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Octopus's Garden

 同じ対象を撮影しても、モノクロ写真とカラー写真が違うように、そして可視光しか写せない写真とレントゲン写真が違うように、更に言えば写真と動画、立体動画が違うように、観測されたものは対象の正確な反映ではありえない。

 世界は、人間の五感や観測機器で捉えられた事象だけではなく、様々な事象が重なり合って存在している。一般に魔法と言われる事象もその一つである。普通の人間の五感や観測機器では捉えることができないが、ごく一部の人間だけが魔法事象を観測できたり行使できたりする。そういう人間が集まった秘密結社は昔から存在していて、マジカルキャンディもその一つなのだ。

 あれだけの爆音を立てても、叫んでも、通行人が気づかなかったことでもわかるように、魔法少女や悪魔の姿、行使する魔法は一般人には感じ取れない。昨夜の悪魔は、一般人の姿の裕之を完全無視していたが、それは魔法を感じ取れない一般人に攻撃しても通じず無意味だからだ。裕之の場合は感じる能力があるので、あのとき攻撃されていたらただではすまなかったのだが。

 壊れたベンチや燃えた立ち木など、魔法の干渉を受けたように見えるが、もし一般人がそばにいて見ていたとしたらそういう風には見えていない。彼にとってはベンチは壊れていないし、立ち木も燃えていない。観測者の違いによってベンチが壊れているか壊れていないかが異なってくるのである。それぞれが真実であり、世界はさまさまな事象が重なった複合構造なのだ。

「動物は人間よりも私たちの存在を感じる能力が高いの」

 虚空にむかって無意味に吠える犬などがたまにいるが、魔法少女と悪魔の戦いを雰囲気だけでも感じ取ったケースもあるのかもしれない。

 秘密結社マジカルキャンディーの構成メンバーがどのくらいの人数なのかはキャンディーストロベリーも把握していない。メンバーが新しくなるにつれ可愛い名前やキャンディーとの関連性が高い名前を与えられる可能性が小さくなる。キャンディーソルト(塩飴)という名前は可愛くはないが比較的まともな部類だそうである。

「中にはキャンディーロブスターとか、キャンディーオクトパスとか、可愛いさゼロでキャンディーのイメージとかけ離れた名前のメンバーもいるらしいの」

「キャンディオクトパスじゃなくてよかったわ」

 きっと吸盤がついた衣装でラブパワーステッキには八つの触手が生えていたりするんだろう。脳裏に浮かぶイメージに、ないな、とかぶりを振った。

 キャンディストロベリーの話は秘密結社マジカルキャンディの活動に及んだ。マジカルキャンディは各地に魔法ネットを張りめぐらせ魔法少女の活動範囲を広げている。活動目的は悪魔の根絶。

「ちょっと待って。魔法ネットって何? それと、そもそも悪魔って何なの?」

「どう説明したらいいかしら。インターネットの魔法版とでもいうか……。魔法事象を感受できる人間一人ひとりをつなげる仕組みっていうか。一人ひとりのパワーは微弱でもつながることで強力なものになるわけ」

 ラブパワーステッキは魔法ネットに接続するための端末で、魔法ネットにつながったら強力な魔法を使えるようになるという。

「ちなみにどこでも魔法ネットにつながるわけじゃないのよ。この公園はフリー魔法スポットだから大丈夫だけどね。通常の場所では契約しなきゃつながらないし、魔法波動が圏外の場所ではつながらないの」

 インターネットに似ているどころかそのままなようである。

「契約ってプロバイダかなんかがあるの?」

「秘密結社マジカルキャンディはそのプロバイダでもあるのよ。今、二年契約したら三か月無料で魔法少女サブアカウント付きだからおすすめよ」

 魔法少女の世界もずいぶん世俗的なようだ。で、悪魔とはいったい何?

「悪魔とは何かって、その質問は哲学的、根源的すぎるわ。神とは何か、人生とは何かって訊くようなものよ。悪魔は悪魔。物語とかでおなじみでしょ」

「悪魔は一般の人間に手を出さないんでしょ? だったら根絶する必要ないんじゃないの」

「私たちに襲い掛かってくるのよ。さっきも言ったように、私たちの今の状態も現実なの。悪魔は現実に危害をもたらす存在なのよ」

 論理の遊びのような気もした。

 しかし、たしかに魔法ネットは重要な人類の資源としての可能性を秘めている。今は一部の人間しか利用できないが魔法事象を感受できる人間の特性の研究が進めば人類の普遍的財産になるかもしれない。これを脅かす悪魔は駆除すべき存在なのだろう。

「ラブパワーステッキの基本的な使い方は大体把握してるようだけど、まだ危なっかしいわね。一人のとき警報が鳴ったら戦わずに逃げるかログアウトして。悪魔は一般人に興味ないから」

 キャンディストロベリーは文庫本の半分ほどの大きさのマニュアルを開き、ログアウトのときのステッキの握り方と呪文が記されている箇所を示した。

 黒魔法白魔法問わず魔法は闇属性の力なので夜明けには自動でログアウトする仕様になっているらしいが、多くの魔法少女は自らログアウトするらしい。引きこもりでもないかぎり、”現実”の生活に支障をきたすからだろう。

