春休みの私たち
ただ、懸案事項はまだある。旅行のような一過性のことではない。
光の内面――心だ。
あの子が可愛いのは、なにも容姿のことだけではない。
が、光の内面が、誰もが尊ぶ光り輝く聖女のような心かというと、それはない。
光は平凡で、とりたてて特徴のある性格はしていない。
ポヤっとしたところは多少、本当に多少あるが、それだけだ。
再度言う、それだけだ。異論は認めない。
おそらく、光の内面を慕う人間は多くはないと思う。
あの子が例えば水ならば、私のことを「なぜ、あんな水を甘露のように飲んでいるのだ?」と滑稽に思う者もいるかもしれない。
人は誰もが邪の面を持つが、これは仕方がない。聖人君子など世の中にいない。
光も聖人君子ではない。ごく普通の感性だ。
ただ、あの子は尖った面が、どこにもないと言えばいいのだろうか。
他人を悪く言わない。言動に裏表がない。
悪口を言わないというのはとても簡単そうで、その実難しいことだ。
あり得ない話だが、光はそもそも他人を悪く思うことがないのかもしれない。
「誰々のこういうところが嫌い」
「誰々がこんなことをした、あんなことを言うので嫌い」
「担任のキュウリがキモすぎて吐きそう」
「誰々が下心丸出しで光にぶつかった。あいつは斬首しよう」
「よその小学校の女子が集団で光を見学しにきた。むしろ男子のほうが多い。奴らは二度と表を歩けなくしたほうがいいかもしれない」
そういった話が、あの口から出たことはない。
私もあまり悪意は持っていない人間だが、光の悪意や害意といったものがない心に惹かれる。
改めて気づかされたが私は幼少の頃から、光の見た目ではなく内面に癒されているのだろう。
突出したところはなにひとつない。けれど、尖ったところが一切ない。
丸くて暖かな、ふんわりとした柔らかい子。引き寄せられないはずがない。
そういう人間は探せば他にも、いくらでも転がっているだろう。
光のような人間が、この世にあの子ひとりしかいないなどということもないはずだ。
それでも私は光がいい。
あの子でなければもう駄目だ。無理なのだ。
私の渇きを癒す水は光だけだ。あの水でなければ絶対に飲めない。
代替品などでは満たされない。それは理屈ではない。
『とても優しいから』や『とても誠実だから』といった要素がなくても、ただ光と一緒にるだけで嬉しくなれる。
なんて素敵なことだろう。
人と人の繋がりは損得勘定ではない。
私は自身の父母と光のお父さん、亡くなった光のお母さんはとても好きだ。
だが光に対する好きは別物だ。
心そのままに意思疎通ができるなら、あの子が食用ガエルになっても構わない。もちろん食すことなど決してしない。
キュウリが援交女子に金を吸い取られすぎたのか、私たちに理不尽に絡んでくる時がある。
光も被害にあう。それどころかキュウリは欲情した目で、あの子を見ている節がある。
光はまったく気づいてないが光以外は皆気づいている。
けれど光は「先生もストレスとかあるんだよ、たぶん」と柔らかく微笑むばかり。じつに可愛い。
私は幼稚園のときに『短気は損気』という言葉を理解した。
私の堪忍袋は袋ではない。叩いても落としても壊れないステンレスのコップ。それが私の堪忍袋だ。衝撃にも強い。
私は我慢ができる女だ。
ただ、どんなに丈夫な堪忍袋でも、残念ながら容量には限界がある。
キュウリが光に向けているあの目。あの視線は一滴の汚水だ。
ただの袋ではないステンレスのコップは破れない。
だが垂れた汚水は、いつかはコップ一杯の汚水になる。
私は我慢ができる女だ。水は表面張力がおこるのだ。
そう、私は我慢ができる。短気ではないのだ。
さて、念のために言うが、光は頭がお花畑ではない。ないったらない。
お花畑ちゃんではない例を挙げよう。
光の頬は、マシュマロよりは柔らかく、突きたてのお餅よりも少し固いといった奇跡の肌触りだ。
私は光の頬をムニムニと引っ張るのが大好きだ。
ムニムニムニムニムニムニムニムニムニムニムニムニムニ。
「いつまで、つねってんのさ!さっちゃん!!」
調子に乗って延々とムニムニしてると最後は怒り出す。
林間学校の部屋割りで揉めた時もそうだが、ちゃんと怒の感情は持ち合わせている。うん、可愛い。一安心だわ。
子供の頃に天使だったのに、大人になったら薄汚れる人など枚挙に遑がない。
けれど、悪意がない夢の国で生涯を過ごすわけにはいかない。
私に出来るのは、あの子が薄汚れた心に触れぬよう気を付けることだけだ。
全身全霊で気を付けようと私は心に誓う。
百万ガロンの聖水に、一滴の墨汁を垂らすことも許されないのだ。
ちなみに光は清廉潔白でもない。
食べ物のことだと私欲にまみれる。
良く言えば食べることが好き。悪く言えば食い意地が張っている。
地元の行列が出来る超人気ケーキ屋。
人気ナンバーワンのシュークリームを食べたいと光が言ったので一緒に並ぶ。
お一人様三個までの商品を、三十分並んで二人で計六個買った。
光はキラキラした目で「もう一回こっそり並んじゃおっか」と、おばちゃんみたいなことを言いだした。
食べ物――好きなもの、好きなことが絡むと小悪魔ちゃんになるみたいだ。可愛い。
光の家で仲良く食べる。
程よい甘さのクリームでふんわりした生地が美味しい。
だらしない笑顔で幸せそうに食べる光。唇のクリームを舐めとっている。
アラート!アラート!
※誤字を修正しました。
誤字などは見つけ次第、コッソリなおします。




