その35
「ははあ、そうですか。恋ですか?なるほどぉ」
ドナさんが、僕をしげしげと見つめてくる。
恥ずかしい――ううん、恥ずかしがることなんかない。
だって恋だから。
それは思い違いなんかじゃなくて、本当の想いだから。
「女の子になっちゃって、葛藤とかないんですか?」
「まぁ、ありますよ、それなりに。いまの僕はなんなのか……男なのかもしれないし、女なのかもしれないし、とか」
「男の子だという意識が無くなったわけではないかもしれないけれど、女の子としての意識も芽生えているかもしれないあなた。そのどっちつかずなのが、いまの勇者様ですか」
「そうですね……。いまでも、そのことは。ハッキリとしたことは自分でも……よくわかりません」
「よくわからない、ですか。なのに、ご自身の性の同一性よりも、魔王に恋することを最優先にした。そう思われてしまうかもしれませんよ。それでもいいんですか?」
「あー、なんていうか……えぇと、まぁ、そういうのは」
「ふうん……うふふふふ」
いまのドナさんの目つきは、明らかに僕をからかっている。
でも、それが僕を馬鹿にしているからじゃないのはわかる。
「その答えで、本当にあなたは後悔しないの?」
そう問いかけているように思える。
ちょっと前まで、男の子だった僕。
そして、いまは女の子。
だけど、僕は僕のまま。
僕の中まで、心まで変わったわけじゃない。
そう。
うん、たしかに、そうだね。
だけど……そんなことなんかより。
「いいんです。僕は彼が好きなんです。ただ、それだけです」
「好き、ですか?」
「ええ。だから、それ以外の色々は……どうでもいいんです」
ドナさんは僕の肩に手を置いた。
最初は僕に抱きついていたさっちゃんは、今は離れて隣で成り行きを見守っている。
「では、勇者様の決心は変わらない、ということなんですね」
「ええ、変わりません」
「この世界で生き、契り、子を成して、魔王とイチャイチャしていくと?」
「えーと、契るとか子供とか、そんな先のことまでは……」
考えられないというか、そういうアレは、まだ早いわけですよ。ねえ?
「なるほど。それは、まぁいいです。勇者様の決意は固いみたいですので」
「はい。変わることなんかないです」
「では、そのように処理しておきましょう。私の世界から欠員が出てしまいましたが仕方ないですね。愛を引き裂くのは、私の本意ではないのですから」
私の世界?
どういうこと?
「ふぅ。お話はおしまいですの?」
神様が僕に抱きつきながら話に入ってきた。
毎度のことだけど、このひともさっちゃんと同じで抱き癖があるなー。
あれ?そういえば神様がドナさんを前にして騒がない。
ドナさんは可愛い。それも、ビックリするくらいに。
美少女大好きな神様が、そんな彼女を目の前にしてテンションを上げていないなんておかしい。
どっちかっていうと、警戒するようにドナさんを見ている。
これってヘンじゃない?
「光さんのお気持ちは、おわかりいただけたかしら。でしたら、わたくしの世界で、これ以上彼女に干渉はしないでくださらない?」
神様がドナさんに告げる。
「あちらの世界の神」
え?
「ですわよね?貴女。あちらの神の代理と、それに……ええ、力の波動が同じですわ」
なにそれ?あちらの世界?
それって僕たちの世界ってことだよね。
「ドナさん?」
「なんですか?勇者様」
この世界で出会った魔王使いさん。
僕のパートナーとして、強引に召集されちゃった彼女。
「ドナさんは王国の魔法使いって言ってましたよね」
「大臣さんには、そう紹介されていましたね。私は「回復魔法と簡単な雷撃の魔法しか使えない」としか、自己紹介しませんでしたけどね?」
覚えてるし!
さっき自分のこと『強い魔法使い』とか言ってたクセに、自己紹介覚えてるし!
ドナさんが……僕たちの世界の神様なの?
「微妙な顔をしていますね、勇者様。そうですね、あなたには私の代理がご迷惑をおかけしましたし、きちんとお話ししましょうか」
「彼も昔は可愛かったのですが、どうして、ああなってしまったのでしょうね?」と言ってドナさんは語りだした。
「私は自分の管理する世界をあとにして旅に出ました。べつに飽きたとか、なんかどうでもよくなったわけでは決してありませんよ?絶対に、そこを勘違いしてはいけませんからね?」
「はぁ」
「様々な世界を旅してたどり着いたのが、この世界の王国でした。私はあの国がとても気に入ったので、そこで暮らすことにしたのです」
牧歌的で旧い暮らしをする、平和で穏やかな気質の国。
変わらない日々の生活を謳歌する人々がいるあの国が、とても居心地がよかったとドナさんは言った。
「ですが困ったことがおきました。王国が私の世界から、召喚魔法で人々を連れてくるようになったのです」
「三百年前から、魔王様を討伐するためにですよね」
「ええ、平和な国が侵略に興味を持ち始めた……。なんとかそれを回避させたかったのですが、神は世情に干渉できません。ましてや、よその世界ならなおさらです。彼らを止められない私は困りました」
頬に手をあてて「この世界の神にコンタクトを取ろうとすれば、私が自分の世界の管理を放棄していると糾弾されかねませんし?」と呟く。
どう考えても放棄して遊び歩いてますよね?
