その3
朗らかな雰囲気の中『ドヒュードヒュー』と息を吐いて王様が闖入してくる。僕の十五年の人生で初めて聞く息遣いだ。
「ふたりともここにおったのか」
お付きの人は誰もいない。王様ひとりでブラブラしてるのかな。
聞くとセレモニーの準備でみんな忙しくて王様はほったらかしにされているんだって。国のトップのはずなのに扱いが適当だ。
「大臣さんに、ここで待つように言いつけられましたので」
「そうか。いやしかし、そちはまっこと美しいのぉ。男というのが信じられん」
ううむと唸りながら僕にジリジリと近づいてくる。顔が近い近い近い。
たしかに女顔の自覚はあるけど、そこまで美!美!というほどじゃないと思う。今まで美少女顔と言われたことは一度もないし。
もしかしてこの世界の人基準だと綺麗顔なのかなぁ。でも、おっさんににじり寄られるのは勘弁してほしい。
「王様。勇者様が怯えて涙目になっています。これから厳しく苦しい討伐の旅が始まるのです。できれば今この時は静かに過ごさせてあげたいと思うのですが」
魔法使いさんが僕を庇う。僕のために自国のトップに意見してくれるのは嬉しいけど、彼の立場は大丈夫なのかな。
「ふむ、静かに過ごすか。余の天蓋付きベッドはとても静かに過ごせるので有名なのだが、勇者よ。ぜひ体験してみてはいかがかな」
ぎゃー!王様の目がギラギラしてて怖い怖い!あとどこで有名なんですか、その話。
「あ、勇者様。うしろ」
「え」
後ずさった僕は――転性の泉に背中から落っこちた。危険な場所なら柵で囲っててほしい。
「うぅ、冷たい」
「大丈夫ですか?勇者様」
魔法使いさんが僕に手を伸ばして起き上がるのを手伝ってくれる。
泉が浅くて助かった。っていっても全身ビショビショでパンツまでグッショリ濡れちゃった。
「でも女の子になったりしないで良かった。魔法が効かないって話だし、もしかしたらこの世界の不可思議現象全般に抵抗できるってことなのかな」
妙な世界に拉致られたあげく死の危険な旅に放り出されて、性転換までされたら洒落にならないよ。
「それなんですけど勇者様」
「うん、どうしたの?」
魔法使いさんが困ったように僕を見る。今さらだけど、この人の名前をまだ聞いてない。
「髪、伸びてますよ」
「あれ?」
指摘されて頭やら首筋を触る。なんか胸のあたりまで髪の毛が伸びてるんですけど。イヤな予感しかしない。
「あと今すぐ胸を隠したほうがいいと思います。透けてますから」
「えと」
僕はおそるおそる自分の胸に手をあてた。今日の僕はなんの変哲もない白のTシャツとスキニーパンツ。Tシャツの上から胸を抑えると――。
――ムニュ――
つつましくも柔らかな手触り。僕は体が貧弱で胸板もガリガリだ。自分の胸がこんなムニュっとした感触になったことなどない。
ハハッ!きっと急激に太ったんだ。
「おまけに背もちょっと縮んでいませんか?」
そういう魔法使いさんを見上げる――見上げる?さっきまでこの人は僕よりちょっと高いくらいだったはず。
今は彼の顔を見るのに首を上に向けるくらいの差がある。この人が急激に成長期に突入したんじゃないのは理解しよう。したくないけど。
うん、まさか。
「ななななんと、伝承はまことであったか!まさに神の奇跡だ」
王様が鼻息も荒く叫びたてた。こんな奇跡はいらないです。
「となれば話は早い。とりあえず勇者には余のベッドまで来てもらおうか」
「なんの話が早いんですか。僕としては着替えと着替えるための部屋を用意していただくのが早い話なんですけど」
目を血走らせた王様が僕の右手首を強引に掴んで引っ張る。怖い怖い怖い!
「もう討伐など止めるのだ!そんなものはまた異世界人を召喚すればよい。そちは余の側室として生涯にわたり舐めまわし…いや、何不自由なく過ごさせてやるぞ」
いまこの人『舐めまわす』って言った!
怒涛の展開にクラクラしておかしくなりそうだけど、この人の気持ち悪さで逆に意識を失わないでいられた。
「離してください!もう今すぐ帰ります!」
腕を振りほどこうとしたけどガッチリと王様が僕を離さない。元々腕力がない僕だけど、女性化でさらに力がなくなったんだろうか。
「その体で元の世界に帰るのかね?」
「うっ……ええそうです。今すぐ帰ります!」
帰ってどうなるか未来が見えないけど、このままここにいたらこのキモいオッサンにされてしまう未来しか見えない。それは全力で回避しなくちゃ。
それに元の世界に帰れば、この珍妙な泉の効力も消えるんじゃないだろうか。
「ぐへへ。嫌がる超美少女をモノにするのも悪くないものよのう」
どこの悪代官だ。僕はあっさり王様に馬乗りにされてしまった。一国の王が人前で『ぐへへ』とか品のない笑いをあげてる。
魔法使いさんに助けを――だめだ。さっきは庇ってくれたけど、いまこのおっさんをどうこうしたら最悪、魔法使いさんが反逆罪とか難癖をつけられるかもしれない。
でも、じゃあどうすれば。
「ドヒュヒュ。他人に見られながら迎える初めても悪くはないではないか。余の勇者様よ」
ぎゃー!顔に中年オヤジのヨダレが垂れた!あとやっぱり、このおっさん完璧変態だ。
「やめて!今すぐ僕からどいてよ!」
無駄だろうけど僕はバタバタと抵抗を試みる。覆いかぶさった王様は、僕の両手首をガッチリ掴んで耳元で囁く。生まれて初めて身の危険を感じた。
「あ、安心していいんだな。余はも、もの凄く女の子に優しくするんだな。特に伽のときにはだな」
誰だよ!興奮してキャラ崩壊してるよ!この状況が既に一ミリも優しくないけどツッコミたいのはそこじゃない。
「そちがこうしていることは正に運命なんだな。神に定められし運命なんだな」
その神を連れてきて!文句言ってやる。
王様が僕の口を塞ごうと自分の唇を突き出してきた。
こ、このままじゃ僕はこの変態に…!
「だ、誰か助けて!!神様なんかあてにならないから強い、誰よりも強い人がいいです」
こんな状況をつくりだした転性の泉を創った神様とやらは無視だ無視。
「ヌハハハハハ!この状況でそんな要求を宣えるとは、なかなか良いキャラをしているな!気に入った!!」
唐突に高笑いが聞こえる。王様でも魔法使いさんの声でもない。けど僕のほかには王様と魔法使いさん以外誰もいない。でも、この際誰でもなんでもいい!
「どなたか知りませんがお願いです!僕を助けてください!あなたが…あなただけが頼りなんです」
このド変態から救ってくれるのは―。姿も見えない高笑いさんに、僕は必死ですがった。
「いいだろう。魔王たる吾輩が救ってやろう。勇者をそこの変態から、な」
「「「え」」」」
その言葉に僕と魔法使いさんが声のほうに目を向ける。僕を組み伏せていた王様も振り返った。
声がしたのは空だった。
その空に浮かんでいたのは――
金色の長い鬣の馬の頭に黒い翼と蠍の尻尾を持った――
悪魔だった。