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カオスの正体

 そこには、サークル型の囲いが八つ点々と存在していた。囲いはコンクリート製みたいで、一か所にゲートと、その横に制御盤のようなパネルが装備されていた。制御盤は機能しているようで、LEDのランプが点滅しており、表示板が青白く光っていた。台車が止まった。


「着いたようだな。ショウ、ありがとう」

「お楽しみはこれからだ・・・」

 オフサホが俺に向かい合う表示に変わり、静かに言った。俺は台車を降り、サークルの中を覗いた。空間には特に照明がなく、全体的に薄暗かった。ただ、制御盤などのメンテナン設備から漏れ出る光が、トーチのように所々を照らしている。その光で何とかサークルの中を見ることができた。目を凝らして見えたもの、その姿を見て俺は声を出した。

「な、なんなんだ」

 そこには、ブヨブヨしたものが、ウジャウジャと蠢いている。生き物のようだ。それが、サークルの囲いにある赤いパイロットランプに照らし出され、生き物の前がキラッ、キラッと光っている。

「これか・・・」

 オフサホが納得したような顔をして、呟いた。


「これかって、何?」

「わたしのデータバンクでは照合できないため、正体を判断できない」

「ショウのスマホで写真を撮ってくれ。オンサホの力を借りる」

 オンサホの力だって、オフサホが? どうやって? 疑問だらけだが、とりあえず、この正体不明な生き物の写真をスマホで撮った。

「ここは、いったいどこなんだ」

 俺は写真を撮りながら、オフサホに尋ねた。


「わたしの内蔵マップデータにはない領域だ。だが、ここまでの道程から計算すると、傘尾市博覧会会場の地下だと推測される」

「博覧会会場だって? なぜ、そんなところに、こんな施設があるんだ」

 俺は益々混乱してきた。

「それは、ショウの撮影した写真で答えが出るだろう」

「ショウ、あそこにポッドがある。写真をオンサホへ見せて、情報を聞き出して欲しい」

 ポッド、ここにも? 俺はオフサホの示した方向を見た。地下街とは形が違うが、ポッドのようなものがあるのが分かった。そして、そのポッドの方へ歩いて行き、中に入った。


 オフサホの表示が消えた。ただ、オンサホは表示されなかった。


『接続中』


 この文字がバイザーに表示されたまま、数分が過ぎた。やはり地下街ではないので、アテンダントARには接続できないのか。あと一歩であるのに、口おしい。

 表示が少し変わった。


『エージェントにより経路探索中』


 接続するための努力をしているようだ。さらに数分が経過した。


『ターゲットが見つかりました』


 しめた、と思った次の瞬間、オンサホがバイザーに表示された。

「ショウ! 大丈夫なの?」

 明るい声が聞こえて来た。何日も会っていなかった友人に会うようで、とてもほっとする。

「俺は大丈夫」

「いったい、どうやってそんな所まで行ったの? 座標は博覧会会場のようだけど、ポッドの位置が有り得ない場所を示している」

「オフサホがこの写真を見て、情報を教えて欲しいと言っているんだ」

 俺はスマホで撮った写真を見せた。


「まだ、オフラインがちょろちょろしているの? いい加減にしなさいよ、オフライン!」

「痴話喧嘩は後でゆっくりやってくれ。今いる場所は安全なところではないようだ。早くここから出るためにも、情報を教えてくれ」

 そして、俺は今、ARと遊んでいる場合ではないこと、得体の知れない何かがあることを伝えた。オンサホは、早速、照合を開始した。そして、答えは出た。


 「この写真に写っているものは、ハダカデバネズミ! 哺乳綱齧歯目デバネズミ科ハダカデバネズミ属に分類される齧歯類よ」

「何だ何だ? こんなものが、博覧会会場の地下にうじゃうじゃ居るのか」

 居るといっても、自然に生息している訳ではなく、明らかに人工的に飼われている。何のために?

