その13
なにをするでもなく毎日が過ぎていく。
今のところ帰れる目処も立たないので、今日はこの国のことを教えてもらうことにした。
「ネットで調べるのも結構ですが、せっかくですので講話にしましょう。魔王様の道程を掻い摘んでお話します」
とは、ナーガさんの弁。なにから手をつけていいかわからないので、お言葉に甘えることにする。
講師はナーガさんだった。忙しいんじゃないですか?と聞いたら「姫様に尽くすのが私の使命。それは最優先で最重要案件ですので」と言われる。
なんだろう。凄く辛い。
ええ、魔王様は当然のように僕の右横に座してますよ。
最初は僕を膝の上に乗せてご満悦だったけど、ナーガさんに苦言を呈されのと僕がギャーギャー文句を言ったら渋々、横に座った。
手を握った次はいきなり膝上に乗せるとか、色々と順番をすっ飛ばしすぎだと思います。
「我輩の童貞の話とは失敬なのだ!」と憤慨してたけど、スルーするのが正解だと思ったので、ほっときます。
魔王様は仕事をしなくていいんですか?と聞いたら「御許と共に過ごすのが吾輩の唯一の仕事!」と言われた。
なんだろう。またもや話が通じない。
「姫様が来てくださったおかげでとても助かります」
魔王様は置いといて、ナーガさんもご機嫌だ。どういう意味だろう?
まぁ、穏やかな雰囲気に波風立てても仕方ない。このまま色々教わろう。
むかしむかしの大昔。戦争が当たり前のこの大陸。
竜族は世に無関心で他種族に関わることなく暮らしていた。
強大な竜族を敵視して、ハイエルフのように一方的に対立していた種族もあったらしい。
そんな中で魔王様だけは外の世界に興味を持ち、子供の頃から外に出ては他種族と係わりを持ったりしていた。
魔王様は怠惰な竜族と、戦争ばかりしているこの大陸がイヤになったそうだ。
殺し殺されの世界をウンザリ眺めていた魔王様は、ナーガさんをはじめとした仲間と共に竜族の聚落から外界に飛び出した。この世界をなんとかしたいと。
世界に無関心の竜族の中にいて外の世界に出た魔王様は、一族の中でも変わり者なのかな。違う意味では十分変わってるけどね。
魔王様は徐々に仲間を増やしていくが、戦いは困難を極めた。
永く永く続く戦争のなかで、共に戦った仲間のうち亡くなったひとも沢山いた。
テミスさんの両親は、ハイエルフの族長で魔王様の親友。
激しい戦いの中で戦死した彼ら。遺されたテミスさんは拠点を移りながら生活していた。
何十年、何百年も各種続間で続く大戦争。
僕には想像もできない。このひとたちはそんな永い時間を苦難とともに生きてきたんだ。
そして、ようやくこの大陸にひとつの国ができた。それが今のこの国。
国を作っても、種族間の確執や混乱は中々収まらなかった。
けれど、魔王様を始め平和を望む大勢の人の尽力で、ゆっくりとだけど大陸もひとつになっていった。
で、国として統一はされたけど、混迷が長い歳月にわたり続いていたこの国が、名実ともにひとつになったことを国民の皆が誇れた時。
そこから魔王国の暦が始まったんだって。
今年が数えて二千十八年だそうです。
という戦争や建国のことを教えてもらった。年号を暗記しろ!とか言われなかったから、ちょっと安心。
きっと壮絶な過去だったんだろう。苦しくて辛い体験をしてきた魔王様。
それがなんで紐パン半裸や全裸男に変身してしまうんだろ?
細かいことは追々教えてもらうことにして、とりあえずこの国が今は平和を謳歌しているというのはわかった。
「ヌハハ!たまに魔神や王国といった些事があるがな」
魔神討伐って、百年に一度の大興奮スペクタル仮想現実のような現実特大祭り、と言ってた気がするけど些事なんだ?
魔王様は『大戦争を平定した究極の強者』として称えられているそうです。
生ける伝説として国の民に崇められている。
「生きた化石みたいなものですか?」
「ヌハハハ!光よ、吾輩を珍生物あつかいするのは頂けないな!」
世俗的なことはテミスさんも教えてくれた。
この国は漫画やアニメも広く親しまれているとか。
彼女は、「部屋でゴロゴロしながらそれらを楽しむのは至福のひと時なのです……」って言ってます。
異世界のハイエルフ少女ですよね?あなた。
ついでに、二千二十年には王都でオリンピックが開催されるそうだ。
そうですか、楽しみですね。ところで異世界ならではの楽しみは何処にあるんでしょうか。
そんなこんなで、勉強会と他愛もない雑談は過ぎていく。
そこにスマホの着信音。「少々、離席します」と、呼び出されたらしいナーガさんが、魔王様を連れてどっかにいっちゃった。急な仕事かな?
