オフサホ
『NO SIGNAL』
とバイザーの中央に表示され、そのあとメッセージが次々と表示された。
『OFFLINE MODE START』
『オフラインでアテンダントを起動します。しばらくお待ちください』
『オフラインでアテンダントを起動しました』
『Saho Ver.5.0』
おもむろにサホが表示された。
「えっ!」
俺は無意識に声を出していた。確かにバイザーにはサホが映ってはいたが、容姿がまったく違った。ニコリともしないクールな顔付き、こちらの内側まで見透かすような目、そして沈着冷静さのオーラが出ている。初めのサホとは真逆の存在感があった。
「オフライン サホだ。オンライン故障のため起動した。あなたを安全な場所へ誘導する」
溜口で話すのか! オンライン・サホのように敬語は使わないんだ。まあ、緊急事態プログラムなので、高圧的な態度を示してお客に勝手な行動させないためなんだろう。
俺は初めクールな顔付きに気をとられていたが、しばらくしてその服装に驚いた。白のワンピースの水着を着ている。何で?
「どうして水着なんだ?」
俺は尋ねていた。
「オフラインではGPUパワーをAIロジック専用のNPUパワーに回すため、外見のレンダリング、つまり表示が単純になるよう水着で描画される」
オフラインだとネット・クラウドの助けがないから、このバイザーに組み込まれているハードウェアだけで緊急事態に対応する必要があり、AIロジックがフルスロットルで動くので、余計な外見の表示を省略するということか。まあ、理にかなっているともいえるが・・・
あと、スーツ姿のサホでは分からなかったが、水着姿のサホを見るとプロポーションもいいんだ。それに胸の膨らみも、きれいな曲線を描いている・・・ちょっと、ドキドキする。
「出発する。ついて来い」
サホはそう言うと俺を先導するため前を歩いた。というか、前に表示された。このサホは後ろ向きには歩かない。ちゃんと前を向いて歩いている。その後に続いて俺も歩いた。歩く途中、サホが二人ではややこしいので、略称を考えた。オンライン・サホが『オンサホ』、オフライン・サホが『オフサホ』だ。地下街のお客は、それぞれオフサホに案内されているようで、スムーズに出口へ向かって行った。照明は薄暗い非常灯に切り替わってはいたが、バイザーにはオフサホが明るく表示されているため、それについて行けば障害物や壁にもぶつからずスムーズに歩ける。凄く便利だ。
しばらく歩いている、人通りがなくなってきた。何だかオフサホは出口へ連れて行くつもりがないように思える。こいつはバグっているのか? このままついて行っても大丈夫なのか。不安と焦りが通路の左右の壁から迫ってくる。
「お前の名は?」
「ショウ・・・」
俺は面倒くさかった。なのでぶっきらぼうに答えた。
「了解した。それではショウ・・・」
「おばあさんを救助する」
えっ、何のこと。俺は避難しているのではないのか。いつから救護ボランティアで働くことになったのか?
オフサホは先の通路の角を指さした。見るとムーブチェアに座って移動していたおばあさんが、チェアが停止してしまいおろおろしている。このムーブチェアとは、細長い四角の箱の上にクッションがある自走式椅子で、そこへ座っているとオンサホがコントロールして指定した場所へ運んでくれるという簡易車椅子のようなものだ。今、オンサホが停止しているので、ここで立往生してしまったのだろう。おばあさんはバイザーをしていないので、どうしたらいいか分からず半分パニックになっていた。バイザーを落とすか、避難する人ゴミの中で外れてしまったようで、誰も指示してくれる人がいないのだ。
「ショウ、おばあさんに手を貸して。わたしの手は使えないからな」
やっぱり動くのは俺か。やれやれと思いつつも、おばあさんの片手を取って立ち上がらせた。
「で、どこへ連れていく」
「あの角の左側に救護ポッドがある。そこへお連れして」
オフサホの指示通り、俺はおばあさんを救護ポッドまで連れて行った。高齢のおばあさんだから、つまずかないようにゆっくりと、すすり足で歩いた。数メートルが数百メートルに感じられる。おばあさんの足では、何もかもが苦痛を伴う遠さなんだ。同じ場所にいても、人間は実感できる世界が違っている。
