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正しさと死

作者: 遊浪人

 ビルの屋上に、ビュウっ、と一陣の風が吹く。それに揺らされバランスを崩しかけて、慌てて身を捩って体制を立て直す。もし今落ちたら。そう思うと心臓にナイフを当てられたような感覚がして、ゾワッ、と背中に寒気が走る。

 やっぱり高い。眼下に広がる光景を改めて、見直す。遥か下に見える歩道に、人の数は少なく、車道の車の数のほうが多いように見える。この時間はこんな感じだったなんて、今まで知らなかった。これから死のうというのに、そんな感想が湧いてくることに、自分のことながら驚いた。

 背後にある金網が風に吹かれて音を鳴らす。早く降りろ、早く降りろ、と言っているような気がした。

 しかし、もうなんとなく分かっていた。


「これは、多分……無理だ」


 振り返り、向こうへ戻ろうと金網をはっしと掴んだ。その時、誰も来るはずがない屋上の扉が、自分が開けたときと同じように、ギィ、と軋みながら開いた。


 出てきたのは四十歳くらいの男性で、うつむいていてまだ僕に気が付かず、浮かない顔をしている。頭は少し剥げかかっていて、白いけどくたびれたシャツを着ている。一目でサラリーマンだと分かった。というかこの方には申し訳ないが、あまりに自殺するサラリーマンって感じで登場してきたので、自殺しようとした廃ビルにくたびれたサラリーマンがやってきた、という今の状況も相まって、なんだか笑いそうになってしまった。


「あの、すいません!先客です」


 もうどうでも良くなって僕がそう言うと、男はハッと顔を上げ、表情を変える。何度か口を開こうともごもごさせて、言った。


「き、きみ、ここは関係者以外立ち入り禁止だよ?」


 ここに来てその発言はないだろ!と心のなかで盛大に突っ込んでしまう。完全にブーメランだし。さっきから笑いが止まらなくなりそうで怖い。爆笑のダムはいつ決壊するだろうか。


「とりあえず、そっちに戻りますね!」


 そう言うと僕は金網を掴み直し、来たときと同じく乗り越えて、屋上へと戻った。その間男はなすすべもなくオロオロとしていた。

 よいっしょっと! と掛け声を出して地面に降り立つと、男はビクッと体を震わせて、何か言おうとするが、やはり何も言わずに黙り込むので、よくわからない空気ができつつあった。いやまあ、よくわからないも何も、意味の分からない空気なのは最初からそうかもしれない。


「あの、一応聞いておきたいんですけど、あなたは何をしにここへ来たんですか? 僕は見ての通りだと思うんですけど」

「あ、ああ、私も君と同じだと思う。あまり直接的に言いたくないが………飛び降りよう、と」

「ですよね。よかった、早とちりじゃなくて。あまりにもぽい格好だったので」

「そう、だろうか? そんなに変わった服装では無いと思うんだが……」

「そんな普通の服装でこんなところに来たら、誰だって自殺志願だと思いますよ」

「た、たしかに、そうかもしれないね……」


 奇妙なことにだんだんと話が弾んできた。自殺志願者どうし、波長が合うのかもしれない。でもこの人は絶望度はあまり深くなさそうだ。僕もそうだし、やっぱり似たところがあるのかもしれない。


「まあ、立ち話もなんですし、座りませんか?」

「そう、だね。すわろう」


 腰を下ろしたは良いものの、案外硬くておしりが痛い。校長先生の話の時よりも痛いかもしれない。


「それで、あなたはなんで飛び降りようと?」

「ああ、私はこのビルに入っていた会社の社長でね。うまくやっていたつもりなんだが……途中で自転車操業に切り替わって、しばらく赤字で会社を続けて、そのまま倒産さ。もう二年も前の話だ」

「社長さんだったんですか⁉ 僕社長という肩書を持つ人と合うの初めてかもしれません!」

「はは、そんなに大したものではないよ。学校の校長先生みたいなものだよ」

 おじさんの表情がだんだんと柔和になっていくのが分かった。たぶん優しい人なんだろうな、と思うが、同時に、優しい人は商売でうまく行かないという話も思い出して、勝手に納得してしまった。


 「そういう君はどうなんだい? 見たところ高校生だろう。最近の子は悩みが多いと聞くけど……自殺するほどなのかい?」

「ええ、まあ、ついさっきまでそう思っていたんですが……あの端っこに行ってみてわかりました。高いし、風強いし、足震えるし……こんなに怖いとは思ってませんでした」

「それは大事なことだよ。………死ぬことは、怖いんだ。君、もしかして自分を情けない、なんて思ってないだろうね?」

「…………僕にも理由があってこんなことをしているんだし、少しは思います」

「そうか……深くは聞かないがね、死を恐れるのは自然の摂理だ。自殺するに足る罪なんて滅多にないんだからね」

「………ありがとうございます」


 しばらく、二人で黙って、風を感じたり、日向ぼっこを楽しんだり、いろいろやった。おじさんには家族がいたらしいが、つい最近事故で亡くなってしまったらしい。それで会社も倒産、養うべき家族もいないとなれば、もうなんの気力も出ない、という訳だった。

