「伊藤杏」
伊藤杏という女子生徒について、話をしよう。
容姿、極めて西洋系。
肩に掛かる程度の薄く明るいブロンドの髪にほんのりと青い瞳、一際目立つ白い肌と併せて明らかに遺伝なんだろうなって誰もが一目で気付いては、惹き付けられる。
曰く、母親がドイツ出身日本育ちの純ドイツ人に対して、父親は日本とドイツのハーフだとか。
言うなら二人の子供である伊藤はそのクォーターに分類され、初めて入学式で見たときなんかはその外見的華やかさも相まって生徒教員問わず周囲の視線をひたすらに集めまくっていたことは今でも記憶に新しい。
確か伊藤とのファーストコンタクトは入学式のときだっけ……。
周りと同じように伊藤の容姿を二度見して、その見た目に反して思いっ切り日本の名前なことに驚き三度見、四度目は伊藤自身が直接絡んできて注目せざるを得なかった。
このときまでは少しアグレッシブな生徒がいるなとか、口調のわりにずいぶん幼い声で話すんだなとか、そういうふんわりした印象で納まっていたんだけど……。
まあ、教員という立場である以上、あまり生徒の外見的特徴を突いてどうこう語るのは褒められたものではないので早々に切り上げるとして……。
反面、その華やかさとは相反する形でもう一つの凄まじい個性を合わせ持つものがこの伊藤女子。
性格、極めて破天荒。
一言で表すなら単にイタズラ大好きの悪ガキなんだけど、ただイタズラ好きというだけなら他にもそういう生徒はたくさんいるわけで、わざわざ破天荒なんて言葉は使わない。
伊藤のするイタズラは今どき中学生がこんなことするかってレベルに幼艶で度を越していて、他に類を見ないが故破天荒。
4月、この合縁中学校に赴任して以降、自分がされたor目撃したイタズラだけでも相当なものに上り、思い出すにカンチョウやズボン下ろしスカート捲りなどのありふれたイタズラは朝飯前、大声で下ネタを騒ぎながら廊下を駆け回る、いきなり女子生徒の乳を揉む、一部男子に対する告白詐欺(これは俺がされた)など。
特に酷いものになってくると、寝てる生徒の鼻を摘まんで窒息させようとしたり、トイレの個室にて便を足してる生徒を覗いてはその排出量がいかほどのものか周りの生徒に実況したりなど、イタズラの内容は軽いものから相当タフなものまで幅広い。
ちなみにこの伊藤は上述の通りとんでもない悪ガキではあるものの、その容姿故一部の男子からは中々の人気があり、伊藤から理不尽なイタズラを受けてるにも関わらず表面上嫌そうな素振りをしつつもニタニタと幸せそうな笑みを浮かべる男子生徒、という構図をよく目にする。
可愛いから許される……のだろうけど、それを見ている女子からすれば面白くはないらしい。
男子からは人気がある反面、一部の女子からは相当に煙たがられているとある程度察することが出来る。
まとめ。
伊藤杏は長いかどうかわからない合縁中学の歴史に、間違いなく名を刻むレベルで可憐な女子生徒。
同様に、その歴史に名を刻むレベルの問題児でもある……ような気がする。
まあ、振り返ってみるとそんな感じかな……。
入学式の初っぱなに絡まれた辺りから元々ヤバい奴だとは思っていた。
うん……ほっといたらこうなるよなって、わかってはいたんだ。
でも、俺は俺で自分のことに忙しくて。
そこから薬師寺のこともあって。
あわよくば……本当にあわよくば、悪さをするのは俺やクラスメイト達の前だけだよなってどこか伊藤のことを信じてる自分もいて……。
違う。
全部言い訳だ。
薬師寺と同じで知っていて目を反らしていた。
面倒臭いから関わりたくないから逃げていた。
だから、今のこの状況もこれまでの甘えたつけを払わされてるだけに違いない。
改めて、目の前の状況を整理しよう。
昼休み、場所は職員室。
