夏目漱石「こころ」下 先生と遺書三十五 「奥さん:新春恒例かるた大会、始めるよー! お嬢:(ドキドキ大作戦5・K君の味方しよ♡)」
「こんな訳で私はどちらの方面へ向っても進む事ができずに立ち竦んでいました。身体の悪い時に午睡などをすると、眼だけ覚めて周囲のものが判然見えるのに、どうしても手足の動かせない場合がありましょう。私は時としてああいう苦しみを人知れず感じたのです。
その内年が暮れて春になりました。ある日奥さんがKに歌留多をやるから誰か友達を連れて来ないかといった事があります。するとKはすぐ友達なぞは一人もないと答えたので、奥さんは驚いてしまいました。なるほどKに友達というほどの友達は一人もなかったのです。往来で会った時挨拶をするくらいのものは多少ありましたが、それらだって決して歌留多などを取る柄ではなかったのです。奥さんはそれじゃ私の知ったものでも呼んで来たらどうかといい直しましたが、私も生憎そんな陽気な遊びをする心持になれないので、好い加減な生返事をしたなり、打ちやっておきました。ところが晩になってKと私はとうとうお嬢さんに引っ張り出されてしまいました。客も誰も来ないのに、内々(うちうち)の小人数だけで取ろうという歌留多ですからすこぶる静かなものでした。その上こういう遊技をやり付けないKは、まるで懐手をしている人と同様でした。私はKに一体百人一首の歌を知っているのかと尋ねました。Kはよく知らないと答えました。私の言葉を聞いたお嬢さんは、大方Kを軽蔑するとでも取ったのでしょう。それから眼に立つようにKの加勢をし出しました。しまいには二人がほとんど組になって私に当るという有様になって来ました。私は相手次第では喧嘩を始めたかも知れなかったのです。幸いにKの態度は少しも最初と変りませんでした。彼のどこにも得意らしい様子を認めなかった私は、無事にその場を切り上げる事ができました。
それから二、三日 経った後の事でしたろう、奥さんとお嬢さんは朝から市ヶ谷にいる親類の所へ行くといって宅を出ました。Kも私もまだ学校の始まらない頃でしたから、留守居同様あとに残っていました。私は書物を読むのも散歩に出るのも厭だったので、ただ漠然と火鉢の縁に肱を載せて凝っと顋を支えたなり考えていました。隣の室にいるKも一向音を立てませんでした。双方ともいるのだかいないのだか分らないくらい静かでした。もっともこういう事は、二人の間柄として別に珍しくも何ともなかったのですから、私は別段それを気にも留めませんでした。
十時頃になって、Kは不意に仕切りの襖を開けて私と顔を見合わせました。彼は敷居の上に立ったまま、私に何を考えていると聞きました。私はもとより何も考えていなかったのです。もし考えていたとすれば、いつもの通りお嬢さんが問題だったかも知れません。そのお嬢さんには無論奥さんも食っ付いていますが、近頃ではK自身が切り離すべからざる人のように、私の頭の中をぐるぐる回って、この問題を複雑にしているのです。Kと顔を見合せた私は、今まで朧気に彼を一種の邪魔ものの如く意識していながら、明らかにそうと答える訳にいかなかったのです。私は依然として彼の顔を見て黙っていました。するとKの方からつかつかと私の座敷へ入って来て、私のあたっている火鉢の前に坐りました。私はすぐ両肱を火鉢の縁から取り除けて、心持それをKの方へ押しやるようにしました。
Kはいつもに似合わない話を始めました。奥さんとお嬢さんは市ヶ谷のどこへ行ったのだろうというのです。私は大方叔母さんの所だろうと答えました。Kはその叔母さんは何だとまた聞きます。私はやはり軍人の細君だと教えてやりました。すると女の年始は大抵十五日過ぎだのに、なぜそんなに早く出掛けたのだろうと質問するのです。私はなぜだか知らないと挨拶するより外に仕方がありませんでした。
(青空文庫より)
「こんな訳で私はどちらの方面へ向っても進む事ができずに立ち竦んでいました。」の、「どちらの方面」とは、奥さんにお嬢さんとの結婚を申し込むことと、お嬢さんへの恋心をKに相談すること。結果を恐れる先生は、その「どちら」へも進むことができない。
「眼だけ覚めて周囲のものが判然見える(頭・思考は活発だ)」が、「どうしても手足の動かせない(行動することができない)」。前話で先生は、その原因・理由を「日本の習慣」だと言ってしまっているので、自縄自縛の状態だ。「習慣」による金縛り。何とも苦しい言い訳をしてしまったものだ。
「その内年が暮れて春になりました。」と、時間の経過が示される。この間に、Kのお嬢さんへの気持ちが変化する。
奥さんがKと先生に、歌留多大会の参加者として友人を呼ぶことを求める。
「するとKはすぐ友達なぞは一人もないと答えた」。