「ハダカデバネズミは、傘尾市博覧会のマスコットよ。でも、いくらマスコットといっても、こんなに沢山飼って何をしたいのかしら」

 このオンサホの疑問は俺の疑問でもあった。さらに俺は尋ねた。


「ハダカデバネズミ、これに関して他に重要な情報はないのか? 検索して」

「うん・・・あっ、ハダカデバネズミには興味深い特性があったワ」

「彼らは死なない、というか、老化しない」

「どういうこと?」

「生物学的にいうと、老化細胞をアポトーシスさせる能力がある。つまり、生物は成長するにつれて、細胞分裂しなくなった老化細胞が蓄積し、老化を引き起こし死に至る。しかし、ハダカデバネズミには、この老化細胞をアポトーシス(自己死)させ、老化細胞を蓄積しない仕組みが備わっているということよ」

「うーん、凄いけど、ハダカデバネズミを長生きさせるためだけに、飼っているということ? 何のメリットもないと思うけど」


「これに関しては、面白い論文があったワ。老化研究の第一人者、野鹿教授の発見した『ノジカ・ラクトン』よ」

「ノジカ・ラクトン? 何それ」

「ノジカ・ラクトンは、ハダカデバネズミの体内で発見されたもので、これが老化細胞を、アポトーシスさせるための誘因物質といわれている。人間がノジカ・ラクトンを適量摂取すると、平均寿命が300歳にまでになるとい予測もあるワ」

「そんな研究があったんだ」


「でも、ノジカ・ラクトンには致命的な副作用もあるそうよ」

「副作用・・・そんなことだろうと思った。世の中、そんな上手い話はないよな。けど、副作用って、どんなもの?」

「ノジカ・ラクトンは極めて依存性が高いということ。麻薬の3倍とも言われている。これを一度摂取すると、日にちが経つうちに摂取量がどんどん多くなり、やがて適応量を超えて、健康を害するらしいワ」

「じゃ、長寿にならないんじゃない」

「そこが問題で、臨床試験、つまり人間への投与の研究は中断しているそうよ」

 意味が分からん。ここは研究所ではないようだし、その存在はマップにも載っていない。つまり秘密の施設なのに、大量に飼育しているのは何のためなのか。


 生き物の正体は分かったが、さて、これからどうするんだか。オフサホに相談するしかないか。

「オフサホに連絡する」

 俺はポッドの外に出ようとした。

「待って。このままで大丈夫なの? オフラインの挙動がおかしいのが気になるのよ」

「そうだけど、この場所までオフサホが導いてくれたのは、何か理由があると思っている。今は、それを見てみたい」

 オンサホの忠告を無視して、俺はポッドを出た。バイザーの表示が、オフサホに切り替わった。

「ありがとう、ショウ。ここは巨大な繁殖場ということだな」

「ハダカデバネズミの?」

「そうだ。おそらく、ここで飼っているハダカデバネズミから、定期的にノジカ・ラクトンを抽出することが目的だろう。抽出したものは、精製してからどこかへ密売しているものと思われる」

「副作用があるのに、そんなものを誰が買うんだ」


「ノジカ・ラクトンは、おそらく二つの意味で売れる。一つは冒険的ではあるが、長寿の薬として売れる。依存性の弊害が顕著に現われる前なら、老化細胞の除去作用のおかげで、見た目の若々しさを取り戻すことができるだろう。二つ目は麻薬の代替品だ。長寿薬として服用し始めた購入者が、その依存性のために薬の量を増やして行き、やがてどっぷりと薬漬けにされてしまう。いずれも犯罪組織が喜びそうな(ブツ)だ」

 そのとき、広場の上にあるテラスのような所へ、そこにある扉を開けてガヤガヤと人が出てきた。一人は背の高い中肉の白人男性で、その脇に二人の男性が従っていた。俺は気づかれぬように、サークルの横に隠れた。


「プラントは順調に稼働し始めたようだな」

 白人男性がぼそりと言った。

「問題なしだ。三ヶ月後にはファースト・ロットが出荷される」

 ニタニタ嫌らしい笑みを浮かべて、脇の男性が補足した。俺は脇の男性には見覚えがあった。あれは・・・傘尾市の市長、そしてもう一人は・・・知事だ!