自分の席に座る俺を、賑やかにも周り囲むように橘先生、相沢先生、松岡先生、少し離れて夏川先生が仁王立ちしている。
これが楽しげな世間話ならとても幸せなことだけど……当然そんなことはなくて。
「伊藤さんがっ!」
「二組の伊藤さんについてですが」
「春宮お前いい加減にしろよ? あの伊藤とかいうやつな」
「ちょっと春宮っ! あんたんとこのクラスどうなってんのっ!? 伊藤のことなんだけど!」
伊藤伊藤伊藤伊藤伊藤。
各教員が、それはもう目に見えるレベルで大量の唾を飛ばしながら伊藤を連呼してはクレームの猛攻を仕掛けてくる。
村上グループの次は伊藤かぁ……。
6月某日、ついに一年担当の教員達が爆発した。
迅速かつ早急に、伊藤杏に対する対応を求められる。
――――(♠️)――――
「ぢょどおおおおっ!! 春宮先生ェェエエエ!! なんなんですかあの子はぁ!」
教員陣からのクレームも最終局面に差し掛かる。
各々の教員は一通り言いたいことを言えたのか、ひとまずは熱を下げて落ち着いてくれている。
ただ……。
「こんなんっ……猥褻ですよ猥褻ぅ! あなたどんな教育してるのっっ!?」
目の前のこの人だけが、空気を読まずひたすら粘ってくる。
「謝ってください……謝りなさいよ! 謝れっ!」
「……はい、すみませんでした」
「心がこもってません!」
「………」
「う……っ……うぅ、うぇ……うぇええ……あなだっ、あなだねぇ」
「落ち着いてください相沢先生。ほら、ハンカチ……大丈夫、大丈夫ですから」
「ふっ……ふぁい。ありがどうございまずたぢばなぜんぜぇ」
勢い余って泣き出しそうになる相沢先生を、橘先生が慰める。
なんだろう、この二人の距離感が日を追うごとに近くなっていってる気がする。
妙な疎外感を感じないでもないけど……一年担任の男は俺一人だけだし、偏ってしまうのも仕方ないか。
実際にこういうとき助けてもらえるのは凄くありがたいことだし、ホッとはするんだけど。
「あんたが落ち着いてどうすんの!」
うおっ。
不意に、夏川先生に襟元を掴まれ変な声が出てしまう。
「春宮さぁ、なんか余裕じゃない? 伊藤の問題は担任のあんたの問題でもあんの。わかってる?」
「あっ……は、はい。すみません」
余裕があるってわけじゃないけど、春先から色々あったから少し耐性が付いただけ……だと思う。
あのときに比べたらって、無意識に比較してる部分があるのかもしれない。
「あたしはまだいいよ? 別に伊藤のこと嫌いじゃないし、ムカついたら普通にやり返すから。……でもさ、相沢ちゃんはさ……」
夏川先生が相沢先生を見ながら気まずそうに声を下げる。
言いたいことは、わからないでもない。
教員にもタイプがあって、得手不得手がある。
だから、夏川先生みたいに上手く伊藤を洗うことが出来る教員もいれば、それを苦手とし対応に困る教員もいる。
どちらかと言えば相沢先生は後者側で……俺も、きっと後者側。
「あんた相沢ちゃんが何されてるか知ってんの?」
「……え? あぁ……まあ、ぼんやり」
ぼんやりというか、非常に抽象的な内容でしか聞かされてないけど、見ての通りクレーム自体は教員の中で一番もらっている。
「ぼんやり……? はぁ……ダメ、やっぱあんたダメだわ。全然ダメ! その余裕ムカつく!」
掴まれていた襟元が、さらに握力を込められネジ曲がりながら捻り上げられる。
こわいこわいこわい。
「いい? 伊藤のバカが全員に対して同じイタズラしてるわけじゃないの。人によって変えるし、酷いときはホント酷いんだからあいつ! 相沢ちゃんなんかねぇ、黒板にGカップとか書かれるわブラのホック外されるわ挙句の果てにパンツん中手突っ込まれて」
「いわないでぇ……」
「あっ……ご、ごめっ……ごめん相沢ちゃん! ホントごめんね……」
雑に離され、相沢先生の元へ駆け寄る夏川先生。
え? なに今の?