「なにをすればいいんだろ?」
暇だからテレビとか?うーん、それもなんだかね。異世界の番組に、ちょっと興味はあるけど今は気分じゃないかな。
親睦を深めるってことで、テミスさんとお喋りしようか?やっぱり僕としては、彼女には側仕えなんて立場じゃなくて、もっと普通に接してほしいから。
「でしたら姫様。私がお城を案内します……」
「テミスさんが?いいんですか」
そういえばお城の中がどうなっているのか、全然知らなかった。
魔神封印の間に食堂とテラス。あと検診のときにお城とは別棟の病院は行ったけど、場所は城のすぐ隣だった。
「カートで移動しましょう。運転はスレイブがしますので」
そうそう、魔王様とナーガさんはいなくなっちゃったけど、親衛隊長のスレイブさんは僕たちと一緒に残ってる。
カートってことは外に出るのかな。検診はお出かけとは言えないから、ちゃんとしたお出かけはこれが初だ。
「では姫様、こちらへ。仕事を与えていただきありがとうございます!」
スレイブさんはハキハキとしたエルフの青年。今はスンゴイ笑顔だ。仕事するのが嬉しそう。
……ホント普段は、なにしてたんだろ。聞いちゃダメな気がするから聞かないけど。
四人乗りの電動カートみたいな乗り物で移動する。走行中の振動もなくて乗り心地がいいし、スレイブさんの運転も上手だ。
テラスから見てたから改めて驚くことでもないけど、やっぱりお城は敷地も広いんだなぁ。いくつかの建物や森、小山に塔が建っているのが見える。
ちなみに僕の部屋からは、敷地の外の街の様子もよく見える。
お城に来たあの日に夜景をみることなく、この敷地だけを目にしていたら魔王国の印象も違ったのかな。
「姫様ありがとうございます!」
運転しながらスレイブさんが機嫌よく話しかけてきた。運転席がスレイブさん。後部座席に僕とテミスさん。
仕事を与えてくれて?それはさっき聞いたけど……。
「テミスを引きこもりから抜け出させてくださり感謝しております!。こいつは何年も十年も百年も千年以上も、ダラダラダラダラと食っては寝て食っては寝ての、立派すぎる大バカ穀潰しニートなんです!」
千年単位のニート。なにか悟りでも開いてそう。
本人もこないだお風呂で、そんな話をしてたっけ。と、彼女の端正な横顔を見ながら思い出す。
すると、テミスさんが後ろからスレイブさんの頭をブン殴った。無表情にグーで。
「痛ええええ!お前、危ねえよ!?こっちはハンドル握ってんだかんな!」
「兄さん、姫様に余計なこと言わないで」
「え?おふたりは兄妹だったんですか?」
新事実。顔は…全然似てないかも。ふたりとも超美形のエルフなんだけど方向性が違うかな?
スレイブさんは、彫りが深く欧州のひとみたいなイケメン。テミスさんは、大きなちょっとだけつり目の国籍不明な顔立ち。
「いえ、血は繋がっておりません!私とテミスは、幼いころから兄妹同然に育った関係でして!」
「こんな濃い顔と兄妹ではありません。姫様の健康診断のときに顔を合わせるまで、スッキリ忘れてた存在ですので……」
「おまえな?泣いていいか?俺、泣いていいよな!?俺が昔からどんだけ、お前のことを世話してやったと思ってんだよ!」
「前見て運転して、兄さん。仕事中は私語厳禁だから」
「ついこないだまでヒキニートだったクセにコイツは」
いつものテミスさんとだいぶ印象が違う。
兄妹同然に育った、か。僕とさっちゃんと同じかな。
……会いたいな。父さんとさっちゃんに。
着いた先は大きな池。
王国のあれ以来、泉のようなものを見ると体がビクっとなってしまうみたい。トラウマ?
