その28
「どうした光よ、寝不足か?吾輩の素敵スマイルで、頭をスッキリさせてやろうではないか!!」
今はお茶の時間。魔王様と僕とテミスさんの三人でテラスにいる。
寝不足ではない、というか、むしろグッスリ寝すぎた。
この世界にきてから、睡眠不足とは無縁の生活なんだよね。
元の世界にいたときよりも熟睡できてるし寝覚めもいい。ここは異世界じゃなくて安眠世界?
「いえ、違いますよ。いつもちゃんと寝れてますから」
「ヌハハハ!そうか。睡眠は健康の母だからな!吾輩も光を思ってハッスルすると、実によく眠れるのだ!本当はアレソレしたいのだがな!男としての本音は!」
「ハッスルの内容はなんとなく察しますから、話題には出さないでくださいね?あとアレソレも、アレのことなんだろうなと思いますけど」
今日は魔王様の、このノリがありがたい。
考えなきゃいけないこともあるのはわかってるんだけど、今はあんまりシリアスに、あれこれ考えたくないから。
「婚前交渉はしないって僕の父と電話で話してましたよね?ちゃんと聞いてたんですよ」
「ふむ、聞かれていたか。嘘はつかんからな。それは間違いないのだ。信じてくれ」
「ええ、信じてます。あなたは嘘なんか、つかないんですもんね」
言質をとったみたいな言い方をしちゃったけど、僕は間違ったことは言ってないはず。
「では婚姻の儀を結んだあとなら良いのか?」
「え?」
「婚前交渉はしないと吾輩は言った。そして光もそれを肯定している。それは婚後はOKというサインなのではないかと、かなりドキドキしたぞ」
「婚姻の儀……。それって結婚ですよ、ね」
え、え、待って、なにそれ。こっちが言質とられたみたいになってる。
結婚前提のお付き合い?嫁とは言われてたけど、そもそも、まだ付き合ってもいないのに。
いやいや、まだってなにさ?いずれは付き合う気満々なの?僕。
なんか最近、自分の考えてることが、よくわかんないんですけど!
「どうした?光よ。照れて嬉し恥ずかしなのか?安心しろ。そのような話を、御許の同意もなく進めることなど吾輩はしないからな」
「……」
魔王様は、なんでもない冗談のように言ってるだけだ。
だから、僕も普通に返せばいいはずなのに。「なに言ってるかわかりません」くらい言えば、この話はおしまいのはず。
だめ、顔が熱くなるのを自覚する。言葉がなにも口から出てこない。
彼は微笑みを浮かべて僕の頬に手を掛けた。そのままやさしくそっと撫でてくる。
ヘンなことを言ったかと思うと、すぐに優しくなったりで、本当に掴めない。
彼の本心はどこにあるのだろう?それとも、この全部が彼なんだろうか。
うぅ……微かに撫でられた頬が気持ちいい。
ふと、視線を感じてうしろを振り向くとテミスさんが、そんな僕たちを見ていた。
彼女はしばらく僕たちを凝視していたけど、ペコリと頭を下げて場をあとにする。あれは、気を使ったのか、それとも怒って出ていっちゃったのか。
僕は、この先どうしたいんだろう。
本当はとっくに答えなんか出てるのかもしれない。とっくにわかってるのかも。
あらためて魔王様を見る。僕はなぜ、このひとに惹かれてるんだろ。
そうだ――認めよう。惹かれている。
うん、わかってた、知ってた。ただ……認めたくなかったんだ。
だって、理由がわかんないから。惹かれる理由が。
それに惹かれるという気持ちは、必ずしも、異性としてどうこうとか、恋愛対象としてって意味だけではないはず、だよ。
特別になにかあったわけじゃない。
たしかに、助けてくれたしお世話もしてくれた。
宇宙の危機も回避してくれたし、神様の代理とも渡りあってくれようとした。
優しいし僕のことを考えてくれている。竜族だけど、ヒトとして魅力的だもの。
そして、男だったのに、いまは女の子の、あやふやな存在の僕のことが好きだと言ってくれた。
でも、それを言ったらテミスさんもそうだ。宇宙の危機とか神の代理みたいなスケールの話は別として、こんな僕の事を恋愛相手として好きと告白してくれた。
魔王様とテミスさん、義理でもふたりは親子だからか似ているところがある。
僕の事をまず考えてくれているし、テミスさんにいたっては、転性の泉に入って、僕と対になる性の位置に立ってくれるとまで宣言してくれた。
テミスさんは女の子。
元々が男の僕ならば恋愛対象として彼女に惹かれるのは、ごく自然なことのはず。
彼女のことは大好きだけど、それは恋愛の意味での『好き』なの?
