98 躊躇なく利用しようと思った
わたしの魔力の保ちのよさときたら、ファビウス先輩が眉をひそめるほどだった。眼もほそめてるから、また強者感が醸し出されている……美形に強者感まで与えなくていいんだ!
「魔力で覆うとき、なにか念じた?」
「ちゃんと平均的に覆いたい、とか……球形を維持したいとか?」
練習を終える午後遅くになっても、それは完全に残っていた。小さくもなっていない。逆に不安なんだけど……。
あ、光の呪符魔法は無事に発動できたよ! できたけど、ファビウス師匠からは、これを暗闇でも描けるようになろうねといわれて愕然としてるよ……。
いやまぁね、たしかに暗闇で描けたら便利だよね。うん。
「研究所で検査したいなぁ」
そういえば、このひとは研究所の所属だよな。毎日、学園に来てるけども。
はじめのふれこみでは、なんでも研究所に連れてって徹底検査するマッド・サイエンティストみたいな印象だったけど……これが、はじめての研究所発言じゃない?
「研究所だと、なにが検査できるんですか?」
「魔力の質と量を数値化できるね。あと、減衰を観測する装置もある」
なるほど。そりゃ研究所に持って行きたいだろう。
「じゃあ、これをそのままお持ちになれば?」
「いや、さっきちょっと押してみたけど、動かないね」
「え」
空中に浮いてるから、いくらでも動かせそうなのに……できないの?
試しに、わたしも指先で突いてみた。そして、納得した。全然、動かない。
ファビウス先輩は難しい顔をしていたが、わたしと視線が合うと、なんでもないことのように肩をすくめた。
「この部屋の防衛用の呪符魔法がなんらかの意図しない反応を起こしている可能性はあるね……とにかく、別の場所でも試してみないと」
「またやるんですか?」
「いや、今日はもう魔力をかなり使っただろう。やめておこう」
「まだ大丈夫ですよ! わたし、体力ありますし」
そろそろやばそう、って感じもないし。元気アピールをすると、ファビウス先輩は微笑んで答えた。
「元気なのは、いいね。じゃあ、魔力覆いを復活させたまま、門まで行ってみようか」
「この魔力玉は、どうするんですか?」
「このままにしておこう。今夜、また帰ったときに確認するよ」
今夜、帰ったとき? ってことは、ファビウス先輩は離宮住みなのか。
「誰かが見てびっくりしませんかね?」
「この部屋には勝手に立ち入れないようになってるから、大丈夫」
口ぶりから察するに、たぶん呪符魔法が仕込んであるんだろうな……。爆発予防といい、いろいろできるんだなぁ。
そのまま、魔力覆いをキープして離宮の玄関ホールに戻り、誰かがどこからか操作しているのか魔道具制御なのかわからないけど勝手に開く扉をくぐり。階段の下に待ち受けていた馬車に乗る。
「誰もいないの、変な感じです」
「そう? 僕はもう慣れちゃったのかな……。ああ、魔力覆いは休んでいいよ。すごくうまくなったね」
「ありがとうございます」
夕食にはまだ早い時刻じゃないかなと思いつつ、わたしは窓の外を眺めた。ファビウス先輩が用意してくれた馬車は、いわゆる箱馬車。壁と天井があるタイプだ。両側に小さな窓がついている。
ファビウス先輩は無言で物思いに沈んでいるようなので――たぶん、魔力玉のことを考えているんだろう――わたしはおとなしく景色を眺めていた。馬車は眺めのよい郊外から王都に入り、建物が密集する区画を通り抜けていく。
なんだか下町っぽい景色だなと思っていたのだが……いやこれ、っぽいどころか下町じゃん。えっ、知ってる店だ!
思わず窓にへばりついたわたしの背に、ファビウス先輩が笑みを含んだ声で尋ねた。
「気がついた?」
「え? あの、ここはつまり」
「君のご実家を見せてもらいたくて。もう見える?」
「いや、うちの前の道は馬車で入るには狭いのでは……入っていきますね、皆すごい避けてくれる!」
「王家の紋章がついてるからね」
そういうの、ぜんぜん気がついてなかったけど! マジか! これ王家の馬車なの!?
えっ、明日ものすっごい噂になるじゃん、やばいやつじゃん……いやでも待てよ、売り上げも倍増なのでは?
「ちょっと降りてもいいですか? せっかくですから、お土産になるものをお持ちします」
「いいの? もし迷惑でなかったら、僕も一緒に行っていい?」
「えっ……と、はい、まぁ……そうですね、大丈夫です! 是非どうぞ!」
売り上げ爆増間違いなしと踏んだわたしは、こくこくと頭を上下にふった。
ぶっちゃけると、我が家には経済的余裕がほとんどない。ふだんからそうだが、今! 特別に! やばい!