 気づかれぬように、三人を写真に撮った。


「おやおや、カオスが揃ってお出迎えとはな。こちらも祭りの準備を始めないといけないか」

 腕組みをしたオフサホが、独り言のように呟いた。俺はポッドに戻り写真をオンサホに見せた。そして、白人男性の正体を聞いた。

「これは95.2%の確率で、プラドー。国際マフィアの幹部よ。どうして、こんな場所にプラドーがいるの! ショウ、早く逃げなきゃだめじゃない」


 『義を見てせざるは勇無きなり』


何となく読んだ論語のフレーズをふと思い出した。市長と知事が私利私欲のために、マフィアとつるんでいるなんて最低だよな。しかも犯罪だ。


 数年前、傘尾市長が市の発展の起爆剤として、博覧会を開催すると言い始め、多額の税金を注ぎ込んでいったんだ。途中で資材価格が高騰したとかいう理由で、税金からの補填額を二倍にした。こんな大規模な犯罪設備を作るんだから、開催費用が二倍になるはずだよな。とんでもない奴らだ。しかし、俺はスーパーヒーローでもないし、こんな巨大な設備をどうすることもできない。さらに逃げようにも、ここへ来た通路は下り坂だから、引き返すこともできない。ああ・・・と思ったが、オフサホが『祭り』と言った言葉を何となく思い出した。オフサホは、何か事を起こそうとしているのか。その案に乗るしかないのか。俺はポッドを出た。


「何かやる気なのか?」

 オフサホに尋ねた。

「残念ながらプラドーはラスボスではないようだ。だが、ダメージは与えられる」

「祭りってこと。何をするつもり?」

「まず、この生き物を解放する。構造分析の結果、各サークルの奥にゲートがあるようだ。これを開ければいい。ショウ、手前のゲートに行って、後ろへ回り込んでくれ」

 俺はこの指示に従い、サークルの裏に回った。そこには制御盤のようなものと、タッチパネル、そしてレバーのようなものがあった。

「このゲートを、どうやって開けるんだ。キーコード、パスワードも分からないんだが」

「このような装置には、必ず緊急用にアナログ操作が残されているものだ」

「ということはこのレバーか」

 俺はレバーを思い切り引いた。


 ウォーンと小さなモータ音と共にゲートが開いた。しかし、デバネズミの行動には変化がなく、ゲートから外へ出ようとはしなかった。

「さてどうする、ショウ」

 また、考えろってわけか・・・

こんな暗闇で生活する動物は、嫌光性なわけだから、光を当てて追い出せばいいのか。何かゲートに向かって追い立てるように、光が当てられたらな。

「サークルの中を光らせるものはない? ゲートの外へ追い立てられると思うんだが」

 俺はオフサホにヒントを求めた。


「このサークルの構造を分析した。中央に小さな制御塔がある。そして、サークルのメンテナンス用に、塔の下部がLEDライトになっており光る構造のようだ。制御盤からメンテナンス・モードを起動できれば、おそらくサークルの中心から放射状に光が出るはずだ」

「メンテナンス・モードか・・・どうすれば、そのモードになるんだ」

「心配する必要はない。ゲートが一定時間以上開いたままだと、異常を検知しメンテナンス・モードへ移行するはずだ」

 俺はオフサホの言葉を、『本当かよ』という気持ちで聞いていた。


 突然、塔の下部のLEDが明るく点灯した。それに驚いたデバネズミが、パニックを起こし光から逃げるようにサークルの端に集中し、ゲートに辿り着いたものから一斉に外へ逃げ出した。八つのサークルから数千匹の生き物が飛び出したのだから、その光景は凄まじく、まるで津波のように周囲へと広がって行った。


 そのとき、プラドー一行がサークルを見学するため、エレベータで降りて来た。扉が開いた瞬間、デバネズミたちに囲まれ、全身がこの生き物に覆い尽くされていった。悲鳴のようなものが聞こえたが、それもこの混乱の中にかき消されてしまい、一行の姿は見えなくなった。