先生も「生憎そんな陽気な遊びをする心持になれない」が、「晩になってKと私はとうとうお嬢さんに引っ張り出されて」しまう。「こういう遊技をやり付けないKは、まるで懐手をしている人と同様」だった。まさに、手も足も出ないK。そんなKに先生は、「一体百人一首の歌を知っているのかと尋ね」る。「Kはよく知らないと答え」る。先生の「言葉を聞いたお嬢さんは、大方Kを軽蔑するとでも取ったのでしょう。それから眼に立つようにKの加勢をし出しました。しまいには二人がほとんど組になって私に当るという有様になって来ました。」
お嬢さんがKを応援する様子に先生は嫉妬し、癇癪を起こしそうになる。「相手次第では喧嘩を始めたかも知れなかった」が、「幸いにKの態度は少しも最初と変」わらず、「彼のどこにも得意らしい様子を認めなかった」ので、Kと喧嘩せずに済んだ。
たかがかるた大会である。好きな人が自分以外の者を応援したという理由で癇癪を起こし、ケンカしそうになる先生。それだけお嬢さんへの恋心が募っているともいえるが、よほど気が短い人だ。これでは子供と同じ。
もしKが得意そうな様子を示したとしても、そもそもそれは喧嘩の理由にはならない。嫉妬による八つ当たりだ。しかもまだお嬢さんは、先生のものではない。
好きな相手の関心が他へと向かうことへの嫌悪。もしここでKが少しでも得意そうな様子を見せたら、先生は本当に喧嘩を始めたのだろうか。そうなれば、お嬢さんも奥さんも先生の人間性の浅さに気づき、この後の悲劇は起こらなかったかもしれない。
また、この部分のお嬢さんの真意も、先生を嫉妬させるためにわざとやっていたのかどうかが不明だ。まだKと先生を天秤にかけていたかもしれない。もし先生の嫉妬をあおることが目的だとすると、これほどまでに先生を興奮させてしまったからには、失敗だったと言える。お嬢さんは、人をあおりすぎる。恋愛に対しての素直さ・真率さがない。
『三四郎』の美禰子も謎の女だが、地方出身の大学生を魅惑し翻弄する東京の若い女という図式が、ここにも表れる。多少なら、恋のテクニックと言えるが、やりすぎなのだ。やり方がくどい。相手と恋愛に対する「真面目」さがない。だから悲劇が生まれる。
かるた大会から「二、三日経った後の事」、いよいよ事件が起こる。Kがお嬢さんを好きになったと先生に告白する。
「奥さんとお嬢さんは朝から市ヶ谷にいる親類の所へ行くといって宅を」留守にする。「Kも私もまだ学校の始まらない頃でしたから、留守居同様あとに残って」いる。先生も、「隣の室にいるKも一向音を立て」ない。「双方ともいるのだかいないのだか分らないくらい静か」だった。
嵐の前の静けさだ。
ちなみに市ヶ谷は、下宿から直線距離で3㎞ほどのところにある。
「お嬢さんには無論奥さんも食っ付いていますが、近頃ではK自身が切り離すべからざる人のように、私の頭の中をぐるぐる回って、この問題を複雑にしているのです。」とは、お嬢さんのことを考えると、以前はそこに奥さんも関係者として出てきたが、最近は、Kも、想像の中に出てくるようになったということ。考えなければならない問題の要素が、それまではお嬢さんと奥さんだけだったのが、そこにKという男性も登場したことで、複雑になってしまった。お嬢さんをめぐる三角関係になったということ。
自分の恋愛問題を複雑化するKに対して「邪魔もの」と意識する一方で、先生は、自分の部屋に入ってきたKのために、自分があたっていた火鉢を、心持ちKの方へ押しやるようにする。先生の、友人への気遣いはまだ失われていない様子だが、その優しさを吹き飛ばす驚くべき言葉が、この後すぐにKの口から吐き出される。
次に、お嬢さんへの恋心を先生に告白しようか逡巡するKの様子が描かれる。
「Kはいつもに似合わない話を始めました。」…先生は、普段と違うKの様子に何かがおかしいと思う。
「奥さんとお嬢さんは市ヶ谷のどこへ行ったのだろうというのです。」…普段はそのようなことを全く気にしないKなのに、やはり変だと先生は思う。
「私は大方叔母さんの所だろうと答えました。Kはその叔母さんは何だとまた聞きます。」…なぜそれほど奥さんたちの行き先を気にするのだろうと不思議に思う先生。
「私はやはり軍人の細君だと教えてやりました。すると女の年始は大抵十五日過ぎだのに、なぜそんなに早く出掛けたのだろうと質問するのです。」…自分の疑問の根拠を、社会習慣をもとに示すK。先生は、「なぜだか知らないと挨拶するより外に仕方が」ない。
「いつもに似合わない」Kの様子と言葉から、Kは何を考え、本当は何を言いたいのだろうかと戸惑い疑問に思う先生だった。
「こころ」では、登場人物の平生と違う様子が元・出発点となり、物語が展開していく。事件が起こるのだ。
今話はここで切れてしまっているので、次話にいったい何が起こるのだろうと、読者の興味をそそる終わり方になっている。