「ひとりだから関係ない」
「で、わざわざ待っててくれたんだ。今日は無理かもって一応伝えたけど」
「う、うん。でも……やっぱり、お昼休みぐらいはお喋りしたいなって」
朝、学校に来て教室に向かうまでの道すがら、後ろから追い掛けてきた薬師寺と並んで西校舎へと続く渡り廊下を歩いた。
そして今、職員室前で一人暇そうに待ち伏せていた薬師寺を引き連れて、朝と全く同じ廊下を歩く。
こんど職員室にお喋りに行きますと薬師寺からの貼り紙を喰らったのが5月末の出来事だから……あれからもう二週間か?
言葉通り、本当に職員室まで話をしに来るというのが薬師寺の日課になりつつある。
流石に毎日とまでは聞いてないけど、わざわざ来てくれた薬師寺を無下に扱うつもりもない。
ただ……。
一つ気になるとすれば、この薬師寺に友人はいるのだろうか?
不登校になる前と登校出来てる今とで友人らしき友人を見た覚えが一度もない。
それとなく友達はいないのか聞いてみるも別のクラスにいる、昔はいた、いたことはあるなど聞く度に答えが二転三転していて相当怪しい。
強いて言うなら相良達を友達と呼べなくもないけど、相良達からすれば気を使った上での慈善的付き合いという意味合いの方が強いだろうからそれもそれでまた怪しい。
うん……。
いないならいないで悪いことではないし、これも個性ということにしておこう。
それに、もし薬師寺が俺と話すことでその穴を埋められるというなら、それはそれで悪い気はしない。
暇なのは同じだし。
「お昼は? 食べた?」
「うん、相良さんとお弁当食べた……。春宮君は?」
「先生は食べてないよ。色々あってさ、本当に」
あの状況で食べられるわけがなかった。
用意はしてたけど、職員室に戻った瞬間始まったから……。
「春宮君、怒られてた?」
「あぁ……まあ。聞こえてた?」
「うん。なんか、愛沢先生の声がして恐かった……。悪いことしたの?」
職員室の前で待ちぼうけてたわけだから、そりゃ聞かれてるか。
ちょうどいい。
手始めに薬師寺から聞いてみよう。
「先生が悪いことしたわけじゃないよ。ただ……先生のクラスに伊藤とか言うとんでもなくけしからん奴がいてさ、伊藤が色々やらかしたせいでそのとばっちりを受けてたんだ。知ってる、伊藤?」
「……あぁ、伊藤さん」
自分のクラスの生徒に自分のクラスの生徒を知っているかと問うのもおかしな質問ではあるけど、反応を見るに知らないわけではなさそうだ。
この、あぁって言うのが気になるな。
「ん……伊藤さんは、ね……同じ小学校だったよ」
「へぇ」
「クラス違うかったし……私、6年生のときに転校してきたから伊藤さんと喋ったことない。でも、なんか……学校のみんなは伊藤さんのこと、ヤバいヤバいってよく言ってた」
ほう、極めて抽象的な説明。
まあそこは置いとくとして、薬師寺と伊藤が同じ小学校だったというのは意外な共通点。
転校がどうって話は以前おばあちゃんから伺っていたけど……そうか、その転校先の学校が伊藤と同じだったんだ。
一応担任なわけだから目を通した資料のどこかに書いていそうではあるけど、わざわざ覚えてないしな。
「ヤバいって具体的にどうヤバいの? 小学校時代のエピソードとか」
「うん……なんか、わかんないけどヤバいって聞いたよ? わかんないけど」
「……じゃあ、今はどう? 中学に入って同じクラスになった薬師寺から見て伊藤はどう思う?」
「ヤバいと思う」
なるほど。
このがばがば加減は凄く薬師寺らしい。
そうだな……中学以降での話なら、薬師寺が見るより伊藤という生徒を見て来てはいる。
そんな伊藤に対していざどんな生徒か問われれば、同じくヤバい生徒と答えてしまいそうな辺り俺自身もそう変わらないか。
俺にしろ薬師寺にしろ、表面的な部分を除いて伊藤のことを何も知らない。
伊藤に対して求められる対応と一年二組の生徒としての今後を考えるなら、これを機に知る努力はした方がいいのかもしれない。
案外、周りの生徒に聞くより直接本人に、
「陰口はっ! 許さないかんなっ!」
「うおっ」
「わぁ…」
伊藤、降臨。
って、え?