「魔法ネットに接続してるかどうかは、ステッキのここのバーを見たらわかるの。でもフリー魔法スポットはそんなにないからプロバイダ契約したほうが……」

 きっとソルトが契約するとストロベリーに紹介料が入るんだろう。そういえばペパーミントがやけに熱心に魔法少女になることを勧めてきたのもそういうことか。

 魔法少女のコミュニティは見た目ほど綺麗な夢の世界ではないようだ。

「基本的なことは以上よ。これマジカルキャンディのパンフレット。契約したくなったら連絡してね。じゃあ、また」

「待って。悪魔の死体はこのまま放置してても大丈夫なの?」

「昨日どうだった? 放置してても一般人には見えないし。気にしなくてもいいわ」

 そう言い残してキャンディストロベリーは夜空のかなたに消えていった。

 昨日の悪魔はそういえばどうなったんだろう。一般人には見えないとしても裕之には見えたはずなのに朝気づいた時には悪魔の死体はなかった。消滅するのだろうか。

 それとも……。

 キャンディソルトの脳裏に浮かんだのは、悪魔も魔法少女と同じように正体は普通の人間なのではないかという疑念だった。

「よし、今夜は眠気との闘いね」

 夜明けに悪魔もキャンディソルトと同じように自動ログアウトするのではないか。ソルトは悪魔のそばに座りこんだ。


 夜が深まってくる。

 おそらく終電利用だと思われるサラリーマンが公園の外の道を歩いている。あれは、佐藤さんだわ。

 キャンディソルトこと吉田裕之は近所付き合いのいいほうでもないが、佐藤も裕之も終電利用が多いので、たまたま同じタイミングに改札を出たときは他愛無い会話を交わす程度の浅い交流はある。そこまで親しいわけではないが佐藤忠信というフルネームも知っている。歌舞伎にも登場する武将や有名俳優の本名と同姓同名らしく、佐藤はそれを自虐ネタとしていたからだ。ソルトはどうせ一般人には姿は見えないのだという安心感で近所の住人佐藤の姿を無遠慮に眺めた。

 と、目が合った。二度見するような仕草をして佐藤が歩き去っていった。

 佐藤も見える体質のようだ。案外見える体質の人間は多いのかもしれない。ソルトは勧誘しようかと一瞬思ったがやめることにした。マジカルキャンディの居心地が良いかどうかもまだ未知の状況で安易な勧誘は無責任だろう。

 夜明けまでは時間がある。少しだけ仮眠しよう。壊れていないベンチに躰をよこたえる。

 と、公園に佐藤が入ってきた。

 咄嗟に身を隠す。

「おかしいな、たしかに仲間がいたと思ったんだが……。悪魔の死体がある。もう撤退したのか」

 佐藤はビジネスバックから取り出した小さなステッキを通常サイズに戻し叫んだ。

「ピルピルゲロゲロギトギトガチョーンスコズコバッコンテヘペロアルツハイマー!」

 と同時に佐藤の身体は光に包まれ……。

「佐藤さん、すでに魔法少女やってたのね……。それにしても、何この変な呪文」

 物陰に隠れたソルトは苦笑した。色気づいた女子中学生の書いた安物のポエムみたいな自分の呪文と、下ネタとか泥団子で大喜びする男子小学生の考えたような佐藤の呪文どっちがマシなのか。究極の選択かもしれない。

「魔法少女マジカルキャンディオクトパス、見参。タコ殴りにしてやるわよ!」

 噂のキャンディオクトパスだ。

「佐藤さん……」

 見てはいけないものを見てしまった。

 オクトパスは宙に浮いたり墨状の攻撃魔法をはなったり一通りのことをしたあと、ロウアウトして呟いた。

「キャンディオクトパスの姿とも今日でお別れ。さよならみんな。さよならキャンディオクトパス」

 そういって公園のごみ箱にステッキを投げ込んだ。どういうことだろうか。

 今更、姿を現すわけにもいかないし、改札で顔を合わせたときに訊くわけにもいかない。


 永遠に解決できないであろう疑問を抱えてしまったために、佐藤が去っていったあとも、ソルトは眠れずにいた。

 夜明けになろうとしていた。眠気のピークをすぎた高揚感とこれから起きることへの期待感で

目がさえてきた。

 唐突にしゅうしゅうという音とともに悪魔の死体から激しい湯気が立ちのぼった。悪魔だけではない。キャンディソルトの身体からもだった。

 煙がおさまると、浦島太郎が変貌したようにキャンディソルトは、安サラリーマンの姿に戻っていた。

 悪魔は……。

 悪魔の姿はなかった。煙とともに消えていたのだ。マジカルキャンディと同じように悪魔の正体も人間なのではという裕之の推測は外れた形だ。悪魔は本物であり、魔法事象という将来人類の共有財産になるであろう世界を脅かす存在なのだ。

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