プロローグ:「出会いは突然に。」
東京の冬は、意外と静かだ。
仕事帰りの山手線、揺れる車内で私は自分の人生の「空白」を数えていた。
桃田ひな、25歳。都会に出てきて5年が経つ。
慣れない仕事に追われる日々、笑い合っていた友達との時間も、カフェで過ごす余裕も、どこかに置き去りになっていた。
気づけば、20代前半の楽しさなんてものは、「明日の納期」と「今日の進捗」にかき消されていた。
「これ地元の友達なんだけど、めっちゃ楽しそうじゃない?」
友達で同期の松島杏奈に、ストーリーを見せながら羨望話をすることが日常になっていた。
電車のドアが開くたびに、冷たい風が入ってくる。
マフラーに顔をうずめながら、私は駅のホームに足を下ろした。
アパートのドアを開ければ、猫のフウが「にゃあ」と小さく鳴いて迎えてくれる。
ぬくもりのある、唯一の私の家族だ。
「ねえ、たまにはハメ外そうよ。付き合ってくれない?」
ある日の午後、杏奈がふいに言う。
会社近くのカフェでコーヒーを片手に、私は聞き返した。
「…ホストクラブ?嘘でしょ。」
私は少し眉をひそめ、何を冗談を、そんな気持ちだった。
「嘘じゃないよ!ずっと言いたかったの。たまには、自分にご褒美あげてもいいじゃん!」
杏奈はそう言いながら、ニコニコと私を見ている。
明るくて、周りの空気を読むのが得意で、気の利く子。
でも、本当はすごく寂しがり屋で、自分を責めがちな性格である杏奈。
恋に恋して、いつも空回りして、それでも誰かを好きにならずにはいられない。
楽しいことが大好きで、そんな杏奈らしい提案だと思った。
「…一回だけね。」
その一言が、私の運命を変えることになるとは、誰も思いつきもしなかっただろう。
人は、どうして心を隠すのだろう。
そしてどうして、それを誰かに見せたくなる瞬間があるのだろう。
いつも飲んでいるコーヒーが、その日は何故かいつもよりほろ苦く感じた。




