疎外感。
終礼が鳴ると、生徒はそれぞれ帰る支度や部活動の準備をはじめた。
佳斗も教科書類を揃えてカバンに入れ、帰る支度をしていた。
前までサッカー部に所属していて、レギュラーとして活躍していたのだが、2ヶ月前、夏休み中の試合で足に大怪我を負い、そのまま辞めてしまった。
足が今でもたまに痛むのを考えれば、賢明な判断だったと思える。
それに、陽が照っている間にのんびりと帰路につくのも悪くない。
サッカー部のときは、真っ暗になってから帰るのが常だった。
「佳斗、帰ろうぜ」
佳斗が馴染み深い声に振り返ると、洋輔が笑顔で立っていた。
洋輔の日焼けして少し浅黒くなった肌に、少し平坦なくらいで整った顔をくしゃっとしたような笑顔はまるで、幼子のような純粋ささえ感じる。
洋輔は演劇部だが、週に一回しか部活がないためその日以外は2人で帰るのが佳斗が部活を辞めてからの習慣になっていた。
「うっしゃ、帰るか」
教科書やら何やらが詰め込まれたリュックサックを背負って、クラスメイト達に明るく挨拶しながら教室を出た。
佳斗と同じくクラスではしゃいだりする連中は騒がしく返事をして、クラスの隅で大人しくしているような人間も微笑みながら控えめに手を振ってくれた。
薫が聖人君子のように語られたが、佳斗だって誰とでも分け隔てなく接するし、人望がないわけでも、好かれていないわけでもなかった。
きっと大半の人間には薫とはまた違う“イイ奴”的な好印象を与えてるに違いない。
それでも佳斗はみんなどこか自分のことを下に見ている、と思っていた。
階段を降りて、靴を履き替えると、掃除当番らしい。廊下で掃き掃除をする薫の姿があった。
「薫〜、今日お前、部活か?」
洋輔は薫の姿を見つけた途端に無邪気に駆け寄り、薫の肩に腕を回しながら聞いた。
「うん。大会前だからさ、これからは毎日遅くまで部活あるんだ」
「うわ〜弓道部も大変だなぁ。秋季大会だっけ?」
「そうなんだよ。うちの新部長が張り切っちゃってさ…」
薫と洋輔がそんな会話している間、なるだけ平静を保つように、至って“いつも通り”な顔をして、薫の拾い集めた塵のほうへ視線を向けていた。
しばらくは会話に耳を傾けて適当に相槌をしていたのだが、いつの間にやら会話は進展していて、今度の劇の話になっている。
「ごめんな、大変なのに主役押し付けたみたいになって」
「ううん、楽しみだよ。
一緒に頑張ろうな!」
爽やかな笑みで同意を求められるようにされ、佳斗は目一杯の元気さで「おう!」と返事をした。
笑顔が引きつってないかが気掛かりで、それから3人でどんな会話を交わしたかなどは覚えていない。
薫に別れを告げて、高校から出た。
佳斗の通うこの高校は山のふもとに建てられていて、登校するにも下校するにも、少し急めな坂を通らなくてはならない。
もう通いはじめて2年経つ今ではこの道なりも慣れたものだが。
「今日どっか寄るか?」
「あー…ごめん!バイトある!」
洋輔の期待をこめたキラキラ輝く目を見ながら、申し訳なさそうに彼がそう言うと『またか』というような顔で見られた。
「またかよぉ〜…。じゃ、また今度…」
そしてその顔はしばらく落胆の色を出していたが、慌ててもう一度謝ったらもうその話題は忘れたように出さなって、他愛のない会話が続いた。
学校から駅まで15分。 そこから電車に揺られて4駅。
いつもの道。
最近、バイトの時間を増やしてしまったがために友人たちと遊べていない。
それも、佳斗の気持ちが塞ぎがちになり、順風満帆といった言葉が似合う薫が嫌いになった一つの原因になったように思われて仕方がなかった。
途中洋輔に別れを告げて、バイト先のコンビニへ向かった。
そもそもだが、バイトの勤務時間を増やしたのも理由があってである。
彼が小学生のころ両親が離婚。
そして中学生のときに子連れ同士で父は“新しいお母さん”と再婚した。