わたしの入学って、けっこう物入りだったのである。そりゃね、お偉いかたがたは気軽に、なるはやで入学するようにっておっしゃいますよ? だけど、先立つものがございませんって話もあったのよ。両親は頑張って工面してくれたのである!
もちろん、王立魔法学園の学費は国が支払ってくれる。ことになっている。だけど、文房具とかは自費じゃん? 制服も支給されはするけど、下着は当然自前だし、ちょっと肌寒いときに羽織るものとか、いろいろ必要なわけよ。あんまりみっともない格好はさせられないからと、新しいのを買ってくれたのよ。
……正直に白状しよう。この瞬間、わたしはファビウス先輩を利用することに、なんら罪悪感を覚えなかった、と!
馬車を降りるときは、ファビウス先輩が先だ。これだけでまず、野次馬がどよめく。そりゃな……見るからに王子様っぽいひとが王家の馬車から降りて来たんだもんな! ほんものの元王子なので、あながち間違いでもない。
そして、その王子様っぽいイケメンがエスコートすべく手を差し出すのが、わたしだからな! 魔法学園の制服に身を包んでいるとはいえ、パン屋の看板娘のルルベルだからな!
ごめんね、わたしで! でも逆にびっくりだろ、王家の馬車から降りて来るとか。
「こちらです、ファビウス様」
親しげアピールで名前を呼んでみたが、野次馬の皆さんは完全にポカン顔で、声なんか聞こえてないんじゃないか疑惑まである……。過剰サービスだったか。
まだ寒くないし、入口のドアは開きっぱなしだ。とはいえ、店の中からは外の騒ぎがなんとなく聞こえはしても、王家の紋章つきの馬車が停まったなんてことはわからないだろう。
わたしは店を覗き込んで、声をかけた。
「ただいま!」
「……ルルベル!」
家族の声じゃない。ぎょっとして、わたしは後ずさった。が、すでに手を握られていた。なんとなく、湿っぽい手だ……。
これは顔を見るまでもない。声だけじゃピンとこなかったけど、もうわかった。
粘着質な客だ! 手を握らんでほしい、気もちわるい!
「帰って来たのか。放校されたのか?」
「いえ……単に家族の顔を見に来ただけです。近くを通りがかったので――」
「近くを? 善き生徒であるならば、そんな暇はないはずだ」
ひとが喋ってる途中で割り込むなや。と思ったが、わたしは鉄壁の看板娘スマイルを顔に貼り付け、粘着質な客に答えた。
「特別訓練の帰りなのです」
「特別訓練? そんなものはないぞ」
あるんだよ! むしろ毎日特訓ばっかりだよ!
反駁する間もなく、背後から声がかかった。もちろんファビウス先輩だ。
「ルルベル嬢、そちらはどなたかな?」
……なんだっけ。リートに名前を教わったはずだが、まったく思いだせない。
粘着質な客と紹介するわけにもいかず、どうしようと思っているあいだに、向こうが爆発した。
「なんだ、そいつは! 学園で男をたぶらかしたのか! 俺という者がありながら、なんと不実な女だ!」
……は?
この客、なにぬかす! 看板娘スマイルが崩れそうになったじゃねぇか!
「お客様とは、なんのお約束もしておりませんが」
「おまえは俺に笑いかけるだろう! 俺を愛しているに決まっている!」
いや、看板娘スマイルだけど。ただの。スマイル0円のやつだから平等にふりまくけど?
どうさばけばいいのこれ、と思っていると、ぐいっと腕を引かれた。
「痛っ……」
と声をあげたのと、手が自由になったのが同時だった。
気がつくと、わたしはファビウス先輩の背中を見ていた。……背中だよな? たぶん背中。うなじでひとつに結んだ金髪が、きらきらしている……。高価そうなビロードのリボンがよくお似合いで。
「暴力はよくないね、君」
「暴力などではない!」
「そう? じゃあ、これも暴力じゃないよね」
これ絶対、ファビウス先輩にっこりしてるよね……なんて呑気なことを考えたのは、一瞬だった。
わたしの位置からは察することしかできないが、ファビウス先輩は粘着質な客の腕を掴んだのだと思う。そして、力一杯、引いたのだ。
粘着質な客はそのまま通りに放り出され、地面に尻餅をついた。
……えっ。ファビウス先輩って、あんまり力がない……とかいってなかったっけ? わたしをお姫様抱っこするときでさえ、かけ声が必要で謝罪されたんじゃなかった?




