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88 選択肢がない人生にも種類がある

「魔力覆いの練習をするだけなら、場所はどこでもいいですよね」

「そうだね。動いても維持できるかが問題だから……散歩でもしようか?」


 というわけで、根性を見せているらしい王子の健闘を祈りつつ、我々はその場をはなれた。


「王宮では、どんな噂になっていたんですか?」

「君にも関係するんだけど。聞きたい?」

「聞きたくはないけど、知っておきたいですね……」


 ファビウス先輩は少し笑った。


「あの殿下が魔力を使い切った! っていうのが、まず、衝撃の第一報」

「なるほど」


 はじめての魔力切れらしいし、そりゃ当然、驚愕の新情報だ。


「次に、聖なる乙女の力になるべく心を入れ替えられたのだろう、学園でとても仲睦まじくしておいでだそうだ、って話が回ってきて――」


 ……聖なる乙女? 学園で仲睦まじい?


「――第三報は、学園の設備を壊す勢いだったらしい、さすが殿下、って褒め上げる派と、制御できていないのは変わらんじゃないかと貶す派と、だからこそ殿下に逆らうのは恐ろしいって盛り上げる派に分裂してたね」

「それ、盛り上げるっていうんですか」

「いうんだよ。王家の求心力を上げるための発言だから」

「ええぇ……」


 これが宮廷政治というやつか! わからん!


「ローデンスは不本意だろうけど、なにが起きてもうまく使う者は使うってことだよ」

「わたしにはわからない世界だということが、わかりました」


 ファビウス先輩は無言で微笑んで、ちらと視線をわたしの頭上にはしらせた。それだけでもう、魔力覆いがおかしくなってるんだということがわかる。

 もう今日はほんと、ファビウス先輩の便利さに感じ入るばかりである……。

 雑談をしつつ、たまに魔力の調整をしつつ。わたしたちは、学園を囲む森に来ていた。森といっても王都の中だから大した面積ではないはずだけど……だけどまぁ、木立の向こうに人工物が見えない程度には木が生い茂ってるし、面積もある。


「疲れない?」

「平気です。パン屋って、体力勝負なところありますから!」


 ファビウス先輩は、まぶしいものを見るような眼でわたしを見た。えっなに、またなにか口説きがはじまるの? 身構えちゃうわ。ここで倒れられると困るから、誓約魔法が発動しそうな激しいやつは遠慮してほしい。


「君は、自分の仕事に――家業に、誇りを持っているんだね」

「誇りですか?」


 そんなご大層なもんは、特にないと思うが……。


「うん。好きなんだね、ってこと――パン屋という仕事がね」


 好きという単語を聞いて少し身構えた自分が、馬鹿みたいである。そうね、パン屋ね。うんわかった、わかった。


「好きとか、そういうんじゃない気がします。ただ、当たり前っていうか」

「呼吸をするように?」

「そうですね。生きることが、そのまま、パン屋だったって感じです」

「生きることがそのまま、か……」


 ファビウス先輩は、わたしから視線を逸らした。あ、レアな横顔! たぶんSRくらいの感じだろう。SSRとまではいわないかな。……ものすごく無駄なことを考えてる気がするが、ファビウス先輩の横顔はSRにランクづけしたい。


「ほかに選択肢がないから、なにも考えてなかっただけですよ」

「選択肢がなくても、好きになれないってことはあるんじゃないかな」

「そうですか?」

「うん。たとえば僕は、自分の身の上が気に入っているとは……いえないね」


 SR横顔のままのファビウス先輩を見上げて、わたしは思う。選択肢がないという表現の意味が、少し違う気がする。

 わたしにとって選択肢がないとは、それしか知らなかったって意味だ。自分がほかのものになれるかもなんて、現実的な話として空想したことはなかった。まぁ、将来的に? 誰かと結婚するなら、そのひとの仕事を手伝うとか、なにかパン屋とは違う職業に就くことになるのかもしれないな、くらいは思ってたけど。

 だけど、ファビウス先輩の選択肢のなさって、もっとこう……。


「わたしには、具体的な未来がなにも見えてなくて、だから今いる場所で精一杯に生きていただけですけど……ファビウス様のは、たくさん可能性が見えているのに、どれひとつ選択できないみたいな感じですね。息苦しそうです」


 SR横顔が、儚げな笑みをたたえ、SSRに進化した……もうね、殺傷力が高い。乙女心の殺傷力が!