自分の中の境界があやふやだ。
いまの僕のカタチの在りかは何処に落ち着いているんだろう。
思えば最初から、なにかが変だった気がする。
女の子になった直後は、感覚的にいったら魔王様は同性のはず。
あの時から今までで、この人を同性として見ていた時があったのかな。
こんな考えをする事自体、僕がもう、心も女性になっていて、彼を異性として見ていると認めていることになってしまうのだろうか。
……ダメだよ、僕。内面まで女の子にならないように気をつけようって、思ってたじゃないか。
でも、同性異性を抜きにしても、変態になったり優しくなったりするこのヒトに、なぜ惹かれたのかは本当にわからない。
邪神騒動以外では、なにか物語的なこともなかったし、これといって心通わせる出来事もない。ただダラダラとした日々を、ふたりで長閑に過ごしただけ。
出会って何か月も何年も経ったわけでもない。
面倒をみてくれて、好意をよせてくれるひとだから惹かれる?
ううん、それはないよ。救助されて保護してもらったから。好意を持たれたから、惹かれるなんてありえない。
なら、この僕の思いは一体なんなのかな。
自分の気持ちの、なにもかもが本当にわからない。
「なんだろなー?わかんない」
そこから先に進めない。進みたくない。
「光」
「魔王様?」
あ、ボーっとしてるうちに魔王様が手が、また、僕の頬を撫でていた。
自分でも気づかない間に、その手に僕も自分の手を重ねてたっぽい。
彼の顔が、ちょっと近い。目がいつもより潤んでみえる。
あれ、なにこの雰囲気。
……頭に血が上る。
魔王様の顔が近づいてくる。え、動けない。なんで?
なんだか――頭と肩が重い。
僕はどうして目を閉じてるの。
なんでさ、僕。目を開けてよ。動いてー。目を開けてー。
うわ、ヤバイ、どうしよう。
口臭くないかな?唇荒れてないかな、僕。って違う違う。違くて……違くてさ。
早くして……じゃなく……て。待って、待って、まって、まって。
……なにこれ。
あ、もうダメ。心臓痛い。胸の真ん中も背中も痛い。
お腹がギュッとして体中ゾワゾワする。指先までダルい。
このままじゃ僕は……。
「お待たせしました。魔王様、姫様。モンブランをお持ちしました」
「オホホホホ!わたくしも参上しましたのよ。愛しの光さんのもとへ」
うっっっっっわあああああああおおおおおおあああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああ!!
あっっっっっぶなああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああっ!!!!
すっごいヤバかった!
超危険!危なかった!見られてないよね?
いま魔王様と、その、キスされる。キスするとこだった……。
やっぱ、そうだよね。なんでどうして、そうなった?わけがわかんない。
そんなことをする雰囲気でも、心持ちでもなんでもなかったのに。
だいたい、なんで僕が彼とキスをすることになっちゃうの?なに考えてんのさ。
……ダメ、頭がバカになりそう。
胸が超スピードでバクンバクンいって、ものすっごい痛い。このまま死なないよね、僕。
うん、テミスさんには感謝しておこう。
ギリギリのタイミングで、彼女には見られてないと思いたい。
ああ、神様も一緒なんだ。神の力とやらで覗き見してなかったですよね?
「ほう、テミスよ。良いタイミングで戻ってきたものだな!我が娘ながら恐ろしい間を持つ者よ!」
「なんのことでしょう。風の精霊の助けなんか借りてません。ちょっと準備に手間がかかっただけです」
「ふふん!精霊か!道理で絶妙すぎると思ったわ。随分とゆっくりした準備ではないか?まぁよい。吾輩は焦らないタイプなのだ!」
「そうですかありがとうございますやっぱりパパは宇宙一ですね。おわり」
「テミスさん、あの、ありがとね?モンブランかー。なんか久しぶりに食べる気がするよ、あははー」
「姫様、お耳をお貸しください」
うん、なーに?
テミスさんは僕の耳に口を寄せると、こんな懺悔をしはじめた。
「私は姫様の惚けたお顔で昂りました。仕事中にも拘わらず我慢できませんでした。以上です」
なんなんだ、この親子は。悪い意味でブレなさすぎるんですけど。
テミスさんの息が耳にかかって、くすぐったい。
マジメなシーンが全然続かないのは、この親子ふたりのみが原因なのは間違いないと思う。面倒だけど、コソっとテミスさんの耳側で言う。
「ねえ、テミスさん。なにが我慢できなかったのか聞きはしないけどさ。そういうのはあんま言っちゃダメだよ?まわりに聞かれちゃうかもだし」
「安心してください。手は綺麗に洗ってきましたので」
「うん、そんな話は一切してなかったよね?」
ブレないエロフ少女。彼女の行く末が心配になってくる。
「私の恥ずかしい話で姫様の恥ずかしい気持ちはなくなりましたか?」
「テミスさん……」
もしかして。
もしかすると彼女は、僕の小恥ずかしい気持ちを和らげるために、あえて自分を切り売りするような発言をしてくれたんだろうか。
……ありがとうと思うけど、やっぱりさっきのは見られていたんだと確信して、さらに恥ずかしい思いをしてしまう。
「姫様は」
「うん?」
「姫様は、元男ですけど、女の私には興味がないのですか」
「また元て。だって興味もなにも。その、ね」
興味がないなんてことはない。
僕だって男だったんだもの。普通に異性に興味があって、だから恋もした。
まあ、女の子のソッチのお話を聞かされることになるなんて思わなかったけど。
テミスさんは、魔王様よりもキャラの崩壊度がヒドい。もちろん、ヤラシイ意味のほうで。
そういうコトには女の子って消極的っていうか、もっと隠すものなのかと思ってた。
女の子に夢を見すぎだったのか、彼女が特殊なのか。……それとも相手が僕だからこそなのかは、テミスさんの心の内なのでわからない。
――女の子に興味がなくなっている……?いや、まさか、そんなことは……。
「神様はヘンなテンションになってますよ」
「え?」
言われて神様を見てみると。
もの凄ーく、ヤラしー目になってハァハァ言っている。
比喩じゃなくてホントに「ハァハァ」って言ってるの。
いたよ、ここにエッチな女の子が!
