76 エルフは忘れない
エルフ校長が連れて来てくれたのは、絵に描いたような田舎の村だった。
古い工法で建てられた家々の屋根には草が生い茂り、これが断熱の役割も果たしているらしい。建物が自然と融合した風情がある。
場所は、川から少し離れた丘陵地帯。低いところは湿地が多く、高いところは岩がちで表土が薄い。しかも、夏は日差しが強過ぎ、雨も降らない。つまり、耕作には適さない土地なのだ。小さな畑を維持するのが精一杯。ただし、潅木の多い独特の地形には小動物が多く棲息し、狩りの獲物は潤沢だそうだ。それを狙う猛禽類も種類が多いとか。
こういうの、高空から実際に見下ろしつつ説明を受けると、すっごく理解しやすいね……あんまり高空に滞在したくないけど。
実は、さっきから鷲がこちらの様子を窺っているのだが、友好的な雰囲気じゃないと思うんだよね。鷲、かっこいいけど獲物として狙われるのは遠慮したい。
しかし、ここに……離宮?
「肉料理は種類が豊富です。王都では見かけないような獣の肉もあってね。それから、酒。独特のワインが名産ですよ」
エルフ校長、さては酒好きだな……。
「このへん、葡萄の栽培に適してるんですか?」
「特定の品種がね、あるんですよ」
すっごい楽しそうなお顔ですね! やっぱり酒好きだ。いや、ワイン好きなのだろうか。
それでいいのか、魔法使いとして!
「葡萄の葉を使った蒸し肉が名物です。とても香りがいいですよ。今日の昼食にしましょう」
「それは是非!」
あっさり食べ物に釣られてしまった。だって美味しそうじゃない? 美味しそうだよ……。
でも、このあいだ行った、えーっと……ルレンドルだっけ? あそこは大きな街だったからともかく、こんな小さな村にレストランみたいなのあるのかな?
「あのあたりが村の中心部になります。公共的な建造物がまとめてありますね。どこに行ってもだいたい同じですが、神殿、役場、居酒屋です。少し規模が大きいと、居酒屋とは別に雑貨屋や宿屋があります。逆にもっと規模が小さいと、役場がなくなり、村長の家が役場の機能を果たすことになります」
「なるほど……」
「居酒屋は土地の者の社交場ですから、うまく受け入れられるようにしましょうね」
いきなりハードルを置かれたぞ! えっ、高そうなハードルだな……下をくぐってもいい?
「難しそうですね……」
「そうでもないですよ? 笑顔を忘れずにふるまえば」
そりゃ! エルフの笑顔なら一気に全員魅了するだろうけども! パン屋の看板娘とは格が違うってやつでしょ、ねぇ!
……同行者特権で受け入れてもらおう。そうしよう。頑張れ村人、寛大な心でたのむ!
わたしが村人に期待をかけているあいだに、エルフ校長は高度を落としていく。さすがに今回は、中央にいきなり着地はしないようだ。降り立ったのは村はずれである。人通りはないので、妙な登場シーンを目撃されることもないだろう。
「少しだけ歩きますよ。ああ、このあたりは空気がいいですね!」
「そうですね。王都とは香りが違う気がします」
自然派エルフ校長は、実にのびのびとなさっている……正直、ルレンドル訪問時よりずっと幸せそうなお顔。見ているだけで、わたしまで幸せになりそうだ。
……なんだこの宗教体験みたいなの!
「校長先生のご出身地も、こんな空気なんですか?」
このあいだ連れて行かれたけど、空気はわからんよな……ずっと密閉空間にいたし。
「いいえ、エルフの里の空気はもっと独特ですよ。あなたが嫌でなければ、また行きましょう」
……あっ。めんどくさい方向に自分から突入してしまった感!
