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「保健の金井先生」




 6月上旬にもなれば職員室備え付けの冷房は絶賛稼働中で、時期も時期のためその空調管理に不満を持つ教員は多い。



 額に汗をにじませ温度を下げて欲しいと講義する男性教員。


 冷え性なのでむしろ温度を上げて欲しいと懇願する女性教員。


 

 一人一人の主張から始まったものが、いつしか同士を募り小規模な派閥を作る。


 俺みたいに個人的主張を控えひっそり事務作業に取り組む教員なんかは、意見を求められ双方の派閥から板挟みにされるなんてこともあったりなかったり……。



 雰囲気が悪いってわけじゃないけど、どこか重苦しい空気が漂う、そんな昼休み。



 

「あぁ……ぁ」



「なんですか~? 春宮先生ぐったりしすぎですよ」



 向かいのデスクに座る愛沢先生が、パソコンに手を掛けながらチラりと流し目を送ってくる。


 咎めるというよりも、会話の始まりを感じる。


 

 ここからの展開は大方予想出来るけど、今は凄い疲れてるから出来れば触れない方向でお願いしたい。




「あの……そのっ、昨日は取り乱してしまってすみませんでした……。色々思い出しちゃって……あの、八つ当たりみたいな……ごめんなさい」




 知ってた。

 

 で、そういう入りをするということは……。




「伊藤さんと、お話出来ましたか……? 昨日も言ったと思うんですけど、伊藤さんのイタズラはホントに度が過ぎてて……。別に、謝って欲しいわけじゃないんです。ただ、もう二度とあんな悪いことはしないって……出来れば、一筆書いて貰えたら」




 謝るのと一筆書かせるのなら後者の方がハードルは高そうだけど、愛沢先生の気持ちを考えればそう言いたくもなるか。


 昨日喚わめいていたように、伊藤からの被害は相当なものだったみたいだから。

 


 自分自身、あの後久しぶりに伊藤に絡まれてみて素直に問題児だなと担任の立場ながら思ってしまった。


 その伊藤をここまで放ったらかしにしたのは他の誰でもないこの自分で、逆に今までどれだけ周りが見えてなかったんだって色々と突っ込みたくもなった……ひたすら逃避してたんだなって。



 とはいえ、逃避することを辞めた今即時伊藤を正せるかと言われれば全く持ってそんなことはなくて、現在進行形で俺がぐったりしてる理由が職員室に漂う重苦しい空気なんかじゃなく、まさしくその伊藤についてなのだと目の前の愛沢先生に伝えたい。



 昨日、職員室を出た直後、薬師寺と共に伊藤からの強襲を受け一回。


 放課後、掃除の時間で二回。


 今日、三限目終了後の休み時間で三回。



 どれも伊藤との対話を試みてのアプローチは失敗に終わっている。



 わけのわからないテンションで絡まれてはわけのわからない方向へと話が進み、最終的には面倒臭くなった伊藤がぐちゃぐちゃに掻き乱して去っていく、この下りをもう三回は繰り返してる。

 

 回数をこなす毎に距離が縮まってるというならまだ可能性は感じるのだろうけど、その手応えどころか掠りすらしない、むしろかんちょうの一件以降薬師寺との関係までどこか気まずいものにされてしまうという低空飛行の一途を辿る。





 伊藤の考えがわからない。


 会話が噛み合わない。


 相手にされない。


 取り合って貰えない。





 さて、そんな状況の今どう愛沢先生に説明しよう。




「聞いてますか、春宮先生?」



「あっ、はい、伊藤の件については現在対応中なのでまた進捗があれば僕の方から……」



「対応中って、具体的にどんな感じですか?」



「いや、ですから今は対応してる最中で……そのうち」



「そのうちってなんですかっ!? 今そのうちって言いましたよね!?」



「……ゃ」



「あなたねぇ、自分の立場わかってるの!?」




 デスクをバンバン叩きながら向かいの俺のデスクへと身を乗り出そうとする愛沢先生。



 まぁ、こうなるよな……。



 申し訳ないなと思いながらも、その体勢からぶるんと激しく揺れる胸元が視界に入ってさらに申し訳なさを感じる。



 教員陣によるクレームの猛攻が昨日の昼休み。


 愛沢先生個人による追い込みが今日の昼休み。



 明日の昼休みは何が起こるのだろうと愛沢先生の対応をしつつ憂鬱な気持ちに浸っていると、職員室出入口付近から陰鬱とした空気を振り払うかの如く、涼しげな女性の声で名前を呼ばれる。





「なに春宮、また怒られてんの?」





――――(♠️)――――





「へぇ、伊藤かぁ……。伊藤ってあの可愛い子でしょ? 髪が金の」



「そう、ですね。金というかブロンドというか……あはは」



「あははじゃない。春宮さ、舐められすぎ」



「ですよねっ! ですよねぇ!? この人いっつもこうなんです! 自分の生徒が迷惑掛けてるのに……こんな、こんなっ、おかしいですよね!?」



「だね。これは春宮が悪い」





 保健の金井先生。


 正式名称、金井優希かないゆうき先生。



 身に纏う白衣から見て取れる通り、担当教科は保健。


 柔らかく優しげな雰囲気を持ちながらも以外にさばけた物言いが印象的で、愛沢先生と二人並んで華のある女子大生グループに見えなくもない。

 