「そこで苦肉の策として、勇者が無事に帰還出来るように、神力を極力抑えて潮の流れをコントロールして、ご一行が確実に魔王の国に辿り着くようにしたのです」
「いままで勇者さんが必ず魔王国に漂着してたのは、ドナさんの仕業なんですか!?」
「そうです。魔王をはじめとした魔王国の民が善良なのは、神力で調査してわかっていましたので。王国の漁師を救助した前例が多数ある彼らならば、迷惑に思っても勇者を助けてくれると信じて、その作戦に賭けました」
「この世界に来てからこんなのばっかなんですけど、干渉しまくってますよね、ってツッコんだほうがいいんですか!?」
「世界の流れは変えてませんし?そこの神だって、私の世界とこちらの世界を勝手に繋げたり、他にも色々と向こうでしているんですからお互いさまですよ?」
そういえば縦ロールの神様は、降臨の演出つきで父さんに無事を伝えてくれてたっけ。
「そうこうするうちに時は流れました。私の活躍の賜物で大した混乱もなく、勇者が来ては帰っていく、長閑でごく平凡な日常が過ぎていきました」
「勇者召喚て、僕たち召喚された人にしたら異常すぎな日常なんですけど!あと魔王国は、すんごい迷惑してますからね!」
こっちの神様もアレだけど、僕たちの世界の神様も、けっこうアレな感じしかない。
それにドナさんは自分の活躍の賜物だってドヤってるけど、実際に勇者を救助したり王国に帰していたのは魔王国の方々なんじゃないかな!
「そんな中で、あなたがこの世界に現れました」
「僕、ですか」
ドナさんが僕の顎に手をかけてくる。
「ええ。今までの勇者は、冒険ゴッコをしてすぐに戻っていったので、とくに問題はありませんでした」
みんな命からがらの思いだったはずなのに、冒険ゴッコって言っちゃったよ、このひと。
召喚勇者が帰るときは、ドナさんの神力でこの世界の記憶や偽魔王様の恐怖のトラウマを、コッソリ消していたそうな。
ついでに、送還の泉は僕たちの世界ではなく、これまた別の世界に繋がっていたので、それもドナさんが直しておいたということだ。
やっぱり干渉しまくってますよね?なにもかも神の力で解決してるんですから。
「あなたは、その美少女顔で転性の泉に落ちて女性になり、なおかつ魔王に攫われてしまいました。こんなことは初めてだったので驚きましたよ?」
「いちばん驚いたのは僕ですよ!」
「魔王は王国の勇者にはあまり関心がなかったようですから。侍従が勇者派遣に不満を漏らしても「害はないのだ。好きにさせておけ」って言ってたようですし」
あれ?魔王様は勇者のことはウンザリしてて、我慢の限界がきたから王国に行ったはず。
「ウフフ。召喚門からあなたの気を感じて、居ても立ってもいられなかったんでしょうかね?」
「僕の気ってなんですか?」
ドナさんは僕の胸に指をあてて、チョイチョイと押してきた。
それを見た神様がギャアギャア喚いてたけど、今はかまってあげる余裕はない。
「魔王に聞いてなかったんですか?彼は他者の心の色が見えるそうですよ」
なに?その唐突な新設定。
心の色?それが見える?なにそれ。
いままでに彼や、まわりのみんなから、そんなことは一回も聞いたことないんですけど。
「突然パパの聖域に侵入して、姫様に余計なことまで言って……神だかなんだか知らないけど許せない」
テミスさんが怒ってる。
あの無表情な彼女が、ここまで怒りをあらわにするなんて、これって禁句の話題なの?
「そうですか、聞いてませんでしたか。では勇者様が直接、魔王の口から聞いてくださいね?」
気を感じる――心の色が見える。
それってどういうことだろう……。
「まあ、初めてのケースに驚いたのですが、お人よしの魔王があなたに害をなすとは思えません。彼が王国に召喚術の破棄を約束させたので、いい機会ですし私は自分の世界の様子を見に戻りました」
「そこはちょくちょく戻ってくださいよ。っていうか自分の世界を放置しないでください」
「私の代理は優秀だったので。昔はとても可愛いくて天使の微笑みを浮かべる子でした。穏やかで温かい心を持ったピュアピュアちゃん。それが久しぶりに再会すれば、世界から目を背け、責務を放棄した重度のネトゲ中毒。あげく簀巻きで放置されていました。どなたの仕業でしょうね?」
「その責務って、本来はドナさんのものなんじゃ」
「その為の『代理』ですから。責務を果たしたあかつきには、ご褒美もあるのですよ。どうでもいいお話ですが、かつての代理はあなたとどこか似たようなところがありましたね」
なぜかさっちゃんが、ドナさんから僕を奪い去るように抱きしめてきた。
ギュッと力をこめて「光は大丈夫。私たちが憑いているわ」と呟く。うん、付いてくれるのは嬉しいよ。
神様はあさっての方向を見ながら、ピューピューと下手くそな口笛をふいていた。
金髪縦ロールお嬢様が、似合わないことをしないでくださいな。
「代理に話を聞くと「別の世界の神に簀巻きにされたんだな。僕が舐めまわすつもりの、この世界の美少女を拉致られたちゃったんだな。オーマイ神様、助けて欲しいんだな」と言ってました。あの子があんなことを言うようになるなんてと、悪い意味で時の流れに思いを馳せました」
「それは絶対に助けてあげないでくださいね!僕のなにもかもが大ピンチです」
「ええ、安心してください?あの子には世界から目を背けた罰と、勇者様へのセクハラの罰があります」
罰の内容は『水が入ったバケツを両手に持たせて五十六億年とすこしの間、廊下に立たせる刑に処す』だそうだ。
「それはスケールが大きいんだか小さいんだか……」
「新しい代理も用意できましたし?今度の子も、とても優秀そうなので安心しているんですよ」
新しい代理て。
ドナさん、まだ帰らないつもりなんだ?
