95 やればできる、できるところまでは
twitter で開催中の人気投票、本日(2022年10月31日)で〆切です。
ありがたいコンパスのおかげで完璧な円は描けることが約束されたため、中に描く図形の勉強を進めることになった。
「魔力をこめないで円を下書きするって方法もあるんだけど、僕はあまり勧めないかな。清書するとき下書きをなぞることになるから、下書きにも魔力が通って二重になって、魔力過多の事故が起きやすいんだ」
「そんなことが……」
「はじめから、完璧に円との接点をもてる図形を描く必要はないんだ。接点なしで円を描いてから中の線を延長して、こういう風につなげても大丈夫だよ」
と、ファビウス先輩は華麗に見本を描いてくれるわけだが。
その……線を延長する、と。簡単におっしゃいますがね? 引いてある線にきちんとかさねて線を引くって、難しいよ? 難しくない? わたしは難しいと思う!
さりとて、一発で正しいサイズ感の図形が描けるかというと、それはそれでまた難しい……。
円の内側に描く想定で発案された数多の図形、もちろん接点も計算され尽くしているわけだが、ちょっと歪んだりずれたりすると接点が有効にならないこともあるわけで。むしろ、わたしが描くと、そういうことばかりなわけで!
「難しいですね……」
「うん。でも、毎日訓練すればできるようになるよ」
そう語るファビウス先輩のSR横顔をこっそり拝見しながら、やっぱりな、と思う。
このひと、「できる」ことに確信がある。
たぶん、努力はすればしただけ上達するっていう、成功体験が多いんだと思う。
……誤解しないでほしいんだけど、わたしは、天才が努力をしないとはいわない。むしろ、努力を惜しまないひとが多いと思ってる。
だけど、努力から得る見返りが大きいからこそ、かれらは天才と呼ばれるに足る結果を掴むのだ、とも思っている。
考えてみてほしい。たとえば、オリンピック競技に出場している選手と同じように練習したとて、全員が横並びに世界記録を出せるか? 無理である。
わたしは父の仕事を見て育ったけど、父のようにはパンを焼くことができない。ひょっとすると筋力の問題かもしれないし(パン焼きは体力仕事だ)、それ以外のなにかなのかもしれない。原因すら、わからないのだ。
兄なんか、反抗期で少しパン焼きをはなれていた時期があったのに、戻って来たらもう全然わたしより上手。あのときは腹が立った。わたしはずっと頑張ってたのに、遊んで帰って来た兄に敵わないのだ。
結果は努力に比例する、それは大原則。だけど同時に、あくまで本人の資質の範囲におさまるのも間違いない。
だから、「やればできる」の「できる」って「できるところまではできる」でしかないんだよ。どんなに頑張っても、自分が満足できるレベルに達しないかもしれないわけ。
わたしは凡人だから。やれば必ずできるなんて思えない。やってもできないこともあるって知ってる――父が店に出してもいいって認めてくれるパンを焼くとか。呪符魔法の第一人者になるとかも、たぶん無理。
それでも、やらないとできないのは事実だしな。自分には無理だと音を上げるのは、尽くせる限りの努力を尽くしてからだろう。……だって呪符魔法、必要だもん。聖属性魔法使い、無力だもん。
無力じゃなくなりたいんだよ、わたしは。
第一人者なんて、本気で目指してるわけじゃない。現実はそんなに甘くないって知ってる。それでも、せめて必要なときに必要な力がほしい。そのための努力は惜しまない……つもりである。
自分が描いた図形――魔法発動失敗しそうな作品だ――を見下ろして、わたしはつぶやく。
「まぁ、頑張ります」
「直線は、定規をあてればいいけどね」
「でも、ただ長いだけのまっすぐな線って、あんまり需要がないですね」
「そうだね。どうしても曲線が多いから」
「結論として、やはり自力で円を描く練習も必要なんじゃないですかね?」
「気づいちゃった?」
気づくに決まってんだろ!
ファビウス先輩が貸してくれた(断じて、もらったわけではない!)コンパスには、高級そうな鉛筆がセットされていた。鉛筆部分はほかの道具と差し替えることができる仕掛けだが、この鉛筆がまた……。わたしが使ったことがあるいかなる鉛筆より、書き味がいい。というか、これほんとに鉛筆? え、魔道具なんじゃないの? と、こっそり検分してみたほどだ。
もちろん、常識的に考えれば魔道具ではあり得ない。呪符魔法の模様を描くのに魔道具を使うと、魔力が混ざりあい、予期せぬ効果が生まれることがあるからだ……爆発とかね!