穏便に回避する策が必要だと思いながら、わたしはエルフ校長に笑顔を返した。格が違うといっても、笑顔は笑顔である。
「そうですね。わたしの訓練がうまくいって、魔王を封印することがかなったら……そのとき、ご褒美にでも」
ついでに完全引退も手伝ってもらおう。しかしこの話題、いつ、どう切り出すのが適切だろう。
エルフ校長は、一刻も早くわたしを世間から隠したいと思っていそうな印象がある。つまり、魔王をなんとかしてから引退ではなく、魔王をなんとかする前に引退させようとしがちだ。
なんでそんな、せっかちなんだろうな。どう考えても、魔王をなんとかしてからの方がいいと思うんだけど……。
悩んでいるわたしの肩に、エルフ校長がそっと手をかけた。
「ほら、あれは野生ですが、ここで栽培されている葡萄の木と同じ品種ですよ」
「……なんか、葉っぱが大きめです?」
「よくわかりましたね。そうです。先ほども話しましたが、夏は日差しが強過ぎる反面、それ以外の季節は日照が不足しがちでね。木が育つために、葉が大きくなったようです。夏場は果実に日が当たり過ぎないように、日差しから守る役目も果たすのですよ」
「へぇ〜」
気を抜いていたら、ものすごく間抜けっぽい相槌を打ってしまった!
でも、エルフ校長は気にしないようだ。たぶん、葡萄について熱く語るのに忙しいのだろう。
「湿気と乾燥の双方に強い、頑健な品種です。ほかの地域の栽培種との交配で、育てやすく果実も大きくなる品種も開発されていますが、僕はこの原種の、野性味を残した味がたまらないと思っています――」
延々とつづく葡萄の話を拝聴しつつ、わたしは思った。エルフ校長は、ワインが好きなだけじゃない。葡萄が好きなんだ。ワインはきっと、葡萄の延長線上にある芸術品という位置付けなのだろう。人類が発明した最良のもの、くらい思っていそう。
……あれ、ワインの発明って人類なのかな。
「ワインって、エルフも作るんですか?」
「いいえ。エルフの里で酒といえば、金花酒ですね」
「金花酒……?」
ふふっ、とエルフ校長は悪戯っぽい笑みを浮かべ、その美しさと可愛らしさにわたしは999のダメージを受けた。うっ、持ちこたえられない!
エルフはやはり三階にいるべきなんだよ、一階を歩き回っちゃいけないんだよ!
「エルフだけの、秘密のお酒です。製法も原料も秘密です」
「……わかりました、今の質問は忘れてください」
「ルルベル、ひとつ教えておきましょうか」
「はい?」
「エルフは忘れることができないんですよ」
……なるほど! エルフ校長のふるまいを見るだに、納得しかない。
気をつけよう、エルフは根に持つ長命種。
五・七・五でうまくまとまった! 日本語を解する人物がいないので、誰にも自慢できないのが残念だ。
なお、この世界の――少なくとも央国近辺で使われている言葉で「リズムがよい」とされる代表は、音節数三・三・四の組み合わせである。たらら、たらら、たららら〜、って感じ。
「じゃあ、一回学んだらすぐ身につくんですね。羨ましいです」
「身につく、とは少し違うかもしれませんが……知識としては定着しますね。でも、僕はあなたがたが羨ましいですよ。忘れるという機能は、長命のエルフにこそ必要なのではないかと、たまに思います」
そう語ったときのエルフ校長の表情が、それはもう……言葉にできない感じで、ぐっと来た。
さっきの悪戯っぽい微笑がポジティヴなダメージだとしたら、今回のは心を抉ってくる感じだ……エルフ、危険過ぎる。ほんともうずっと三階にいてほしい。でもたまに見下ろしてほしい。見上げたら微笑んでほしい!
「……校長先生の心には、ずっと残っているのだとしたら。できるだけ良い思い出を、たくさんつくりたいですね。わたしを思い返してもらうことがあるなら、幸せな記憶として、でありたいです」
エルフ校長はまた、なんともいえない表情でわたしを見た。
「ルルベル」
「だから今日も、楽しい昼食にしましょう」
森の緑の色をした眼をわずかにほそめ、エルフ校長は長く息を吐いた。
「ええ。……でも、もう達成していますよ」
「えっ? 昼食はまだですよ」
「そうですね。昼食は、まだだ。楽しみましょう。この村の居酒屋は、なかなか美味い料理を出すんですよ」
「わぁ、それは楽しみです!」
「店主が代替わりして、味が変わっていたりしないといいのですが」
ザ・長命種ならではの危惧、って感じの来たワァー!