「だって王国の野牛はとっても美味しいんですよ。帰還するとか、ちょっと無理ですから」
神様って、こんなヒトたちしかいないのかな!
「私からは以上です。勇者様、いえ、光さんが、このままこの世界で生きていくなら、私がどうこう言うことはありません」
「……はい」
「神の奇跡は別の神の奇跡なら、上書きすることもできるのです」
「奇跡を上書き、ですか」
「あなたが望むなら性と住む世界を元に戻して、それまでと変わらない日常を送ってもらおうかと思っていたのですけれど。ふふ、どうやら余計なお世話だったようですね?」
だから、とドナさんは続ける。
「安心してください。光さん、さくらさん。あと縦ロールさんも」
「縦ロールさんいうな!」
神様が咆えた。
そういえば、この神様の名前をいまだに知らない。
もう『神様』が名前みたいになっちゃってたな。ドナさんは本名なのか通称なのか。
てか、ドナさんは、なんでさっちゃんの名前を知ってるんだろう?神力ってやつ?
まぁ、でもこれで僕は、この世界――この国にいられる。
みんながいる、彼のいるこの場所に。
やばい。ニヤケるのがとまんない。
幸せで体が重く感じられるほどに満たされてしまう。
大切な変わらない日常が、この先も続くんだ。
「うーん、ドナ神様はSキャラに見えますけど真性じゃないんですね!いまの幸せに浸りきっているひか姉に、不意打ちで不安になることを言わなきゃダメなシーンで放置してるんですから!」
「詩乃ちゃん?」
「あ、でもでも安心してくださいね、ひか姉。私はお姉ちゃんが大好きなんですから!お姉ちゃんの敵は私の敵なんですよ!」
「ええ?うーん、敵が出てくるバトル展開は邪神のときで、もうお腹いっぱいだよ」
「これからは私が、ひか姉を守りますからね!第十七世界の神をも妹にした私と、破神剣グランドデウスがあれば、すべての世界に敵なんていませんから!」
……えーっと、詩乃ちゃん?
「そういえば、ドナさんは結局なにしにきたんですか?やっぱり僕を助けにきてくれたんですよね?」
ドナさんから、そもそもの目的を聞いていなかった気がする。
「勇者様が大切なものを忘れたままなので、届けにきたんですよ」
「たいせつなもの、ですか」
大切なもの。
僕の心から大切なものは、みんなここにいる。
他には家族と幼馴染。それだけだよ。
「はいこれ。あなたがこの世界に持ってきて、放置していたスーパーの買い物カゴです。だめですよ?お店の備品を持ち逃げしたら」
ドナさんは、得意げに買い物カゴを指し示した。
どっから取り出したのさ!それ。
「そんな理由で、僕を訪ねてきたんですか!?」
「だって、人様のものを持ち出したままにするなんて。私の世界のひとが、そんなことをするのも気が引けるじゃないですか?」
「すみません、ごめんなさい!でも、好きで持ち出したままにしてたわけじゃないですよ!」
「光さんが帰らないなら、私がこっそり、お店に戻しておきますね?神力でカゴも綺麗にしておきました。ウフフ、まあ、ちょっとした奇跡ですね」
「僕はここのところ、奇跡って言葉の意味がなんなのかわかんないんですけど!」
神の祝福――転性の泉の奇跡。
どうなんだろう。本当に最初から転性のことを、僕は深刻に考えていたのかな。
あんまり動じた覚えもないし、女の子になった翌日に、テミスさんから「悲観されてないように思える」とも言われた。
自分で思ってたより図太いのかもと思ったけれど、もしかしたら……最初から困っていなかったのかも。
なんで困ってなかったのか――
ううん、そのことは言葉にしなくてもいいよ。
すべての世界の誰ひとりとして、それを理解できないとしても。
僕が。
僕だけがわかっていれば、それでいい。
フワフワとした気持ちが、心地よく宙に舞う。
行きたくてたまらなかったその場所に、やっと降りることができた想い。
温かで心地よいその場所で、安穏を得て幸せそうに震えている。
だから絶対に。
もう、そこから離れないでね。
――ありがとう。




