 彼女のほうが、僕よりも頭一つ分ほど背が高い。暗闇で彼女の声が上から聞こえる。


「でもね、僕は決めたんだ。この世界で生きていくって」

「……」

「魔王様やナーガさん、それに、あなたのことを忘れて元の世界で……日本で生きていけって言うの?もし、神力でなにもかも忘れさせられたら……忘れたことに僕は耐えきれない」

「忘れたのに耐えきれないんですか。そんなのおかしいです……」

「うん、きっと僕はおかしくなると思う。だから……お願いだから、忘れて帰れなんて言わないで」


 この一か月で、みんなは僕の中で大きくなりすぎた。


 この国で、特別ななにかがあったわけじゃない。

 魔神と邪神の襲来みたいなトンデモ事件はあったけど、みんなと心を通わるような、素晴らしく感動的なエピソードは、なにひとつなかった。

 みんなとは雑談をしたり、散歩したり、お茶したり。

 ただ、僕はお客さんとして、ダラダラと過ごしていただけ。

 そんな、どうでもいいような、でも、居心地が良い、ありふれた日常しか送っていない。


 居心地が良かったのは、ここにいるみんなのおかげだ。

 ドナさんは気に入っているみたいだけど、あの王国でこんな居心地の良さが味わえたかはわからない。


 だから、僕はここがいい。魔王様やテミスさんと一緒がいい。

 それは理屈じゃない。感覚的で、でも、とても大切なこと。


「僕はみんなとずっと一緒がいい。邪神騒ぎみたいな、とんでもない出来事があっても」

「……」

「テミスさんや、ナーガさん。親衛隊のみんな……それに」


 ここには、あの人がいるんだから。


「アバドンとずっと一緒にいたいから」


 テミスさんは、なにも言わない。

 黙って身を預けていたけど、やがて僕を抱きかえす。

 彼女の唇が耳に触れる。ちょっとだけくすぐったいそこに、熱い息がかかる。


「後悔、しませんか?」

「ごめん、カッコつけて言い切ったけど……わからない。先のことなんかわからないよ」

「先のことはわからない……」

「うん。だって、この世界に来て魔王様に助けられたときは」

「……」

「まさか、このままこの世界に、ずっといたいってなるなんて思わなかったもん。次の日にあったエルフの女の子と、こんな風に抱きあうなんて想像もしなかった」

「私もです。姫様と、こんなになれるなんて……」

「それに……アバドンのことを……あのひとを好きになるなんて思いもしなかった」

「…………」

「これからのことはわかんない。後悔するかもだし、しないかもしれない。いい加減なやつって思われそうだけどね、想像もできない時間を過ごすんだからさ。あんま悩んでも仕方ないかなって」

「……そうかもしれませんね」

「だからいいんだ。今はこれでいいんだと思う。でも、ありがとう、テミスさん。あなたは心配してくれた。僕は浮かれてただけだったけど、自分で色々考えなきゃいけないのは当たり前なのにね」

「いえ、私は……」


 まぁ、よかった。これでよかったよ。

 うん、なんか再確認した気がする。

 自分の気持ちを。あのひとへの想いを。


 ところで、これってどうやって元の世界に戻れるの?


「そうですね。私から姫様への質問が元の世界へと戻るカギとなります」

「答えがカギになるの?」

「ええ。精霊は善悪とは無縁ですけれど、嘘は嫌います。姫様が答えを偽るようなことがあれば、闇の精霊は怒り狂い、私たちをこの世界に閉じ込めて、やがては存在を呑みこむように消してしまうでしょう」

