80 我が唯一の交通手段が萎れてしまった
エルフ校長は、すっかり塞ぎ込んでしまった。
思い通りに運ばなかったから……なのかもしれないけど、なんかもう、あからさまに萎れている。植物なら葉っぱがだらんと垂れてしまった状態というか? 水をあげても復活するかどうかの瀬戸際ぎりぎりって感じ。
「校長先生、大丈夫ですか?」
「大丈夫ですよ」
そして無言。
……そろそろ学園に戻りたいんだけど、歩いて帰ったら何日かかるかわからない距離じゃない? ていうか、この岩山を降りるのがまず無理ゲーなのでは? 神魔法使いハルちゃん様もおっしゃってたよ、この子ひとりじゃ来られないでしょう、って。
しかるに、我が交通手段たるエルフ校長は、萎れた葉っぱ状態……どないすんねん。
「座ってもいいですか? 立ってるの疲れちゃったので」
「いいですよ」
「校長先生も、お座りになったらいかがですか」
「そうですね」
従順! エルフ校長とわたしは並んで岩場に座った。
そしてまた無言。
エルフ校長、何百年も生きてる割にメンタルがお子様疑惑……いや、これがエルフってことなのか?
……しかたない。お姉ちゃん役をやるか!
わたしはエルフ校長の手をとり、顔を覗き込んだ。
「しょんぼりしちゃって、どうしたんですか。ほんとは、どうなる予定だったんです? ハラルーシュ様が、わたしをどこかに連れ去ってくださるはずだったとか?」
「ええ」
やっぱりかー! あと、正直かー!
「あのかた、ぜんぜん協力的に見えませんでしたよ」
「僕のたのみなら、だいたい聞き入れてくれるんです……」
なるほど。それで勝算があった、と。でも今回は駄目だったんだな。
「聞き分けてあげてくださいよ。これじゃ、ハル様が気の毒です」
「……気の毒? ハラルーシュが?」
「そうですよ。呼び出しに応じて姿をあらわしてくださるのは、ハル様のご好意のあらわれです。なのに、やりたくないことをやってくれとたのまれたんですよ?」
「僕だって、協力を断られたのですよ……」
うぜぇ!
うぜぇけど、翳りを帯びたエルフの美しさたるや。マジつらい。しかもエルフ校長、ちょっと逆魅了がとけてない? ねぇ、とけてない? 翳ってるのにきらっきら! わけわかんないんだけど!
視線が合ってなくてもこの威力だから、こっち見られたら終わるな……。このレベルになると、美しさも凶器である。
「校長先生が悪いですよ。だって、ハル様がやりたがらないこと、わかってらしたでしょう?」
「……でも、やってくれると思っていたのです」
「ハル様を知っているひとは、もう、校長先生しか残ってないんですよね? だったら、校長先生がなさったことって、その唯一の知人が無理解きわまりなく、ハル様を尊重してくれないってことですよ。違いますか?」
ここで視線が合ってしまった……! エルフ校長の眼が、少しうるんでいる。早朝の露を含んだ若葉のように、純粋で……おお、貧弱な語彙でも詩を語りはじめそう! そしてあとで恥ずか死ぬ運命にあるのだ……。
「ルルベル、僕は……そんなつもりじゃなかったのです」
「ええ」
「若い聖属性魔法使いたちを、死なせたくない……それだけなのです……」
複数形なのは、これまでも聖属性持ちを逃がしてきたからなんだろうなぁ。八十年前のハーフエルフとか。
「でも、なにも片端から逃走させなくてもいいんじゃないですか?」
「魔王の復活が遠いときでさえ、聖属性魔法使いは政争の道具になりますからね。巻き込まれると、命があやういんです。君も、もうわかっているでしょう?」
……わかってますけども。昨日、本人が強い(物理)VS本人が強い(魔法)が勃発しかねない状況で、命の危険を感じましたよ!
「ハル様があんな感じってことは、これまでは、お力をお借りしていない……んですよね? つまり、聖属性魔法使いを逃すのに、ってことですけど」
「ええ。人間社会から姿を隠すだけのことなら、僕個人の力でもなんとかなりますからね。ただ、今は魔王の復活が近づいています。魔王の眷属たちも、聖属性魔法使いを探すはず。そのとき、僕だけでは守りきれないと思ったのです。でも、時空魔法なら確実に君を逃がすことができる……そう考えました」
それって、平和な時代に転送しちゃえ〜、とかそういう雑な話なのかな。いや、さすがに知らない人ばかりの知らない時代とかには、行きたくないな……それも、これから魔王が復活しそうな場面でだよ? 自分だけ逃げて、幸せになれる?