「綺麗な円を描けるようになって、これをお返しできる日が待ち遠しいです」
「そうだね」
思わせぶりにからかわれるかと思っていたら、とても澄んだ笑顔で返されてしまい、反応に窮した。
……ファビウス先輩のふるまいに慣れ過ぎちゃってるよ、これ!
「……いつまでも持っていてくれていいのに、っていわれるかと思いました」
「君も種明かしが早いんじゃない?」
そういって、ファビウス先輩は笑った。今度はいつもの調子だったので、安心する。
でも、つづく言葉を聞けば、わりと真顔になってしまう。
「……実際、返す必要はまったくないから持っていてくれていいんだけど、それはそれとして。道具が不要になるってことは、呪符魔法に必要な技術を君が身につけたってことだろう? 僕の生徒が一人前になるんだから、喜ぶべきことだよね」
「生徒……」
「弟子と呼ぶ方がいい? とにかく、綺麗な円が描けるようになれば、ほかのいかなる図形を描いても合格点を出せるはずだよ」
「呼びかたなんて、なんでもいいですが……授業料は必要ですか?」
授業料かぁ、とつぶやいてから、ファビウス先輩はにっこり笑った。これはもう、ほんとに胡散臭いやつである。
「そうだね。不要だといっても、受け入れてくれなさそうだから。なにか考えておくよ」
絶対、よからぬ考えだろうな! 逆にその方が安心だわ!
「よろしくお願いします」
というわけで、午前中はだいたい呪符魔法を教わって過ごした。
基本図形の組み合わせではあるんだけど、その基本図形ってやつが大量にあるから、まず暗記するだけでも大変なんだよね。場面を想像して結びつけるといいよ、っていうのがファビウス先輩の助言。
つまり、風属性の渦巻きは竜巻をイメージするとか、火属性の三角は炎の形とか、そういうのだ。
めんどくさいのは生属性で、これは切れ目のある円なんだけど、切れている位置や割合によって効果が変わるのね……そして、ほかの要素に使う曲線と、生属性の大きめに欠けた円を使い分けるのがまたこう……。きぃーっ! ってなるね!
「これ開発したひとたち、すごいですねぇ」
「とにかく、いろいろやってみたんだろうね。もちろん、すでに発見された形から類推できる図像もあるけど、そういうのばかりじゃないし」
そりゃ開発中に事故が多かったのもわかるわ……。
「挑戦する勇気があるひとたちだったんですね」
「無謀、ともいうけどね。でも……僕は好きだよ」
「……すみませんが、好きって単語を近過ぎる距離で発語しないでもらえませんか」
「君の眼をみつめながらいうのが禁止ってことだね?」
っていいながら、じっと見てくるのも、やめてほしいんですけど!
ファビウス先輩は少し笑って、それから視線を逸らした。
「いいよ、わかった。できるだけ自重するよ。君の学びの邪魔はしない」
「ほんとですか」
「信用ないな。……約束するよ、少なくともこの場所ではね。誰も見てないから」
……ねぇ、ファビウス先輩の口から出ると「誰も見てない」も、あやしい雰囲気になる問題は、どうやったら解決すんの! 丸描いて爆破すればいいのか!
「場所を限定せずにお願いしたいんですが」
「それは無理。僕は君を口説いてることになってるんだから」
あー……。忘れてたわ。
ナチュラルにそういう雰囲気を醸し出してくるから、外部の依頼者のことは忘れそうになってたわ! わたしの危機意識は休暇でもとったのか!
「そうでした。いろいろご配慮いただきまして……」
「いや、こっちの都合でもあるしね」
そういって、ファビウス先輩は立ち上がり、本を閉じた。
「そろそろ昼食にしよう。今日は、ちょっと面白いことがあるよ」
ちょっと面白いこと……。
「不穏さしか感じないのですが、それ、遠慮できませんか?」
「安心して、大丈夫だから」
なにが大丈夫なのか、さっぱりわからん!