「そうなんだ。わかった、嘘は言わないよ」


 偽ることなんか、なにもない。

 だって、僕の気持ちは本物なんだから。


「では、もう一度聞きます。あなたはパパと一緒に生きていくのですか?」

「うん!」

「わかってましたけど躊躇いませんね。誰に対しても胸を張って言えますか?」

「うん、言える。僕はアバドンと、ずっと一緒に生きていくよ」

「……では、最後の質問です」


 なにを聞かれるんだろ……。


「私のことは好きですか?」

「え?ま、まぁ、うん、あなたのことは好き。それは間違いない、よ」

「異性としてですか?同性としてですか?友情ですか?愛情ですか?」

「なんで、そんなに畳みかけるように聞いてくるのさ……えっと、あのね。はっきり言えば、友情、だと思う」

「それは……嘘偽りなく、ですか」

「うん、テミスさんを恋愛の対象としては……あなたは、そういう好きの相手じゃない……から」


 もし、僕が男のまま、この国へきたら

 もし、男のままで、テミスさんに出会ったなら。

 そこから始まるなにかもあったんだろうか。


 思えば彼女に初めて会ったときから、『異性』としては見ていなかったのかもしれない。

 あの時から今日まで、テミスさんを恋愛対象としては見たことがなかった。


「泉に入って自分が男になってもいい」とまで言ってくれたテミスさん。

 そして、この先の事まで本気で心配してくれた。

 とても優しい女の子。惹かれないほうが、どうかしてる。


 でも、僕の彼女に対する好意。それは恋愛のものじゃない。

 だから、彼女に転性の泉に入ってほしくはなかった。

 泉の力でテミスさんが男になっても、僕は……このひとに恋愛の意味で惹かれることはない。


 本当は、わかってた。

 女の子に興味がなくなったとかの話ではなくて。

 魔王様だけで僕の心はいっぱいに満たされて、もう誰かが入り込める隙間なんてないってことを。

 それに気づかないフリをしていた。自分の元の性別だとか、そういったもので言い訳をして。


 なのに、結局、彼女の気持ちを弄んで、ダラダラと結論を先延ばしにしていただけ。

 あのひとのことが好きなことを認められずに、彼女の気持ちにも知らんぷりしていた。

 あまりにも自分勝手な僕。嫌なやつ。


「ごめんね……」

「あやまらないでください。こういう時は謝罪してはダメなんですよ」

「そう、だね」


 告白をした中学時代。

 相手の子に謝られたけど、謝罪されたって結果が変わるわけでもなく。

 むしろ、なんで謝るの?ってさらに落ち込んだりした。


「ありがとうございました。ですが、姫様の旅はまだ始まってもいません。この先になにがあるかもわかりません」

「そうだね。永い時間が怖くないわけじゃないけど、でも、先のことを念入りに計画しても仕方ないから」

「そうですね。そして、この先もどうなるかもわからない、ですよね」

「うん、あんまり深く考えてない。でも一生懸命生きてこうって思ってるよ。あのひとと、あなたや、みんなと一緒に」

「そうですか……ありがとうございます」


 そう言ったテミスさん。なんでお礼?

 そこへ急に眩しい光が目に飛び込んできた。暗闇との落差に思わず目を閉じる。


「って姫様が言ってる、パパ」

「え?」


 目を開けると、テミスさんは僕を見ている。

 いや、僕の後ろを見ていた。


 僕の後ろには、さっきまで部屋にいた、さっちゃんと詩乃ちゃん。ふたりの神様。さっきまでいなかったナーガさんや親衛隊のみんな。

 それに。


「光」


 ――魔王様がいた。


 僕の部屋にみんながいる。


「なんで魔王様が」


 この部屋に魔王様は、確かにいなかった。

 女子会の最中だったから。途中でドナさんの乱入があったけど。


「強い力をこの部屋から感じたのでな。来てみたら異世界の神がいて、光とテミスがなにやら始めていたところだ」


 さっきまで暗闇の世界にいたのに、いまいるのは自分の部屋だ。


「あれ?どうやって闇の精霊は部屋に帰してくれたの?」


 テミスさんは無表情に僕を見ていた。

 暗闇の世界で彼女がどんな顔をしていたのか、いまとなってはわからない。


「最初から場所は移動してません。ずっと部屋にいたままです。闇の精霊のちからで、姫様のまわりを暗闇にしただけですから」

「異空間に行ったりとかしてたわけじゃ……」

「いいえ。闇の精霊は空間転移なんかできません。ただ闇を司るだけです」

「じゃあ、さっきの僕たちの会話は……」

「姫様のまわりが暗闇になっただけ。私たちの会話は、この部屋にいる方にすべて聞こえてます。言いましたよね、『闇の精霊の世界』だと。異空間に行ったなんて、私は一言もいってません」


 うわああああぁぁぁぁぁぁぁぁああああん!

 テミスさんといいドナさんといい、言葉のマジックが酷すぎる!

 巧妙な詐欺に騙された感が尋常じゃないよ……。

 あぁ、やっぱり僕は詐欺に騙されやすかった。


「なんであんなことしたの?」

「あなたの本心が知りたかったのです。ちょうど、パパが来たのも見えましたから。暗闇に姫様を包めば、周りの目を気にされずに本音を語っていただけるかと」

「答えが帰るカギになるって話は?精霊って嘘を嫌うんじゃなかったっけ」

「そういう設定のほうが盛り上がるかなと思いました。嘘ではなく演出です。私が頼めば精霊は闇を解除します」


 設定にムラがありまくりの気がするんだけど!

