その34
「遅くなってごめんなさい?自分のことでトラブルがあって、ここに来るのに時間が掛かりました」
久しぶりに会ったドナさんが淡々と言う。
彼は、どうやってこの城へ?
王国と魔王国の間にある海には、大型の海洋魔物がいるって以前に聞いた。
船で?いや、魔王国に関わらないと決めた王国が、船を提供してくれるとは思えない。
そもそも、なにをしにここへ来たんだろうか。
って、なにをしにって、僕を助けにきてくれたに決まってるじゃないか。
ドナさんから見た僕は、魔王様に攫われて、この城に囚われている哀れな異世界人なんだから。
「光、どうしたの?」
さっちゃんが不安そうに聞いてくる。なぜか僕を抱きしめながら。
昔からさっちゃんは抱き癖があるけれど、今は僕を抱っこする場面じゃないよ。
「あ、えっと、彼はドナさん。僕がこの世界に来たときに出会った魔法使いさんなんだ」
「彼、ですの?」
「ええ、ビックリするくらい女の子にしか見えませんけど男性なんですよ」
「ひか姉?あのひと、胸が大きいです」
「は?」
詩乃ちゃんに言われて、あらためてドナさんを見てみる。
以前はフードが付いた真っ黒なマントに身を包んでいた彼だけど、今は薄手の白いローブを着ている。
その胸元に目をやると――なにあのふたつの固まり。
目をゴシゴシ擦っても同じこと。そこには大きな胸がたしかにあった。
「なんで……あの時は男だったのに。あ!まさか、ドナさんも転性の泉に!?」
どうしよう!あの王様ならやりかねない。
ドナさんはとても可愛い顔をしている。
僕がいなくなったから、代わりに彼を無理やり転性させたとしても、なんら不思議なことじゃない。
さっき、自分のことでトラブルがあったって言ってたのは、そのこと?
「泉に入ったりなんかしてませんよ?そもそも、私は自分が男だなんて、ひと言も言ってなかったですよね?」
「えぇー!?だってあのとき自分のこと、『俺』って言ってたじゃないですか!」
今は『私』って言った!でも、あのときは詐欺みたいにオレオレ連呼してたよね?いや、べつに連呼はしてなかったっけ。
「なにしろ、あの超女好きのエロエロ王様の前に引き出されたんですから?自衛ですよ、自衛。顔を隠して『俺』って言ってただけなので大丈夫かな?って思いましたけど」
「はあ」
「すべての世界の創世以来、類を見ない最高の美少女顔のあなたの陰に隠れられたのが幸いでしたね。ありがとうございます?」
「疑問形ってことは、ありがたいって絶対思ってないですよね!」
衝撃の事実。
ドナさんは女性だった。
「普通に、だれでも気づきますわよ?」
「ひか姉って天然さんみたいなとこありますよね!他の子がそれをしたら、イラっときて往復ビンタ百万連発ですけど、ひか姉は可愛すぎます!」
「光、よく聞いて?あなたはレアメタルが束になっても勝てやしない、希少で究極の、全宇宙で只ひとつのレアケースなの。気づかないのは私にも原因があるかもしれないけれど、自分中心で世の中の基準を考えちゃ駄目よ?」
だって自分のこと『俺』って紹介してたし。
マントで体型なんかわからなかったし。
素顔だって僕が魔王様に抱えられて空に浮いてたときに、初めて全部見えたわけだし。
ね?あの状況じゃ、わからなかったとしても仕方なくないかな?
あれ?みんなの視線が微妙な気がする。
なんだこれ!
僕が残念なやつみたいな空気になってるんですけど!けど!!
「まぁ、それは置いておきましょうか。最初に言ったとおり、お待たせしました。敵地の真っただ中なのに、お茶なんか飲んで随分とリラックスしてますね?」
「あ、いえ、敵地っていうか。あの、ドナさんには聞いてもらいたいことがあるんです」
彼、いや、彼女にあれからのことを説明した。
王国が三百年も前から勇者を派遣していたこと。
魔王国は遭難した漁師や勇者一行を保護して王国に帰していたこと。
あのときじつは、魔王様は王国の王様から本当に僕を救ってくれて、いままでお世話もしてくれてたこと。
おまけで、この世界の神様に懐かれてしまったことも、ついでに話しといた。
「なので、すみません。悲惨な目にあってるわけじゃないんです。せっかくドナさんが助けにきてくれたのに、こんなこと言うのもなんですけど」
どうやってここまで来たのか知らないけど、大変な思いをしたと思う。
やっぱり、王国自体は僕をスルーしたんだろうな。
これは聞かなくてもなんとなくわかる。
ドナさんの独断でここまできたんだろうって。
「異世界に攫われて女性に変化したことが悲惨なことじゃないなんて、勇者様は相変わらず頭がヤラレているんですね?」
「えと……それはなんていいますか……その」
彼女にその意図はないのだろうけど、どこか、からかうような視線が、僕の心の根底に迫られているように感じてしまう。
だから、そのことが気恥ずかしくて。
仕舞いこんでいる本心を見透かされたようで、思わず目を逸らす。
……まぁ、ドナさんから見たらそうなる、よね。
性が変わって自分の世界に帰ることもままならない状況で、なんでそんなに呑気なの?って。
でも、僕自身はいまの自分が悲惨だとは思わないし、頭がやられているわけでもない。
だってみんなが――彼がここにいる。
「姫様、失礼します」
いったい、なに事?