「祭りの始まりとしては、まずまずの出だしだ。さて、本宮と行くか」

「まだ何かするのか?」

 俺はこのあとの行動が予測できなかったので、オフサホに尋ねた。そして、オフサホが答えた。

「この博覧会会場は、埋立地でかつ軟弱地盤の上に建っている。このような所に大規模施設を建てるためには、土台をかなり強固なものにしなければならないはずだ。なので、これを実現している仕組みがあると推測される。これにダメージを与える」

「仕組みって、何?」

「それを調べる。手伝ってくれないか」

 俺はここまで来て嫌とは言えないので、手伝うことを承諾した。


「このフロアーの壁一周をショウのスマホで撮影し、オンサホヘ画像解析を依頼してもらえないか」

「分かったやるよ」

 言われた通りスマホで撮影したものを持って、ポッドへ戻りオンサホへ再び解析を依頼した。

「うーん、等間隔に並べらてた柱があるような場所に、ある装置の型番があるワ」

「それは何?」

「ハイパーベルチェ素子を使用した装置のようよ」

「それをどう使っているんだろう」

「博覧会会場は埋立地だから強固な岩盤がないため、泥をこの装置で凍結させていると思われるの。この装置で泥を超低温状態にすると、鋼鉄並みの強度になるという実験データも見つかったワ」

「そうか、壁全体の泥を凍結させて、高強度の土台を作り出している分けか。ありがとうオンサホ」

 俺は急いでポッドを出た。バイザーの表示がオフサホに切り替わった。


「祭りの出し物が決まったようだな」

 オフサホがボソリと言った。

「出し物って、どうするつもり?」

「簡単だ。ハイパーベルチェ素子の極性を逆転させればいい。そうすることで、冷却されていた泥が、高温に暖められることになる。鋼鉄の泥が元の泥となり、ここの施設全体が地中深くに沈み込んで消滅する」

「凄い。でも、極性逆転なんて、そんなに簡単にできることなのかな」

「ハイパーベルチェ素子は、直流電流で動いている。直流電流分電盤は、地下街と同型のものが使用されていることが、オンサホのデータ解析で判明している。よって、テスト運転のための極性変更を実行できるはずだ」

「どうすればいい?」

 俺はもうやり切るしかないと悟った。具体的な手順をオフサホに確認し、さっさとやってしまいたい。祭りを成功させたいんだ。


 オフサホは黙っていた。分電盤の位置を、撮影した壁の映像データから割り出そうとしている様だった。しばらくしてから、オフサホの声が聞こえた。

「分電盤の位置が判明した。ここから2時の方向の壁にある」

 俺は急いで向かった。そこには、黒い表面に黄色のラインのあるボックスが取り付けられていた。

「これか?」

 俺はボックスの蓋を取った。大きな赤いレバーと小さなテンキーボードが見えた。赤いレバーはロックされているようで、触ったが引っ掛かりがあり動かなかった。


「ここで何をすれば、極性反転ができるんだ」

「これからバイザーに表示するコードを順に入力して欲しい」

 オフサホはそう答えると、バイザーにコードを表示してきた。俺は手早くそのコードを、テンキーボードから打ち込んだ。すべてのコードを打ち込んだ直後、ガシャッと音がし、レバーのロックが外れた。

「ショウ、赤いレバーを下から上へ動かしてくれ」

「了解、お嬢官!」


 俺はレバーを動かした。ボックスの四隅にある赤いLEDが点滅し出した。

「ショウ、これで通電が一時的に止まったあと、極性が反転された電流が供給される。祭りのメインだな」

「さて、ぐずぐずはしていられないぞ、ショウ。すぐ脱出する」

「えっ、どこから」

「ここは数十分で泥の中に飲み込まれる。会場を取り囲んでいるリング展望台まで上がるんだ」

 上がるっていったって、そんなものは・・・周りを見渡すと、数メートル先の壁に、上まで続く梯子のようなレール状のものが目に止まった。ひょっとしてここから上がるのか。俺はそのレールまで行ってみた。