「ここは……おっきな池ですねー。一応聞いときますけど、落ちたら摩訶不思議な現象が僕に降りかかるとかないですよね?」
「大丈夫です。これはただの池です。落ちても濡れるだけ。そのときは私がお風呂で姫様のお体を清めますので」
何事もないようで一安心。
でもテミスさん的には、お風呂に一緒に入るのがデフォになってるのはいいんだろうか。
「ここはお城の中でもあまりひとが来ない…私のお気に入りの場所なのです」
桟橋で池の中央付近まで移動する。
透明度高いなー。あまり深くないけど池の底まで見えて、水草の揺らぎや魚が泳いでいるのがよく見える。立派な錦鯉もいます。
「おいで……」
テミスさんがそう言うと水面がざわつく。
上になにもないのに、蛇口から水が落ちたようにポツポツ波紋となり、やがて水の王冠が泉に広がる。
「うわぁ……これは?」
「水の精霊です。ここは水の精霊の憩いの場。私と精霊の大切な安らぎの場所」
不思議な光景。
波紋を広げて王冠になった水面が、小さなつむじ風のように舞い上がり、スローモーションで回りながら踊りだした。
宙にのぼる流水のダンス。
「……お前、まだ精霊魔法を使えたんだな。引きこもってて精霊のことなんか、とっくに忘れてるかと思ってたよ」
スレイブさんが感慨深げに言った。
「当たり前。精霊は大切な友達…父さんと母さんが教えてくれた思い出だもの」
「ご両親から精霊魔法を教えてもらったんですか?」
両親の形見みたいなものなんだろうか。
「精霊は建前を持ってません。その思考には善悪がなく嘘を嫌います……。争いを好まず人目を避けて、喜怒哀楽の感情のままに暮らしています」
テミスさんが腕を伸ばす。水が細い蛇のような姿になり彼女の細い指先に絡みつく。
「両親は精霊とのお付き合いの仕方を教えてくれました。それは私の大事な記憶。心に偽りのないあの子たちと触れ合うのが、私はとても好きなのです……」
「お前が精霊魔法をエルフ以外に見せるなんて、魔王様とナーガの兄貴くらいだったじゃねえか。姫様、テミスはこの国。いえ、おそらく、この世界で最後の精霊魔法の使い手です」
スレイブさんが驚いている。これはそんなに貴重な体験だったんだ…。
静かに水面に踊る水の柱。
魔神討伐もファンタジー感満載だったけど、これはあんな殺伐としたものじゃなくて。
「すごい綺麗」
僕は踊る水柱に手を伸ばしてみた。ヒンヤリとした水の冷気が指先に伝わる。
すると水柱から飛び出した水が向きを変えて、水蛇になって僕の指にも絡みついてきた。
うわぁ…すごいすごい!
「精霊は……」
「え?」
「精霊は姫様のことを気に入っているみたいです。彼らは嫌いなものには絶対に触れませんから。存在も感じさせずに逃げてしまいます……」
「そう……なんですか」
テミスさんが自分の指を僕の指へと絡ませてきた。冷たい水の中にある彼女の指先から、温かな体温をわずかに感じる。
彼女の指と僕の指に纏う水の蛇。静かな泉の、とても幻想的な風景。
うん、すごく異世界っぽくて素敵。
「姫様は……」
「なんですか?テミスさん」
彼女は僕をじっと見つめる。
その目を見ても、なにを考えているかはわからない。
「姫様は私と友達になりたいと仰ってました」
「ええ、いまもそう思ってますよ」
「でしたら敬語はおやめください。私には、もっと気軽に接してください……」
「いいんですか?」
「魔王様も…たぶんそれをお望みだと思います」
うーん、そっか。僕に友情を感じてくれたわけじゃなくて、『大切な言霊』からくる考えだったのか。
ちょっと残念だけど、テミスさんから距離を縮めてくれるって言ってくれたんだから喜んでおこう。
「ありがと、テミスさん」
「……いいえ」
手を取り見つめあう女の子ふたりは、傍から見たら怪しいかもしれない。
けど、なんかいいね。異世界での初友達。ちょっと大人しいエルフの女の子。
「おーい、テミス。俺もいるんだけど?俺もたまには精霊と戯れたいぞー?」
「あさ食べた納豆の口臭をブチ蒔けている男とは、絶対関わりたくないって水の精が言ってる。兄さん」
「べつにブチ蒔けてねえよ!ちゃんと歯も磨いたっての」
ふふっ、仲いいな、このふたり。