えぇ!?
運動場から駆けて来たのだろう、薬師寺と歩く渡り廊下を横から飛び入りする形で突如目の前に伊藤が現れた。
「おまえ、今わたしの文句言ってたな? なん組だ?」
「ひっ……ぃ」
伊藤が、俺をそっちのけて薬師寺に絡み始める。
いきなりの出来事に面食らってしまうも、これは良くないと直感で感じとる。
薬師寺みたいなおっとりタイプの大人しい生徒からすれば、伊藤みたいな相手は相性最悪のはずで。
心に傷を負いながらも乗り越え復帰したばかりの薬師寺だ。トラウマがぶり返す前に即時対応を試みる。
「やめろ伊藤」
「ヤバいとか言ってたな今? 言いたいことあるなら直接聞くかんな?」
「い、言ってません……な、なにも言ってないです」
無視どころか距離を詰めては薬師寺の肩に手を置く伊藤。
ちょっとムカつくなぁ……。
「初めて見る顔だな……。名前は? 覚えるかんな?」
「う……っ、うぅ」
「名前は? 名前はって!」
「あっ……ぅ……は、はい、薬師寺舞ですっ」
はいじゃないよ薬師寺。
こんな、同級生相手に敬語なんて使わないで欲しい。
「相手しなくていいから。ほら、離せ伊藤」
気まずいながらも伊藤の手をほどいて薬師寺の解放に成功する。
続けて薬師寺へ目配せ、怯えながらもいそいそと俺の背中へ回り込み、庇うような対面で伊藤と向かい合う。
昼休み終了まで数分も残ってない。
今すぐに伊藤を叱ることは出来ないけど、最低限この流れで話し合いをする約束は取り付けたい。
お前のせいで大変なことになってるぞって、それぐらいは言ってやろう。
「まだなにもやってないだろ……何組かも聞いてないし」
「同じクラスの薬師寺だ、知らない方がおかしい。……それよりな伊藤、先生は伊藤と真剣な話し合いをしなくちゃいけない。言ってること、わかるな?」
「もしかして休んでたやつか? おまえテスト0点だっただろ? 一学期の成績マジヤバいことなるかんな?」
「……は、はぃ」
聞けよ。
薬師寺も答えなくていいって。
「無視するな、今日の放課後でいいから面談するよ。伊藤ももう中学生だろ、色々と話し合って成長した方がいい。時間は」
「それはっ、ムリっ! 面談とかしねえから!」
「いやいや無理じゃないからね」
「ああああああぁっ!!」
ぢょっ!?
「こらっ! このっ、このっ、このやろう! 面談とか絶対しないかんなっ!」
いっ……待って、ちょ……お、おおっ。
いきなり叫びながら突進して来る伊藤に絡み付かれ、謎の体勢でヘッドロックを決められる。
こいつ……こんな凶暴だったっけ?
