Strawberry Fields Forever
「吉田君、どうして報告しないんだね。勝手に判断するなと何度言わせるんだ」
上司、南本芳樹の叱責に頭を下げた姿勢のまま、吉田裕之は昨夜の出来事をどう解釈したらいいのか頭を巡らせていた。
このまま魔法少女マジカルキャンディソルトの姿から戻れなかったらどうしょうという不安は杞憂に終わった。ラブパワーステッキのいくつかの謎のボタンをいじってみたり、指紋認証センサーと思われる部位に指を付ける握り方をしてもう一度呪文を唱えたりしたが、一向にもとに戻ることはなく、疲れてベンチに座り込みうとうとしたところまでは覚えている。目が覚めると元の姿に戻っていたのだ。こっそり音をたてないように自宅のドアを開け妻に気づかれずにベッドにもぐりこめたのは幸いだった。寝室が別々になって久しいが、そのことをこれほど感謝したことはない。
ログアウトを試行錯誤したおかげでラブパワーステッキの使い方はかなり把握できた。ボタン操作の組み合わせで、空を飛べたり攻撃魔法を使えるのだ。ステッキを握る力加減で魔法の強弱の調節もできる。ラブパワーステッキは魔力が充填されたバッテリーでもあり、強い魔力を使いすぎると残量表示と思われるバーがぐんぐん短くなるのがわかった。しばらく放置すると少しずつ魔力残量表示バー(?)が伸びてマックスになる。悪魔との対戦では魔力のスタミナ配分も重要な戦略になることだろう。
現実感のないできごとであるが夢ではなく、その証拠にズボンのポケットには煙草サイズのラブパワーステッキが入っている。うなだれた姿勢のまま、さりげなくステッキをズボン越しに触ってみる。仕事が終わったら、また変身しよう。
裕之は、スマートフォンのネットゲームに代わる現実逃避の手段を見つけたのだった。
「吉田君、聞いてるのかね」
南本芳樹の怒声に現実に引き戻される。
「すみません」
南本は更に、裕之がいかに能力がなくいかに人間としてダメなのかを諄々と説きはじめた。自分を有能だと思っていたバンドマン時代の裕之がまずい演奏のメンバーに容赦なくダメ出しした行為が時間差で自分に帰ってきているとも言えた。
まったく上司の指摘する通りで反論の余地もない。いつでも正しいのは南本であり、間違っているのは裕之であった。皮肉でもなんでもなく事実そうなのだ。何の価値もない人間であることは自分自身で充分にわかっている。しかし他の社員の前でこの手の存在否定をやられるのは何年たっても慣れることのない苦痛だった。
正論で無能を追いつめることの罪深さは有能な南本には永遠に理解できないことだろう。
苦痛から逃れるために、また昨夜の出来事に思考を巡らせていると、南本は説教を中断し心配そうな顔で言った。
「吉田君、今日はどうも様子が変だが体調でも悪いのかね? 今日は早退してもいいぞ」
「ありがとうございます。大丈夫です」
裕之は頭を下げた。南本は有能ゆえに知的弱者の気持ちはわからないが決して悪い人間ではなく、心の中で悪態をつく対象にできないのが逆にやっかいだった。昨夜の悪魔のようなわかりやすい悪のほうがどれだけ気が楽なことか。しかし現実はそうはいかない。
――いや、昨夜の出来事も現実なのだが。
南本の心遣いで定時に仕事を終えた裕之は昨夜の公園のベンチに座っていた。まだ午後七時になっていない。子供の姿はないが、ときおり道路を行き交う人がいて変身するのは勇気がいった。
そうだ、昔のアメリカンコミックのヒーローが電話ボックスで変身したように密室にいけばいいんだ。
裕之は公園の汚いトイレに入った。
ポケットから煙草大のラブパワーステッキを取り出しくるりと回す。何度かの失敗の末にステッキは通常サイズになった。
「愛の精霊よ! しずけき夜の星々よ! 我に力を! シャルマンシャルマンプティフィーユ!」
きらきらとした音と光の中、裕之のシルエットが少女のラインに変化していく。
「魔法少女マジカルキャンディソルト参上。悪い子は塩漬けにするわよ!」
ログインに成功したようだ。鏡で確認する。現実離れした美少女が白を基調にした衣装に身を包み立っていた。
「わたしってなんて可愛いのかしら……」
キャンディソルトは鏡のなかの自分の姿に見惚れ、体中を撫でまわし、ナルキッソスの心境でせつないため息をついた。
おそるおそるトイレから出る。出てしまうと開き直った。仮に誰かに見られても問題ない。コスプレ趣味の変わった女の子と思われるだけだし、魔力があれば補導される前に逃げられる。誰も正体が裕之とは知らないんだから、社会的生命を失う心配もない。
魔法を使ってる現場を見られたとしても心配はなさそうだ。子供でもない限りは見たものをそのまま受け止めないだろう。昨夜の裕之がそうだったように幻覚だと判断するはずだ。ビデオ撮影されたとしても何かのトリックと思うのが普通の反応だろう。
ラブパワーステッキの操作は昨夜の試行錯誤である程度は把握している。
宙に浮いてみた。通りに人が歩いているのを見つけたが、どうでもよくなった。なんなら、目撃されたいくらいだ。