 そのことを精霊がどう思ってるのか、ぜひ一度聞いてみたい。


 はぁ……まぁいいや。さっきのはなにもかもが、僕の本音だ。

 テミスさんに対する気持ちも、彼への気持ちも――ぜんぶ本当。


「私は……いまはこの場にはいられません」

「テミスさん……」

「ですから失礼します。いまここにいると泣いてしまいそうなので」


 彼女はそう言うと堪えきれないんだろう。無表情のまま大粒の涙をこぼす。

 そうしてボロボロと泣きながら部屋を出ていった。


 魔王様はテミスさんに声を掛けなかった。ただ黙って僕を見ていた。

 スレイブさんはオロオロしていたけど、彼女を追っかけて部屋の外へ出ていった。


「お疲れ様、光」

「さっちゃん……」


 さっちゃんが、やさしく僕を抱いてくれる。

 テミスさんを蔑ろにした僕にも、彼女は変わらず微笑んでくれる。


「僕、すごく嫌なやつだね」

「嫌なやつね、って言ってほしいわけじゃないでしょ?本当は」

「……そうだね。ズルイ言い方だったね」

「逆に聞くけど、じゃあ、あの場合どうすればいいの?感動的な言葉で説き伏せて、彼女にあなたのこれからを心からお祝いしてもらうのが正解なの?」

「わかんないけど……もうちょっと言い方とか……もっと早くどうにかしてればよかったんじゃないかって」

「聞いておいてなんだけど、こういうコトの正解なんかないのよ。光が誰かにフラれるとしたら、あなたはその人にやさしく慰めてもらいたいの?」

「それは……」

「好きなあなたを想う時間を、彼女があなたと付き合えることはないから、それは無意味な時間、なんてこともないでしょ」

「そう、かもね」

「絶対的な答えはわからない。正しいかもしれないし、間違ってるかもしれないわ。それよりも、ほら、あなたはすることがあるはずよ?今はそっちを気にしたほうがいいんじゃないかしら」

「う、うん」


 さっちゃんに背中を押されて、僕は魔王様の前に立つ。


 神様が「美少女同士の抱擁とはいいものを見せていただきましたわ!」と言いながら部屋を出ていった。

 詩乃ちゃんは「ひか姉やりますね!一見優しくしてると見せかけた高度な放置プレイ!やっぱり簡単にご褒美なんか与えたら付け上がりますもんね!」と興奮している。

 いや、そういうんじゃないから、って詩乃ちゃん……?


「では光さん、またあとで。王国の牛肉をお土産に持ってきましたから、お祝いに一緒に食べましょう?」


 ドナさん、本当にあなたはなにをしにきたんですか。

 親衛隊の方々にドナさんとナーガさん。

 最後に詩乃ちゃんとさっちゃんも出ていった。


 魔王様と僕。

 ふたりだけが部屋に残された。


「魔王様、ごめんなさい。テミスさんを泣かせました」


 ……やっぱり感じ悪い……偉そうに。

 泣かせた、ってなに?何様だ、僕は。


「気に病むな。あれは悲しんでいるわけでも、怒っているわけでもないのだ」


 魔王様も、テミスさんの気持ちは知っていた。

 なにしろ表情と視線で、彼女の気持ちがわかったって言ってたし。


 でも、それとは違うなにか。

 心の色がわかるってどういうことなの。


「そうそう、魔王様。僕は永遠といってもいいほどの寿命を手に入れたそうです」

「あぁ、知っている」

「あんまり嬉しそうじゃないですね?」


 ハイテンションに「ヌハハハハハ!これで我らふたりは永遠に結ばれた!」とか言う場面じゃないの?ここは。


「光は吾輩に聞きたいことがあるのだろう?」

「はい、よくわかりましたね……。人の心の色がわかるのに関係してるんですか?」


 大事なコトは最初に言っておくべきだと思うんだ。

 こんなに後になって重大設定を持ちだされても、僕は全然スッキリしない。


「吾輩が有り余る強大な魔力を持っているのは知っているな。それが原因なのかはわからん。調べたこともないし、調べたところで何も変わらんのでな」


 どこか自嘲気味に話す魔王様。

 いつも自信満々に、魔力の多さを語っていた彼とは思えない。


「吾輩は幼き頃から、ひとの心の色が見える。その者の気持ちを色で理解できてしまう。ひとに纏わりつく心の色が見えるのだ。近くとも、遠くとも、望まなくとも、それは勝手にな」

