89 爆発事故の原因の五割は円にある
「なんでわたしが、ファビウス様を喜ばせなきゃいけないんですか?」
「僕の協力が必要だからじゃない?」
まぁ……まぁ、それは事実だけども!
昨日のジェレンス先生の無茶振り特訓を経て、わたしの内部でファビウス先輩の指導者としての評価は爆上がりである。わたしが魔法の実力を上げるために、なくてはならない人物だと思う。それはもう本気も本気で確信している。
だが、あくまで「指導者としての」評価である。それ以外はね……ちょっとね。
「君は僕を利用していいんだよ、ルルベル」
「は?」
「信じなくてもいいし、冷たくあしらってもいいんだ。君が好きなようにして」
「いや、……え、なんのお話です? いったいどんな罠が?」
ファビウス先輩は、かろやかに笑った。
「罠、って。……ひどいな。僕のこと、どんな悪人だと思ってるの?」
「乙女心を弄ぶという意味では、けっこうなものではないかと……」
「君もちゃんと弄ばれてくれてるなら、嬉しいな」
嬉しいな、じゃ、ねーんだよ!
わたしはスマイル零円を顔に貼り付けて答えた。つまり、最低限の笑顔である。
「いえ、弄ばれるのはご遠慮します」
「どうして? 皆、けっこう楽しんでくれるよ」
皆って誰だよ。知らねーよ。
「前にも申しましたが、わたしは聖属性魔法の訓練で手一杯で、恋だのなんだのに気を配る余裕がありません」
「君は気を配らなくていいよ。僕がなんとかするから」
なにをどうすんだよ! なんもするな!
「話が通じてない気がします……」
「いや、通じてるよ? 君は僕と恋愛ごっこはしたくないってことだよね」
「わかってるなら、そういう言動は控えてください」
できるだけ冷静に指摘したけど、ファビウス先輩にはまったく響かないようだった。
「わかってるからって尊重するとは限らないとは思わないのかい? 可愛いお姫様。……あ、怒ったね。知ってる? 君、怒ると後頭部の魔力覆いが消えやすいよ」
軽口叩きながら冷静に指摘すんな!
でも助かる! そうか怒ると後頭部……感情と連動してるんだったら、めんどくさいけどわかりやすいな。ジェレンス先生と一緒にいるときは、常時注意じゃん。
「気をつけます。ありがとうございます」
「うん、気をつけてね。……まぁ、せっかくこんな人気のないところに来たんだから、実践、指導する? 呪符魔法」
相変わらずの軽薄な口調で、ファビウス先輩はとんでもないことをいいだした。
だってほら、呪符魔法ってアレじゃん……爆発するやつだぞ!
「わたし、初心者ですよ?」
「うん、そうだね。僕がそれを知らないとでも思った?」
「いえ……そういうわけじゃないですけど、でも」
「大丈夫、多少爆発しても、なんとかするから」
いや、そもそも爆発したくないんですけど!
ファビウス先輩は、得意の上目遣いではない。どちらかといえば、見下すような感じ。面白がってるみたい、っていうか。
……後輩脅して面白がるとは上等だな!
「ジェレンス先生なら、たぶん――」
「ああ、『おまえはまだ、実技に入れる段階にない』っていわれる?」
「――はい」
思い出深い発言だなぁ。あれから数日、段階はあまり変わった気がしないが、実技はやらざるを得ない状況に陥っている。これ、やばいやつじゃん?
「そうだろうね。いっておくけど、呪符魔法に関しては僕の方が専門家だよ。ジェレンス先生よりもね」
「そうなんですか?」
「ジェレンス先生は、ほかにいろいろできるだろう? 呪符魔法を学ぶ必要性が薄いんだ。もちろん、知識はあるし、実践もできるけどね」
「なるほど」
納得しかない説明だな! 五属性持ちなら当然、呪符魔法の優先順位は下がるだろう。
「でも、このあいだの誓約魔法を見た感じ、僕の想定より、はるかに使えるみたいだな。あのひと、どこから時間を捻出してるんだろう。時属性で、なにかできるのかな。だったら羨ましい限りだ」
「時属性って、なにができるんですか?」
「ジェレンス先生が、自分の優位を崩すような情報を出すと思う?」
「……思いません」
そういや、リートもそんなこといってたわ。情報を出さない理由で皆の意見が一致するジェレンス先生、キャラが立ってるな!