「うまい表現だね。そう、だから君が羨ましくなるんだ。自由に、のびのびと息をしているように見えるから」


 そうなるのはわかる。わかるが、わたしにも言い分はある。


「わたしの立場も、べつに羨ましがられるようなものじゃないですよ。だって……単なる物知らずってことです。情報が少な過ぎて、想像することもできない。自分が狭い場所の限られた価値観の中で生きていること、知らなかったんです」


 聖属性を見出され、学園への入学が決まってさえ、わたしは自分の未来をきちんと想像することができなかった。ただ、今いる場所とは違うところに行くんだ、決まった人生から脱出するんだ、とは思ったけど。

 あとはもう、濃い霧に突っ込んでいくようなものだった。だって、描けないんだもん。未来。

 自分がどんなに無知だったかを、入学以来、思い知らされつづけている。無知は罪だというけれど、下町のパン屋の娘がどうやったら知識を手に入れることができるのかなんて、今でもわからない。


「ルルベル、卑下しないで」

「卑下じゃないです。正確な現状認識ってやつですよ」

「でも、君はもうここにいる。学園もまた、別の意味では狭い場所だけど、ある程度の価値観の多様性は担保されているし、あらたな情報にふれることも容易だよ」

「ええ……そうです。わたしはもう、ここにいる」


 そして、あそこにはいない。生まれ育った、あの懐かしい下町のパン屋には。

 わたしはもう、元の暮らしには戻れないと思う。たぶん、耐えられない。ただ生きているだけの毎日に、喜びを見出せる気がしないのだ。

 聖属性魔法使いの使命は想像以上に重いし、未来には不安しかないけど、それでも今の暮らしがいい。発作的に家に戻りたいと感じることはあっても、戻ったきりになるのは想像したくもない。

 だって、話の通じるひとが誰もいなくなるのだ。魔法の歴史とか、実技とか、未来とか。家族はもちろん、お客だって話し相手にはなってくれないだろう。誰も魔法を知らないから。

 ……ああ、例の粘着質の客なら話せるのかな。素質があったってリートがいってたし。でも、ちゃんと訓練しなかったって話だから、きっと気が合わないに違いない。まぁ、あの客と気が合わないのなんて、規定事項だけども!


「ルルベル」


 声をかけられてふり向いた。いつのまにか、わたしの方がファビウス先輩に横顔を晒していたようだ。


「なんでしょう?」

「僕は、君と出会えてよかったと思っているよ」

「そうですか」

「冷たいな」

「パン屋の娘が愛想をふりまくのは、お客さんが相手のときだけですよ」

「特訓につきあってあげても、駄目?」

「そもそも、ファビウス様はわたしに愛想よくしてほしいです? そういうの、望んでます?」


 わたしが問い詰めると、ファビウス先輩は肩をすくめた。


「当然、やさしくしてくれる方が嬉しいけど?」

「それはどうでしょう……」

「なんでそんな疑いの目で見るの」

「ファビウス様は、女の子を落とす遊戯をなさってると思うからです」

「遊戯……」

「自分になびかない子を落とす工程が楽しいんでしょう? だから、多少冷たい相手の方が、落とし甲斐があるし楽しめるんじゃないですか?」


 そういいながら、あっ、これちょっとやり過ぎでは? つまり、リートがいうところの「そういうとこだぞ」が発動しちゃってるのでは? とは思った。

 ……ま、気がついたときには手遅れっていうのが、いつものパターンなわけだが!

 でも、ファビウス先輩は特に気を悪くした風もなかった。微笑をたたえたまま、わたしを見る。


「じゃあ、君は僕を楽しませてくれてるの?」

「はい?」

「適度に冷たくして、僕が興味を失わないところを見極めて。そうして、僕の気を惹いてくれてるってこと? それってもう、恋みたいなものじゃない?」


 いや、それは誤解だから!


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