後半……後半なに言った?
えっ?
「とにかく、伊藤さんの言動はあまりにも……あまりにもあまりにもあまりにも目に余ります。担任の春宮先生が、何とかして下さい」
「……は、はい」
「はいではありませんよ? 今はまだ忠告で済んでますが、状況が変わらないようなら伊藤さんの保護者を直接呼び出して相応の対応を取らなければなりません。当然伊藤さんを受け持つあなた自身の責任問題でもあります。本当に理解されてますか?」
「……はい……それは」
混乱を隠せないなか、橘先生がまとめに入る。
夏川先生の発言が、極めて非常にそれはもう気になることこの上なくとも、そんなものとは関係なく伊藤に対する即時対応を各教員はお求めとのこと。
以前からちょくちょく名前が上がってはいた。
お前が何とかしろよって釘を刺されてもいた。
それでも言い訳を作って何もしなかったのは明らかに俺が悪くて………伊藤だけじゃなく、そんな俺に対しての不満が溜まってのことだとも思う。
だから、ここまで言われてそれでも何もしないなら……たぶん、本当の意味で教員としての信用問題に関わるわけで。
今だにどこか楽観的で、他人事のように思ってしまっている自分を咎めよう。
薬師寺のときみたく、わかっていて動かない。
そのくせ後になってから一方的な罪悪感を感じて後悔するなんて、あまりにも勝手だから。
ここ、だと思う。
「先生方にお掛けした迷惑……本当に、申し訳ございませんでした……。伊藤もそうですけど、こうなるまでに言い聞かせられなかった僕にも問題があって……重ねて申し訳ありません。伊藤については、一度真剣な話し合いを」
「遅いでしょ! どうして今まで話しあってないのっ! 私言いましたよっ!? 何回も何回も何回もぉ!」
「落ち着きな相沢ちゃん……ほら、よしよし。全部春宮が悪いから」
「……ぅ……うぇぇ」
相沢先生には日を改めて正式に謝罪するとして、お願いだから今だけは静かにして欲しい。話が進まないから。
「伊藤さんと話し合って改善させることは出来ますか? いきなり全てのイタズラを無くせとまでは言いません。ただ、今の度が過ぎたイタズラを止めさせることは出来ますか?」
「……はい、善処します。そこは、担任として何としてでも……」
「それでは担任として、春宮先生にお任せします。これだけたくさんのクレームが入っている以上、対応は迅速に。自分一人の手に余ると判断した場合は相談してください。協力はしますので」
意外にもと言うと失礼かもしれないけど、橘先生が思いの外優しい言葉をくれる。
ただ、担任という立場を考えるなら伊藤への対応は当たり前のことで、それをわざわざ仰々《ぎょうぎょう》しくも任せますなんて面と向かって言う以上、俺に対する信用は既に薄いんだなと察してしまう。
もう6月だ。
学年主任という立場で新卒の俺を見てきて概ねの評価も定まってきた頃合いだろう。
こればかりは今までの行いが積み重なっての結果だから特別悲しいとも思わないけど、自覚は持っておこう。
俺の役割は薬師寺を守ること。
村上達に睨みを利かせること。
でも、それ以前に教員としてこの学校に残り続けるために、やらなければいけない必要なことは他にもたくさんある。
弁えよう。
「さ、お昼休みも終わります。5限の授業を控えてる先生方もいるでしょう。ひとまず話はここまでということで」