ステッキをベンチに向け叫ぶ。
「ソルティアタック!」
ステッキから白く輝く光線が放射されベンチを直撃する。はじめは弱い魔力で。少しづつ強めていく。光も比例して強くなり、ある強さになると音を立ててベンチが壊れ、さっきまでベンチを構成していた板切れやボルトなどが派手に飛散した。
「凄い……。わたしって凄い」
高校のころアマチュアバンドでライブを大成功させたときの比ではない万能感に恍惚となる。
恍惚を妨害するかのように、ステッキがアラームを発した。見ると魔力の残量が大幅に減っている。ソルティアタックは強力なだけに魔力の消費量も大きいのだろう。安易には使えないということだ。
魔力は自動で充填されていくようだが、もし枯渇するとどうなるのだろう。今の宙に浮いている状態を維持できないかもわからない。それに、この状態で悪魔が襲ってきたらどうする。魔力がある程度充填されるまで逃げ回らなければならない。
次からは気をつけようと、身を引き締めたとき、ステッキがさっきとは明らかに違う種類のアラーム音を発した。注意喚起というより緊急警報に近いニュアンスのメッセージを感じさせる音だ。
キャンディソルトは周囲を見回す。
遠くの夜空に”あれ”の姿があった。
「グゴオオォォォ!」
聞き覚えのある咆哮とともに黒い翼を広げた悪魔がぐんぐん近づいてくる。
「うそぉ。魔法少女マジカルキャンディソルトは今夜でいきなり最終回なの?」
もう一度ソルティアタックを試してみるか。一か八かの大勝負。
「ソルティアタック!」
一瞬弱々しい光線が出たがすぐに途切れ、再びアラームが鳴った。
地面に着地しキャンディソルトは観念した。つまらない人生だった。どうせ俺は誰からも認められない無能な人間だ。生きることにそこまで執着はない。妻もそれほど悲しむことはないはず。生命保険、もう少し掛けておいてあげればよかったが、なんとか生きていくだろうよ。
ただ、明日の朝公園に転がる安サラリーマンの変死体を発見する人のトラウマを思うと気の毒ではあった。
悪魔は数メートル離れた場所に着地した。威嚇するかのような咆哮とともに悪魔のイメージ図によくあるような三又槍を振りまわし、キャンディソルトに差し向けた。
三つの切っ先から放たれた赤黒く振動する光が合流して一抱えほどの火球に膨れ上がった。
揺らめきの加減で哄笑する魔物のようにも見える火球はソルトに襲いかかった。
咄嗟に身を翻す。ソルトの顔の間際に火球の軌道があった。火球はそのまま真後ろの立ち木にぶつかり爆発した。立ち木は二つに裂け燃え上がる。爆風がソルトを地に叩きつける。
悪魔が勝利を確信したかのように、ゆっくりと近づいてきた。
倒れているソルトの上にのしかかる。圧迫感に気を失いそうになる。
「ストロベリーフィールズフォーエバー!」
唐突な女の子の叫び声と同時に鮮やかな赤い光が世界を覆った。耳を塞ぎたくなるような悪魔の断末魔の叫びは永遠に続くかと思うほどだった。
動かなくなった悪魔の体を軽々とひきはがして助けてくれたのは見知らぬ美少女だった。
「あなたが新人のキャンディソルトね。わたしはキャンディストロベリー。よろしく」
可愛い名前のアカウントということは、初期メンバーなのだろう。『ストロベリーフィールズフォーエバー』という技の名前から考えてもビートルズ世代の高齢者なのではないだろうか。裕之はロックをやっていたからこの曲を知っているが、裕之と同世代のほとんどの人間はロックオタクでもない限りビートルズといえば代表的な数曲しか知らない。
「ありがとう」
事情を簡単に説明すると、キャンディストロベリーは叱責口調になった。
「どうして、そんな危険なことをしたの。魔力の無駄遣いは死に繋がるのよ」
「ごめんなさい。自分の力を試したかったの」
「初心者なんだから、魔法を使うときは先輩に相談してね」
「そんなに危険なことだとは思わなかったの」
「危険かどうかは経験を積んではじめてわかることなの。勝手に判断しないで!」
ストロベリーの叱責に既視感を覚えながらソルトはうなだれた。
これは現実逃避の楽しい遊びなんかじゃない。責任を背負い、命の危険を伴った”現実”なのだ。
ストロベリーは更に説教を続けた。この感じ。ものすごく既視感がある。何、この感じ。
「ソルト! 聞いてるの?」
「ごめんなさい」
「ペパーミントもペパーミントよ。どうして、説明しなかったのかしら」
ストロベリーの怒りの矛先がキャンディペパーミントにまで向かってしまった。ペパーミントが叱られたら、わたしが逆恨みされちゃうわ。魔法少女でいるときくらいは楽しくいたいのに。そんなの嫌。
「ちがうの。ペパーミントは説明しかけたんだけど、わたしが、今度にしてって言ったの。戦いを目撃したショックで気疲れしてたから」
咄嗟にしては上出来の嘘でペパーミントを庇う。
「そうなの。じゃあ、わたしが基礎事項を説明するわね」
キャンディストロベリーは順を追って話しはじめた。




