「未知の生物」
そろそろ、決着を付けなければいけない。
自分で言うのも何だけど、俺は周りの先生達と比べて全く怒らないタイプというか……怒れないタイプだと思う。
怒ること、叱ること。
それはとても経験のいることで……今の自分にはもっとも欠けているもの。
生徒達もある程度は察してるんじゃないかな?
この先生は怒らないからチョロくて甘い、楽。
あの先生は怒らせると恐いから気を付けよう。
生徒からの教員評なるものはもうとっくに出来てるはずで、今自分がどんな評価を受けてるかなんて生徒以上にこの自分が察してる。
間違いなく舐められていると。
まあ、それに関しては今までの振る舞いだったり自業自得の側面も強いから自分自身が悪いと割り切ることは出来る。
少し前にも橘先生と話して同じようなことを考えたりもした。
だけど。
いや……だけどさ。
いい加減ぶちギレ寸前というか、そろそろ限界かなって。
お前の場合は舐めるとかそういう次元じゃないだろ?
そろそろ、いいと思う。
ここでしっかりと制裁を受けて今までの行いを精算して……。
ついでに将来のことも考えて、人格も再形成して。
ありとあらゆる方面で更正を図ろう。
なぁ、そうは思わないか?
伊藤。
「待てよ伊藤。帰れないぞ?」
――――(♠️)――――
「帰れない……? はぁ!? なんで帰れない? はぁぁん!? 手を離せっっっ」
「おっ……」
なんてイキっては見せたものの、いざ伊藤を前にするとどうしてこうもヒヨってしまうのか。
そもそもの陰気質である自分と、先から先まで全身陽気質である伊藤とではハナから相性が悪いことなんて初めからわかっていたはずなのに……。
ただ、この伊藤の焦った顔……わざわざ演出した会はあったな。
スライド式の扉に手を刺し込んで、伊藤の帰宅を阻害する。
流石にもう逃がさない。
「ぐぎぎぎぎっ……ぐっ…んっ……ふんっ…ふんっっ」
「んっ、んんんんっ……んっ、んんっ」
「ちょっとー! 帰れないんですけどー!」
ま……まぁ、この演出のおかげで当番の子達まで同時に閉じ込めてしまうのは難点だけど。
「ごめっ……ごめんなぁ? んっ…んんっ……カギッ、カギがぁ、教卓の上にあるから……おぉっ……それ、それ使って開けていいからっ……んん……カギッ…カギ廊下置いといて……っ」
「あ……はい。………なにやってるんだろ?」
「知らな~い。どうせまた伊藤さんがバカなことしたんでしょ。ねっ、帰ろ~」
さぞ白い目を向けられていることだろう。
恥じらいを感じつつも意識を割く余裕はどこにもない。
だって少しでも伊藤から目を離すと……。
「あっ」
「どうした? あっちはもういいのか?」
当番の生徒達に続いて開かれた扉へ走り出そうとする伊藤を掴んで静止させる。
立場上、女子生徒に気安く触れる行為は避けなきゃいけないけど、今回だけは仕方ない。
あぁ……と、小さな声を漏らす伊藤。
掴んでいる手から力が抜けていくのが瞬時に伝わってくる。
これで諦めてくれるか?
こっちが真剣なんだって理解してくれたらそれでいい。
そこから、初められるから。
「おまえいい加減にしろよ?」
「お前の方こそいい加減にしろ……あと、前にも言ったけどお前って言うな。一応教師なんだから」
「あん? おまえもおまえって言ってるだろ。おもちゃが逆らうな」
おもちゃ。
おもちゃか……。
伊藤には、そう見えてるのかな?
