その20
「姫様に残念なお知らせがあります」
向かいに座るナーガさんが神妙な顔をしている。
「残念なお知らせ、ですか」
うーん、なんだろ?僕に関わることだから送還か転性かな。
もしかして「もう養うのは無理なので城から退去していただきます」とか?そしたら、どうしよ。
「王国へ派遣した調査団から第一報が届きました。まずは転性の泉の件です」
「はい。聞かせてください」
緊張する。でも『残念なお知らせ』って前置きしてるんだもんね。
最初にナーガさんに会ったときに「男に戻るのは叶わないだろう」って言われてた。
さすがに命の危険だったらイヤだな。神の呪いで、寿命があんまりないとか。
まぁ妄想しても仕方ない。話に集中しないと。
「姫様が男性にお戻りになれる可能性は限りなくゼロ。実質不可能です」
「やっぱり、そうなんですね」
「心中お察します。結論から申し上げたほうがいいだろうと判断してのことだったのですが、申し訳ありません」
「いえ、そのことは。……もう、戻れないんだろうなって思ってましたから」
諦めてたわけじゃないし、どうでも良くなったわけでもない。
でも、その昔に身を変えられた竜族が、いまだに人のカタチだ。
仕方ないってわけじゃないけど、僕の体もこのままなんだろうなって。
性が逆になった状態でも、日常生活には困ってない。もっと色々と不自由するかなと思ってたのに。
女の子の体がイヤでイヤで、男に戻りたくてウンザリする毎日、なんてことも結局ないままだ。
お城の人たちがサポートしてくれてるからなのか、それとも僕が呑気なのか。
べつに、それが理由でこの体のままでいいや、ってわけじゃないけれど。
僕は僕のままだ。前も今も僕の心まで変わったわけじゃない。
好きなものが嫌いになったり、嫌いなものを好きになったとか、精神が弄られたようなことはおこらない。
いいものはいい。いやなものはいや。そういう大事な部分は変わってない。
それに、いつかこの話を聞かされる時がくるのはわかってた。
でも、現実を突きつけられたら、もっと自分は動揺して取り乱すものかと思っていた。
体が元に戻れないなんて、傍目には悲惨な話に思えるだろう。
僕のこれまでの十五年間。いままでの僕が消失したような気持ちも少しはあるし、自分が別人になったわけじゃないと、思い込もうとしている部分もないわけじゃない。
そういったゴチャ混ぜの感情を抱えているのに、こうして冷静に事実を受け入れている。
どうしてかな。異世界や魔王様、神の祝福で転性なんて現実離れした話が自分のことなのに、どこか人事のような諦観の心境なのだろうか。
……わからない。その理由はどこを探しても答えが見つからない。
それよりも、体が変化して負荷が掛かったとかで、命の危険があったりするのは洒落にならない。
健康診断では問題なしって話になってたけど、実際はどうなんだろ。そっちは内心、心配している。
チラっと横目で魔王様を見上げる。僕の右隣で腕を組んでナーガさんの話に聞き入っているけど、彼はどこまでこの話を知っているの?
これから聞かされることもある程度は、事前に聞いているのかな。
「転性の実験を行いました。幸いにも王国民が二名、被験者として協力を申し出てくれましたので、実験はスムーズに行われました」
「そのひとたちは問題ないんですか?その、色んな意味で」
「ええ、ご安心を。女性の体がとても大好きな中年男性たちですから、快く協力していただけたそうです」
その人たちに家族はいなかったの?家族がいたら、さすがに反対するはず。
「ご家族にも実験協力の了承を得ましたので。むしろ被験者本人よりも、ご子息やご息女。ご夫人が乗り気だったそうです」
「そうでしたかー」
「今すぐやってちょうだい!今日は人生最良の日だわ!」という奥さんもいたんだとか。どうして旦那さんが女性に変化するのが最良なんだろ?
でも、よかった。無理やり実験に連行したなら大問題だけど、本人だけじゃなくその家族まで同意したなら大丈夫だよね。
「転性の泉の効果は抜群です。動物から雌雄異株の植物まで、すべての雄雌に効果がありました」
「人間だけじゃなかったんですか。怖いくらい強力な効果ですね……」
「はい。その結果を踏まえて最後に人間で実験を行いました。泉に浸かった瞬間に性が逆転したのを確認。そのまま精密検査に移行しました」
僕とおなじ結果、なんでしょう?