無理じゃろ! そんなのわたしのメンタルが死ぬ、メンタルが!
「ひとつ伺いたいのですが、これまでの聖属性魔法使いの皆さん、ちゃんと意志を確認なさいました?」
「してますよ。逃げたいというから逃がしました」
「でも、わたしは逃げたいとはお返事してないですよね?」
「……君は、ちょっと変わっています。だからこそ、あやうさを感じるし、早く避難させたいのです」
う〜ん。そういう理屈?
「校長先生の読みでは、わたしは失敗するんですか? 魔王の封印」
「……僕らのときも、ハラルーシュの時空操作がなければ、負けていました。魔王とは、絶対の力です。勝つどころか、その前に立つことさえ困難でしょう」
そっかー……魔王そんなに強いかー……。
のちの初代国王陛下と、神魔法使いと、エルフ校長。それ以外にも仲間がいたような話だし、きっと、ものすごく強いパーティーだったんだろうなぁ。それでも難しかったのか。
わたしはまだ、初代陛下の筋肉分すら戦力調達できていない気がするけど。でも、だからって諦めるわけにはいかないのだ。
「そのときの魔王って、自由になってから長かったんですよね? 今の魔王は封印を破ろうとしているところですよ。強さは、ずいぶん違うんじゃないですか?」
「それはそうかもしれません。ですが、君の魔力は質も量もロスタルスに及ばない。もちろん技術も。それに、聖属性魔法以外の部分も。なにもかもです」
おぅおぅ。すごい勢いでディスられてるぞ! さすがに、これは怒ってよくない?
わたしは大きく息を吐いた。そして、吸った。
怒りは押し殺すな――と、わたしは母に教わった。下町のしがないパン屋のおかみさんだけど、母の箴言は有用性が高い。わたしは身を以て知っている。この教えは、こうつづくのだ――だからといって、感情のままに爆発させるな、もったいない。せっかくの力は有用な場面で使え。即時応戦が必要なときもあるが、ほとんどは勘違い。だから、まずは落ち着け。深呼吸しろ。
深呼吸したよ、お母さん! よし。
「……校長先生がそうおっしゃるなら、それも事実なんでしょう。でも、わたし、負ける気はありません」
「ルルベル、夢や理想では魔王には勝てないのですよ」
「魔法はイメージです。わたしはそう教わりました。はじめから負けるって思ってたら、勝てる勝負も落とします」
「それでも、です。勝てると思えば勝てる、そんな生易しいものではありません」
「だから、手伝ってください!」
エルフ校長は眼をしばたたいた。うっ……エルフの涙目きょとん顔、強過ぎる……魔王より凶悪だろ、これ!
だが、わたしは負けない! 思いだせ、ウィブル先生の悟りマシーンで達観したときの心境を!
「校長先生のお力さえあれば、ロスタルス陛下の成功事例の再現に、一歩近づけるじゃないですか。やりましょう。魔王を封印し直しましょう!」
「……でも、君はロスタルスじゃない」
「そうですよ。わたしはわたしです」
長い長いため息のあと、エルフ校長は立ち上がった。
「僕のことは、諦めてください。石の乙女同様、僕はもう二度とかかわりたくないのです。魔王の封印には」
魔王封印にかかわった人物、全員「二度と御免だ」ってなってることから鑑みるに、大変なんだな……。
まぁ全員といっても、神レベルの魔法使いと、そもそも人類ではないエルフ校長という、規格外二名のサンプルしかないわけだけど。
「そうですか。残念です。……よければ、なぜそう思われるのかを教えていただけますか?」
「よくはないので、教えません」
やっぱり教えてはくれないか……まぁ、そこはしかたがない。諦めよう。
わたしも立ち上がり、エルフ校長に訊いた。
「では、またお誘いします」
「は……え……? 今、なんといいました?」
「また、お誘いしますね、って」
わたしは精一杯の看板娘スマイルを浮かべた。王族とのバトルを経て、スマイルのレベルが上がっていたりすればいいんだけど。対エルフって、対王族よりさらに勝利は難しそうだ。