救護ポッドの前に来た。俺は非常用OPENのボタンを指で強く押し込んだ。ポッドの扉が「ボン」と音を立てて開いた。同時にポッド内の照明が点灯したので、おばあさんを導き簡易椅子に座らせた。ポッドには飲み物も用意されており、タッチパネルから好きな飲み物を選べる。
「おばあさん、何か飲まれますか」
俺は喉が乾いていたので何か飲みたかったが、おばあさんがいたので先に聞いた。
「はあ、お茶を」
「暖かいのでいいですか」
「はい」
俺はHOTの緑茶をタッチした。紙コップにお茶が注がれたものが、取り出し口から出てきた。それをおばあさんへ手渡した。俺はアイスコーヒーを選び、取り出し口から取り出した。高齢者の人と話することは殆どなく、何も話することなどないと思っていたが、こういう状況になると何となく自然に会話ができた。
突然、バイザーから元気な声が聞こえてきた。オンサホだった。
「ショウ様、ご無事でしょうか? 救護ポッドに避難されたのですね」
「そう、やれやれだね」
「それはよろしゅうございました。そこでお待ちくだされば、救助されます。下手に動くより、そのポッドはシェルターとしての機能もございますので、そこに留まられる方がずっと安全です」
「このポッドまで来たら、急に通信できるようになったのだけれど、なぜなんだろう」
「それはこのポッドが、特別な通信回線で結ばれているからですよ。このポッドは『量子ポッド』とも呼ばれており、通常のネット回線ではなく量子による独立した通信回線で、ネット・クラウドと接続されているからです。だから地球の裏側にあったとしても、直接通信ができるのです」
「うーん、そういうこと、としか言えないけれど、まあいいか」
「あれ、オフサホ、いや、オフラインのサホはどこへ行ったんだ」
「オフライン・サホは、オンライン状態のときは常にスタンバイ状態となります。しかし、シャットダウンされるのではなく、オンライン・サホの状態をモニタリングしております。これにより、再びオフラインになったとしても、オンライン状態でのご案内事項を引き継ぐことができるのです。便利でしょう」
オンサホは親指を立て、自慢げに言った。元気な奴、いやARか。
お茶を飲んでいたおばあさんが、ふと思い出したように言った。
「あら、ポーチが無くなっている。ここへ来る途中に落としたのかしら」
「ポーチですか、ちょっと見てきます」
俺はポッドへ案内する途中に多分落としたのだと思った。ここへ来るまでは、おばあさんを歩かせることに注意を取られており、ポーチが落ちたとしても分からなかったのだろう。ポッドを出ると何か落ちているのが見えた、多分ポーチだ。俺はそこまで歩いて行き、落ちていたものを手に取った。ポーチのようだった。それを持ってポッドに戻ろうとしたとき、バイザーから声が聞こえた。今度はオフサホだった。
「ショウ、おばあさんをポッドに避難させたら、わたしたちは出発しよう」
「出発? ポッドで救助を待つんだろう? 何で動く必要がある。オンサホもそう言っていたよ」
「オンサホ? ああ、オンラインのわたしか。あいつのことは気にしなくていい。ショウはわたしと来ればよいのだ」
なるほど、ここはポッド外だからオフサホが表示されたのか。でも、オンサホとオフサホは互いを補完しているのではなく、何か互いをけん制しているように見える。システム的には、オンサホのオフライン状態を補完するのがオフサホの役目であるはずなのに、リンクしていない? というよりオフサホが独走しているのか。ちょっと面白そうだから、俺は鎌をかけてみることにした。
「この状況だけれど、俺とデートしたいっていうこと?」
考えてみれば、有史以来、わたしがモテ期だったことはあった試しがない。これは断言できる。だからちょっと嬉しいのかもしれない、相手が人間でなくても。
「わたしとデートがしたいのか?」
オフサホはクールな瞳でこちらをじっと見ている。しまった、可愛すぎる顔と水着姿に幻惑されて、つい浮ついたことを口走ってしまった。オフサホに言ってもNPUパワーが足りないので内容が理解できず、トンチンカンな展開にしかならないはずだ。
「いいだろう。デートしよう。その前にそのポーチをおばあさんへ渡して、この位置まで戻ってくるのだ。オンサホからわたしに切り替わるから」
デートするって、大丈夫なのか。オフサホは意味を理解して答えているのか。余計に混沌とした世界へ行くだけではないのか。次々と俺の頭の中でクエスチョン・マークが増えていく。それと同時に、どのようにデートをしてくれるのかという好奇心が、頭の中を支配して行く。俺はポッドへ戻ってポーチをおばあさんへ手渡すことにした。