「そういうこと。時属性は、謎の属性だよ。まぁ、ないものを羨んでいてもしかたがないから、時属性については諦めるとして――貴重な時間を、君はどう使いたい? このまま覆いの練習についやすの? 決心できるなら呪符魔法も教えるよ、って話なんだけど」
わたしにとっては、呪符魔法は優先順位が高めだ。聖属性魔法使い、無力だからね! いろいろできるジェレンス先生とは違うのである。
これは覚悟を決めるしかないのだろうか。
「そんなに不安なら、とりあえず、僕がやるのを見学するっていうのはどう?」
「道具をお持ちなんですか?」
わたしは図書館からずっとノートと筆記用具を持ち歩いているが、見たところ、ファビウス先輩は手ぶらなのだが。
すると、ファビウス先輩はすっと上体を折り曲げ、そのなにも持っていない手で枯れ枝を拾い上げた。そして、元の姿勢に戻ると、こちらを見てにっこりした。
「なんでもいいんだよ、道具なんて」
……いや、魔法となんも関係ないけど、枝を拾う動作だけでキマってるって、どういうこと? バレエでもやってんの? ダンサーってなんか、やたらポーズが綺麗じゃん……ああ、姿勢がいいってことか! インナー・マッスルが強そうっていうか。
「魔力の込めかたが見えるように、僕の魔力を着色するね?」
「あ、はい」
きらきらした魔力が、ファビウス先輩の手から木の棒を伝っていく。
何回も見た色合いだけど、やっぱり多幸感があるなと思う。なんでだろうなぁ。不思議だ。
「知識がないと、魔力供給用の円から描きがちなんだけど、それは間違い。っていうのは、本に書いてあるから知ってるよね?」
「はい」
「使いたい図形を描いてから、円を描く。僕が思うに、爆発事故の半分くらいは、先に円を描いていたことが原因だろうね」
「え、そこまでですか」
「うん、そこまで強い要因だよ。これは呪符魔法の基本で、とても重要なことなんだ。ちゃんと覚えてね?」
「はい……。原理としては、どういうことなんでしょう」
「爆発に至る原因になりそうなのは、ふたつだね。ひとつは、円を描くってことは、呪符が発動するための魔力を込める動作でもあるから。ほかの図形と違って、自動的に魔力が貯蓄される。貯蓄だけされて出て行く場所がないから、思い切って魔力を込め過ぎると、媒体が受け止めきれなくて、それだけでもう」
説明しながら、ファビウス先輩は木の棒で空中に円を描いた。えっ、円を描くのうま過ぎない? 人間コンパス? ていうか、魔力がそのまま宙に浮いて……破裂した。
「わっ」
「今のはそんなに魔力を込めてはいないけど、媒体が空気だからね。不安定で、簡単にずれる。で、魔力を受け止めきれなくて、爆発」
「……空気にも描けるんですか、呪符魔法」
「今、描いたの見たよね? 描けるかどうかでいえば、できるよ。だけど、結果も見た通りになる」
「なるほど……」
空中に描くなんて、本には載っていなかった。こんなこともできるんだと思うと、なんだかすごく……わくわくした。破裂しちゃうから、実用には供せないんだろうけど。
でもなんか、すごい!
「もうひとつは、接続時の事故だね。先に円を描いてあると、内側の図形と接触させたとき、一気に魔力が流れ込む。それで、想定した以上の出力になりやすいんだ。これは危険だから、やって見せないけど……いいよね?」
「あっ、はい。もちろんです」
爆発は避けたいんですよ当然ですよ、そんなの確認するまでもないことですよ!
「だから、中が先。経験が浅いと呪符全体の大きさを把握できなくて、先に描いた円から中身がはみ出した、なんて事故もあるしね。これも爆発しやすい」
「なんでも爆発しちゃうんですね……」
「魔法って、本来は危険なものなんだ。呪符魔法は、魔道具に仕込むことで、魔力のない人間でも魔法の効果を得られるようにする技術でもあるけど、それ自体が間違っているとする説もあるね」
「間違っている?」
「力の意味も使いかたもわからない者に力を与えるのは、危険だ……ってこと」
少し考えてから、わたしは答えた。
「でも、そんなの誰も、ほんとうにわかってるわけじゃないと思います。たとえ、すごい魔法使いでも」




