77 エルフが愛した名物料理
結局、エルフ校長が危惧した通りだった。
正確には危惧した以上かも? だって、エルフ校長が前にここを訪れたときに居酒屋をやっていたのは、今のご亭主の祖父にあたる人物だったそうだからね……代替わり、二回してる!
居酒屋の名前は「エルフの盃」……その二代前のご亭主が、エルフ校長にあやかって看板を掛け替えたんだそうだ。商魂たくましいっていうかなんていうか。
でも、おかげで味は変わってなかったわけよ。「あのエルフ様がいつ戻って来ても同じ味を楽しめるように」って、娘と娘婿に定番メニューのレシピを変更しないよう厳命し、その娘婿が同じように息子に厳命し……で、今でも同じ味なんだそうな。
「もし味が変わったと思われるなら、そりゃあ、エルフ様の舌が前とは違う、ってことでしょう」
居酒屋のご亭主、台詞は自信満々だけど、表情はどこかたよりない。まぶしいものを見るようっていうか、圧倒されてるっていうか……まぁね、わかるよ、うん。エルフ校長って、すごいもんね……物理的に光を発しているわけではないけど、魂が光を感じるよね。
「君たちの心遣い、とても嬉しく思うよ」
エルフ校長は、ほんとに喜んでるみたいだ。物腰やわらかで、あまり感情の起伏は感じさせないタイプだけれども……いつもとは全然違う。はっきり伝わってくる。言葉通りなんだな、って。
「さあさあ、どうぞ。うちの看板料理ですよ、エルフ様。お連れのお嬢さんも」
高いハードルと思われた村人との社交は、エルフに異様なまでに友好的な雰囲気のおかげで、特に問題はなかった。そもそも、客がほとんどいない。昼はそんなに客が来ないそうだ。店内には、半分寝ているような老人が数名いるだけ。
ひとりは完全に覚醒し、わたしを挟んでエルフ校長に必死で話しかけている。
「なぁ、あんた伝説のエルフか。石の乙女の歌に出てくるエルフか」
「ご想像におまかせしますよ」
「嬢ちゃん、知ってるか」
「いえ。ご期待に添えず、申しわけありません……」
もごもご答えつつ、思う。石の乙女って、なに? あるいは、誰?
ひょっとして、エルフ校長の記憶にしか残っていないっていう、天才的魔法使いのこと?
優雅に食事を進めるエルフ校長の横顔からは、なにも読み取れない。もう、感情をすべて覆い隠してしまったみたい。
エルフ校長、若々しい中年くらいに見えるんだけど。ほんとは居酒屋のご亭主より、常連客の老人たちより、ずっと長い時間を生きているのだろうと思うと、なんだか不思議な気がした。二代前のご亭主が見た姿とも、ほとんど変わっていないのだろうと思うと。
「どうしました?」
わたしの視線に気づいたエルフ校長が、やわらかく尋ねる。責めているようではなく、とくに疑問を覚えているようですらなく。ただ、なんだろう……。なんだろう、これ? エルフ、わかんねぇ……!
「……時の流れについて考えていたら、混乱してきたのかもしれないです」
「難しいことは、あとで。今は、昼食を楽しむといいですよ。とても美味しいですね、ご亭主。ほんとうに、昔のままの味だ」
居酒屋の看板料理は、エルフ校長に聞かされていた蒸し肉だった。葡萄の葉の効果なのか、脂身までさっぱりしてるし、赤身の部分はしっとりだ。
付け合わせの野菜が小ぶりなのは、土地柄だろう。肉より野菜が貴重なのかもしれない。
「はい、とても美味しいです」
「お、嬉しいねぇ」
「なぁ、エルフの旦那、どっから来なさったんだ? ほんとに二代前と知り合いなのか?」
「僕が嘘をついてるとでも?」
老人にそう問い返したエルフ校長の声は、とてもやわらかで。それでも、いってることは物騒な方向に行きかねないと気がついたから、わたしはあわてて割って入った。
「こちらのお料理がとても美味しいからって、わたしを連れて来てくださったんですよ。想像以上でした!」
「嬢ちゃんは、どこの出身だ」
「王都です」
「王都でエルフと知り合えるのか。王都にはエルフがたくさんいるのか?」
「たくさんいるわけではないと思います」
「俺の婆ちゃんがよ、エルフには気ぃつけろ、心を奪われるからっていってたけどよ、嬢ちゃんは大丈夫なのか」
ははあ……婆ちゃんとやら、エルフ校長に持って行かれちゃったんだな!