イヤすぎる。縦ロールお嬢様のエロい目つき。神様ってどこに通報すればいいの?これ。
「ふぅぅぅぅぅうううう!やはり美少女は素晴らしいですわ。来たと同時に特大のご褒美をいただいてしまいましたわね。いきなりご褒美などとは、さすがわたくし。日頃の行いの賜物ですわ!」
「なにかしましたっけ?あなた」
「ガーン、眩暈がしますわ」と、椅子にもたれ掛かる神様。
転性の泉を創ったことしか、僕の印象には残ってないのですが。
あ、でも、父さんには僕の無事を伝えてくれてたっけ。
スマホも使えるようしてくれたし、おかげでさっちゃんとも連絡がとれた。
そういう意味では感謝してるかも。お世話になりました。ありがとうございます。え?はい、もうお礼はおわりですよ。
「なにを仰いますの?せっかく召喚の門を開いて差し上げたのに」
「召喚の門、ですか?」
「ええ。正確には異世界の門。王国のと違いまして、その門ひとつで光さんの世界からご家族やご友人が行き来できますわ。むろん、わたくしが招致していない人物は出入りもできませんのよ」
「家族と……友達」
「さっそく、ご家族とご友人にお伝えしたらいかが?今すぐにでも使えますけど、都合がつきましたら遊びにいらしてくださいと、ね?」
うそ、また会える?父さんやさっちゃんに、ホントに、また会えるんだ。
「あ、あの、ありがとう……ございます」
「いいえ、当然のことですわ。ですから、ね?お泣きにならないでくださいませ」
「う、うぅ」
神様の細い両腕が僕の頭を包み込む。
嬉しい。また会える。もしかしたら、もう二度と会えないかもと覚悟してた。
「光、よかったな。吾輩も嬉しいぞ」
「姫様、本当によかったです」
「うん、ありがとう、ございます」
変態親子も喜んでくれた。こういうときは茶化さないで、キチンとしてくれる。
本当にズルいふたり。でも、ありがとう。
どうしよう?とりあえず父さんに電話して、そのあとさっちゃん。
とりあえず、なにから伝えたらいいんだろう。
あ、でもいま何時?三時三十七分ってことは、父さんは仕事中だ。
じゃあ仕事が終わる頃に電話しよう。慌てさせちゃうかもだし。
さきに、さっちゃんにしようか?
電話はもちろん、メールとかSNSもしてるけど、直接会うのは数週間ぶり。
今の僕の写真も送ったりしたけど、あまりにも変わった僕をヘンな目で見ないか、ちょっと心配になってきた。
ううん。さっちゃんはそんな子じゃないのは僕が一番知ってる。彼女はなにがあっても僕を受け入れてくれる。うん、知ってる。それは理屈じゃないもの。
でも、あんまり変化してないのかな?あ、とりあえず彼女が混乱しないように男アピールしようかな?
あんまりにも女の子女の子してるのもね?今の僕が傍から見たらどうなのか、よくわかんないけど。
ああ、さっきもそうだ。自分では気を付けてるつもりなのに、元々は男だって意識が忘却の彼方に消えてしまいそうな時がある。体も含めた、このいまの日常に不満がないってことなんだろうか。
いや、ダメダメ!家訓にするって思ったんだから、男だってコトは忘れちゃダメだ。
忘れたら、さっきみたいなコトが魔王様と……また起きちゃうかも、しれない。
とにかく幼馴染を混乱させても仕方ない。異世界に来るってだけで混乱するだろうし。
なんか、僕のほうが混乱してる気もするけど、仕方ないよね。だって、すごく嬉しいんだから!
あー、楽しみ!早く電話しよう。
……蓋をして忘れたい想いがあるから早くしよう。




