ディーゼルパンクの魔王が現れた。どうするですか。
これはこの物語の最新エピソードです。皆さんに楽しんでいただければ幸いです。
ムスク・アマルでの生活が始まって数週間。リョウは、毎日が嘘のように穏やかで、どこか祝祭のように鮮やかだった。
キアラは涼しい風が似合う水彩画家で、絵具の香りと一緒に優しいスペイン語を教えてくれる。
ルセリは透き通った声を持つ声優で、歌いながら言葉を説明してくれるので、単語が音楽のように耳に残った。
「リョウ、これ“amanecer”。朝焼けって意味ね」
「ほら、発音はこう。ア・マ・ネ・セール♪」
「なるほど……アマネセール……うん、綺麗な言葉だ」
作業部屋の窓から差しこむ高地の光は、どこか魔法の粉を混ぜたように温かかった。
ムスク・アマルでは今、一つの短編アニメーションの制作が進んでいた。
その原作は——謎めいた作家トム・ピプキンの短編小説。
読み返すたびに意味が変わると言われる不思議な作品で、スタッフたちの間でも評判だった。
リョウもまた、その幻想的な世界に胸を躍らせながら、日々コンテと作画を進めていた。
***
しかし、ある夜。
制作の疲れが心地よく残る布団の中で、リョウは妙な気配を感じた。
暗闇の奥で、重油のような匂いがした。
ギィ……ギギギ……
見たことのない古い機械の音。
そして、霞のように形づくられる、巨大な影。
その影は、鋼鉄の骨格を持ち、蒸気の煙を背から吐きながら言った。
「……私はシステマ。現実の本質そのものだ。」
その声は鉄板をこすったように冷たく、奥にかすかな哀しみもあった。
「ここは夢だろ……?」
「夢かどうかを決めるのは、あなたではない。」
システマはリョウを見下ろしながら問いを突きつける。
「明日、目覚めたとき……
もし再びあの日本に戻っていたらどうする?」
——日本。
汗と残業の臭いのこもる会議室。
タイムカード。
天井の蛍光灯が落とす冷たい影。
息をするたびに削られていく命。
胸が強く縮む。
「君の今の生活は、あまりにも理想的だと思わないか?」
「あまりにも良すぎる現実は——普通、存在しない。」
システマの指先が触れると、世界がひっくり返った。
ビルの中。
鳴り続ける電話。
上司の怒鳴り声。
疲れ切った自分の姿がデスクに伏している。
「ほら。これが現実だ。」
「違う! 俺は確かに……キアラと、ルセリと、ムスク・アマルで……!」
「それは“願望”だ。
君はただ逃げ込んでいるだけだ。
甘美な幻に。」
叫ぼうとした瞬間、景色が砕け、リョウは布団の上で息を吸った。
——見慣れた天井。
——朝の光。
——外で鳥が鳴いている。
ここはクスコ。
ムスク・アマルの社員寮。
現実だ。
現実のはずだ。
***
だが、それ以来、悪夢は毎晩訪れた。
どの夢にもシステマが現れ、同じ問いを繰り返した。
「君はどう証明する?
ここが“本物の現実”だということを。」
そして毎回、夢の最後でリョウは日本に戻される。
机に向かい、壊れた笑顔で仕事を続けている自分。
そのたび目を覚ましたとき、
窓の外にはクスコの青い空が広がっていた。
しかし——それが本当に「救い」なのか、
それとも「新しい種類の幻」なのか、
リョウにはもう分からなくなっていた。
キアラとルセリの笑顔。
アニメーションの制作。
音楽。光。
穏やかな生活。
——こんなに優しい世界が、現実であるはずがない。
そう思うたびに、胸の奥で何かが震えた。
(……全部、夢なのか?
俺はどこにいるんだ?)
昼は楽園のように温かく、
夜は油と蒸気の悪夢に呑み込まれる。
その境界が、少しずつ、溶けはじめていた。
このエピソードを楽しんでいただければ幸いです。次のエピソードはすぐにアップロードします。