「大丈夫でありたいと思ってます」
「おい、お客さんに絡むなら、もう酒は出さねぇぞ」
ここでようやくご亭主が割って入ってくれて、会話は強制終了となった。つまり、酒を出さないという脅し文句に、むちゃくちゃ効果があったのである。
そのあとは静かに食事を終えて、お代を支払うときにエルフ校長が尋ねた。
「ご亭主、よかったら看板にひと工夫しても?」
「ひと工夫?」
「暗い夜にも見えるように、光る魔法をかけてあげることができるよ」
「おお、そりゃ助かるが……」
エルフ校長は、にっこりした。居合わせた全員が、うっとりした。含む、わたし。
外に出ると、エルフ校長は居酒屋の扉の上に掲げられた木彫りの看板を見上げ、いつものアレをはじめた。つまり、歌うような、語るような……エルフ語? ではないかと思っているアレだ。
ほどなく、光の円が出現した。それは看板の表面にぴたりと貼りついて、彫られた文字や盃の意匠ごと、円形を焼き付けた――と見るや、その円の内部をまた光の線がはしった。
単純な形だから、わたしにもわかる。光の呪符魔法だ。
気づけば、エルフ校長はもう歌っておらず、あたりは静まり返っていた。看板だけが、ぼんやりとかがやいている。呪符魔法は見えなくなっていた。
「えっ……呪符、消えたのに光ってる?」
思わず口走ったわたしに、エルフ校長はうなずいて見せた。
「外で形をつくってから、同じ構造を内部に仕込んでもらったのです。精霊にたのんで」
精霊を介して呪符魔法を刻んだってこと? ……得意じゃないはずの呪符魔法も、全然使えてるのでは? エルフ校長こそ天才ってやつじゃないの、これ!
「なんでもおできになるんですね……」
「なんでもはできませんよ。長く生きていると、できることの種類が増えはしますが」
「エルフ様……これは、どうやって手入れすればいいんですか?」
居酒屋の亭主がおそるおそるといった感じで尋ねるのに、エルフ校長は微笑んで答えた。
「なにも」
「永遠に光りつづけるってことですかい?」
「ああ、永遠などありはしませんよ。この看板も、いつかは朽ちて壊れるでしょう。そうしたら、魔法も終わりです」
「……終わらせないように、気をつけます」
「また、ご馳走になりに来ますよ」
「それはもう……是非! ああ、お代はいりません、お返しします」
「いいえ、受け取っておいてください。どうしても気になるなら、次に来たときにワインを一杯、奢ってくださればいいですよ」
「もちろんです、もちろんです。また来てください、お客さん」
行きましょうか、とエルフ校長はわたしに手をさしのべた。
このまま空に舞い上がるのではないかという予感を覚えたが、拒否することもできない。そして、案の定、手を繋いだと思ったらもう引き寄せられて、一気に上空へのコースである。
いつものアレすらない。もう精霊がスタンバっていたとしか思えない。サービス良過ぎでは?
「校長先生、校長先生! あまり急に動かれると、わたし……食べたばかりですから、気もちが……」
「ああ、それはまずいですね」
そういいながら、エルフ校長は高度を下げる様子はない。移動はゆっくりになったのかもしれないが、それより早く降ろしてほしい。
「先生……降りませんか?」
「君に、ハラルーシュの離宮を見せると約束しましたからね」
「ハラルーシュ……」
「名前は教えていませんでしたか? 我が友ロスタルスの姉だった女性です」
名前はともかく、離宮っぽい建物が見えてくる気配はない。灌木が生えるばかりの岩場が、どこまでもつづいているだけだ。
かなり古いものだろうから、ひょっとして崩れてるのかなと目を凝らすが、わからない。
「校長先生、どこに離宮が?」
「彼女がふざけて、呼んだのですよ。この荒れ野こそ、自分の離宮だと――王都に閉じ込めるのはやめてくれ、自由こそ我が望み、孤独こそ我が伴侶、どうか自分の存在は放念してくれ、と」
あー……そういうやつ? やっぱり、なんか面倒な背景事情がありそうだぞ!