 教員からは面倒見がいいと評判で、一部、用もないのに保健室へと生徒が駄弁りに来るぐらいには人気もあるんだとか。

 


 そんな金井先生とスレ違う機械があれば少し話をする、なんて関係になったのも実はここ最近の話だったり……いや、そんなことはどうでもいい。


 それより目の前の金井先生が手を引く小さなお子様のことが気になって仕方ない。



 金井先生が職員室に入って来た時点で明らかにおかしいだろって違和感しかなかった。


 どれだけ譲歩してサバを読んでも小学生にすら見えないけど……この子は?




「……お子さんですか? 結婚されてたんですね」



「バカ野郎。私の子じゃないよ」




 おぉ……チョップされた。




「この子は姉さんの子供で、私の姪。いきなり面倒見てって預けられて困ってんの。一応午後休取るつもりだけどその前に外せない用事があって、それまでちょっとだけ春宮にお願いしようかなって。春宮、5限の授業入ってる?」



「えっ」



 

 俺にお願いするの? なんで?



 いゃ……いきなり。


 いきなり言われてもキツい。



 授業は入ってないけど……他にすることあるし。


 

 

「わぁ、可愛いですねぇ! この子何歳ですか~?」



「んーっと、今三つかな。人見知りするとこあるけど大人しい子だから迷惑は掛けないと思う。んじゃ、すぐ戻ってくるから春宮お願いね」




 待ってください。


 通り過ぎる金井先生にいきなりは困りますと、やんわり断りの返事を返そうと口を開き掛けたその瞬間、先回りするかのように金井先生が小さな声でささやいた。




()()()()




 愛沢先生には聞こえない、明らかに意図された声量での囁き。


 意味深な眼差し。


 わかるでしょ、察してねって金井先生の意思を感じる。




 なるほど。

 

 うん……意味は、わかる。


 わかるから開き掛けた口も閉じてしまう。



 ただの親切じゃなく、あくまでも持ちつ持たれつってことかな?




「よろしく。すぐ戻って来るから」




 扉を閉めながら念押しするように大きな声で一言伝えて、金井先生が去っていく。

 

 間違いなく俺に向けた言葉だと思うんだけど、何故か向かいの愛沢先生が任されましたなんて大きな声で返事を返す。



 確かこの人、5限はうちのクラス担当だったはずだけど………まあいいか。

 



 これはこれで仕方ない。


 面と向かって借りだなんて言われたら大人しく返すしかないから。




 実際問題、借りはある。



 村上との騒動で竹先生に保健室へと運び込まれた関係上、金井先生は諸々の事情を知っている。


 気に掛けてくれていた橘先生だったり周りの教員達には伏せられている事情が、金井先生だけには説明せざるを得なかった。



 そんな過程を踏まえて、例の一件を知りながらも黙認してもらっているという借りと、何なら竹先生と保健室で大事な話し合いをしてるタイミングで教室に残された村上達の面倒を見てもらってもいたから、そこについても借りが出来て。

 


 考えてみれば、良くしてもらってる以上これぐらいのお礼は当然か。

 



「春宮先生、どうかしました?」



「……いえ。何もないです」




 幸いにも今の職員室はあまり人がいない。


 ちらほら注目はされど、5限が始まればさらに人が減って人目にも付かなくなる。



 適当に様子を見つつ、その傍らでチマチマ雑務でもこなしておけばいいか。

 



「えっへへへぇ~。私の名前はゆうって言います! あなたの名前を教えてもらってもいいですか~?」



「ま……ぁ……まゆ」



「へぇ~、まゆちゃんって言うんですか! こんにちはっ!」



「こ……こん、こんち……は」



「あぁーっ! 可愛いっ! 可愛いですねこの子っ!! 私ねぇ、小さな子供大好きなんですよ!」




 まゆと名乗る金井先生の姪に黄色い歓声を上げる愛沢先生。



 確かに、可愛いらしいお子さんではある。


 年は……三つとか言ってたっけ?