「なあ伊藤、先生は伊藤のおもちゃか?」
「おん。わたしがイタズラするやつ、ぜんっっぶおもちゃ! それが?」
「だったら先生は伊藤のおもちゃ、卒業するよ。だから伊藤もこんなバカなイタズラからは卒業しよう」
「あん? 卒業とかねえから」
「あるんだよっっ!!」
自分でもびっくりするぐらい大きな声が出た……ような芝居を打つ。
伊藤が抵抗するなら怒る素振りを見せて圧を掛けようと最初から決めていた。
この手合いの教師は自分自身が最も苦手とするタイプで、最も反対側にいる人間だという自覚はあるけど……既に、ここまでしないと取り返しの付かない段階にまで来ている。
ここで手を抜いてしまえば薬師寺の件の再来になる……どこか、そんな気がする。
タイミングを間違えてはいけない。
今、目の前の伊藤と真剣にぶつかり合わないと。
「……おまえ」
「お前じゃないだろっっっ! 何っ回言わせんだっ!? 教師にお前って言うなよっっ」
「……ぉ」
「もう中学生なんだろ? 小学生終わったんだろ? いつまで幼稚園児やってんだ? このままじゃどこいっても通用しないぞ」
モラハラ、ロジハラ、なんでもいい。
このまま大声で押し切りたい。
「今はまだよくても、こんなんで3年に上がってまともに内申点けてもらえると思うか? 受験はどうする? 就職希望か?」
地の果てまで下がり切った教師としての威厳を最低限取り戻そう。
大人しい人間程いきなりキレたら恐い理論に則って、出来れば……こう、もっと机とか叩いたりして。
バンバンバンッッ。
「はぁ…はぁ……仮に、仮に高校入ったとして今の自分が通用するって本気で思うか? 退学だぞこんなもん!」
椅子も蹴って。
ガコッ……ガコッ。
「なぁ、伊藤っっ!? もうやめよぉ、こんなことっ! みんな迷惑だし伊藤のためにもならないって!! 後になって絶対後悔するから! 伊藤っ……お願いだからさぁ、もうやめてくんないっ!? 絶対やめた方がいいってこんなことっ」
どうだ?
完全勢い任せだけど思ってること全部言ったぞ。
大声を出したことは後で謝る。
演出とはいえ机や椅子に当たったことももちろん謝る。
だからな伊藤……先生と、本気で話をしてくれないか。
「おーん……おまえそういうことするの?」
「わかった。バトルだな?」
バ、バトル……?
えっ?
「はっ? ……おっ…ちょっ、おおおおおおっっ」
掴んでいた手を払われる。
なんだと伊藤を見たら、伊藤の姿が消えていて……突如、懐に鋭い衝撃が走る。
両手で膝の裏を掴まれて、タックルされたんだって気付いたときには既に尻もちを着かされていた。
「なめすぎな? おまえ」
中学生女子に転かされた衝撃で数秒間放心状態になるも、上にのしかかる伊藤の声で回帰。
わけのわからないまま振り払おうとするも、身体の重心を押さえ付ける絶妙の位置にポジショニングを取られ簡単には剥がせない。
「うっ……ううっ…ぅ……どけ」
「ムリ」
手で払おうにも手首を掴まれ地に伏せられる。
足でズリ落とそうにも体勢的に僅か届かない。
想像以上の力の強さに驚きを隠せない。
「よいっと」
くるりと方向転換する伊藤。
見下しながら座る体勢から背を向ける体勢へと変わり、重みが消えたかと思えば今度は自分の右脇に俺の右脚を挟んで勢いよく立ち上がる。
「おぃ…っ……おいっ」
およそ角度45°程の逆さズリ体勢。
こんな小さな身体のどこにそれだけの力を蓄えているかなんて考えてる暇はない。
少し顔を上げれば真っ白な伊藤の脚が視界に入る事実を指摘出来ない。
それ以上に、なにか不穏な予感が……。
「おまえもう卒業したんだったな?」
「わかった……わかった、参った……参ったから」
左腕に構える手刀が、挟まれてる脚に……脛に、深く突き刺さる。
チョップ。
チョップチョップチョップ。
「卒業したっ! おもちゃはっ! 壊すにっ、限るっっ!」
チョップチョップチョップチョップチョップ。
「ああああぁっ、ああああああああぁぁぁぁっっ」
痛い。
痛い痛い痛い。
脛……脛っがぁぁ……。
「ふんふんふんふんふんっ」
チョップチョップチョップチョップチョップチョップチョップチョップチョップチョップチョップチョップチョップチョップチョップチョップチョップチョップチョップチョップチョップチョップ。
「あああっ…ぁぁ……やめっ、やめてやぁ…」
廃になったみたいに、頭が真っ白になる。
チョップするたびに急接近する白い脚だったりお尻だったり、見え隠れするオレンジの布地とか、挟まれてる脚に密着する確かなバストの感触とか。
その他諸々全てを含めて、何もかもを吹き飛ばす激痛。
あぇ……。
あえ?