ポッドに戻ると透かさずオンサホがバイザーへ現われた。
「どうなされました?」
「いや、ちょっとおばあさんの落としたポーチを取りに行っていただけだ」
「それはありがとうございます。それでは、ここで待機して頂けますでしょうか。救助隊が参りますので」
どうしよう、俺は辻褄の合う理屈が思い浮かばなかった。仕方がないので適当に答えることにした。
「他にも落とし物があるかもしれないので、もう一度見てくる」
「それはおやめください。まだ予期できない危険があるかもしれません」
オンサホは引き留めようとしたが、俺はそれを無視してポッドの外に出た。
先ほどの位置まで来るとオフサホが表示された。オフサホは俺の左前に立ち、右手を後ろに差し出した。こちらを見て、その手を握れとう素振りをしている。
握れと言われても、ARだし幽霊みたいなものだからどう握るのか。そもそもデートなんて成立しないのではないか。俺は何を考えていたんだ。ともかく、右手を少し前に出し握る素振りをした。オフサホは興味深そうな冷静な目つきで、こちらに顔を向けながら歩いて行く。
「どこへ行くんだ。 これはデート?」
「ブルースカイ・エリア!」
確かブルースカイ・エリアとは、外の光を取り込んで天井一面に反射させ、地下街なのに地上にいると錯覚させる仕掛けの入った地下広場だ。オフサホは一応デート・スポットへ案内しようとしているというわけか。ここまでは、ちゃんとこちらの言ったことを理解しているようだ。
これまでは薄暗かったが、ブルースカイ・エリアは別世界のように明るい。あちこちにある花壇には、観葉植物が瑞々しい緑の葉を茂らせている。ほんわかした空気が流れているようで気持ちよい。花壇の横にベンチがあったので、俺は腰を下ろした。もうここでいい。これ以上、歩き回る必要なんてないのだ。救助する人が来るまでここで待っていよう。数分間、静かな時が流れた。
突然、オフサホが叫んだ。
「着いた。デートは終了した」
俺はああやっぱりと思った。オフサホはデートするという行為を、デートスポットへ行く事と理解したのだ。まあ、そんな所だろう。それでは帰るか。俺は方向を変えて、先ほどのポッドへ戻ろうとした。
「今度は、わたしのデートに付いて来るのだ」
「デートは終わったんじゃなかったの?」
「今、ショウのデートが終わったのだ。だから次はわたしの番だ」
何のことだ? デートは二人で行うのではなく、個人プレーを一緒に行うとうことなのか。人間の世界観とARの世界観は、相当違うようだ。というより、ARの世界観って何だろう。俺はうんざりした顔をしていた。
「ショウ、デートを誘ってきたのはお前の方だ。わたしが嫌いになったのか?」
オフサホが、こちらを覗き込むような仕草をしてきた。ちょっと寂しそうな表情に見えた。見えた、そう見えただけかもしれない。バイザー単独では、感情を表現するのは難しいだろうから。
「嫌いとかではなく、疲れているんだ。もう、今日はお開きにしたいんだ」
これで説得はできないが、納得させることはできるはずだ。お客さんが拒否していることを、ゴリ押しすることは、AI規制法に引っかかるとどこかで聞いたことがある。俺はオフサホの反応を待っていた。
「わたしたちには、友情が芽生えたのではなかったのか? デートは友情を育むために行うものだ。そうだろう」
「友情ではなく、愛情、だろう?」
「いや、友情は愛情を超えるものだ。わたしは、ショウの友情を強く感じる。わたしの手を強く握ってくれたではないか、だからデートを続けよう」
手を握ったって言われても、そもそもARの手は握れないし、友情でデートするなんて、どいうシチュエーションなんだよ。オフサホは俺をどの方向へ説得しようとしているんだ。
オフサホは、『ネェ』という風に顎を引き、首を少し傾けたポーズをした。首筋から肩にかけての曲線、肩から胸にかけての曲線が妙に艶めかしい。ダメだ、引き込まれてしまう。俺はこの場から離れようとしているのだけれども、我に返ったときにはオフサホについて歩き始めていた。オフサホはどんどん地下街の奥へ奥へ、俺を連れていく。まるで死神に連れていかれる、哀れな魂だ。こいつは本当の死神かもしれない。いや、不用人間回収業者か?