しかしそのすぐ後、父親は単身赴任で各地を転々とすることになった。
両親の喧嘩が絶えず、ヒステリックな母親に怯えて辛かったころよりも、今の家庭はよっぽど幸せで優しさに溢れている。
それでも、新しい母親、その連れ子の妹、弟との4人だけになると、居心地の悪さを感じてしまって、その空間が歯がゆかった。
中学のときも、高校に入ってからも、部活や勉強に没頭していたため気にすることもなかったが、部活を辞めてからは家にいる時間が増えて、疎外感を感じてしまうことが多くなった。
その間を埋めるようにバイトを始めたのだ。
お金が溜まれば、大学生になれば一人暮らしをしようと考えている。
学校で積もり積もったモヤモヤや、薫への気持ちを晴らせる場所が無くて心が押し潰されそうだけれど、バイトしている時や勉強している時、それら一切はたまに頭をかすめるだけで忘れていられた。
バイト先の先輩たちは優しく、いつも笑顔が自慢な佳斗を可愛がってくれ、また、テスト前などになると気遣ってくれたりする。
中でも、佳斗が進学したいと憧れる国公立大学に通う大学2年生の鹿屋 陸は、出身高校が佳斗と同じで、なにかと勉強を見てくれたりアドバイスをくれたり、よく面倒を見てもらっていた。
いつも通り業務をこなして、佳斗がロッカールームで着替えていると、鹿屋が入ってきた。
「おつかれ〜ぃ」
「鹿屋さん!おつかれさまっす」
「おー、佳ちゃん。これから帰るんだろ?一緒に帰る?徒歩だけど。」
「いいんすか?ぜひ、一緒に帰りましょ!」
鹿屋は所々黒髪の混じった金髪で、ピアス穴も数箇所開けている。
見た目だけで言うならばヤンキーの部類なのだろうが、中身は良識があって優しく、頭のいい人間だと店長もバイトも皆知っていた。
店長からは「頼むから黒髪にしてくれ」と度々言われているのだが、そこだけは譲れないらしい。
未だ金髪のままだ。
店長も口で注意するだけなのは、決して鹿屋が怖いなんて理由では無い。
勤務態度や機転の利かせ方が申し分なく、正直金髪にしてる以外は完璧と言ってもいい程で、店長も大目にみているのだ。
もっとも、本人が頑なに黒髪にしないのは『金髪が地毛だから』なのだが。
夜になると少し肌寒く感じる季節。
どちらかといえばどこかパッとしないこの街は、転々とコンビニがあるくらいで、あとは一軒家やマンションが並んでいる。
「そういえばさ、そろそろ文化祭の季節だろ?
やっぱ劇ってまだやってんの?」
月明かりと街灯が点々とあるくらいで、ほぼ相手の顔があまり見えない状況だが、佳斗は声からして鹿屋が興味津々なことを察した。
「やってますよ!今日役割決めでした」
佳斗も弾んだ声でにこやかに答える。
「え、佳斗なにすることになったの?木?岩?」
「なんで動かないやつ限定なんですか」
その会話の流れに2人でしばらく大口を開けてケラケラ笑っていたが、ふと思い出したように笑いからまだ立ち直れない佳斗は
「主役なんですよ、俺、ふははっ」
とやはり堪えきれなかったのか笑ってしまった。
「主役なの?!マジでぇ〜?
俺も主役やったんだけどさ、大変だけどあれ、一生もんの思い出になるよ」
昔を思い出しているのか鹿屋はしみじみとした雰囲気を纏っている。
「主役、やったんですか?」
「そ、恋愛もので。
もう一人の主役の女の子と結ばれる物語。
俺、その子のことほんとに好きだったわけ。
だから本番の舞台でさ“キスするフリ”のところを本当にキスしたの。
本番終わったあとその子にめちゃくちゃ怒られたし嫌われちゃったし、散々だったよ」
街灯に照らされた時、苦虫を噛んだような顔をしていて、まるで“苦い思い出”のように見えたけれど、それはすぐに充実した、やりきって満足したような顔になった。
“自分はこんな真っ直ぐな目をして、いい思い出になるなんて言えるだろうか”という不安が過ったが、それよりも自分のこれから来るであろう充実した毎日への期待が高ぶった。