70 夜の保健室とウィブル先生はミステリアス
ウィブル先生がわたしを運んだ先は保健室だった。予想の範囲内でよかった……エルフ校長みたいに国外脱出とかされたらどうしようかと。転移陣さえあれば、可能だもんなぁ。魔法怖い。
「乱暴に連れ出しちゃって、ごめんなさいね」
「いえ……先生、力持ちなんですね」
そう、運ばれるたびに思うのだが、わたしは華奢な深窓の令嬢などではない。下町育ちで、そこそこ筋肉質なのである。魔性先輩でさえ、持ち上げるときに掛け声が必要だったほどだ(謝られた)。
なのに、ウィブル先生は軽々と抱え上げたばかりか、そのまま走ったのである。すごくない?
「ああ、それは魔法よ、魔法。筋力強化。厳密にいうと、筋力だけ上げてもバランスとれないから、全身の能力をアップするの。けっこう難しいのよ。それに、明日は筋肉痛かも」
なるほど……。たしか総演会のときに、無茶して動かしても身体がついてこないとか、粉砕骨折とかいろいろ語られた記憶がある。先生は、壊してから治すのもできるけど、壊さない範囲でなにができるかも熟知しているということだろう。
そっか、なんでも「治せばいいのよ」派だというのは誤解だったか。
「生属性魔法が使えたら、物理で戦えそう……」
「本気の生属性魔法使いは強いわよ」
夜の保健室は、どこか不思議な雰囲気がただよっている。よく見知っている場所なのに、妙な異界感があるというか。
そこに立つウィブル先生もまた、ミステリアス度がアップしている。
「こっちに来て」
ウィブル先生は、ベッドが並んでいる奥に移動した。お、こんなところに扉があったとは知らなかった。ウィブル先生はそのドアを開き、どうぞ、というポーズでわたしに入室をうながした。
え、校長室みたいにドアの向こうはエルフの里近傍でした、みたいなオチじゃないだろうなぁ……と、少し怯えながら。それでもわたしは、暗い部屋に入った。
つづけて先生も入室し、パチンと指を鳴らす。と、あちこちに設置された照明が淡く光りはじめた。
「うわぁ……」
思わず声が漏れるほど、それは幻想的な光景だった。
魔道具であろう照明器具は、すべてが有機的な曲線を描いたデザインで、夢の世界の奇妙な植物のように見える。壁、床、天井――ちらちらとまたたき、あるいは揺らぎ。一定の強さをもたない光は、淡い黄色からオレンジ、あるいは緑や青へと色まで変えている。
部屋はさほど広くなくて、中央にはこれも美しいデザインの寝椅子が置かれていた。薄暗いからはっきりとは見えないけど、すっごく……高価そうなやつ。
「ここはね、追い詰められた生徒用の休憩室」
「追い詰められた生徒用……」
わたしか!
え、わたし追い詰められてんの? いやそうか。そうかも。
「真面目な子ほど、気負いがちなのね。自分が頑張らなきゃ、なんとかしなきゃ、課題を達成しなきゃ。でも、頑張るってまっすぐ願うだけで叶うほど、魔法の道って甘くはない。簡単でもない。すぐにどうにかなるものでもない」
やわらかに、でも淡々と否定して。ウィブル先生はわたしの手を取り、寝椅子へとみちびいた。
「ここに横になって。……で、悠久の時の流れを体感してもらいます」
「……はい?」
意外過ぎる説明が飛び出して、混乱した。悠久の。時の。流れ? 文節ごとに区切っても、意味わからんぞ!
「簡単にいうと、あなたの身体の中に刻まれている古い記憶ね。生まれる前からの情報を、ふんわり流すの」
「あの……失礼かもしれませんが、それにどんな効果が?」
「大雑把になれるのよ。ま、成功も失敗も、時の流れの前にはあんま意味ないな〜……みたいな感じ?」
……わからなくはない。わからなくはないが、生まれる前からの情報をふんわり……って、いったいどんな。なんか怖いんですけど!
