殿下。ここは『婚約者を決めないと出られない部屋』です
※魔法はありません。物理です。
――いや、やり過ぎだろう。
抗議の声は口から溢れる前に侍従に読みとられ、否定された。
「いいえ殿下。ここは、冗談抜きで『婚約者を決めないと出られない部屋』であり、我々は本気です。いくら当日決済の書類があろうと、ご予定があろうと、これくらい切羽詰まってもらわねば困ります。いい加減お決めくださいませ」
敬意。
せめて手心……容赦はどこに。
王太子アルフレドは半眼となった。腕を組み、すっと視線を落とす。
テーブルの上には三枚の姿絵。右から順に公爵家、侯爵家、辺境伯家のご令嬢が並ぶ――釣書は読まずともわかる。共通しているのは皆、結婚相手として好条件であり、なおかつ婚約者がいないこと。王家と縁組してもおかしくない家柄であること。
「このなかから、か」
「左様にございます。お気の毒に。どのご令嬢も、ほぼ殿下のためにお相手を定められず――」
「ああ、いい。わかったわかった」
観念したようにアルフレドの手がひらめく。
気心の知れた侍従を黙らせた王太子は、この日、とうとう未来の伴侶を選んだ。
◆
寝耳に水だった。
「聞いて……おりません」
「いま言ったのよ。リナエル」
「そういう問題ではございません!」
辺境伯令嬢リナエルは、ぴしゃりと反論する。
我が国の輝ける未来の太陽といえば第一王子アルフレド殿下。黒髪に夏空の青の瞳、通った鼻梁に涼やかな目元と理知的な口元。精悍なる額や頬はすっきりとして、流し目を頂戴しようものなら誰もがのぼせ上がる……
さらに、リナエルは知っている。彼はちいさい頃から文武両道を旨に切磋琢磨し、細身ながらきちんとした筋肉をそなえている。ああ見えて動きは俊敏だし、力持ちだ。
――なぜ知っているのか?
十歳のとき、王妃様のもとで一緒に育ったからだ。期間はわずか三ヶ月足らずだったけれど。
(その縁で、いまも何かと気にかけていただいてるのよね……)
社交シーズンには、辺境伯家のタウンハウスではなく王宮にお部屋を用意していただいたり。
王妃様のお茶会に殿下とともにお招きいただいたり。
はては、王妃様のお願いで、彼が騎士団に入り浸っていた時期に何度も様子を見てご報告申し上げたり。
結果、彼本人とは季節の手紙をやりとりする仲となった。現状、それ以上でもそれ以下でもない。つまり。
「殿下とは、たんなる幼なじみで友人です。わたくし、そんなことは一言も」
「はいはい。そういうことにしておきましょうね。でも、支度なさい」
「……お母様?」
リナエルは、秋晴れの日差しを背にお気に入りの窓辺で読書をしていた。なのに、やんわりと膝の本を奪われ、側仕えのメイドに渡される。
代わりに両手をとられ、リナエル自身は母の付き人であるメイド長に託されて。
「大至急、この子を花のように仕立てて頂戴」
「かしこまりました。奥様」
「えっ、え?」
あれよあれよという間に気合いの入ったメイドたちに群がられ、別室に――おそらくは浴室あたりに連れて行かれそうになる。
リナエルは慌てて肩越しに母を振り返った。
「お母様!? どういうことです!」
扇をぱちん、と閉じた辺境伯夫人はにっこりと笑う。
「妃殿下から使いの方がお見えになったの。今日、昼下がりに王太子殿下がいらっしゃるそうよ。南の四阿にお通しして。お茶やお菓子の手配は済んでいます。わたしは出かけるわ」
「!!!! え……――!? アッ、待っ」
ぱたん。
扉は鼻先で閉じて、リナエルはそのまま予想通り浴室へ。かつてないほど懇ろに磨かれた。
――こうなっては受け入れるしかない。
が、気持ちはひどく動揺した。
(うそ、嘘。だって、殿下は)
数刻後。
出来上がりを褒めそやすメイドたちに生返事をしつつ。
鏡のなかで柔らかく波打つ茶髪にすみれ色の小花を編み込まれた令嬢は、唇に淡く紅まで引かれた。
◆
「すまないリナエル。びっくりしたろう」
「本当ですわ。いったい何がありましたの? 昔、あんなにはっきり『私は生涯独身でいい。この想いを貫く』なんて宣言していらしたのに」
「ああ……それは」
正午を過ぎて最低限の伴とともに領主館を訪れたアルフレドを、リナエルは丁重にもてなした。まさしく辺境伯令嬢然として。
秋薔薇が控えめながらもうつくしく咲く庭を愛でつつ、四阿には紅茶と焼き菓子を運ばせている。王太子の侍従以外は下がらせた。そのあとの会話である。
アルフレドは淡々と話した。
一ヶ月前、いつも通り執務室に移動しようとした朝、罠にはめられたと。
「罠?」
「市井の読みもので、少し前に流行ったらしい。王宮でもその……友人や同僚、恋人同士なんかを、弄るために作るのだそうだ。『〇〇をしないと出られない部屋』とか、なんとか」
気のせいか、王太子の耳が赤い。
おかわいそうに、どうやら監禁されたうえ、よほどの屈辱を……と、慮ったリナエルは可憐に眉をひそめる。
ただし追及の手は緩めない。
「〇〇とは?」