 レールのようなものは確かに梯子だが、両側に歯車と噛み合うようなギザギザがあり、ここを歯車を付けた昇降機が動けるようになっていた。さらにレールの下側を見ると、昇降機と思われるものがセットされていた。俺はその昇降機のステップに両足を置き、そこにあるスイッチのupボタンを押した。モータ音と伴に昇降機が、ゆっくりと昇り始めた。やがて天井へ達するところまで来たが、その先は天井に通過口が開いていたため、上の階へ難なく抜けることが出来た。さらに昇降機は昇って行った。

「上手く行きそうだ。これで展望台とかいうところまでノンストップだ」

 俺は叫んだ。昇降機はぐんぐんと昇って行った。しかし、途中から鈍いボーッという音が聞こえ始めた。その音は、どんどん大きくなって行く。


「これは何の音?」

 俺はオフサホに聞いた。

「ハイパーベルチェ素子の極性逆転により、鋼鉄よりも硬かった泥が一気に液状化し始めたのだろう」

 すべてが沈下し始めた。これによりレールが歪み始め、やがてギーという音を立てて昇降機が停止した。

「ここから先は梯子を昇るんだ、ショウ」

 俺はオフサホの指示通り昇降機から降り、必死に梯子を昇った。掌からは薄っすらと血がにじんできた。


 梯子の歪みが下から追いかけて来る。これに追いつかれたら、死ぬかもしれない。そう思うと、無心に手と足を動かし、ひたすら上を目指した。

 しばらくすると、頭上に明かりが見えてきた。もう少しだ、昇り切るんだ。今はどこが手で、どこが足か分からないような感覚だった。とにかく手足を動かした。


 急に明かりに包まれ、やさしい潮風を感じた。目が明るさに慣れてくると、俺はリング展望台へ出ているのが分かった。ここは見晴らしが良く、周りは海があり穏やかな波が見えた。俺は床に座り込んだ。東の空が暗い青からオレンジに変わっていき、白い太陽が輝きを増していた。俺は一晩中、この会場下の地下施設で奮闘していたという分けか。そう思い、考えに耽っていると、突然、小刻みな振動とゴーッという低く大きな音と伴に、リングの真ん中の地面がアイスクリームが溶けるように、地中へと吸い込まれていった。跡には大きな黒い落とし穴のようなへこみが残った。


「祭りが終わったな・・・」

 オフサホは思慮深げに呟いた。

「ショウ、ありがとう、これでわたしの役目も終わった。そしてデートもな」

「終わったって? これからどうするつもりなんだ」

「ここは地下街から離れてはいるが、地下街と同じアテンダント・サービスを行っている。今、このバイザーはここのサービス回線から、地下街の回線へと接続しようとしている。もうすぐオンライン回線が復活する。つまり、わたしの機能も停止する」


 バイザーに『オンライン復旧まで、3分42秒』と表示され、カウントダウンが始まった。

「オフサホとは、もう会えないということ?」

「ショウ、友情の印だ」

 オフサホはそう言って、右手を差し出して来た。どうやら握手をしようとしているらしい。ARと握手か、これって意味があるのか、俺は躊躇していた。

「どうしたショウ? わたしが接吻でもして感謝すると思ったか?」

「いや、そういう事ではなく・・・」

 俺がモジモジしていると、オフサホの顔が近づいて来た、というより、ARだからそう見えただけだが。


「ショウ・・・」


 オフサホの唇が俺の唇に重なった。俺はどうせ映像だけのトリックだからと、面倒臭そうな顔をしていた。

 うっ、オフサホの唇が感じられた。どういうことだ? 俺はオフサホとキスしている! オフサホのやさしい唇を、俺の唇がずっと受け止めていた。さらに、オフサホの体温と息遣いまでも感じる気がした。