 正直今までに生きてきて、こんな話を身近で聞いたことはなかった。ニュースで聞いたり、漫画で読んだりしたことはあったけど、安易に想像できるような物ではないのだと、実感させられた。

 

「僕、正しく生きたかったんです」


 口をついて出たのは、シンプルな本音だった。


「友達がほとんどいなくて、友達って言えるような人も、メールで連絡しなかったら簡単に切れるような相手で………でもそれは自分で選んだ道だ、孤高の道を選んだんだって、自分を誤魔化して生きてきました。

「勉強にも身が入らなかったんです。授業中居眠りしちゃうし、家でも勉強よりゲームしちゃって、それで飽きたら漫画読んで。高校三年生がですよ? みんなが必死に大学目指したり就職活動したりしてる側で、ゲームしながら、『勉強だけが全てじゃない!』とか今どき中学生でも言わないようなことばっか言ってた。


「そんな間違ったことばっかしてたら、母が死んだんです。一週間前に、車に撥ねられて」

「………君も、そうなんだな」

「多分あなたほどじゃないんだと思います。お父さんは頑張ってお葬式とか色々、全部普段と変わらずしてくれたんです。お前の受験の大事な時期だからしっかり稼ぐぞ! って。お父さんは僕が大学に行けるくらい勉強頑張っているんだと信じてて、僕はその誤解を解こうとしなかった。ほとんど嘘ついてるようなものです」


「それを聞いて、心の底から死にたくなりました」


「なるほど、それが正しく生きれなかった、ということか……」

「はい、まあ、そういうことです。なのに結局ビビって跳べませんでした。今だって、死ねるとは思いませんけど、死にたいとは思ってるんです」


 おじさんはしばらく思案して瞑目していた。


「私が思うに……正しく生きられている人なんていないんじゃないかな、たぶん。私には友人が居たよ、でもね、そいつと一緒にやったことといえば、自転車の二人乗りだ。実は二人乗りというのは犯罪なんだよ。道路交通法違反」

「そうなんですね」

「ああ。それに街でよく見るんじゃないか、信号無視やポイ捨てなんかを。あれらは全部犯罪だ」

「まあ、たしかに」

「結局そう考えるとね、人間誰も正しく生きてなんていないんだ。友達がいても、勉強を頑張って社長になってもね」

 

 もしそうだとしたら、なぜ、僕は一人だけ、正しく生きようとしていたんだろう。みんな間違えて生きてるのに、僕だけ正しくありたくて、間違っているから死にたいなんて、なんで思っているんだろう。


「そうだ君、私が死んだことをずっと覚えていてくれないか? まずは、警察に行って私が飛び降りたことを伝えてくれ。そこは嘘でも何でもいいが、君の自殺未遂は隠すんだ」

「………え? 死ぬんですか? 今、ここで?」

「………ああ。君の考えはとても美しかった。正直若さを羨ましく思ったよ。だが、それと私のことは別なんだ」


 そこには入ってきた時のオドオドした、歳に不相応な態度は欠片もなかった。

「そんな、でも、あなたはとても………いい人だ。多分正しく生きてきています。だってあなたの理由は全部、外から理不尽に与えられたもので………」

「なぜ人が死のうとするんだと思う? これは具体的な要因じゃない、もっと一般的なことだ」


 人が自殺する理由……?そんなの生きる希望がなくなった、とか?でもそれは漫画とかドラマで見ただけだし……


「君は賢そうだから分かっているんじゃないかな?」

「………生きる希望が、無いから……」

「そう。希望とは、やりたいこと。やるべきことだと思っていてね。私にはそのどちらも無いからね」

 

 やりたいこと、僕にだってそんな物は無い。でも、僕は死ぬのが怖い。僕とこの人の違いってなんだ?


「ひとまず三十歳くらいまで生きてみたらどうかな? それでやりたいことを見つけて、やってみるのは?」

「そんな歳じゃもうなにもうまく出来ないと思います」

「そんなことは無いよ。もしかしたらスポーツとかを想像しているかもしれないけど、もっと雑多でいい。読書とか、裁縫とか、あとは………会社経営とかね」


 おじさんはこれから死のうと思っているようには見えないほど楽しげに話している。


「怖くないんですか……死ぬのは」

「……怖いよ、もちろん」

「なのに、死ぬんですか?」

「ああ。そうだね」

「僕にはわかりません」

「じゃあそれを解明してみたらどうだろう?今の私の気持ちが分かるようになってなお、死にたいと思うのであれば、そうすれば良いさ」


 おじさんは立ち上がって、金網へと向かっていく。迷いのない足取りが、僕の臆病さを奪っていく。


「君はもう帰りなさい。優しいお父さんがいるんだろう?」


おじさんのその一言を聞いて、僕は黙って扉を開けて、階段を降りていった。




・・・・・・・・・・


 一人残された屋上で、私は一人呟いた。


「君のお陰で決心がついたよ。ありがとう、少年」

 

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