73 恋バナをせがまれても在庫がないのである
……まぁ結論をいうと、すっかり魔性が抜けた先輩は無駄なことを話さなくなって、わたしを寮に送り届けてくれたわけだが。
建物に入ってから、ぼんやりふらふら部屋へ向かっていたわたしは、待ち構えていたシスコによって拉致された。
「見てたわよ、ルルベル! ファビウス様、別れを惜しむように何回もふり返ってらしたわ」
「え、そうなの」
わたしは見てなかったな。正直、ではまた特訓の方、よろしくお願いします! って挨拶して一目散に寮に駆け込んだよね、もうこれ以上の面倒ごとは終わりにしたかったので。
でも、それを白状する隙がない。なぜなら、シスコが異様に盛り上がっているから。
「今度はわたしが聞く番よ!」
って……。
うん。恋バナが聞きたいんだね? それはわかる。わかるが、ごめん。在庫がない。
「なんか、わたしをたらしこめって依頼されたらしいよ、ファビウス先輩」
シスコは、心底びっくりしたという顔をした。可愛いよね、びっくり顔も。
「誰から?」
「それは教えてくれなかったけど。断れないって話だった」
「……なにそれ。あっ、これ食べてみて。すっごく美味しいから」
保冷箱から出て来たのは、色あざやかなフルーツタルトだ。たしかに、すっごく美味しそう!
なお、寒冷な我が国で収穫できるフルーツの種類は少ないし、南国産のフルーツは高級品である。そして、タルトに乗っているフルーツは見たこともない色をしている……原価については考えるまい。
「綺麗だねぇ」
「ルルベルに食べてほしくて、待ってたの」
「シスコ……!」
感極まったわたしの前にタルトを並べ、お茶の支度をしながらシスコは尋ねた。
「……ねぇ。依頼されたなんて本人に伝えるの、おかしくない?」
「だよね、わたしもそう思った……うわぁ、ほんとだ、これすごい! わたしの人生でいちばん美味しいお菓子だ!」
誇張などではなく! まぁ、シスコが部屋に用意してるお菓子って、だいたいそうなんだけどね。わたしの人生で、いちばん美味しいお菓子。やっぱり、同じ平民でもシスコとは生きてる世界が違うんだなぁって思うし、そんなへだたりがあるはずのふたりが、こうして仲良くできるのもすごいなって思う。
王立魔法学園よ永遠なれ、シュルベアル三世万歳!
「よかった。……どういうおつもりなのかしら、ファビウス様」
「わたしは、先輩なりの誠意かなと思ったんだよね。自分は依頼を受けてるから、気をつけてねって教えてくれるのはさ」
「そうね……」
「でも先輩にいわせると、それも信じさせるための手管かもしれない、って」
「それもその通りね」
う〜ん、とシスコは考え込んでいる。
「ごめんね、あんまり楽しい話じゃなくて。ねぇ、もう気にしなくていいよ。なるようにしか、ならないんだし!」
「ルルベル……」
「先輩の魔法の力が有用なのは間違いないんだから。特訓にはつきあってくださいね、ってお願いしたら、その願いは叶えてもらえそうだから、ちょっと口説かれるくらいは我慢するよ」
シスコは複雑そうな顔をした。
「ファビウス様になら、騙されてもいいから口説かれたいって女の子、たくさんいると思うけど……ルルベルは、そうじゃないのよね?」
「騙されたくないし、べつに口説かれたくもないよ。すっごく、かっこいいとは思うけど」
「胸がときめいたりはしないの?」
「う〜ん、言動にびっくりはするけど。あと、お美しいなとは思う」
胸を押さえて倒れるのは、わたしではなく先輩の役目である。
「たしかに、とてもお美しいかたよね……」
「鑑賞するのはいいけど、並びたくはないかも。それに、ファビウス先輩とおつきあいするって、王侯貴族の社会に突入するってことじゃない? そんなの無理だもの」
純真なルルベルなら、きっと夢をみたに違いないとは思う。すごいわ、隣国の王子様とおつきあいするだなんて! ……ってね。階級の差を乗り越えることの困難さとか、たぶん思い浮かばないから。だって、上流階級の噂話って、フィクションで、エンターテインメントだもの。現実感が皆無なのだ。
でも、前世知識が教えてくれる。実際に平民が上流階級に混ざるのって地獄だよ、って。そして、階級社会で生きている現世の経験が、その知識を裏打ちする。階級はねぇ……やばいよ。やばい。
同じ平民のシスコでさえ、本来なら道がまじわることはなかった存在だと感じるのだ。ましてや王子なんてもう。王子の恋人でさえ無理だし、婚約者となれば無限に無理である。
「だけど……ねぇ、前から思ってたの。ルルベルは上流階級とのおつきあいを避けられなくなるんじゃないかな、って。だって聖属性よ? きっと、放っておいてはもらえないわ」
……シスコ! おまえもか!