もっと可愛いらしく絡んで来るイメージだったけど……。
「にぃ……ぃ……面談はっ、しない!」
「ぐ……っ……するんだよっ」
面談という言葉に過剰反応を示す伊藤。
これだけ色々なところでやらかしてる伊藤だ、いつか付けが回って自分に返ってくることは自覚しているのだろう。
相良にしろ薬師寺にしろ、小学生時代の伊藤は相当にやんちゃだったと聞く。
昔からずっとそうだと言うなら、案外伊藤にとってはこれもお決まりのパターンなのかもしれない。
なんて軽く考察してみるものの、ずっとこの体勢を続けるわけにもいかない。
足を絡めながら正面から抱き付かれてる関係上、現在進行形において伊藤との距離を示す数値は誰がどう見ても完全にゼロと言える。
仮にも一教員と一女子生徒、他の教員や生徒の目に入れば在らぬ誤解を招き兼ねない。
加えてこうも密着してるとなると、伊藤の髪が直接触れてやたらと甘い匂いがするわ温かくも柔らかな存在をぐいぐい押し付けられるわで立場的にも心情的にもそろそろ限界が近いというのが本音である。
一時、休戦を申し込もう。
「伊藤、一旦おしまいにしよう。チャイムもなるから」
「それはおまえの事情だろ。面談をやめるなら離す」
お前の事情でもあるだろ。
あとお前って言うな。
きっかけってわけじゃないけど、単純にお前と言われて腹が立ったのだろう。
いつもなら生徒と話をするとき、出来るだけ頭で整理してから会話に応じるようにしていたのが、今この瞬間だけは心が思ったことを反射で口に出してしまう。
「伊藤さ、これ楽しいか? 先生は普通にウザいって思うし正直言ってムカつくよ。伊藤は色んな生徒や先生にいつもこういうことしてるんだろ? 今のままを続けて、最終的にどうなるかわかるか?」
「あん?」
「誰もいなくなるんだよ。悪い噂が広まって仲良くしてくれる友達がいなくなる。注意してくれる先生も、最初は伊藤を思って接していたのが途中から仕方なく嫌々接するようになっていく。みんな、離れていくんだ」
「それが?」
いやそれがじゃないでしょ。
割りとキツ目に言ったつもりなんだけど……。
どうやら、伊藤には取り合って貰えないらしい。
代わりというべきか、学校全体が答えるかのように鐘の音色を響かせる。
昼休み終了。
5限の授業は、遅刻確定。
「チャイム、なったぞ?」
「もう終わりか……ふんっ」
飛び降りるように伊藤が離れていく。
解放されたのはありがたいけど、結局何も進んでいない……。
まあ、一回でダメなら二回三回としつこく繰り返すだけだからこれはこれでいい。
そうだな、せめて最後に意思表明ぐらいはさせてもらおう。
「伊藤、これで終わりじゃないからな? これからだって伊藤を見つけるたびに何回も何回もねっとりしつこく絡み付いて、伊藤が真剣に向き合ってくれるまで……」
あれ。
いない?
「……ぇ? あれ……薬師寺、伊藤どこいっ」
「うしろだああああぁっ! おまえしつこい! 面談はっ、しないっ!! かんちょう! かんちょう! ついでにすねエルボーっ!」
背後から伊藤の絶叫が聞こえると同時に、下腹部排出口付近を鋭利な突起で貫かれる衝撃が身を駆ける。
お……っ。
おおっ。
おおぉぉぉぉぉぉぉぉぉぉっ!?
や………な、なん……で。
はっ?
「あ……ぅ、春宮君大丈夫……? い、伊藤さん、先生に向かってこんなことしたらダメだよ?」
「だまれ。これ、かんちょうしたとこ付けとくかんな?」
キュッ、ふきふき。
「やぁぁっ」
「じゃあな」
ダメだ……。
こいつは放ったらかしにしたらダメな子供だ。
村上や南原達とは違う。
別のベクトルで今、ちゃんと正しておかなければいけない生徒。
初めて自覚を持った。
こいつに好き放題やらせてたら俺の立場はどうなる?
伊藤の担任という事実が恐い。
なぜだか少年法という言葉が頭にチラつく。
さっきの今で、これ?
どんな考えしたらこんなこと出来るの?
いきなりで、わけがわかんなくて。
なんだろう、腹の底にエネルギーみたいな何かが堪っていく……。
「伊藤ぉぉぉぉぉぉぉぉぉぉっ。ここはっ、中学校なんだよ! 周り見てみろ! お前みたいな奴がいるかっ!? 今の自分が続くって、本気でそう思ってるかぁ!?」
怒りを発散させながら、一人堂々と歩く伊藤を見て思う。
伊藤の世界に、俺は映ってるだろうか?
薬師寺は? 愛沢先生は?
伊藤がイタズラをする対象は、伊藤の世界に反映されているだろうか?
今の光景も、初めて伊藤に絡まれたあの時も、それ以降の諸々も、全部が伊藤一人で完結している気がする。
イタズラをされて不快に思う生徒、それを笑う生徒、一つの場面を切り取って覗いてみると、そこには一体となった色々な生徒が映っていて……。
なのに、明らかに張本人の伊藤だけが孤立している。
伊藤は、自分の世界に映らない人間と向き合ってくれるだろうか?
それでも……。
「さっき言ったこと、聞こえてないわけじゃないだろ? 手遅れになるまでに気付け………誰もいなくなる前に気付け。一人になるぞ?」
「もう一人だから関係ない」