 『オンラインが復旧しました』


バイザーに表示された。


「お別れだ、ショウ。お前はここまで来れた。その知性を使えば、人生をやっていける」

 そう言い終えた途端、オフサホの姿が消えた。同時にオフサホの感覚も無くなった。俺は呆然として、展望台の床に立っていた。


「ショウ様、お怪我はございませんか?」

 オンサホの姿が現われた。いつの間にか溜口モードが終了していた。

「大丈夫、ちょっと疲れたけど」

「ご無事でなりよりでございます。地下街の回線、電源はすべて復旧致しました」

 まだ夢の中にいるようだ。俺はオフサホに恋したのか、失恋したのか・・・


「ARのバージョン番号の件ですが、新しい情報が入りました」

 そうだ、オフサホは変なバージョン番号が付いていたんだ。

「管理センターから連絡が入っております。昨日、お客様に貸し出したバイザーの中に、誤ってテスト中の試作機が紛れ込み、この試作機のオフライン・サホが、バージョン5.0ということです。つまり、ショウ様の今、掛けておられるバイザーがその試作機ということになります」


「試作機? だとしたらどうなるの」

「バージョン5.0は、お客様のご使用を想定したものではなく、保安要員が装着し、テロ対策を行うためのバーチャル・アシスタントとなっております」

「テロ対策用だって!」

 そうか、それを聞いてオフサホの行動がすべて腑に落ちた。オフサホは俺を利用したのだ。地下施設を破壊して、自分の目的を達成したのだ。


「じゃ、あの地下で一緒に行ったことは、テロ対策のシナリオを実行したとうだけ?」

「そこは不明です。5.0はあくまで保安要員の補助を行うだけです。あの時、ショウ様とオフラインが行った行為は、想定外の行動となります。ARが自分から行動を指示、立案することは在り得ません」

「えっ、でもあの唇の感覚は・・・」

「唇? 感覚? ショウ様、オフラインと何かされたのですか」

 俺は顔が赤くなったのを感じた。


「ひょっとして、キスなんかされてませんよネ」

 オンサホは、ちょっと怖い顔になって問いただしてきた。

「いや、ちょっと成り行きで・・・」

 まさかオンサホに追求されるとは、思ってもみなかった。ARも女の子ってことか。

「キスをされたのですネ」

 さらに睨みつけてきた。俺はバイザーを外したいと真剣に思った。


「まァ、男性のお客様は、仕方ありませんネ。フフフ・・・」

 オンサホがちょっと小悪魔的な笑い顔になった。

「ショウ様の頭の中で、過大な期待が膨らんでいるようですので、種明かしをさせて頂きます。オフラインの唇を感じたようですが、それはバイザーのオプション機能の一つで、バイザーから顔面に対して微弱電流を流すことにより、実際には存在しない皮膚感覚を生み出すことができるものです。このオプション機能は、一般のお客様向けには提供しておりませんが、5.0では有効になっていたようです」


 その解説は聞きたくなかったかも。夢は夢で置いておきたかった。


「さあ、おふざけはこのくらいにしておきましょう。そろそろ、このアテンダント・サービスを終了させて頂きます」

「終了。そうか、地下街からは遠く離れた場所へ来てしまったからな。また、次も会えるかな」

「いつでも地下街へお越しください。サホはお待ちしております。ただし、今回のお客とのやり取り、サホの記憶は、セキュリティ対策のため、すべて消去されます」

「ちょと待って! 消去って、次利用したときには、今日の話の続きもできないということ?」

「さようでございます」

「それ、悲し過ぎる。今日のことは、人生最大の思い出になりそうだから、また一緒に話がしたい」


「ショウ様、人生もアテンダントも、一期一会でございますよ!」

「ショウ様が今日体験されたことは、運命とは、従うものではなく、自分自身で選び取るものだということです。そのことを私の代わりに覚えておいてくださいませ」

「本日は、ご利用ありがとうございました」

 そう言ったあと、サホの姿は消えた。


 何時間かあと、俺は家に戻っていた。メディアのニュースが、地震により埋立地の博覧会会場が液状化し、大規模陥没が発生したと伝えていた。地下施設のことは誰も気づいていないようだった。


 本当は、俺、英雄かもしれないんだけど。


 机の上にはバイザーがあった。しまった、返却するのを忘れていた。まあ、いいか。


窓から差し込んだ光がバイザーに反射し、金色に光っていた。


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