「それ、ファビウス先輩にもいわれたー。……でも、無理だよぉ」
やはりエルフ校長への根回しは必須と見た。ToDoリストに入れておかないと……そんなもの作ってないけど、作るべきだな。
「無理かな」
「無理! 絶対、精神的に保たない自信があるよ」
シスコは困ったようにわたしを見る。可愛い。
「だけど、逃れようがないと思うわ。ある程度、上流に慣れておいた方がいいんじゃない?」
「嫌だよそんなの。わたしはエーディリア様みたいに頑張れない。あのかた、すっごいと思う」
家系ロンダリングまでして上流入り、王子の面倒を見るのがお役目です……って、エーディリア様。絶対、根性と自制心のかたまりだと思うよ。とても真似できない。
「そうね……。ルルベルがエーディリア様みたいになるのは、ちょっと、嫌かな」
つぶやいてから、あっ、とシスコは顔を上げてわたしを見た。これ絶対、失言したと思ってる顔でしょ! いいのいいの、わたしもそう思うから!
「わたしはエーディリア様にはなれないから。心配しないで」
「嫌とか、勝手なこといって……わたし駄目よね。エーディリア様にも失礼だし……それに、ルルベルは真面目に悩んでるのに」
「悩んでない、悩んでない。悩むとこに行く前に、無理! って思うだけ」
「でもルルベル、それはともかくとして、ファビウス様のことはどうするの?」
「どうって? 特訓にはつきあってもらうよ。それは、よくよくお願いしたから」
「そんなことして平気なの? だってその……誘惑するって宣言なさってるのに?」
「そうだけど、悪いようにはなさらないだろうって信じることにしたから」
シスコはまた、びっくり顔になった。ただでさえ眼が大きくて可愛らしいのに、びっくりすると倍率ドーン! って感じで可愛さもアップだよ。
「信じて大丈夫なの?」
「大丈夫かは、わかんない。でも、酷いことされるかもって疑ってかかる自分が嫌になっちゃったんだ。疲れるし。だから、とりあえず味方だって信じておいて、まぁ駄目なら――なんとかなるでしょ。ジェレンス先生もいるし」
東国出身者には当たりが強いことで定評があるエルフ校長の魔力を流し込んだ、ガチな感じの誓約魔法もあるし!
「そういう問題じゃないわ。ファビウス様に、やられちゃったらどうするの」
「ジェレンス先生に倒してもらう」
「やられるって、恋愛的によ!」
「ん〜、そしたらシスコにお返しとして恋バナしてあげるよ。どう、楽しみ?」
「……なんか違うわ。そういうんじゃないのよ、ルルベル……」
シスコはまだ不安そうだったけど、結局、現状はべつに変化してないんだよね。ファビウス先輩がわたしを落とそうとしてるのなんて、はじめからそうだっただろうし。差があるとしたら、第三者による依頼の有無くらいだし。
わたしはシスコに、なにも変わらないよと説いて安心させ、ついでに自分も安心して寝ることにした。
「……なんかなぁ」
寝ることにしたし、疲れてるんだけど、すぐには眠れなかった。
保健室で少し寝たっていうか……あれを睡眠にカウントしていいのかわからないけど、休んだからなぁ。それで眠くないのだろうか。
わたしはぼんやりとベッドの天蓋を見上げ、ファビウス先輩と別れたときのことを思いだした。
シスコに告げたように、ふり返らなかったのは事実なのだ。急ぎ足で中に入ったのも。だけど……聞こえた気がしたのだ。ファビウス先輩の声が。
『僕は、彼女には逆らえないのかな』
……って、わたしに聞かせる気がない感じの。距離もけっこうあったし、なんならドアも閉じてたかもしれないタイミングだったけど、やけにはっきり聞こえたのだ。
空耳? 妄想? えっわたし疲れ過ぎてない? って首を捻ってたらシスコに捕まったんだけども。
あれは……ほんとに聞こえたのだろうか。ファビウス先輩の声だったのだろうか。だとしたら、どういう意味があるんだろう。
「ま、なるようになる。なるようにしかならない」
そうつぶやいて、わたしは眼を閉じた。