テミスさんが僕を庇うように前に立つ。
無表情な彼女が、ドナさんを威嚇するように見つめてる。
え、なに?どうしたの?
ドナさんは怪しいひとじゃないよ。
「あなた、どうやって城に入りました?ここは魔王様の結界が張られた魔王城。如何な者、あなたのような部外者が立ち入ることは不可能なのに」
「そうなんですか。私はこう見えて強い魔法使いなんですよ。ですよね?勇者様」
王国で会ったとき「回復魔法と簡単な電撃の魔法しか使えない」って言ってなかったっけ。
「エルフさん、精霊に助けを求めても無駄ですよ?あれらの力は私には無力です」
「なにを!?」
いつも無表情のテミスさんが困惑顔をしている。
いまなにが起きてんの、これ?
「では勇者様、再度言いますね。お待たせしました」
「ドナさん、さっきも言いましたけど僕は悲惨じゃないっていうか、困ってないっていうか」
「男のあなたが女の子になって、異世界で籠の鳥のような暮らしをしているのに?」
「それは……」
どうしよう。
なにを言えば納得してくれるの?
なにを伝えれば僕は納得できるの?
やっぱり認めてしまえば。
誰に対しても遠慮なく、僕自身にも縛られずに。
もう、すべてを解放してしまっていいんだろうか。
きっかけなんか、特になにもない。
具体的に、どこが気になった、なんてものもない。
なにもかもお世話になったからとか、恩義を感じてとか、そういうことでもない。
優しい、そして誠実。あとはイケメンだったっけ。
でも、たぶん、そういうことでもない。
ハッキリとした理由なんか、いっこもない。
自分で自分のコトが、いまだにわからない。
ただ、もっとあのひとを知りたい。
いつまでもそばに居たい。そう思う。
そして、あなたが――
「ウフフ、実はですね、私なら勇者様を元の世界へ送ることができるんですよ?」
「えっと……いちお今でも帰るだけなら帰れるんです。ただ、ちょっと色々事情があって」
「神の代理に全身をペロペロされそうだからですか?」
……どうしてそのことをドナさんが知っている?
ここにいる彼女たちと魔王様。ナーガさんやお城のひとしか、それは知らないことのはず。
「なんでドナさんが、そのことを知ってるんですか」
「私のことは置いておきましょう?勇者様、あなたのことです。あなたの性別と生活のなにもかもを、元に戻すことができますよ?それと、ここだけの話、あなたの世界の神の代理の問題も片が付いているのですよ?」
「うーん。いまの話の中で代理さんのことはべつにいいかなー、って」
「信じてませんね?」
ドナさんは、ちょっとムッとしている。
だって、神の代理なんて存在を彼女がどうこう出来るとは思えないもの。
ああ、僕の心は外の世界に出たがっている。
押さえつけないでほしいと願っている。
どこの誰にも。僕自身にすら触れられたくなかった想い。
ううん、本当は、もうずっと前から少しずつ溢れていたんだ。
いろいろと言い訳をして誤魔化していただけの本当の気持ち。
そうだね。もう抑えたりしないから。
――温かい風に吹かれて舞い上がってほしい。
「いいえ、信じるとか信じないとかじゃないんです。僕はこのままここにいます。男に戻る理由も帰る理由もありませんから」
「帰る理由がないんですか?ご家族が待っているのに?勇者様はやはり頭が?」
相変わらずディスってるなーこのひと。じつは弩Sキャラなのかな。
「僕はこのままみんなと……魔王様と一緒にいます。理由はそうしたいから。ただ、それだけです」
「討伐は失敗なんですか?」
魔王討伐、か――
ドナさんの質問に笑ってしまう。
「ふふっ、最強の魔王が相手です。簡単にはいきませんよ。魔王って掴みどころがなくて、攻略するのは大変なんですから」
だから。
「だから道半ばです。いつかは掴みたい。完全攻略したいなって思ってますよ」
「そうですか、勇者様が。……なるほど、魔王を攻略ですか」
「ええ」
「どういう意味での攻略、なんです?」
ドナさんが僕をじーっと見る。
でも、僕はもう目は逸らさない。
そこから絶対に逸らさない。
「知ってますか?勇者様がこの世界にきて、ちょうど一ヶ月なんですよ」
「ええ、知ってます。一ヶ月前の今日に来たんですよね。この世界に」
だから彼に言いたかった。
「一ヶ月前の今日、あなたと初めて会ったんです」って。
ただ、それだけの。
だからなんだってコトなんだけど。
あのひとに、そのコトをなんとなく伝えたかった。
「たかが一ヶ月くらいで随分と変わったんですね?異世界の勇者から恋する乙女にジョブチェンジするなんて」
「乙女かどうかは知りませんけど……そうですね、ドナさんの言うとおりです」
認めればいい。
偽る必要なんかない。
帰る理由と男に戻る理由はないけど、逆の理由ならちゃんとある。
高く舞い上がっていきたい気持ちを解放させてあげられるのは僕だけだもの。
その確かな想い。本当のコトを。
いま、ゆっくりと解き放ってあげよう。
「僕は魔王様に恋してます」