 子供は苦手だという認識はないけど、極端に幼い相手ともなるとどう対応すればいいかわからない。



 まあ金井先生はすぐに戻って来ると言ってたし、どうせこれっきりの関係なわけだから無難に立ち回ればいいか。




「ほら春宮先生も。まゆちゃんに自己紹介してあげてください」



「いや僕は大丈夫です。見ておくだけなんで」



「……はぁ?」



「まゆちゃんって言ったかな? 良かったら僕の隣に座ってもらってもいい? 僕は僕でやることあるからまゆちゃんも好きにしてていいよ。そうだ、ジュースとか飲むかな……あ、ごめん、そういうのないんだった……コーヒーでもいい?」



「う……っ」



「こらこらこらっ! なんですかそれは! こんなちっちゃい子に向かって!」



「はい?」



「はいじゃないですよ! 接し方ってものがあるでしょ!」



「……そうは言ってもこの場限りじゃないですか。面倒見ろとしか言われてませんし、様子を見るだけでもいいんじゃないですか? 仲良くなったところで数十分の付き合いでしかないし……これ以外で一生会うこともないでしょうし」



「あぁぁ!? あなた何言ってるのぉ!?」




 うぉ……。



 素直に返答したつもりが、握り拳を固めた愛沢先生に詰め寄られ思わず怯んでしまう。



 ええっ?




「正気ですかっ!? 本気で言ってますかっ!? どうしてそんな考えになれますかっ!? まゆちゃんの気持ちは考えないんですかっ!?」



「……や、別に、冷たくしようとか」



「もういいです! 結構です! もういい……もういいもういいもういい、もういいです。必要ないです」




 は?



 別に無視しようとか放置しようだなんて思っていない。


 間が出来れば会話も振るし無難に接して金井先生が来るのを待つつもりでいた。


 愛沢先生みたいに精神年齢下げてまで接することは出来ませんよって話であって……。




「ごめんなさいまゆちゃん! この人は鬼です! こんな人放っておいて私と仲良くなりましょう! はいっ、ごめんなさいのハグっ!」



 ぎゅっ……。



「……ん? ……ぎゅ!」



「あぁ……ぁ……かわっ……かわっ」




 そう。


 こんなふうにはなれない。

 ここまでは出来ない。



 これを求められても、正直言ってきつい。

 


 愛沢先生みたいに出来る人もいれば出来ない人だっているから、出来ない俺は出来ないなりに……。





「やろうとするのと初めからやらないのとじゃ全然違うと思うけどね。出来る出来ない以前に、こういうのって同じになることが大事だから」





 

 まるで心を読まれた気がした。


 驚きながら声の在りかに振り返ると…………金井、先生?




 あれ、早くないか?


 まだ5分も経ってないけど……。




「えっ、早いですねえ。ユーキ先生もういいんですか?」



「うん、廊下で夏川とスレ違って用事押し付けて来ちゃった。やっぱりまゆ置いていくのもどうかなって……ありがとね、愛沢ちゃん」




 意外な展開。


 もっと時間が掛かるものだと思ってたから少し構えていたけど……これですむなら普通に助かる。




「もう少し一緒にいたいですけど……ユーキ先生も来てくれましたし行きますね、授業あるので。まゆちゃんバイバ~イ……あっ、あと春宮先生はそういうとこホントに直した方がいいと思いますよ!」



「お~う、行ってこ~い。ほら、バイバイは?」



「ばっ、ばっばーい!」




 割りとギリギリまで粘ってくれていたのだろう、少し急ぎながら愛沢先生が職員室を抜けていく。


 俺に対してだけ妙に当たりがキツいのはよくあることだからスルーさせてもらうけど。




「外から見てたよ。春宮、子供苦手でしょ?」



「いや、苦手っていうか……そうは思ってませんけど、ちょっと気まずいというか」



「それを苦手って言うんだよっ!」




 軽く肩をぶつけられ、ふわりと金井先生の匂いが鼻を霞める。



 スキンシップなのはわかってる。


 だけど、一瞬、ドキリとしてしまう。



 いや、別に、好意があるとかそういうわけではなく、純粋に異性からの不意の一撃に云々かんぬん。


 


「まゆ、帰ろ」



「うん! かーろー!」




 金井先生がまゆちゃんの手を引き、二人並んでゆっくりと歩き出す。

 




 一件落着……かな?




 何か起こりそうで、特別何も起こらなかった昼休み。


 強いて言うなら伊藤の件で愛沢先生から詰められはしたけど、今思えば全く大した出来事ではない。



 何事も丸く収まってくれるのが第一。



 出来るなら負担は掛けられたくないけど……やっぱり借りは借りかな。


 金井先生にはいつかちゃんとお返しはしないと。


 

 



 そうだ、まだ昼食を取っていなかった。


 そろそろチャイムが鳴ってしまうけど、大急ぎで掻き込めばまだ間に合うか?



 何ならチャイムが鳴った後でも少しぐらいなら……。





「春宮は色々考えすぎなんじゃない?」












 ん?







 このときの金井先生の言葉は、今でも後でも妙に焼き付いて残ってる。



 人から教わる言葉、その人の考え。


 そういう一つ一つが蓄積されていって経験値となっていくのだろう。



 今は気付かない。


 後になってから気付く。



 本当に刺さる言葉って、以外とそんなものだと思う。






「もっと思考停止でいいと思う。真っ先に思い付いた考え実戦するぐらいでいいんじゃない? 考え過ぎてダメになることだってあるよ」

 








「シャキッとせんかい!」



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