「……」

「戦に明け暮れていた時代には使えた力だった。悪意や殺意といった負の感情を撒き散らす、或いは隠し、欲望のままに他者を穢し、殺す者……そういう不逞の輩を倒して味方を増やしていった」


 倒した人たちの事細かな所業を、彼は言明しなかった

 ただ、その高い戦闘力と魔力。さらに『色を見て』勢力を拡大していったという。


 もしかしたら魔王様が、かつての戦争を止めたかったのは正義感や義侠心なんかじゃなくて。

 望まなくとも大陸中の、その酷い色を感じてしまうことに、若い彼が耐えきれなくなったからなのかもしれない。

 ……でも、それを聞くのはやめよう。

 それがもしも、彼にとって触れられたくない苦い記憶だとしたら、あえて触れることなんかない。


「戦いでは、とても役に立った。遠く離れた場所にいる相手に対しても、様々に応用できたのでな」

「そうでしょうね」


 悪意を持つ者や友好的な者ばかりか、裏切りなんかもわかってしまいそう。

 その力のおかげで、テミスさんも守れたのかもしれない。

 彼女は「危険を感じる前に魔王様がスッ飛んできて守ってくれていた」と前に言っていた。

 悪意を持った者が、彼女に近づくとわかるのだろう。彼の、その能力で。


「だが平和な時代に、こんな能力は不要だろう?人の気持ちがわかってしまっては、まわりの者が不安になる。「自分はこの男に心を読まれているのではないか」と、不安になったりな」

「かもしれませんね」

「だから吾輩は政治にも拘わらんし、会社などを作るつもりもなかった。得体のしれない者の元で働きたいと思うやつもおらんだろうしな」


「もっとも吾輩、頭はよろしくないから、どのみち政治家や社長など絶対無理だがな!」と和ませるつもりなのか、少し寂しげに笑ってそんなことを言う。


「国が安定してからは見知らぬ他者と深い仲になるでもなく、古くからの仲間と共にこの城で暮らしている。表舞台などに出るのも面倒なのでな」

「そういうことだったんですか」


 彼は心の色に振り回されながら戦いを長年続けて、きっと身も心も疲弊しきっていたんだろう。

 だから、魔王城は魔神封印の場でもあるし、気心が知れた友達と共に周囲を気にすることなく過ごせる魔王様のご隠居生活の場でもあった。

 でも、国が荒れる要因がないかが不安で仕方なくて、しょっちゅう外に見回りにも行ってしまっていたと。


 彼の見回りの話を議会で聞いた時に、ちょっと思った。

 いままで親衛隊の人たちが、普段なにをしてたのかなって。


 対象の魔王様が、気づいたら好き勝手にフラフラ外出しちゃうご隠居さんなんだから、なにをすればいいの?ってなっちゃうよね。

 だから要は、なにもすることがなくてヒマしてたと。

 親衛隊なんて名ばかりで、本当は魔王様のお友達として、お城で茫漠とした日々を過ごしていたんだろうな。


「心を色でわかってしまう吾輩は自分自身に誓いを立てた。人を色で判断できてしまう吾輩だが、他人は吾輩の心はわからない。なので決して偽ることなく本音を言おうと」

「……」

「この誓いは自分で勝手にしたものだがな。他者の心の色が見えてしまうことを知るのは、この城にいる者と、隠居している竜族。それに各地で暮らす、かつての友だけだ」

「そしていまは、僕も知っています」

「そうだな。……御許も知ることとなった」

「どうして黙ってたんですか?」

「御許に知られたらどう思われるか不安でな、そんな不気味な力を持つ者をどう思うかと……。だが、この力は抑えている。永い時を経て、やっと封印することが出来たのだ。いまは決して色が見えることなどはない」

「……そうですか」

「信じられぬか?」


 心底、不安そうに聞いてくる。


「怒りますよ?あなたのことを、僕が信じないと思ってるんですか」

「光……」


 魔王様は、嬉しそうな、けれど、とても困ったような。

 なんともいえない初めて見せる表情で、その端正な顔を歪めた。


 まぁ、色でわかるなら聞かなくてもわかるよね。

 思えば彼は、なにかあるたびに、不安そうに尋ねてくることばかりだった。


 つまりは、そういうことなんだろう。




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