「そうです。様々な検査をしましたが、その身は紛うかたなき女性でした」
「被験者さん達は女性になって喜んでたんですか?」
「姫様。我々の目的は泉の効果と、その安全性の確認です。被験者の感想を求めているわけではありません」
「あ、ごめんなさい。続けてください」
話の腰を折っちゃった。
ナーガさんは最初おっかないひとだと思ったけど、今はそうは思わない。
こういう報告のときは事務的っていうか温かみは感じないけど、冷酷で非情な人ではなくて、すごい生真面目なひと、ってのが最近の僕から見たナーガさん。
「いえ、私こそ失礼しました。被験者を思いやる姫様のお優しい気持ちに、感涙して心洗われるようです。涙でスクリーンが見えませんね」
「スクリーンなんてどこにあるんです?」
「では報告を続けます。本人たちの持病などは、そのまま引き継がれていたようです。それ以外で新たな不調、ならびに生命維持に関する重大事項は確認できませんでした」
「じゃあ、僕も寿命が縮んでたりとか、しばらくしたら死んじゃうってことはないんですか」
「ご安心ください。生命活動には、なんら心配されることはありません」
ホッ、よかった。とりあえずは生きるのに困ることはなさそうだ。
「光よ。不安だっただろう」
魔王様は右隣の定位置に座り、僕の右手を握っている。
話が始まってから、彼は一言も口を挟んでない。ただ手を握って僕の様子を見守っている。
少しヒンヤリとした彼の手に、ちょっとだけ安心する。
「いいえ、大丈夫です。検査のときも特になにか言われたわけじゃなかったですし」
「良かったですね、姫様」
テミスさんはうしろに立ち、僕の両肩に手を添えていた。
見上げるとのぞき込むような彼女と目があう。なにを考えてるかは、相変わらず掴みにくい。
けど、僕を心配してくれているのはわかる。
「うん、ありがとう」
肩に置かれた彼女の右手に僕の左手を重ねた。
彼女の手は温かい。この温かさも心地良い。なんだか嬉しくなってくる。
と、見上げていたテミスさんの顔が近づいてきた。なんで?
息が掛かるくらいっていうか、息が掛かってる。
彼女の吐息が僕をくすぐる。なにしてんの?
グインッ!
いつのまにかテミスさんのうしろに回ったナーガさんが、襟首を摘まみあげている。猫みたいに持ちあげられて、ブラブラ揺れている彼女。
楽々と女の子を片手で持ちあげるナーガさんの腕力も怖い。華奢にみえるけど、さすが竜族。
「テミス、話を続けたいのですが?お前がなにをしようとしていたのかは丸わかりですが、就業時間中に発情するなど以ての外」
「うむ、吾輩もテミスの気持ちは痛すぎて悶絶するくらいに、よくわかるがな。だがキスはいかん。そういったことは合意のもとに行うべきなのだ。不意打ちとは卑怯なりだ!」
「窒息しそうだからおろして、ナーガおじ……ナーガ。もうしません。ごめんなさい。姫様、好きです」
この子、キスしようとしてたんだ?
うわー、危うくファーストキスを奪われるとこだった。
てか、なんで最後に好きですって言ったのさ?
テミスさんは急に突拍子もないことをするときがある。
こないだはお風呂で唐突に胸を揉まれた。
「姫様のお胸は慎ましくて好きです」という感想を頂いた。あっそ。
スキンシップの一環かもしれないから、今さら胸を揉まれたくらいで大騒ぎはしないけども。
いちおう言っとくけど、僕がテミスさんの胸を揉んだりすることはないからね。
テミスさんって体的には同性の僕でも、恋愛対象としてOKなのかな。ほんとのほんとにの百合のひと?
彼女と目が合う。無表情なのに微笑んだような気がする。
もしかして緊張を解そうとしてくれたのかな……。
キス、か。魔王様は紐パンでアレがアレのときがあったけど、直接的な行動は僕に対してしてこない。
けど、義理の娘のテミスさんは今みたいにキスしようしたり胸を揉んできたりする。
やっぱり、同性と異性とではそういう感覚も違うのかな。
それとも単に本人の性格か。まぁ、このふたりがヘンテコ親子なのは間違いないと言い切れる、うん。
魔王様を見てみる。大きく引き締まった体躯。彫像のような男性美の極み。
そして、絵画のような美しさの女性らしい体のテミスさん。
今の僕は、ふたりのどっちと同性なんだろう。
ふたりのうち片方は異性。もう片方は同性。
あたりまえのことなのに、なぜか戸惑う。
――僕はあなたを、どの方向から見ているんだろう。
それよりも、とりあえず今は話の続きを聞くほうが先だよね。