「先生、わたし大丈夫ですので、遠慮したいんですが」
「駄目よ。だって、皆そういうの。自分は大丈夫、ってね」
うん、正攻法ではウィブル先生には勝てなさそうだ。諦めて横たわったわたしの手首に、ウィブル先生はリボンを巻いて結ぶ。これも魔法の一部なのかな……わからん。リボンの先は天井の方につながっていて、絵面としては病院で点滴入れられてるみたい。前世的なシチュエーションでいえば、ってことだけど。
ウィブル先生は、これも天井から吊り下げられている薄い布を引っ張った。おお、なんか天蓋付きベッドみたいになってきたな……しかも、とってもガーリーでスウィートな感じの。
「あなたは聖属性で、周りからの期待が重い。しかも、いろんな思惑に引き裂かれそうになってる。その上、特訓で疲労困憊。ねぇ、心と身体って意外と繋がりが強いの。それはわかってる? 疲れてたり睡眠不足だったりすると、悪い考えや嫌な思いが浮かびやすいし、そのまま定着しかねない」
「……はい」
「逆にいえば、気もちが落ち込んでるとね? 身体の方もつられて、本来できることができなくなったりするの。だから、心と身体の健康って、とっても重要なのよ」
揺らぐ光に照らされて語るウィブル先生は、やっぱり女神様みたいだった。男性の顔なんだけど、なんで女神って感じるんだろうなぁ……って少し悩んでから気がついた。
それ当然だわ。ルルベル的には、女神が信仰の本筋だから。
この世界、少なくともルルベルが知ってる範囲では、宗教はふわっとしてる。良いことがあったら神様のおかげ、悪いことがあったら罰が当たった、お願いごとがあれば祈りに行く……そんな感じ。ひょっとしなくても、別の場所ではまた違うんだろうな。
まぁそんな考察は置いとくとして、わたしがこれまで祈りを捧げてきたのは女神様なのである。一柱しか存在しないので、名前は特にない。あったとしても、知らない。もっといえば、神様という言葉はそのまま女神様を意味する。だって、ほかにいないもの。
ほかの神様とか別の信仰なんて概念は、前世知識がなければ思い浮かびもしないだろう。そういう意味で、ルルベルの世界はめっちゃ狭いのだ。ついでにいうと、だいたいパンで埋まっていた。
「じゃあ、眼を閉じて。眠っちゃっていいのよ。終わったら起こすから」
はっと我に返ったわたしは、思わずウィブル先生の手を掴んだ。
「先生、あの……不安なんですけど」
そういうと、ウィブル先生はまた女神を連想する慈愛の笑みを浮かべ、わかったわ、とささやいた。いや顔が近い近い、そしてこんなに近いのに破綻しない美しさがすごい!
「手を握っていてあげるから。安心して。大丈夫、終わったらすっきりするからね?」
「はい……」
むちゃくちゃ不安だったけど、もはや逃げられない。
ウィブル先生の手をぎゅっと握ると、先生も握り返してくれた。
どこか遠くから、さざなみのように音が聞こえてくる。なんだろうこれ、海の波みたいな……遠くで鐘が鳴ってるような……深く、長くつづく響きの中に、飲み込まれていく……。
すべてがゆっくりと回転をはじめた。ゆっくり……ゆっくり。長く、遠く。深く。
目蓋の向こうで揺れる光が滲んで、歪んで、螺旋を描く。上が下になり、下が上になる。わたしは空を飛んで、あるいは水底に潜って、浮かんで、落ちて、世界を巡る。
巡る……。
「お帰り、ルルベル」
はっとして眼を開けた。なんだこれ。
頭がすっきりして、なんかもうほんと……なにもかも、そんな思い詰めなくていいな、って気分になってた。
えっ、なにこれすごーい! うわぁ、身体までかろやかって気がする! 翼もないのに空だって飛べそうっていうか。
「生属性魔法って、こんなことができるんですね……」
「すっきりした?」
「しました! すごいです!」
ウィブル先生は少し得意げだった。もっと自慢してもいいと思う。これすごい!
「ならよかった。……あなたの悩み、それ自体をとり除くことはできない。だけど、立ち向かうための力にはなれるし、寄り添ったり、見かたを変える手助けをしたりはできると思うのよ」
「はい。そんな感じ、します。なにもかも背負おうとしなくていいんだな、って」
大暗黒期が再現されたとしても、それ、わたしひとりの罪じゃないし。魔王を封印するのだって、わたしひとりが頑張らなきゃいけないことじゃない。
「うん、それでいいのよ。それでいいの。……もう立てるようなら寮に送って行くわ」
「お願いしてもいいですか?」
「もちろんよ。まぁ、リートが待ち構えていそうな気もしないでもないんだけど」
そんな話をしながら保健室を出たわたしたちを待ち構えていたのは、リートではなかった。