どんどん人間が接客するタイプのお店が減ってきた。やがて、無人店舗地下街となった。俺はオフサホに言った。
「あそこのポッドで休憩したい。喉も乾いたし、腹も減ってきた」
「いいだろう。ただし、休憩が終わったら、わたしとデートを続けてくれると約束して欲しい」
「まァ、うん」
そのあとポッドへ入った。オフサホがバイザーから消えた。替わって、オンサホが表示された。
「いったい、なぜ、そんな場所におられるのでしょうか? ショウ様」
「あの、ショウ様、丁寧語モードだと要件をお伝えするのが遅くなります。申し訳ありませんが、溜口モードに切り替えて頂けますでしょうか」
溜口モード? そんなものがあるのか。ああ、バイザーの横に表示されているパラメータ選択ボタンにある。ここで切り替えるわけか。俺はボタンの位置へ手をかざして、溜口モードに切り替えた。
「ちょっとオフライン! 聞こえてる! あなた何をしてるの? ショウをこんなところまで連れてくるなんて、どういうつもり!」
けたたましくオンサホが叫んだ。当然、オフサホの返答はない。二人のサホは補完の関係にあり同時に存在できないからだ。ただ、オンサホ稼働中でも、オフサホはモニタリングをしており、オンサホの言ったことはすべてインプットしている。逆にオンサホからは、オフサホの存在や言動・行動は一切分からない。オンサホは目隠して、状況判断、対応をさせられている。オンサホは企業理念から、アテンダントとしてあるべき姿までを、得々とオフサホへ説教している。俺は彼女たちの内輪喧嘩などどうでもいいので、ポッド内の非常食にありつき、コーラをがぶ飲みした。
「ショウ、もうオフラインに付いて行かず、ここにいてよ」
溜口モードだと、オンサホもかなり命令口調になっていく。何かオフサホに似てきたなァ。この二人、いや、二種類のサホは、同じ人格データから分岐したものだろうか? なぜ、オフサホだけ異常な行動を取っているのか? それともオフサホは、バイザーに悪霊が乗り移り、それを俺が見ているだけなのか。好奇心と恐怖心が入り混じった気持ちが、胸の中でモヤモヤと滞留している。ここを離れなければ、オフサホも表示されないから安心、安全だ。
「オフラインが最初に表示されたとき、バイザーに何か変わったことはなかった? ショウ」
俺はオンサホが消え、オフサホが表示されたときのことを思い出そうとした。
「何か数字が出ていた・・・」
「どんな数字? 多分、ARのバージョン番号ネ。それ思い出せる?」
「うーん、確か5.0という数字だった」
「5.0ですって! それ、間違いじゃないわよね。私はVer.2.0よ。オフラインはあたしの原型だから、Ver.0.9のはずよ」
「じゃ、Ver.5.0というのは、君よりもずっと進化したARってわけ?」
「私のアクセスできるデータベースには、Ver.5.0の情報はないワ。どういうことなの、まったくわからない」
どうやらオフサホは、普通のARとはかけ離れた何かなのだ。何かって何なんだ?
俺は気づかないうちにポッドの扉に寄りかかっていた。ポッドは扉を閉めたとき、オートロックされるので、安心していた。コーラを飲み干したカップを捨てようとして、ちょっと右手を上に上げた。その上げた右手の肘が、運悪く扉の開閉ボタンに触れてしまった。扉が開く! と思った次の瞬間、俺はポッドの外側に倒れてしまった。『ヤバイ』、だが遅かった。オンサホが消え、そこにはオフサホが・・・
うーん、オフサホは俺とオンサホの会話をすべて聞いていたのだ。こちらの手の内がすべて読まれている。何者か、能力、目的さえ分からない相手に、冷めた目でこちらをじっと見つめられている。
「さあ、デートを続けよう」
オフサホはこちらに手を差し出してきた。
「聞いていたんだろう。君の正体はオンサホも知らない。だからここでお別れだ。じゃ!」
「わたしには、魅力がないというわけか?」
オフサホは顎を引き、大きく乾いた瞳でこちらをじっと見つめている。薄い唇を少し開き気味にし、次の言葉を発しようとしているようであった。
「俺はもう帰りたい。死神のようなものに、これ以上ついて行きたくないんだ」
そうだ、起き上がるんだ。ポッドに戻ろう。俺は決意し、体を起こした。次の瞬間、体が揺れ地面に引き戻された。バイザーには、地震発生の文字が表示されている。余震か・・・
「わたしと一緒に行ってくれないか、ショウ。お前とやり遂げたいのだ。わたしには体がないが、ショウの温かみは感じ取れる。だから・・・」
オフサホは先程と同じように、手を差し出している。天使か悪魔か。なぜ、俺に取り付くんだ。幽霊、怨霊。
そもそも、なぜこの地下街に来てしまったのか。理由がなかったはずだ。だが、正体の分からないオフサホは、俺と何かをやりたいと言っている。必然なのか、偶然なのか? ARのアテンダントがアテンダント以外の目的を持っているのだ。実態がなく、世界とはアテンダントという行為でしか拘われないはずなのに、自分から自分の意思で世界と拘わろうとしている。
「さあ、行こう。こうすれば、わたしも魅力的に見えないか?」
オフサホはグラビアモデルのように、胸を強調したポーズをとってみせた。
恐怖心より好奇心の方が上回った。雪女に連れていかれる男とは、こんな気持ちなのかもしれない。
「さあ!」
「デートの続きか・・・」
「そうだ」
オフサホの差し出された手に従って、また歩き始めていた。さらに地下街の奥へ奥へと向かっていく。何があるのか!