「っ、い、いろいろな言葉を当てはめるんだ。そこは。私の場合は両親の意向を受けて、側近連中と侍従が謀った。『婚約者を決めないと出られない部屋』と」
「ああ、そういう……陛下がたの酔狂ですのね」
「そういうことだ」
ホッと脱力して肩を下ろした王太子殿下は、ときおり四阿の下に佇む侍従を睨みながら説明を続けた。
――あの日は急な面会予定が入ったと小部屋に案内され、入室した途端に外から施錠された。窓のない、テーブルと二脚の椅子があるだけの空間で、突きつけられたのが例の脅し文句。並んでいたのは三家の令嬢がたの釣書だった、と。
ふんふんと聞き入っていたリナエルは、おもむろに頷く。
「なるほど……公爵家のイサベラ様も侯爵家のミリア様も麗しく、淑女の鑑のように慎み深いかたがた。殿下のお飾りの妃となさるには気が引けたのですね。わかります」
「阿呆か。わからなくていい。――というか、たったいま間違いに気づいた」
「わたくしを指名したことですね?」
「ああ」
リナエルの胸が、ちくりと痛む。
あの幼い日、母と王妃様が親友だった縁で王宮に預けられた、あっという間の三ヶ月。淡く芽生えた恋は、彼の突拍子もない独身宣言で木っ端微塵となった。
なぜそんな話の流れになったかは覚えていないが、領地に戻る際、懸命に言い募られたのだと思う。
殿下には秘密の想いびとがいる。それを打ち明けられたのだと。
(いわば信頼と友情の証。わたくしは、それを裏切ってはならないと、ずっと戒めていましたのに――殿下ったら!)
かりそめでも、彼の隣にあれれば。
そんな愚かな夢を見てしまった。
彼の、苦し紛れの選択のせいで。
涙ぐむリナエルは俯き、顔を見られぬよう、アルフレドの反対を向いた。すると。
「……殿下……?」
「私は、愚かだった」
「!?!? お、おやめください。お膝が」
「構わない。言わせてくれ」
庭の景観を絵画のように楽しむことを目的に造られた四阿のテーブルは楕円形。席は緩く弧を描く長椅子で、アルフレドはリナエルの左側にいたはずだった。
いま、アルフレドはリナエルの右側に回り込み、片膝をついて目を合わせている。
至高に近い、王太子殿下ともあろうかたが。
「告白をする」
「は……い」
すう、と深呼吸をしたアルフレドは、つかの間まぶたを閉じて決意したようだった。
再び青い瞳を目の当たりにし、ドキッとリナエルの鼓動が跳ねる。いつの間にか、手袋越しに片手をとられて。
「勘違いをしていた。昔、きみは『憧れの君を見つけた』と、私に話してくれたんだ。それはうれしそうに」
(え!? そうでしたっけ??)
はくはくと口が動いたが、声にならない。
記憶にない……自分の幼いころの言動って、わからない。
戸惑うリナエルの表情を逐一読みとるように、アルフレドは続ける。
「想いを告げようとした私は、そこで諦めた。きみの初めての恋を摘み取ってはならないと自らを戒めて……だから」
「だから、あのようなことを?」
「そうだ。馬鹿げているだろう」
「……ふっ」
「笑わないでくれ。こう見えてあらゆる仕事を片付けて予定を繰り上げて、死にものぐるいで飛んできたんだ。周囲はニヤついていたが」
「ふふっ、そ、それは申し訳ありません」
目じりの涙を空いた指で拭うリナエルは、くすくすと笑う。
それを、いとおしそうに見つめる王太子がいた。
「――まあ、泣かれるよりはいい。リナエル嬢。貴女だけだ。いまの私は、あのころのきみの『憧れの君』に敵わないだろうか……?」
「もうっ……もう!」
限界を越えて溢れるものがある。リナエルは、気持ちのままに応えた。小首をかしげ、へにゃりと微笑んで。
「大好きですわ。わたくしの、本当の初恋の王子様」
「!」
驚きにみひらいた瞳が珍しすぎて、リナエルの体が自然に動く。跪く王太子殿下に両の腕を回した。
「わたくしたち、すごく、遠回りをしたのですのね」
「……まったくだ」
ふわふわの栗色の髪と、想いびとの夢見る瞳そのままの薄紫の小花が風に揺れて視界を覆う。
アルフレドは、引き寄せられたように顔の角度を変え――――ふたり、初めての口づけを交わした。
✧◆✧◆✧
同じころ、領主館から少し離れた街のカフェでは個室を貸し切り、ふたりのご婦人が優雅に紅茶を嗜んでいた。花咲く話題は、ほぼほぼ彼女たちの子どものことに尽きる。
「やっとよ! あの朴念仁。ああまでしないと気づかないなんて」
「仕方ありませんわ。だってあなた……妃殿下ったら、昔から、その辺の令息がたより貴公子でしたもの」
「あら。ありがとう」
「フフッ」
妙齢の女性ではあるが、この国の王妃は私的な場において男装を常とする。なにしろ、国王陛下に見初められた際の結婚の条件がそれなのだ。
当然、周囲も折り込み済み。いまでは王妃にあやかって短い髪の活動的な女性も増えたという。まだまだ、市井の間のみだが。
カフェの二階の窓からテラス席を見おろせば、ちらほらとそんな姿も。
そこへ、幸せの報告を携えてにこにこ顔の侍従がやって来る……
fin.