おかしく、なりそう……。
――――(☆)――――
「二度と話しかけて来るな。壊れたおもちゃに興味ねえから」
あぁ……ぁ……。
なんでこうなるの……?
何回チョップされた?
直前まで説教してて、どうしていきなりあんな展開になる?
わけわかんねぇ……。
もうこれ、ダメだろ。
理屈が通用しない。意図がまるで理解出来ない。
伝わらない。
言葉が届かない。
俺のことが、まるで視えていない。
真剣に向き合えばって、本気でぶつかればって、そう考えてた。
薬師寺の一件があって、二の足は踏むまいとそれなりに対応してるつもりではいて……まだどこか甘えてる自分がいたのは確かだけど、それでも何とかしようって今日に関しては出せる物全部出したはずなのに。
まだダメか? 足りないか?
やり方が間違ってるか?
でも、これ以外で他にどうしろって言う?
親でもなければ親戚でもない。
伊藤個人に課すことの出来る罰なんて何もない。
所詮は教師でしかなくて、生徒を咎めるために面と向かって説教する以外で何が出来る?
出来ないだろ、なにも。
もういっそ保護者に連絡して学校まで呼び付けようかって思わなくもないけど……それをすると、何も変わっていないことになる。
前に、竹先生に投げたのと同じ。
やるべきことがあるにも関わらず参ったって全部押し付けるようなマネをしたら、それこそ二の足を踏んでしまう。
仮に連絡するにしても最低限きちんと役割は果たさなければいけない。
ちゃんと伊藤と向き合って、話をして、教師としてのやるべき行いを終えてからじゃないとまた同じことの繰り返し。
俺は、薬師寺を守るために教師としてこの学校に在籍している。
二度と薬師寺がイジメに遭わないため、村上だったり南原だったり薬師寺に害を為す存在全てに睨みを利かせるため、この学校に残り続けてる。
それは自分の犯した過ちに対する償いで、教師で在り続けることがその贖罪でもある。
ここで同じことを繰り返すような人間が、都合よく薬師寺だけを守り通すことなんて出来るだろうか。
薬師寺がまた辛い目に遭ったとして、また見捨てることになるんじゃないのか。
それだけは絶対にダメだから。
薬師寺とは関係ないことだからって都合よく逃げちゃいけない。
なにか……。
なにか。
「出来る出来ない以前に、こういうのって同じになることが大事だから」
ぁ……。
どうしてだろう、金井先生の言葉がふわっと湧いて出た。
少し前に職員室で聞いた言葉。
あのときは金井先生が姪を連れてきてて、その姪に向けられた言葉だと思うけど……。
どうして今、この状況で思い出す?
同じ。
伊藤と……同じ?
無理だ。同じになんてなれない。
なりたくないし、あそこまで自分のレベルを下げることは出来ない。
なのに……どうしてだろう、この同じという言葉が妙にしっくり嵌まって離れないのは。
同じ。
いやぁ……。
でも……でもなぁ…。
なあ伊藤、同じになればお前の世界に入れてくれるか?




